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二日目 「本」

 朝の教室はなんとも言いがたい空気一色に染まった。

 その空気の発生源は、貫之の机で立つ人形と差し支えない神である。


「……予期してはいたがここまで見られるとはな」

「校則にはないけど、神は学校内じゃ出来るだけ顕現しない決まりがあるんだ。顕現されると勉強に支障が出るからね」

「まあ、それは言えるかの。妾としてはつまらんが」

「顕現をし続けたいなら、せめて授業中はロッカーの上で本でも読んで大人しくしてて」

「それくらい弁えておるよ。飽きたら依り代に戻るまでじゃ」

「月宮、ちょっといいか?」


 横から二人の男子が近づいてきた。


「その人形みたいなのはひょっとしてお前の神?」

「そうだよ。今日の朝顕現したんだ」

「なにぃ! おいおい俺より先に顕現したってのかよ! うらやましいぞ!」


 二人目の男子は、昨日懐中時計に脈が起きたことを自慢した三崎だ。その様子ではまだ顕現はしていないらしい。


「一体いつから脈はあったんだよ。秘密にしてるなんてずるいぞ」


 そういいながら貫之の首に腕を絡ませてきた。

 実は昨日の朝知った、なんて言えば大々的に自慢していた彼を傷つけてしまう。


「だって昨日みたいに群がられたら困るじゃないか。万が一壊れたら嫌だし」

「ああ、そうだよな。俺のも壊れはしなかったけど冷や冷やはしたな。あ、神様、どうやったら顕現するの早められますか?」

「知らん。こればかりは運に身を任すほかない。妾だけに限らず、他の神全てが早く顕現したいはずじゃ。だから顕現を早くすることを考えても無駄じゃよ」


 月筆乃命が言っていることは正しい。ネットで脈から顕現の時間を短くする方法を検索すると何万件と出るが、その全てが偶然早期に顕現をした人の体験談で、多くの人がその方法を真似しようと成功は残念ながらない。科学的に地震の予知が出来ないことと同じだ。印象的には納得できようと学術的根拠がないため失敗してしまう。


