とあるヒーラーの苦悩
冒険者ギルドの前に、一人の男が立っている。灰色の外套に、腰には木剣を差している。長身で黒髪の、少し暗い雰囲気を纏った男だった。
男はただ、立ち尽くしていた。合図があるまで、入ってはいけない。相棒にそう言われ、男は合図を待っているのだ。手持ち無沙汰ではあったが、ギルドのスイングドアの中から聞こえる声に耳を傾けつつ、男は待っていた。
「それじゃあ、紹介するぜ! 伝説の剣士でおまけにヒーラーの、ジェイくん登場! はい、拍手!」
中から聞こえて来た声と、二回連続で手を打ち合わせる音。それを聞いて、男はスイングドアを押し開けて中へと飛び込んだ。
「おい、リチャード! 俺は……」
ギルドの中にいた相棒に、男は抗議の声を上げかけて言葉を飲み込んだ。ギルドのホールには、大勢の冒険者たちが興味深そうな目を男に向けている。
「何やってんだ、ジェイ。そんなところに突っ立ってないで、こっちへカモン!」
すたすたとやってくる青い派手な衣装を身につけた相棒、リチャードに手を引かれてジェイはホールの中央に連れて来られた。
「あれが、剣士ジェイ……」
「腰に差してるのは、何だ? 木剣に見えるが……」
「ドラゴン殺しのジェイ……まさか、実在したとは」
「伝説の風格を感じる顔だわ、素敵……」
ざわざわと、ジェイの周りで冒険者たちが口を開く。注目に耐えかねて、ジェイは下を向いた。
「見ての通りちょっとシャイだが、実力は本物だ。なんたって、俺のギターに使ってる革、こいつは本物の魔獣の革だからな!」
じゃん、と陽気なコードをかき鳴らし、リチャードは胸を張って言った。リチャードの帽子の上で、白い羽が揺れる。
「すげえ……革はともかく、アレは、ロック鳥の羽だぜ……」
呟いた一人の冒険者の声に、他の冒険者も感嘆の息を吐く。ますます集まる視線に、ジェイは拳を握り身を震わせた。
「おい、リチャード……」
「ジェイ、黙ってろ」
冒険者たちに聞こえないよう、低く抑えられた声でリチャードがジェイを制した。黙りこくるジェイをよそに、リチャードはますます饒舌になってゆく。
「さて、そんな俺たちがこの町のギルドに来たんだ。もちろん、チャチな依頼を受けに来たんじゃねえ。どばっと派手な、伝説に残るくらいの依頼を探しに来たってわけだ! イェイ!」
じゃかじゃん、とギターが鳴ると、冒険者たちからは歓声と拍手が飛び交った。
「ありがとう、ありがとう。サンキューありがとう! さて、受付のお姉さん。そんなわけで、俺たちに似合いの依頼、あるかな?」
観客となった冒険者に頭を下げて回ったリチャードが、ジェイの肩を掴んで受付の前に立つ。受付の女性は、憧憬の瞳でジェイを見上げて呆けていたが、すぐに数枚の依頼書を取り出した。
「は、はい! 高名な剣士のジェイさんと、吟遊詩人のリチャードさんなら……こんな依頼は、いかがでしょうか?」
受付の言葉に、ジェイの眉がぴくりと動く。それを察知してか、リチャードがジェイの肩を少し強く握ってから依頼書を受け取った。
「ほう、ほう! おい、どうするよジェイ! 幻獣の捕獲から迷宮の制圧、それに見ろよ、ブラックドラゴンの討伐依頼までよりどりみどり! ヒャッハー!」
テンションの高いリチャードから、ジェイも依頼書を受け取る。ざっと目を通し、ジェイは一枚の依頼書を受付へと差し出した。
「……これで、いい」
ジェイの差し出す依頼書を見て、受付の女性ははっと息を呑んだ。横合いで、リチャードが冒険者たちに振り向き、ギターを激しくかき鳴らす。
「やったぞ、ジェイは、迷わずブラックドラゴンの討伐を選んだぜ! フォウ! さすがはジェイだ!」
騒ぎ立てるリチャードに、しかし冒険者たちはざわざわと顔を見合わせる。
「おい、どうしたノリが悪いぜ?」
身を乗り出すリチャードに、一人の冒険者が前に出る。
「その依頼って、銀貨四枚のやつだろ? 何でわざわざ、そんなもんを?」
冒険者の言葉にリチャードが動きを止めて、受付に取って返す。窓口に手を伸ばし、依頼書の中身を確認してゆく。
