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四日目 「戦」

「王手!」

「ぐぬ……ハシラミ、待ったじゃ」

「やなこった。悔しかったらもっと強くなれ」

「大人気ないぞ」

「カマキリの神にンなこと言ってもなー。そういうフミこそ、将棋うまそうな見かけして弱いじゃねーか。十回も待ったを言いがって」

「数時間前に駒の動かし方を知った手前でうまいわけあるか。ほれ、次やるぞ」


 将棋を突然神様同士で始めての五局目。先輩神であるハシラミが全戦全勝を収め、月筆乃命は負けじと駒を並べ始める。それだけなら親睦としてよろしいのだが、


「あのさ、僕の部屋で差すのやめてくれない? 声が大きくて集中できないんだけど」


 いかんせん、貫之の部屋をその場にして、勉強中などお構いなしに大声を出してくるのだ。いくら志望校の合格は間違いないとしても、例外が起こるのが世の常である。後顧の憂いは絶っておきたいのにそれを妨害してくる。


「俺たちのことは気にするな。声の出る置物とでも思ってくれい」

「なにせ妾は元々にして物だからの」

 うまい事を言ったつもりか二柱の神は笑う。酒でも飲んだようなテンションだ。

 これなら学校の図書室か県立図書館で勉強する方がまだ静かで捗る。けれど夕食も済ませた午後七時でそのどちらも行くには遅すぎるし危険だ。

 大家族の中で勉強する受験生の気持ちがなんとなく分かる気がした。


「貫之も少しは気晴らしにやれよ」

「そういえばハシラミと打っておったな」

 そうなった原因は言うまでもなく佐一である。あの勘違いガキ大将はお年玉や小遣いで買ったゲームを借りては貸さないので、手を出さない将棋や囲碁をしてきた。もちろん相手のハシラミは取り返してやると言ってくれたが、劣等感から来る対抗心で止めていた。


「別に強くないよ。ハシラミに勝ったのだって何百と打って数回だし」

「だが勝っているのだな! ならば貴様にも挑戦してやる! こっちに来い!」

「フミって心が大きいのが小さいのかよく分からないよ」


 貫之は手帳の一番上に喧しいを連想する【轟】を書く。その左には神通力を象徴する【力】と文字通りの【噂】が書いてあって今日一日の栞となっている。


「おいハシラミ、貴様は色々な意味で妾の先輩であろう! 先輩なら後輩を立ててはどうじゃ」

「神に先輩も後輩もあるか。俺より強ぇ力もってなに言ってんだ」

「力だけで満足するのは三下よ。上に立つのであれば総合で優れんとな」

「その割に勝たせてくれって気が小さいな」

「妾は勝たせてくれとはいっとらんぞ」

「屁理屈だっての。待ったをかける時点でちいせぇよ」

「小さくて結構。妾は貫之のことと人形神と言われなければ気にはせん」

「おーおー愛されてんねー。うらやましいぞ畜生! 紗江子なんて抱きしめてくれたこともないんだぞ!」

「刀より鋭い鎌を持っていれば当然であろう」

「だーかーら! 勉強中だって言ってるだろ! そんな話は縁側でしろ!」


 十五年の人生の中で怒鳴ったことなんて両手で数えられる程度しかない。怒鳴らない、怒鳴れないよりは怒鳴る場面にならなかったからだが、今回はその場面になってしまった。

 勉強をしたいのにそれを妨害する二柱の神に、貫之は喧しさを念頭に机を叩いて怒鳴る。



 ボオオオオオオオオオオオオンオオオオオオオオオオオオオオオン



 机から突然汽笛のような轟音が響いた。それも沖から聞こえるような易しいものではなく、目と鼻の先にあるスピーカーから聞くような、初顕現直後の月筆乃命の絶叫を上回る爆音だった。

 その音を伝える空気の振動で、部屋中の物がガタガタ震えて窓にはヒビが入り、間近にいた貫之は反射的に座ったまま後ろへと跳んだ。もちろん綺麗な着地なんて出来るわけもなく、椅子ごと畳の上へと倒れこむ。

