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行くは獣の道


★★★★




『ーート……』


それは、小さな小さな囁き。


だが、忘れられていた『音』という存在は、止まっていたその世界を呼び覚ますには十分だったらしい。


軽やかな羽でも、水面を揺らすように。


少年は、無意識にそう感じていた。


『キット』


聞いた事もないほど美しい、それでいてどこか懐かしい声が、自分の名を呼んでいる。


しばらく失われていた思考が取り戻されたのは、この声に呼び掛けられたからだろうと、なんとなく理解していた。


ーーだれ、にゃ……?

『気がつきましたか、キット。』


姿は見えない。ただ声だけが、波にのって来るようにゆっくりと届くだけ。


『貴方の事を、皆が心配していますよ。』


皆。


真っ先に思い浮かんだのは、兄さんの顔だった。

他にもいくつかあったのだが、朧げな意識では、それらはすぐに薄れてしまった。


ーーわしゃあのせいで、にーちゃんに……苦しい思いを……

『貴方のせいではありません。』


温かく優しいその声にも、キットの気持ちは軽くはならない。


ーーにーちゃんは、応急処置を……すぐしにゃかったんだにゃ……。余計にゃ心配を、かけたから。

『責任を感じているのですね。』


声に、キットは頷いたつもりだが、それが出来ていたのかもよく分からない。

先程から、意識はあるものの身体は重く、感覚もひどく鈍かった。


思考も、普段よりまとまらない。


『調査していた病は、子供の致死率が高かった。だからこそ、お兄さんは自分よりも貴方を優先したのですよ。』


キットはその事実を知ってしまい、衝動的に宿を飛び出してしまったのだった。


ーーでも


迷惑をかけていると思いながらも、帰れなかった。

どんな顔で皆に会えばいいのか分からなかった。

兄さんが、あのまま起きないのではないかとーー怖かった。


『なんて、もどかしいのでしょうね。』


切なさを滲ませながら、声はキットに寄り添うように揺蕩う。


『貴方も、お兄さんも……互いを想うあまりに、相手を苦しめてしまっているようですね。』


声を届けていた波が大きく揺れる。不安定な世界が歪み、徐々にどこかの景色を映し出していた。


いや、キットには見覚えのある場所だった。


『キット。貴方は、一人で犯人を突き止めようとしているのでしょう?それなら、この場所にお行きなさい。声と、花の香りが、貴方を導いてくれますよ。』




★★★★




国というのは一つの大きな塊ではなく、点在する町や村が包括されてできている。小さな塊が、人の営みで繋がっているのだ。


人々は、自分の住む領域をそれぞれ守っている。大抵は、周囲を塀などで囲われている場合が多い。


動物や魔物だけではなく、盗賊や犯罪者等の町にとっての『異物』となり得る者から守るためだ。


だからこそ、門を守っていた男はーーその少年に対して厳しい視線を送ったのだ。


「お前、獣人か?」

「身分証にゃら、持ってるにゃ。」


特に、キットのような獣人ーーつまり、異民族はーー存在そのものが()()であり、()()として認識されやすい。


国境でもないのに身分証が必要になるのは、こういう事情があるからだった。


「これは……。ん?ギルド本部発行ーー?」


身分証を見ていた門番は、さらに提示された冒険者証を見て目を見張る。


「!ーーまさか?!」


そしてもう一度、身分証のーー紋章を確認して、頬を引きつらせた。


どうやら、この紋章に重要な意味があるらしく、これのおかげでキットは獣人にしては良い待遇を受けることができていた。


何を意味するものなのかは分からないので、彼にとっては幸運のお守りのような認識なのだが。


返されたそれらをしまいながら、いくらかのお金も手渡す。


別に、通行料を支払わなければいけないという決まりはない。

上手く事を進めるには、お金を渡した方がいいというだけだ。


「いつもお疲れ様ですにゃ。」

「あ、ああ……」


良くも悪くも、少年は獣人としての対応に慣れていた。




☆★☆★




「やっぱり、ただの夢だったのかにゃ……」


町を出てしばらく経った頃、キットは途方にくれていた。


『声と、花の香りが、貴方を導いてくれますよ。』


どんな夢だったかあまり覚えていないのだが、その言葉と先程の門の光景だけは記憶に残っていた。


それを頼りにここまで来て、花を見つけては鼻先を近づけていたのだが……。


花の香りはする。


本当に、ただそれだけだった。


ーー導くってにゃんの事にゃ?意味が分からにゃいにゃ!


詰んだ、と、少年は立ち尽くす。


「見落としているのかにゃあ……?」


一輪の小花も見逃すまいと足元を見て歩いていたキットは、ふと立ち止まり目を閉じた。


視覚を頼りにしてだめならば、探し方を変えようと考えたのだ。


外界からの情報が一つ制限された事で、ほかの感覚がより鋭くなる。


足裏の乾いた地面。

草木が騒めき、擦れる音。

風が身体を撫で、通り過ぎていく。

それに乱された髪が頬をくすぐり。


深くて甘い、とろりとした香りが鼻腔を抜けた。


ーーー……!


あの香り。

鮮やかな小さな青い花に潜む、毒の事を思い出すと、眠くなるどころか鮮烈に感覚が研ぎ澄まされる。


『……きっと』


ルイの声。


目を開けたが、もちろんそこには少女の姿はない。


「…………。」

『きっと、どこー?』


キットは一つ深呼吸をすると、街道を進み始めた。




花はない。少女もいない。

だけど、香りと声は確かに感じられる。


まるで、この道自体がそれらを覚えていて、過去の記憶を伝えてくれているようだった。


突然、香りが道を逸れる。


『れい、あっち、いってみよーよ?』


少女はレイと一緒だったようだ。キットは香りが逸れた先ーー彼らが目指したのであろう森に目を向けた。


土壌に残る足跡に、掻き分けられて折れ曲がった草木。

人が出入りしている形跡がある。


この森には生き物の気配もあるので、狩りに来る人がいてもおかしくはない。


キットはするりと、森の中に足を踏み入れた。


外界から自分の領域を守ろうとするのは、人だけではない。動物も植物も、自らの身を守り、警戒する。

相手をむやみに刺激するのは危険なのだ。


目立ってはいけない。かといって、慎重にしすぎてもよくない。


自然に、溶け込めばいい。


ーー静かだにゃ……


歩調を変えず、周囲を確認しながら首を傾げる。


森の騒めきが消え、ありとあらゆる生き物が、息を潜めているようだった。


キットを拒絶するわけでも、怖がるわけでもなく、ただただ見ている。そんな奇妙な感覚。


「……。」


ぐっと掌を強く握りしめて、不安を押し潰す。

手放しそうになっていた花の香りとルイの声を手繰り寄せ、意識をそこに集中させた。


奥へ、奥へ。


沈黙の森を、行く。


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