「……おい、ジェイ。こりゃダメだ。ブラックドラゴンを討伐して銀貨四枚じゃ、割に合わねえ」
声を潜めたリチャードが、ジェイに耳打ちをしてくる。だが、ジェイは構わずリチャードの手から依頼書を取り上げ、受付に渡した。
「この依頼を、受ける。依頼者の、住所を教えてくれ」
「あ、はい……かしこまりました」
受付から紙片を受け取ると、ジェイはあんぐりと口を開けたリチャードを引きずってギルドを出て行った。
旅の荷物を置くために取った宿の一室へ、ジェイとリチャードはやってきた。部屋の扉が閉じられ、従業員の足音が遠ざかったのを確認してからリチャードがジェイに食って掛かる。
「どういうつもりだ、ジェイ! あんな依頼、どう考えても罠だろ!? ドラゴン倒して子供の小遣い銭程度じゃ、どう考えても割に……」
身を寄せたリチャードの胸倉を、ジェイは掴み上げる。切れ長の眼には、怒りの色があった。
「お前こそ、どういうつもりだ、リチャード! 誰が、伝説の剣士だ!」
ジェイの言葉に、リチャードは半笑いになった。
「いや、だって、割のいい依頼を受けるなら、あれくらいの宣伝は……」
「それに、俺はおまけでヒーラーをしているのではない!」
リチャードの目の前にジェイが突き付けるのは、灰色の外套の襟に刺繍された赤い十字の紋様だった。
「ヒーラーギルドの、一員だ! むしろ、そちらが本業だと言っただろう!」
「く、苦しい、ジェイ……落ち着けよ」
ぎりぎりと首を絞められて、青い顔になりながらもリチャードはひらひらとジェイに手を振って見せる。
「俺は、ほんの少し剣が使えるだけの、ヒーラーだ。モンスターの討伐ではなく、治療術師としての仕事を受けるつもりだった」
ばたばたともがきはじめたリチャードの襟首を、ジェイはようやく解放してやる。咽喉を押さえながらうずくまり、リチャードは大きく何度も呼吸をする。
「そ、それじゃあ何で、ブラックドラゴンの討伐なんて受けたんだ? お望みのヒーラー稼業から、遠ざかってどうすんの? あ、もしかしてようやく剣士として働く気になった? やったね!」
ガッツポーズを取るリチャードに呆れた眼を向けながら、ジェイは息を吐いた。
「違う。あの依頼書の、文面。お前は、見ていなかったのか?」
「文面? そういや、やったら汚い字だったね、アレ。受付の子の字なのかな? 可愛かったのに、ちょっと幻滅したかも……」
「お前の頭はどうなってる? あれは、子供の筆跡だ。依頼内容も、正確にはブラックドラゴンの討伐ではない。血液の採集だ。何に使うつもりかは知らないが」
「ふむふむ。じゃあ、アレだ。献血だな。きっと血の足りないブラックドラゴンがいてだな、子供に化けて依頼を出したとか」
得意げに言うリチャードに、ジェイは頭痛を感じた。
「ブラックドラゴンの血といえば、猛毒だ。年端もいかない子供がどうしてそれを求めるのか、それが気になったんだ。だから、ギルドに依頼者の住所を聞いたし、ギルドのほうでも調査の必要があって教えてくれたのだと思う」
説明をすると、リチャードは納得した風にうなずき、ジェイの顔を見つめる。
「……ってことは、今回はドラゴンとの世紀の大決戦は?」
悲しげな顔をするリチャードに、ジェイは冷たい眼を向けた。
「無しだ。ほら、行くぞ」
準備を終えたジェイが、リチャードを置いて部屋の出口へと歩いてゆく。
「あっ、待てよ! 俺たちは、二人でひとつだろ? あがり症のお前に、初対面の子供との交渉なんて、出来るわけないじゃん? だから、もう少しゆっくり歩こうか。な?」
急ぎ足で、リチャードがジェイを追ってくる。結局、二人は肩を並べて宿を出た。
依頼者の住居は、町の職人地区の中にあった。細工物や武器の類、細かな日用品などを軒先に並べた店が連なっている。売り子の姿などは無く、騒がしい市場とは異なる空気の中を、リチャードは進んでゆく。
「お、お洒落なマント発見! 赤いマント、似合うかな?」
後ろを歩くジェイに振り返り、リチャードがお道化て言った。
「目が痛くなりそうだ。赤だけはやめてくれ」
返ってきたのは、つれない言葉だった。
「それより、目的の場所はまだか?」