 幸い背後には何もなかったので、頭を打ち付けることだけは避けられた。


「……っ……っ!」

 それでも爆音と背中からの衝撃に貫之は悶絶する。耳鳴りがけたたましく鳴り響き、目の前がチカチカと明滅して吐き気もくる。まるで頭の中をかき回された気分だ。

 頭の中にある世界が壊れそうな心理状態の中、突然とその崩壊の足音が止まった。それどころか巻き戻していくかのように世界は元通りになり、かき回される頭の中も元に戻る。

 これには経験があった。腕の骨にヒビが入るも一晩で治ったのと同じそれだ。


「おい、大丈夫か?」

 声のするほうに顔を向けると、顔の横幅より少しある月筆乃命が心配そうな顔をして手をかざしていた。

 混乱する脳が突然落ち着かされ、その差異に困惑する。

「貫之! なに今の音!」

 部屋の外からドタバタと足音が聞こえ、激しく襖を開けながら紗江子が入ってきた。

「心配するな。今の音は妾らの力の暴発で神隠しの襲来ではない」


「貫之、大丈夫? 声聞こえる?」

 天井を見据えながら視野に入る紗江子に対し、頷いて聞こえることを示す。一緒に倒れた椅子から離れ、支えられながら立ち上がっても特に痛みや眩暈がすることもなかった。

「……大丈夫。腕の時みたいにフミが治してくれたみたいだから」

「なら……いいけど、一体どうやったらあんな大爆発みたいな音を出したの?」

 閃くとは一瞬で鋭く光ることを言う。それは雷が閃くともいい、何かに気づいた時に雷が落ちる表現が使われるのはこのためだ。貫之は、自分の机に置いてある手帳を見た瞬間、比喩表現であるはずが本当に頭の中で雷が閃いたかのようにして全てを理解した。


「――僕らの力が『万能系』だからそれで出ちゃったんだと思う」


「万能系だからって、あっさり言わないでよ」

 自分の持ち物だからこそ言える言葉も、紗江子からするとあまりの重さに腰が抜けてその場で座り込んでしまうほどであった。

 それも当然で、万能系と言葉にするのは簡単でも実のところ潜在価値は絶大に高い。

 ある上場企業の調査会社は、ほぼ公式に近いと言われている神通力ランキングをつけている。認知度、保有率、願望率、値段換算、総括等とそれぞれで挙げられ、シチコの分かりやすい指標となっている。天照庁をはじめ行政機関は表向き罰当たりとして行っておらず、実質その調査会社のランキングが公式となっているのだった。


 欲しい、または利用したい神通力である一位心理系、二位治癒系はここから来るのだが、万能系だけは別格で数多の中で唯一順位付けが出来ない系統である。

 なにせ欲しい力が幾多と使える以上、順位付けすれば一位以外取り様がないのだ。よって全ての順位付けでは万能系は記載されず、質に応じた値段換算もされない。その証明に、順位付けを始めた時は圧倒的多数で万能系が占め、二位の心理系とは数桁に違うほどだった。

 そんなこともあり、願望や妄想で言うのならかわいいものの身近にある人からすればその言葉はあまりにも重いのである。身近に例えるなら、治癒系が宝くじで百万を、万能系は十億を身内が当ててしまったようなものだ。


「母さんが言いたいのは分かるけど、僕とフミの力だからいつまでも怖がってられないよ」

 ここ数日、月筆乃命の神通力を知って驚愕するばかりだが、その力の根底は自分の愛情から来たものだ。緊張や畏怖は自分の神だけでなく己への侮辱にもなって怖がっていられない。

「お願いだから家を吹き飛ばすような暴発はやめてよ?」

「出来る出来ないでは出来るが、その心配はなかろう。のう貫之」

 振り向き様に見せる月筆乃命の顔は、何もかもお見通しな笑顔をしていた。

「……まあね」

 その笑顔に貫之は苦笑で応える。


 まさか言葉も交わさずに伝わるとは思わなかった。以心伝心が親子の比ではないにしても伝わりすぎと言える。だが気づいたことは事実だ。次は暴発ではなく自分の意思で発現できる確信がある。