「なに、あんたの神顕現したの?」


 そこにもう一人会話に加わった。唯一家族以外で脈が来たことを知られた古川だ。


「古川、うん、今朝顕現してフミって言うんだ」

「ふーん。ちっさい神ね。まるで人形みたい」

「小さいと言われるのに文句はないが、人形と言われるのは許せんな」


 月筆乃命はどういうわけか人形と言われることを嫌う。チビと人形。貫之的解釈をするならチビが蔑称で人形は雅称なのに、月筆乃命から見ると逆のようだ。


「月宮、チビ神の服って顕現したときから着てるの? 何か高そうだけど」

「無論よ。この服装も含めて依り代の化身だからな」


 月筆乃命は胸を張って自分自身を古川に自慢をする。


「……チビ神ってさ、やっぱり月宮のこと信用してるわけ?」

「当たり前じゃ。むしろ貫之の側でなければ安心できん」


 さらに胸を張って誇る月筆乃命。分かりきっても聞けなかったことを聞いて、まるで教室内全体が燃え出したように貫之は全身が暑くなった。

 さっきよりも気恥ずかしく、同時に視線が痛く思える。まるで担任を呼ぶ際に母の名前を呼んでしまうかのようで、逃げ出せるものなら逃げ出したい。


「月宮、いくらなんでもお遊びはしないでよ。したら引くわ」

「僕は」

「妾と貫之の間でなにをしようとお前には関係ないだろ」


 言おうとした矢先に月筆乃命に言われてしまった。しかも貫之としては


「そんな事はしない」と否定したかったところを、内容を含めて干渉するなと否定される。同じ否定でも意味合いは大きく違う。

「あ、そう」


 古川は引き顔を見せ、予鈴の鐘がなるとそれをきっかけに席へと戻っていったのだった。


「当面は質問攻めや視線を受けそうだの」


 原因を作った張本人が何を言う。

 それでも誰一人と『神通力はどんなの?』の質問をしないだけ良心的と言える。


 その理由は昨日話題に出たように、学生を皆殺しにした天災にあるかもしれない。

 少なくとも芸能人のように周囲を取り囲まれることはないだろうと思い、貫之は教科書類を取り出すと月筆乃命は黒板方向の机の縁に座った。


 担任が陽気な口調で入ってきて、月筆乃命を原因に一悶着あったが定時通り授業は行われた。




「貫之、図書室に行ってみたいんだがいいか?」


 その提案が月筆乃命から出たのは昼休みに入ってすぐのことであった。


「……やっぱり万年筆の神様だから本が好きなの?」


 まだ月筆乃命が万年筆の神であることは古川しか知らないことで、貫之は周囲を見て小声で尋ねた。約五時間と顕現し続けたこともあって、興味本位で近づく人は少なくなっている。


「いや、単にすることがなくて暇だから暇つぶしがしたいんじゃ」


 月筆乃命だけに限らず、八百万の神々は勉学も学歴も一切不要だ。興味もなく自分のためにならなければ短時間でもそら飽きる。よく五時間でも騒ぐことなく座っていたと褒めるべきで、貫之はやさしく小さな頭に手を載せた。


「……妾はお前に頭を撫でられてまんざらでもないが、周りからは痛い奴と見られるぞ」


 言われてはっとする。すでに教室内では月筆乃命は神と知られても、知らない人から見れば人形を愛でる男子学生でしかない。例え知っていても見た目がそれでは同じように見るかも知れなかった。


 しかしパッと手を離すのは月筆乃命を傷つけてしまう。それを避けるため、ゆっくりと手を離すよう全力で衝動を自制した。


「今後は人気がないときにな」


 色々と問題を巻き起こそうな発言であるが、貫之は頷いて月筆乃命の胴体を掴んだ。


「月宮、サッカー行こうぜ」

「ごめん。用事があるんだ。また今度な」


 月筆乃命は今朝まで限定的な視界を除いて音しか世界を知らなかった。しかも意思の疎通も出来ずに過ごしてきてようやく手にした感覚なのだ。当面は自由にさせようと貫之は同級生の誘いを断って教室を出る。


 途端、教室では今朝と比べて無くなりつつあった軽蔑にも似た視線が強く感じられた。

 まだ五時間かそこらでは認知が学校中に広まっていないのだ。肩に月筆乃命を乗せる貫之を見て、人形かフィギュアを肩に乗せる痛い男子と見られてしまっている。


「なんか、明日僕がなんて呼ばれるのか怖いよ」

「普段は知名度がないのだからこの際引き上げておいて損はなかろう。欲を言えば女子が近寄ってくるかも知れんぞ?」

「依巫を利用して付き合うのってなんかやだな」


「そういう綺麗事はなれなかった者への侮辱だぞ」

「……でも利用したって愚痴言われるじゃん」

「その時は笑ってやれ……は冗談だが、気にするだけどうしようもあるまい。誰だって依巫になりたいと思い、たまたま貴様は昨日の今日でなれただけじゃ」


「あんまり実感ないけどね」

「妾がいてもか?」

「僕自身の意味で実感がないんだよ。考えが変わったわけでも体が変わったわけでもないしさ」


 神が憑いているか憑いていないかの違いだ。それにその神も元は使い慣れた道具だから対話が出来ても違和感がない。

 だから実感が持てない。神がいる前といる後でも何も変わらないから。


「もちろんフミと話が出来て嬉しいよ?」

「妾もじゃ。今まで、大事にしてくれてありがとうの。これからもよろしく頼む」

「うん」


 一階にある図書室の前に着いて、頑丈そうな防音扉を両手で開ける。

 扉のすぐ向かいには昨日今日発行された各種新聞のラックが並び、その奥には様々な本を収納した本棚が規則正しく並んで貫之たちを出迎える。


「読みたいのがあったら借りるから、五冊くらいなら選んでいいよ」

「ありがと。ならあの本を左から五冊くらい順に抜いてくれ。作者は変えてな」


 指差す先にはあまり抜き取られた隙間の少ない文庫本が並ぶ棚があった。


「五人の作者の本を取れってこと? あらすじとか見なくていいの?」

「なにぶん音ばかりで世界を知って、目ではお前の断片的な日常しか見ていないからな。自分の嗜好すら分からんのじゃ。恋愛が好きなのか推理が好きなのか。だから出鱈目に読もうと思う。無論お前の部屋にある本も漫画も読むつもりよ」