「そういう、せっかちなとこ、直したほうがいいぜ? 急ぐばかりじゃ、女の子にモテないゾ、っと、ここだよ、ジェイ」
つん、と肩を指で弾くと、ジェイがじろりと睨み付けてくる。それだけで人を殺せそうな視線を躱し、リチャードが指すのは水晶の細工物の店だった。
「んじゃ、いつも通り、交渉事は俺の担当。それでいいよね? ご理解よろしく」
「……さっさと行け」
背中を軽く蹴られ、転がるようにリチャードは店に入った。様々な水晶細工の置かれた棚にぶつかりそうになり、たたらを踏んでなんとか体勢を立て直す。
「い、いらっしゃいませ……」
ぼんやりとした、少女の声が聞こえた。手足を拡げていたリチャードは視線をそちらへと動かす。
「こんにちは、美しいお嬢さん。今日は、素晴らしい日だね。何しろ君と僕が、出会えたんだから」
すらすらと言葉を放ちながら、それほど広くない店の通路でターンを決める。ふわり、と帽子を取って一礼し、少女に向かって笑顔でウインクを投げる。
「……大道芸人さん、ですか?」
戸惑いながらの少女の言葉に、リチャードはずっこけそうになる。とん、とん、と足を踏み出し、少女の前でなんとか立ち直り素早く少女の両手を取った。転倒は、フェイクだった。
「君のためなら、僕はピエロにもなるよ、ハニー」
きざったらしさをたっぷりこめて、最上のスマイルを見せる。 少女が、ぷっと噴き出した。
「……変な人。何か、御用ですか?」
小首を傾げる少女の顔を、じっと見つめる。整った顔立ちに、大きな瞳が魅力的だった。あと三年ほどもすれば、寄ってくる男は無数にいることだろう。今でも、その手の嗜好を持つ者ならば放っておかないくらいの美貌だった。
「君を口説きに来た、っていうのはウソだよ。でも、将来的にはいいかも知れないね。でも僕は、家庭を持てない男なんだ。何しろ、僕は冒険者。町から町へ、さすらう吟遊詩人なんだ」
少女の手を離し、リチャードは胸に手を置いて跪いた。
「冒険者……さん、ですか? それじゃあ」
少女の視線が、リチャードの背後に向けられる。リチャードは息を吐いて、立ち上がって振り返り肩をすくめて見せた。
「まーだ入っちゃダメだって。空気読めないの、ジェイちゃん?」
返答の代わりに、チョップが頭に叩き込まれた。わりと、加減の無い一撃だ。頭を押さえるようにうずくまるリチャードを押しのけて、ジェイが少女の前に立った。
「……なぜ、ブラックドラゴンの血などを欲しがる?」
問いかけに、少女は身を硬直させる。大きな目が、ジェイの長身を見上げて震えていた。
「ジェイ、人との会話の基本。忘れたのか?」
言いながら、リチャードがジェイの膝の裏を軽く払う。がくん、とジェイの足が崩れ、膝をついた。
「リチャード」
「視線は同じ高さで、言葉遣いは優しく、だ。ごめんね、お嬢さん。こいつ、女の子と話すの苦手なんだ」
真面目な顔でジェイに言ってから、リチャードは少女に笑顔を向ける。ぐいぐいとジェイの頭を押さえつけると、仏頂面でジェイがお辞儀をした。
「だ、大丈夫、です。ジェイさんに、リチャードさん……あなたたちが、私の、依頼を受けてくれたのですね?」
ぺこり、と少女が二人に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。実は、私の母が病気で……お医者様が、お薬の材料に、ブラックドラゴンの血が、必要だって言うので……」
少女の説明に、リチャードとジェイは顔を見合わせる。
「なあ、ジェイ。薬の材料になるのか? ブラックドラゴンの血は。もうど……」
言いかけたリチャードの口を、ジェイが右手で塞いだ。
「……君の、お母さんに会わせてもらえないか? 俺は、ヒーラーなんだが」
ジェイは少女に、外套の襟の紋様を見せて言った。
「ヒーラー、さんですか……? その、剣士さんでは」
ジェイの腰に吊られた木剣を見やり、少女がおずおずと声を上げる。ぷっとリチャードが噴き出すと、たちまちジェイのチョップが落とされた。
「……こう見えて、俺の本職はヒーラーだ。ギルドの、登録証もある」