 確かに『気づけ』だ。使い方の表現に『分かれ』ではなくどうして『気づけ』と言い続けていたのか、今になってようやく気づけた。

 今まで行ってきた習慣が使用方法なのだから分かれと言う方が間違いだ。


「おっ、ひょっとしてもう自在に使えるのか?」

 月筆乃命と貫之のやり取りにハシラミが察する。

「気づいたからね。多分自在に使えると思う」


 気づくべきだったのは使い方そのものではなく、貫之が干渉しているかどうかだった。そこさえ気づければまったく分からなかった使い方も全部理解できる。

 そして教えない月筆乃命の気持ちも分かり、逆に丁寧に教えるのは色々な意味で失礼だ。


「すっげーな。万能系っていやぁ全国でもほとんどいないんだろ? 宝くじの一等を当てるよりレアって話だしよ」

「関係あるまい。統計が何であろうと妾らの力は一つ。他の人も神もどうでもいいことよ」

「フミよぉ。格好いいこと言っても持ってる奴と持ってない奴じゃ捉え方が違うぜ?」

「だから妾たちの力を他人に配れと? ふん、周りがなんと言おうと知ったことか。この力は妾と貫之のもの。誰にどう使うかは妾たちの勝手じゃ、文句も何も言わせん」

 最後は月筆乃命流の主張で締めくくった。


 最後、と言うのは区切りがついたからではなく、月筆乃命が喋っている間に新たな事が起きたからだ。

 その介入してきた事とはチャイムである。

 一度っきりのチャイムに、貫之の部屋にいる二人と二柱は黙り込む。

「神隠しか」

 日常の夜間の来訪は何かしらの勧誘や知り合いが上げられる。だが今の月宮家では第一にその考えが上がってしまった。


「でも普通チャイム鳴らす?」

「あいつは何をしたいのか分からんからな。常識どおりに考えない方がいいだろ」

 神隠しは月筆乃命を狙っているのに貫之の命を狙い、依り代を盾にする暴挙にも出ている。常識で考えるとどちらともしない行動だから、常識で当てはめるのは危険だ。

「……なら私が出るわ。ひょっとしたらお父さんが鍵を忘れただけかもしれないし」

 ここは親としての判断だろう。しかし平静と保っても不安がにじみ出ているのが分かる。


「僕が出るよ。万が一神隠しでも、分かってたら予防は出来るから」

 奇襲と言うのは対象の中に襲われる前提がないから成功できる。襲われないと分かっているから虚をつけるのであって、襲われると分かっていれば対処はいくらでもある。つい十五分前までならそんな台詞は言えなかったが、今では言えるだけの根拠があった。

「ま、杞憂に終わるのが九割強であろうな」

 もう一度チャイムが鳴り、貫之は万年筆と万が一に備えて携帯電話を持って部屋を出た。


 玄関まで数メートルとない距離の中で貫之は左手に【硬】の字を書く。万年筆の金のペン先が皮膚に食い込み、わずかな痛みを伴いながらも綺麗に書き記される。それ眺め、鋼鉄よりも硬いことを想像しながら胸へと押し付けた。

「……これで大丈夫なはず」

 あっけない万能系神通力の初使用である。


 それでも力は発現したと確信できて、自分の胸を叩くと金属音同士が当たった音が響いた。左手を見てみると【硬】の字は消えていて、消えていた日記の【轟】と同じだった。

「あっけないものだろ?」

「そりゃ毎日のように使ってればね」


 小学生の頃から始めた栞日記の使い方が、そのまま神通力の使い方に流用されたのだ。印象的な一字を書き、そこから連想できる事象であれば幅広く発現できる。それが万年筆に宿った月筆乃命の力。

 長年使い続けた手法なのだから気づければあっけないものである。むしろ悩んでいたことが恥ずかしく、どうして万能系神通力と万年筆が繋がなかったのか恥ずかしくなった。

 あくまで最悪のことを考え、サンダルと自分の運動靴で運動靴選び、踵を踏む形で覗き穴から家の外を見る。

 父の憲明だった。どうやら紗江子の言うとおり鍵を忘れてしまったようで、ポケットをまさぐりながら三度目のチャイムを鳴らそうとしていた。貫之はホッと安堵して扉を開ける。


 人だかりが貫之を出迎えた。


「――――は……?」

 扉を開けた先は、夜間の住宅地が広がるはずが光で満ち溢れる巨大な室内であった。

 その奇奇怪怪の事に、貫之は頭の中が真っ白となる。

「どこかの施設かの」

 月筆乃命の言葉で思考が再点火され、貫之は周辺を見回す。

 見えるのは地面も天井も乳白色のタイルで、貫之の家の数十倍はあろう広い室内だ。人々も数十人と見え、幾人かは貫之を見ては通り過ぎていく。


「ここは……ホテルのロビー?」

 デパートにしては商品が一切ない。それにフロアにいる人々の中には旅行鞄が見え、目の前には受付のようなカウンターが見えた。

 後ろを振り返ると、家の扉であったはずが関係者以外立ち入り禁止の扉となって閉じられている。憲明を出迎えるために扉を開けたのだから閉めるはずがないのに、開いていなければならない扉は閉まり、取っ手を握る右手はいつの間にか空虚を握っていた。