 大衆が認めた人気作や己が持つ価値観ではなく、無差別に読みふけて世界を広めようとするのが月筆乃命の考えだろう。

 貫之は「分かった」と答え、『あ』から始まる作者五人から出鱈目に一冊ずつ手にする。


「これでいい?」

「欲を言えば十冊は欲しいが、さすがに欲目は出さんよ」

「今度図書館に行って、そこで鞄いっぱいに借りればいいよ」

「急かさずともお前の余命は七十年近くあるんだ。ゆっくりと行けばよいよ」


 神の寿命は依り代の寿命と同期でも、顕現出来るのは依巫の寿命と同期する。それは事実上神の寿命は依巫の寿命と同じと言うことだ。日本人の平均寿命は世界一位の長さを持っても、たかが七十年あまりで世界を知るには少ない。なのに月筆乃命は逆の見方をする。


「……教室に戻る前に少し読んでいっていいか?」


 人と神の考えの違いにへこたれている間に、月筆乃命は一つ提案をする。


「あ、ああいいよ。今日はフミのやりたいように手足になるから何でも言って」


 月筆乃命は図書室内にある机の上で正座になると、両腕を広げて五冊のうちの一冊を手に取った。人間大であれば両手を広げる程度が、月筆乃命だと両腕を広げるから大変そうだった。


「フミ、代わりに本持つ?」

「そこまで煩わせんよ。さすがにお前の自由がなくなってしまうだろ。あとこの身体についても何の責任もないから謝るようなことはするな。妾は誇りに思っとるんだからの」


 謝ろうと思った矢先に言われてしまった。さすが親以上に見てきたためか、貫之は月筆乃命の考えが分からないのに何を考えているのかお見通しのようだ。

 貫之はこれ以上の恥の上塗りはやめ、適当な週刊誌を手にとって時間を潰すことにした。


 ペラ、カリカリ、ペラ、カリカリ。ページを捲る音と、字を書く音が図書室中に響き渡る。小声が時折聞こえても静粛の言葉に反しない程度だ。廊下や校庭からする音は防音され、ちょっとやそっとの音では中には伝わらない。


 ボソボソ、ペラ、カリカリ、ペラ、カリカリ、ボソボソ。勉強をする点で言えればここはまさに理想郷だろう。

 せっかくなら貫之も勉強道具でも持ってくればと思ってしまう。


「……そう言えば古川とか言った女子、結局依り代のことは言いふらさなかったな」


 数分の間に五十ページ以上を読んでいる月筆乃命は囁くように呟いた。


「言っても得がないからじゃない? 弱みを握るにしては弱いし、僕の持ち物で依り代を考え出すなら最初に出そうな物だし」


 依り代の条件が愛用している道具である以上、人前に晒す機会は自ずと多くなる。家具や人前に晒さないのもあるが大半は知られやすいのだ。だから考えようによっては貫之を知る人なら無難に万年筆は候補に上がると言えよう。


「知られてもいいが問題は保安よ。小物であるから盗みやすい。むろん、妾と依り代は同一だから万が一盗まれてもすぐに分かるが、貴様以外に掴まれるのは嫌だの。怖気がする」


 その怖気を昨日、佐一に盗まれることで嫌というほど経験している。


「紐でもつける?」

「格好悪いな」

「品格落としそうだしね」


 せっかく神格化をした高級万年筆に紐を着けるような案は守るためとはいえ控えたい。

 話はそこそこにまた読書へと没頭する一人と一柱。


 そんな昼休みが穏やかに流れていった。

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