ごそごそと外套の内側を探るジェイの頭を、今度はリチャードがすぱんと叩いた。
「んなもの、今はどうでもいいでしょジェイちゃん? ささっと、お母さまに会いに行こうぜ。あ、そういえばお嬢さん、まだ、お名前を聞いていなかったね」
「あ、はい……私はリリカで、お母さんはリアナといいます……こちらへ、どうぞ」
困惑したように少女は名を告げて、それから店の奥の部屋を手で指し示す。立ち上がった二人を従えるように、リリカが部屋に向かって歩き出した。
「見ろ、俺のおかげで、万事上手く行ったぜ」
「……あの子が、素直なだけだ」
小声で言い合いながら、二人は大人しく部屋の前で待つ。少女が部屋に入り、少ししてからドアを開けて二人を招き入れた。
部屋の中には、ベッドがあった。リリカがベッドの側に立ち、寝ている女性の背を支えて起こす。
「……こんにちは、けほ、わ、私が、リリカの、母、です……」
頬が痩せて骨が浮いていたが、それでも損なわれない美貌が、そこにあった。寝衣の上から薄い上着を羽織っている身体は、艶めかしい曲線を主張している。ごくり、と唾を飲むリチャードの横から、ジェイがすっと歩を進めた。
「こんにちは、リアナさん。楽にしていて、良いですよ」
すっと手を伸ばし、ジェイがリリカの手を退ける。てきぱきとした手つきで、ジェイはリアナの身を横たえ、手首を取った。横目でそれを見つめながら、リチャードはリリカの肩を抱いて頭を撫でた。
「大丈夫だよ、リリカちゃん。ああ見えて、ジェイの腕は確かだから」
「……はい」
ぴん、と張り詰めた空気が、ジェイの背中から漂ってくる。胸の前で手を組み合わせるリリカを、リチャードは抱いてやるしかできない。
「……薬を、お出しします。これ以外の薬は、決して口へ入れないように」
一通りの診察を終えたジェイが、ポケットから小瓶を取り出した。ラベルの無い瓶の中には、小さな粒状の薬が詰まっている。
「……綺麗」
リチャードの腕の中で、少女が呟いた。うっとりと瓶を見つめる少女とは対照的に、リチャードは内心で苦り切った顔になっていた。瓶の中身は、一粒一粒が金貨何十枚にもなる高価な解毒薬だった。
「あの……けほ、お、お代は……」
声を上げるリアナの唇に、ジェイは人差し指を当てた。
「すでに、戴いております。依頼を受けて、我々はこうしてやってきたのですから。瓶の薬は、毎食後に一粒ずつ、飲んでください。薬が無くなる頃には、身体も元通りになっているでしょう」
「……ありがとう、ございます」
つっと、リアナの目から涙が零れた。ジェイは瓶の蓋を開けて、一粒の薬を取り出しリアナの口へと含ませる。
「薬が効いてきたら、呼吸も楽になります。そうしたら眠って、身体を休めてください」
そう言って、ジェイが立ち上がった。
「行くぞ、リチャード」
部屋を出るジェイに、リチャードもリリカから手を離してその背を追った。
「あ、そうだ、リリカちゃん。ひとつ、聞いてもいいかい?」
部屋の出口でリチャードが振り返り、リリカに問いかける。
「はい、何ですか?」
うなずくリリカへ、リチャードはある人物の居場所を尋ねる。リリカは素直に、それに答えた。
夜の町を歩きながら、ジェイはリチャードのぼやきを聞き流す。
「まったく、とんだ散財だったぜジェイちゃんよお! なーにが、お代は戴いてます、だ? アレひと瓶で、いくらすると思ってんの? 算数できる? 銀貨四枚で、割に合いますか?」
ぐるぐるとジェイの周りを歩き回りながら、リチャードはまくしたてる。
「……なら、あの親子から相応の代金を、取りたててくるか?」
ジェイがそう言うと、リチャードはぴたりと動きを止めた。
「あ、そういうこと言う、言っちゃう。出来るわけないじゃん! あの店の水晶細工、全部売ったって足りないしそうなると……アラヤダジェイくん何考えてるの!」
「少なくとも、お前とは違うことだ」
ジェイも足を止めて、リチャードを睨み付ける。
「えー? あのふたりをお嫁さんに貰って、幸せな家庭を築いて、安心平穏な老後生活を……とか、ちらっと考えなかった? チラリズムってやつ!」