 憲明の顔を見て安堵してからの急転直下であるが、襲われる前提があったために気持ちはすぐさま切り替えられた。

 貫之は万が一に供えて持ち出しておいた携帯電話をポケットから出して、昨日登録しておいた番号へと掛ける。その番号は緊急連絡用として警察が用意してくれたもので、そこに掛けるだけで警察は『月宮貫之は神隠しに今現在襲われている』前提で対応してくれるのだ。


「月宮です。はい、家を出たらいきなりどこかのホテルみたいな場所で、多分神隠しです。場所ですか? えーと……」

「あれっ、ツッキーこんなところでどうしたの?」

 電話の最中での声掛けに、貫之はビクッと体を震わせた。その振動で肩に乗る月筆乃命は落ちそうになって耳を強く掴む。

 声を掛けてきたのは最近知り合った女子三人組であった。一人はパーカーにジーンズとややボーイッシュな服装で、もう一人は赤と黒のストライプのニーソックスに短パン、カジュアルチャック柄シャツを着ている。秋雪と古川だ。

 三人目は黒のパンツスーツを身にまとい、肩からはショルダーバックを掛けて働ける女性をかもし出しているキョウだ。昨日と比べても十歳は年取っているように見える。


「秋雪に古川に、キョウさん?」

「ちょうどよかった。ひぃ子、突然で悪いがここはどこだ?」

「はぁ? あんたらがチケットくれたのにわかんないわけ? ホテル草間よ」

「今いる場所はホテル草間です。はい、はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 電話の奥からすぐに向かわせますので気をつけて、と一言を貰い、携帯電話をしまう。


「なになに、なにかあったの?」

「つーかなにその格好。ちょこっとコンビニに向かうような格好じゃない。靴下も履いてないし、ここがどこかも分かってないって」

「……多分神隠し関連じゃね?」

 古川の指摘に、大人な女性にして男としか思えないキョウが結論を出す。

「えっ!? ツッキー神隠しに狙われてるの!?」

「なんせ昨日公園で狙われたしな」


「キョウ、なんでアンタそんなこと知ってるのよ。ていうか、昨日の話ってアンタ……あー、うん、なんか納得できた。あんたが狙われたのね」

「納得は不愉快だが事実だ。で、今ここにいるのはおそらく神隠しの仕業であろう。こちらは家の戸を開けたらここに出てしまって自分で来たわけではない」

 おまけにここを狙う辺り、神隠しは昼間の会話を聞いていたに違いない。


「じゃあ近くに神隠しがいるの? ひぃちゃん」

「いや、大丈夫でしょ。狙われる道理ないし、こんなに人がいるのよ?」

「であれば昨日の公園に呼び出すはずじゃ」

 ホテルのロビーには神隠しが近くにいるかもしれないことすら知らない一般客や従業員が多くいる。その上では式場やバイキング、宿泊で数百人はいるだろう。奇襲を仕掛けるのならば雑踏を避けるのは貫之にも分かる。ならなにか考えを持って自分の首を絞める方法を取ったのだ。


