偽りの皮
アカウントを無くしてしまい、新たに作り直しました。
※LASKA 第五章 「送り主を探して」 からの続きです。
初めての方は、LASKA(作 朝舞)からお読み下さい。
ーーー
瞼の下から黒曜石の瞳が現れるのを見て、ラスカはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった、気がつきましたね。」
焦点の定まらなかったその瞳は、彼女の姿を映し出すと揺らめいて、ふいに光が宿る。
「‥‥‥ラスカ様?」
夢うつつな様子で呟いた兄さんに、頷きを返すとーー
「ーーキット……」
漏れ出た声が朧げにその名を形どる。
おそらく、無意識だったのだろう。
兄さんは、自分の言葉にはっと息をのんだ。
「キットは……あの子は、無事ですか?」
「ーーはい。花の香りで酔って、眠っていただけですよ。今は、ここにはいませんけど……」
「さようですか。」
張り詰めていた気配が消えると、安堵と、病み上がりの気怠さが綯い交ぜになった表情を浮かべた。
「良かった……。」
上体を起こした兄さんは、汗でベタついてしまっている髪を手ですく。少し青白い顔の左半分が、すっぽりと覆われた。
流れるようにして襟を正していたその手が、ふと止まる。
「衣服が、替わっているようです。」
「汗をかいていたので……」
「……さようですか。」
気まずそうに言葉を濁すラスカに、兄さんも思わずぎこちなく答えた。
「それは……困りましたね。どうやら、ラスカ様にーー」
僅かに目を伏せた瞳に影が落ち、黒いそれがさらに暗くなる。
「ーー私の秘密を、知られてしまったようですね。」
動きのない表情からは、感情はよく読み取れなかった。
二人の間に、緊張感が立ち昇るーーが。
「ーー失礼。」
空気は重くなる前に、その声にかき消されてしまった。
ガチャ
返事を待たずに開かれた部屋の扉に、ラスカと兄さんは思わずそちらを向く。
そんな二人を静かに見つめ返したのは、蜂蜜色の髪の少年、サーシュだった。
「気配がしたのでな。やはり、目を覚ましておったか。ーー茶でもどうだ?」
手にした盆を僅かに掲げてみせる彼には、いつものぼんやりとした雰囲気はない。
どうやら、もう一つの人格の煌のようだ。
瞳の色が、新芽のような明るい緑ではなく、鬱蒼とした森のような深い色になっていた。
慣れた手つきで三人分のお茶を淹れ、自らも腰をおろす。
「いい香りですね。」
爽やかに香りたつそれに、ラスカは表情を和らげた。
「うむ。茶は心身にも良いしな。それにーー」
煌は、ちらりと、兄さんに目を向ける。
「そなたとは、一度話してみたかったのだ。その容姿から察するに、極海の民であろう?この大陸で会えるとはな。」
「……サーシュ様。」
先程から困惑した様子でいた兄さんは、訝しげに少年に尋ねた。
「いったい、いかがなさったのですか?まるで人が変わったかのようですが……」
いつになく饒舌だった煌はきょとんと相手を見つめ返した後、はっと何かに気がついたのか膝を打った。
「そういえば、そなたとは表で会うていなかったな。妾は煌。サーシュの身体に憑依しておる者だ。」
「え?」
のんびりとお茶を味わっていたラスカは思わず、ごくり、と、それを一気に胃に落とし込んでしまった。
むせながらも、それは些細なこととばかりに煌に聞き返す。
「憑依、って、どういうことですか?」
「……うむ?ラスカは妾を知っておるだろう。」
兄さんだけでなく彼女も驚いているのを見て、煌は首を傾げる。
「煌さんの事は分かりますけど、詳しい事までは知りませんでした。」
初めてあった時、ルイが彼に、二重人格なのかと尋ねていた。
あの時は確か「近いものではある」と言っていたのだがーー
「ま、細かいことは気にするでない。」
煌は案外雑だった。
カップを両手で包むようにする風変わりな仕草で、ゆるりとお茶を飲んでいる。
「共生しながらも、周囲に流されず、呑まれずーー『自分』というものをしっかり持っていれば、どこにいようとも存在が揺らぐ事はない。異国の地であろうが、他人様の肉体の中であろうが、な。」
そう微笑む煌を、窓から差し込む黄昏の光が妖艶に照らしていた。
☆★☆★
「神官様は今回の件には関わっていなかったよ。まあ、普通に考えると当たり前の事なんだけど。」
レイとルイも帰って来たところで、一同はそれぞれの調査の報告を行っていた。
白い少女の母親から聞いた話では、この街に神官様がお忍びで来て、感染者の治療を行っていたということだった。
『多くの命が燃え尽きそうになっているのを、どうにか救いたいのです。』
遥か高みの存在である彼女から言葉をかけられただけで、人々は希望を持つことができる。
『ですが、簡単なことではありません。特別な魔法陣の上で術を施さなければならず、それはここからは離れた場所にあるのです。』
治療の為とはいえ大切な者を託す事になっても、奇跡にすがろうとする。
『それでも、命の炎が消えてしまった時は。私が、その魂が神の御許へ辿り着けるよう葬いましょう。』
たとえ、戻って来たのが形見だけだったとしても、素直にそれを受け取り感謝の涙を流す。
大切な者は、神官様が手厚く埋葬してくださったのだから。
信者達には、疑いの念は欠片もない。
「神官様をはじめとした聖職者は、回復魔法を使うことはできるけど、こんな方法をとることはないよ。」
厳しい目が、レイの心情をありありと映し出していた。
裁きの力を持つ使徒として犯罪が許せないのはもちろんだが、それに神や人の信仰心までもが利用されたことに、怒りを感じているのだ。
そんな少年の手をそっと握るルイも、痛切に震えているようだった。
「……犯人の、目星は……ついた、の?」
控えめに尋ねるサーシュに、二人は揃って頷き返す。
『じゅんび、ばんたん。あした、さくせんけっこーするの。』
「状況を判断して、考えておいたんだ。」
レイが地図を広げ、作戦の内容とそれぞれの役割を簡単に説明する。
「ーーという感じかな。兄さんは、無理しなくていいんだよ?」
「ええ。皆様の足を引っ張るような事は致しません。ですが、キットは……」
やや躊躇った後、言葉を続ける。
「キットは、後先考えずに行動してしまうところがありますから。上手く連携しないといけませんね。」
そう言って苦笑するに留めたのは、不安を広げまいとしたからだろう。
今この場にいないその少年を、一番案じているのは兄さんである事は、誰もが知っていた。
キットは、昨夜宿から抜け出したきり、行方が分からなくなっているのだ。