「……お前も俺も、流れ者の冒険者だろうが」
ジェイの静かな反論に、リチャードから道化の表情が抜け落ちた。
「まあ、そうなんだけどな……ともあれ、損失は埋めないと、だぜ」
言ってリチャードが見やるのは、正面にある建物だった。
「……薬の代金は、諦めろ」
ジェイも建物を見て、言った。
「どうせ、ヤブが貯め込んだカネでしょ? 俺らが使った方が……冗談、冗談だよ。カネはいい。こっちの損失を、埋めるんだよ」
とんとん、とリチャードが自分の胸を叩いて言った。
「……行くぞ」
ジェイが木剣の柄に手をやりながら、建物に向かって歩く。
「付き合い悪いね、ジェイ」
頬を膨らませながら、リチャードも続いてやってくる。二人が訪れたのは、大きな診療所の前だった。白い石造りの建物の前には、人相の悪い男が二人、見張りでもするように立っていた。
「おう、何だあんたら? 急患か? 残念だが先生は、もうお休みの時間だ……」
歩いてくるジェイに声をかけてきた男が、言葉を切って崩れ落ちる。
「な、何だ、手前は?」
慌てた様子の男へ、ジェイがすっと身を寄せた。そしてジェイが通り過ぎると、男はがくりと崩れ落ちる。
「ヒュウ、鮮やかなお手並み。ほれぼれするな、ジェイ」
口笛を吹くリチャードには目もくれず、ジェイは診療所の扉を蹴破った。ばん、と大きな音を立てて、扉が内側へと倒れてゆく。灯りのついた室内で、十数人の男が一斉に立ち上がった。
「や、やろう、何しやがる!」
「ノックぐらいできねえのか、この野蛮人が!」
「あ、こいつ、昼間吟遊詩人と一緒にいた剣士の野郎だ!」
様々な声が上がり、武器を持った男たちが入口に殺到してくる。
「……カネで雇われた、冒険者崩れか」
半円を描くように敷かれた包囲に、ジェイは静かに木剣の柄に手をやって言う。
「そこの男、訂正しろ。俺は……少し剣が使える程度の、ヒーラーだ!」
だん、とジェイの足元で音が鳴った。弾丸の如く襲い掛かったジェイの姿を、男たちが捉えることはできなかった。
「全治、一か月程度にしておいてやる。かかってこい」
一人の男を打ち倒し、ジェイが抜き放った木剣を手にして呼びかけた。
「ジェイ、そりゃ無理ってもんだよ。だってこいつら、根性無いもん」
じゃかじゃん、とギターを鳴らしながら、リチャードが入口から姿を見せた。
「カネで雇われて、冒険者の矜持も無いような連中。びびっちまって手が出せなくなるのも、当たり前ってもんだよ。そら、お帰りはこちらだよん」
軽やかな足取りで、リチャードはジェイの隣へ身を寄せる。お道化た手振りで示すのは、倒れたドアのある入口だ。
「ふ、ふざけるなよこのピエロが!」
「いくら腕が立つったって、これだけの人数でやれば!」
「木剣とか、舐めやがって! 俺のナイフの餌食にしてくれる!」
口々に罵声を浴びせ、男たちが二人に襲い掛かる。ジェイは身を翻し、袈裟切り、切り上げと木剣を振るい男たちを打ち倒す。その横で、リチャードもギターを鳴らしながら長い足を振り回し、攻防一体の体術で叩きのめしてゆく。決着は、あっという間だった。
「これは、これは……やはり、田舎から出て来た冒険者崩れぐらいでは、話しになりませんね」
死屍累々の玄関口の奥手から、そんな声が届いた。奥へ目を向ける二人の前で、扉がバンと押し開けられる。そこへ立っていたのは、白衣の男だった。卑屈そうな眼をして、肥った腹が白衣を二つに割って突き出している。不愉快を絵に描いたような男だった。
「あんたが、ヤブ医者かい? おっと、返事はいらないぜ。見た感じ彼女いない歴イコール実年齢ってとこだろ? 大丈夫、享年イコール独身歴になるから。まあ、見かけはいいや。人は見かけによらず、だ。外見で判断されるって、あんまり気分良くないよね。ところでどう? 大体あってるっしょ?」
悲しげなメロディを奏でつつ、リチャードが言った。白衣の男は、顔を歪めてそれを見ていた。
「……騒がしい男ですね。診療所では、御静かに願いたいものです」
「……それは、俺も同感だ。まともな診療所であるなら、だが」
木剣の切っ先を男に向けながら、ジェイがうなずく。