「ともかくお前らは帰れ。有効期限は今日までではあるまい」

「帰れって、ツッキーとフミちゃんは?」

「十分かそこらで警察が来るからな。それまで身を守ればなんとかなる」

「容姿と同じでみみっちぃことを言うんだな。あんなスゲー力を持ってるのによ」

 腕を組んで静観するキョウは、秋雪たちと違い事情を知っている手前誰もが思うことを言う。それを聞くと今度は月筆乃命が雰囲気を変えた。

「持っているからなんだ。貴様は中学三年生が軍艦の艦長でも安心して出港を見送れるのか?」

「軍艦? 軍艦って、フミちゃんの力はそんなに強いの?」

「心理系って強力だけどそこまでじゃないわよ」

「……万能系なんだよ。それで神隠しに狙われてるんだ」


 ここまで来たら隠し通すのは難しく面倒だ。貫之は先のことを考えて端的に説明する。

「なに、じゃあアンタの万年筆は心理系以外も使えるってわけ!?」

「万能系と言ったであろう。その意味くらい分かるであろうが」

「あ?」

「ひぃちゃんもフミちゃんも喧嘩腰にならないでよ。神隠しが近くにいるんだよ?」

「だーかーら、あたしとゆゆが狙われる道理がないっての。便利な力を狙ってるんだから」

「軍艦か、最新のイージス艦くらいはありえるかな」


 そこに、四人と一柱のうち誰にも該当をしない五人目の男の声が会話に加わった。四人は同時にその声の方向に顔を向ける。

「やっ」

 真っ先に反応したのは月筆乃命だった。

 あたかも知り合いに話しかけるような態度を取る初対面の男に、肩から飛び降りた月筆乃命は地面に着地する前に体を大人にして拳を繰り出した。

 貫之と男までの距離は二メートルもない。しかし俊敏な反応で繰り出した拳は男に当たることはなかった。

 拳が届く前に男の膝蹴りを受けて横へと飛ばされたからだ。


「がぐっ!」

「フミちゃん!」

 秋雪の叫びに、周辺の人々が気づく。

「おいおい、普通声を掛けただけで襲うなよ。神は無罪だからって道徳は守って欲しいな」

「っ、道徳どころか重罪を繰り返す貴様が何を言うか、神隠し!」

 神隠しの名前に反応したのは貫之とキョウである。

 累計十分に至るかどうかの接点であるが、神隠しの顔は昨日と大きく違っているのは見間違いようもない。歳は三十台で無精ひげを生やし、背は佐一よりも高い一九〇もあってピアスはせずにサングラスを掛けていた。しかし、腰には皮製のホルスターなのか水晶玉を収納できる装着具を身に付け、神隠しであることを証明していた。


「テレビで顔を変えるとは言ってたけど、変装とかのレベルじゃなくて別人だな」

「そういう君も中々に化けるね。昨日と違って美しくなったな」

「犯罪者に褒められても嬉かねーな」

 言いつつキョウは古川と秋雪の前に立ち、いよいよもって古川の従姉妹説は胡散臭くなる。

 月筆乃命も蹴られたわき腹を押さえながら貫之の前へと駆け寄って自ら盾となった。

「神隠し、貴様は一体何をしたい。力が欲しいのに貫之を殺そうとした上に、不意打ちで連れてきては堂々と顔を出しおって。一体何が狙いだ」

「そうだな……強いて言えば面白さかな」


 神隠しは照れくさそうに疑問符を思い浮かべる動機を話し、堂々と右手を腰へと回す。

 素っ頓狂な神隠しの動機は聞き流して貫之はその挙動を注視していると、腕から走る衝撃と同時に体が浮いた。

「な、へ?」

 浮いた原因は神隠しではない。月筆乃命である。

「逃げるが勝ちじゃ!」

 と小悪党が言いそうな捨て台詞を吐き、完璧なまでに秋雪たちを見捨てて月筆乃命は出口へと直行する。

「おいフミ! 秋雪たちは!?」

「自分すら危うくて何人も守れるか!」

「だけど!」


 それでは絶縁になってしまう。警察が来るまで逃げ切れても、同級生を見捨てた薄情な男が広まってその後の学校生活は悲惨を極まる。

 だが万年筆すら守りきる確証がもてないのに、三人の女性を守る確証もまたない。

 戦場では時に切捨てが必要と聞く。一人を見捨てて隊を守るか、一人を見捨てずに隊を危険にさらすかを隊長は即座に判断するらしい。軍艦の艦長級に位置する貫之はまさに、国民を見捨てるか艦を守るかの判断に立たされることになる。

 月筆乃命は防衛機能として自艦を守る考えしかしない。では艦長の貫之は何を守る。

 まだ事情を知らない客の横を横切り、待ち合いのソファーセットを飛び越えたところで、一瞬だけ天井の明かりが落ちた。

 瞬きの倍程度の長さで、その程度の明滅では月筆乃命の足に揺らぎは起こらない。

 振り向く余裕さえない小悪党よろしくの逃走だが、回転扉に届くことはなかった。

 大人月筆乃命と回転扉の間に人々が割り込んだからだ。


「どけっ!」

 月筆乃命は叫ぶが、両手を広げて壁になる男女四人は微塵も反応を見せない。間違いなく神隠しが手にした力の一つであろう。それも接触して初めて発現する月筆乃命のとは違って神隠しは遠距離で発現することが出来るようだ。

「神隠し! アンタ僕らのより良い力持っててなんで狙うんだ!」

 同系統の力では射程の長い方が優勢なのは常識だ。それ以前に神隠しのシチコは実質万能系になっているのに、なぜ真正万能系を求める。

「……昨日キョウさんが言ってた身を固めるのと関係があるのか!?」

 僅かばかりの間で逡巡し、導き出した疑問を叫ぶと神隠しの反応は激烈だった。

 左腕を腰へと回すと、手品で出すように何もないところから木刀を引き抜き、人質に出来る古川たちを無視して駆け出してきたのだ。


「それが奴の禁句みたいだな」

 貫之の右手から圧力が消える。

 それによって自由を得た貫之は神隠しに前面を向き、背中に人肌の暖かさと感触が来る。

「仕方ない、やるぞ」

「や、やる!?」

 強引に逃げる手もありながらの抗いの手に、貫之は間がないのに復唱してしまう。

「激怒した奴から逃げるのは悪手だ」

 悪手の内容までは説明をしている暇はなかった。神隠しの動きに合わせ、進路妨害をする人々の他に操られていると思われる一般客ら十人近くが駆け出してきたのだ。

 背中から月筆乃命の感触が消え、策を考える間も無いままとにかく貫之も駆け出す。


「うわっ!」

 いくら体を鋼鉄にしても殴られる恐怖は変わらない。殴りかかろうと来る男性客の拳を、貫之は悲鳴を挙げながら全力で避けてしまう。そして戦った経験のない体捌きは素人丸出しで、当然バランスを崩して転んでしまった。

 迫ってきた神隠しによる木刀の一振りが来る。

 貫之は咄嗟に右腕を上げて盾代わりにした。水晶玉から取り出した木刀なら依り代で間違いない。木刀の神通力は様々で、切れ味を持たせるのもあるだろう。だが、『真剣で切れ味倍増』と『木刀で切れ味付与』では前者の方が鋼鉄の体には脅威だ。なら守れるはず――

 力任せの木刀の一振りが貫之の腕に触れる。


 何か硬い物が折れる音が響いた。


「ぎ、あああああああああああああああああ!」

 生まれてこの方十五年。貫之にとって生まれて初めての大絶叫が迸った。

 さらにもう一打をわき腹に貰い、二度目の絶叫は声にもならない。

「なにっ!? まだ【陣】は有効のはずだぞ!」

 十五年の人生に於いてここまでの痛みを伴ったことがない貫之の目に、大粒の涙が浮かんでは流れ出る。痛みで涙を流すのは小学生の時に自転車で転んで股を打ったとき以来だ。

 痛みに耐えかねていると、横たわる体が宙に浮く。神隠しが貫之の服を掴んだのだ。

「貫之を放せ!」


 声の先では神隠しに操られている一般人を月筆乃命が蹴り飛ばしていた。その飛ばし方は弾き出すではなくぶっ飛ばす表現が正しいほどで、蹴り終るとすぐさま踵を返して貫之へと駆る。

 神隠しに焦りの挙動がないどころか、木刀を斜めに持ち上げて返り討ちにしようとしている。

 木刀で打たれた際の月筆乃命の驚きの台詞を痛みの中で思い出す。

『有効』の言葉だけがはっきりと脳裏に張り付き、だからこそ月筆乃命は守ることをしなかった。つまり体を鋼鉄にする作用はまだ継続しているはずなのだ。それを神隠しの持つ木刀は無視して殴打し、右腕と肋骨に衝撃を与えた。