「どういう意味だよ、ジェイ!」
じゃん、とギターが激しく音を立てた。木剣を振って、ジェイはリチャードを制する。
「少し、黙っていろ……さて、ヨゼフ医師。お前に聞きたいことがある。リアナという女性に、毒を盛った理由を、聞かせろ」
ジェイの口から出た名前に、男はびくりと反応した。
「リアナ……私の求婚を、断った女……くくく、手に入らない女など、目障りなだけだ……だから、私は風邪を引いた彼女に、こっそりと……くくく」
それは、狂人の面持ちだった。鋭く眼を細めたジェイが、木剣を構えて男に近づく。
「色に狂って、医師の矜持を捨てたか……愚かな男だ」
ジェイの言葉に、男は哄笑を返した。
「愚かはお前だ! 少々剣ができるからといって、木剣なぞで殴り込んでくるとはな! 見よ、我が肉体を!」
男が叫び、白衣を脱ぎ捨てる。その下にあるのは、ぶよんとした中年男の肉体ではなく黒光りする鋼鉄の身体だった。さらに、男の首のあたりからガシャンと音が鳴り、男の顔も黒い鋼に覆われる。
「どうだ! 我が鋼鉄の肉体は! 人体実験を繰り返し、私はついに無敵の身体を得るに至ったのだ!」
がん、とジェイの振り下ろした木剣は、男の鎖骨あたりで止められた。
「……表皮だけが、硬質化しているわけではないようだな」
落ち着いた声で言うジェイの身体を、男が横なぎに打ち払う。とっさに木剣で受け止めたジェイだったが、その身体は大きく跳ね飛ばされた。
「この身体は、まさに金城鉄壁! そして怪力無双! そんなチャチな木剣で、どうにかできると思うな!」
歪んだ笑声で、男は嘲笑する。ずしり、ずしりと重い音を立てて、男が起きあがるジェイに近づいてくる。
「……強さを、求めたのか」
木剣を構えながら、ジェイは言う。
「リアナの夫は、戦士だった。あの女は、強い男を選んだのだ!」
くぐもった怒声を前に、ジェイは目を閉じる。心気を研ぎ澄ませ、木剣の柄を握りしめた。
「聖樹、ユグドラシルよ……鋼を裂く刃を、ここに!」
ジェイの手の中で、木剣の柄が光を放つ。光は木剣全体を包み、柔らかな枝のように伸びた。
「何だ、その剣は!」
腕を振り上げ、男が突進してくる。その脇を、ジェイはすり足で通り抜けた。
「……全治、何か月になるか、わからないが」
両者の動きが、ぴたりと止まる。
「ば、馬鹿な……!」
ごとり、と振り下ろされた姿勢の男の腕が、根元から断たれて床へ落ちた。
「その身体とは、別れることだ」
ごとん、ごとん。続けざまに音立てて、男の左腕と腰が床に転がる。呆然と床に身を横たえる男の胸が二つに割れて、中から貧相な裸身が現れた。
「うわ、ガリガリだねあんた。肉、食った方がいいよ、肉」
男を見やり、リチャードが囃し立てる。
「お、おのれ……こんな、ことをして、ただで済むとは……」
のろのろと身を起こそうとする男の頬を、ジェイが殴りつけた。
「お前こそ、これで済むとは思わないことだ。それから……確かに、食事はもう少し摂ったほうがいいだろうな、牢獄で」
ジェイが言い終えると同時に、町の警備兵が診療所へと踏み込んでくる。再びかき鳴らされるギターの音に、ジェイは顔を歪めたのであった。
ジョッキを片手に観客たちが、リチャードの演奏に耳を傾けている。リチャードは観客へ手を振りながら、節をつけて高らかに歌い上げる。
「灰色の英雄はー、その剣を、振るう! 切り裂かれたる、黒鋼の魔人、イエー!」
どっと、観客たちが歓声を上げた。リチャードはますますノリノリになって、ギターを無茶苦茶にかき鳴らす。技量はともかく、情熱の溢れる音が響いてゆく。
「我らの英雄、灰色の剣士ー! あ、ついでにヒーラーもやってるぜ! イェイ!」
お道化た調子のリチャードの声に、今度は観客たちが一斉に笑う。ただ一人、酒場の隅のテーブルで片手を顔に当てて俯く相棒以外は。
「……俺は、ヒーラーだ」
小さな呟きは、酒場の喧騒にかき消されてしまうのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
お楽しみいただけましたら、幸いです。