 恐らくその正体は、有名にして欲求性が限定的な神通力を無効にする『無効系』であろう。


「く、くる」

 来るなと叫びたかった。触れるだけで神通力を無効に出来るなら、それまた神通力の一種によって顕現している神相手では最悪の相性だからだ。

 しかし最愛の依巫が危機に晒され、ただでさえ依存している神にその意図は届かなかった。

 跳びかかり、もう方向転換が出来ない月筆乃命の胴体を、神に対して最強の一振りが襲う。

 月筆乃命が姿を消した。

 瞬間、神隠しは貫之を手放して吹っ飛ばされた。

「…………え?」


 胸に軽い衝撃が走る。子供が軽く叩く程度の衝撃を受けた途端、瞬く間に腕とわき腹の痛みが消えた。

「……フミ」

 残痛とでも言うべきか、激痛が一瞬でなくなったがために脳が錯覚してまだ痛みが残っている気がする。

「貴様の策略に誰が乗るか馬鹿」

 貫之よりも高い背丈になっていた月筆乃命は二十センチの背丈となって吼えた。

「フミ、気づいてたの?」

「木刀で鋼鉄が折れるわけないからな」

 なのに通じるのなら無効が頭に出てくるわけだ。それ以上なら断絶させる。


「だが寸でのところで踏みとどまったまでだ。あともう一打あれば止まれなかった」

 背丈が戻ったのは、当たる寸前に依り代に戻って顕現をし直したのだろう。どうやって吹っ飛ばしたのかはさすがに分からない。

「……力は解除されてない。触れるところだけ無視するみたいだ」

 指先で地面を突くと、金属が当たる音が響いて木刀の神通力を予測する。なんにせよ対依巫・対神相手では有益な力だ。

「でも神通力を無視できるのに神通力で奪えるの?」

「常時発現でないのなら可能だろう」

 そして隠される八百万の神が一切顕現しないのは、神隠しの神通力によって身動きが取れないようにされているから。いかに歯向かおうと、一度でも神隠しの依り代に捕まれば逃げられないというわけだ。


「なんにしても僕らには天敵だ」

「真剣でないだけ幸いと思え。真剣で無視なら今頃腕ないぞ」

 果たして月筆乃命の力でくっ付けることは可能だろうか。理論上出来なくはなく、だが実験なんて生涯に渡って行いたくもない。

「……弾き飛ばすしかないか」


 流れ的に逃走の選択肢は消えて対抗に切り替わってしまっている。月筆乃命にとってこの流れは嫌であろうが、悪手と認定した手前貫之としても腹を括るしかない。

 幸い、遠くでサイレンの音が聞こえ、客らも逃げ出していて状況整理は整いだしていた。

「そう言えば古川たちは?」


 ふと見捨ててしまった知り合いのことを思い出して、起き上がろうとしている神隠しを気にしつつ古川たちを捜す。

 古川とキョウは壁際で見つけたものの、秋雪の姿がどこにも見えなかった。

 どこかに逃げたと思うも、親友を残して逃げる性格ではないはずだ。ではどこにとさらに周囲を見渡そうとしたら、わきの下から腕が伸びて持ち上げられた。

「わっ!」

 そして背中に柔らかい物が押し付けられる。


「ゆゆ、なにやっとる!」

「ゆ……秋雪なの!?」

 後ろを見られない貫之は月筆乃命の言葉に驚きを持つ。

「秋雪なんで!」

 気が動転し、神隠しに操られていることに数秒気づくのが遅れた。

 その数秒で神隠しは貫之へと再び駆け出す。

「ちょ、待って待って!」

 無論神隠しは構わず、貫之の顔面に向けて水平で振りぬいてくる。このままでは秋雪の顔にも傷をつけてしまう。

「……っあああああ!」


 貫之は自分の肩を掴んで放さない秋雪の手を掴み、わずかに触れる足で地面を最大限で蹴り、腹筋のアシストもあって水平に来る木刀を足裏で防いだ。運動靴で父を出迎えようとしたのが幸いし、痛みはあっても激痛までは至らない。

 その足で受け止めたわずかな隙に月筆乃命が神隠しの腕を殴打して手放させた。下半身が落ちる前に腰を捻って木刀を弾き飛ばす荒業を決める。

「すまんゆゆ」

 月筆乃命は方向を貫之へと向け、伸ばす手は秋雪の頭を掴んだ。てっきり力で元に戻すのかと思えば、そのまま地面に押し倒す力技をしたのだった。

 当然二人と一柱は共に倒れ、背中の感触を味わう暇なく貫之は秋雪から離れる。


「フミ、なんで押し倒すんだ。力を使えば戻せるだろ!」

「元を絶たんと戻してもまた掛かるだけじゃ」

 元を断つ。なら【解】や【消】で、操っている依り代に触れて無効化させることになる。

 しかしシチコはそれぞれが独立した形容をしている。万年筆が万能系、木刀が無効であるように神通力と依り代が密接でなければ探るのは難しい。まだ自分の力の名前すら分からない貫之にできることではなかった。

「……チッ、未熟でも万能系か。さっさとやられりゃいいものを」

 そこで神隠しは黙り込んでいた口を開いた。だが逆鱗に触れる質問をしたせいか最初と比べて機嫌が悪くなっている。


「真正と仮性じゃ真正が勝つに決まっとるだろドアホ」

 本当に月筆乃命の肝っ玉の大きさを羨む貫之である。この状況でさらに火に油を注ぐような言葉は絶対に言えない。

「そうかよ。じゃあ殺す気でちょうどいいよなぁ、人形神!」

 神隠しは木刀を拾いに行こうともせず不敵に笑い、油どころか天然ガス入りの容器を苛烈に燃える炎に放り込んだ。

 月筆乃命の雰囲気ががらりと変わる。

「貫之」

 もう何十回と呼ばれている自分の名前が、これほどまでに寒く感じたのは初めてだ。


「は、はい」

「聞かずとも妾が何を考えてるか分かるな?」

 間違いなく最大で殺すから最低で殺しだ。そして警察が来るまでの時間稼ぎも逃げの手もする気がない。完璧に月筆乃命の闘争心と敵愾心に火がついた。

「分かりたくないけど、なんかこうなる気がしたよ」

 気がした、は県立公園で月筆乃命が神隠しに向かって駆け出した時からだ。

「だけど、万能系の力任せ――」


「【陣】。陣形の【陣】。それが妾たちの力の名前よ」


「そう言えばさっきも……」

 と、話し込んでいるほど余裕な状況ではなかった。

 貫之と月筆乃命が話しこんでいる間に、神隠しは新たな依り代を取り出して行動に移していたからだ。新たに取り出した依り代は子供用のピンク色をしたカラオケマイクで、音関連の力であることが推測される。ただ、神隠しであることを考えると例外の可能性が高い。


「貫之、あれはなんじゃ?」

「マイク知らないの?」

「生憎と万年筆を使っている間にそれを見ることはなかったからな。簡潔に言え」

「歌用のおもちゃ……かな。本物は声を大きくするけどおもちゃにはないと思う」

「音か……」

 月筆乃命がぼやく傍らで神隠しは容姿と似つかないおもちゃを口元へと持っていく。一体どんな力を発現するのか、貫之は耳元に手を持って言って構えた。

 だが、音は衝撃音だけが響いた。


「古川!」「ひぃ子!」

 貫之と月筆乃命がそれぞれ古川の呼び名を叫ぶ。

 古川が放置されたアタッシュケースで神隠しの後頭部を殴打したのだ。

 完璧に決まった不意打ちに、神隠しは声を上げる間も無く地面に倒れ、不発に終わった玩具のマイクが地を滑る。

「あたしの親友を勝手に操るな! 死ねっ!」

 どうやら古川は神隠しが行った心理系神通力の影響は受けなかったようだ。キョウも受けなかったらしく、視線だけ後ろに向けると仰向けに倒れている秋雪の介抱をしていた。

「ひぃ子でかした!」


 まだマイクが転がっている最中で月筆乃命は駆け出し、一直線で神隠しへと向かう。

 そこで貫之は月筆乃命の狙いに気づいた。

 月筆乃命が言った『元を断つ』は心理系神通力の依り代を指していると思っていたが、それではまだ持っているかもしれない他の心理系には対処が出来ない。

 元とは元でも大元。月筆乃命は神隠しの依り代を断つことを狙っていたのだ。

 そうすれば心理系だけでなく八十以上のシチコを解放することもできる。

 神隠しは後頭部を討たれたことでうつ伏せに倒れ、それによって腰にある水晶玉があらわになっている。触れれば戦況は大きく貫之側に傾くはずだ。

 月筆乃命が跳んだ。


 神隠しへではなく真横に。

 さすがにこうも何度も意味不明の現象が起これば虚は突かれても真っ白にはならない。また神隠しが貫之たちの予想を上回る何かをして、倒れているにも拘わらず月筆乃命を吹っ飛ばしたのだ。

 今度は再顕現をしなかった。

 横に飛ばされるがすぐに月筆乃命は起き上がって、どうして吹き飛ばされたのか周辺を見渡す。古川が操られた可能性はあっても動いていないし、やはり何もない。

 何も、ない。


「フミ! 多分姿を消してるんだ!」

 ないのに起きればそこに何かがあった証拠だ。そして日本でそれはありえる。

「ならこやつはなんじゃ!」

 月筆乃命は頭を押さえてもがく神隠しを指差す。現時点でそれがなんなのか、確信を得るのは難しく、考えられる答えも奇行を前提すると四つも五つも出てしまう。

「分からないけど、もう全部疑わなきゃ駄目なんだ!」

 貫之は歯を噛み締め、傍観しているキョウに向いてある意味見捨てる宣言をする。


「キョウさん、すみませんけど今の状況じゃキョウさんたちも疑わないとならないんで、古川と秋雪のことお願いします!」

「おう! 俺たちのことは気にすんな!」

 キョウからはそれだけの返事が来て、秋雪を抱きかかえると入り口方面へと迂回するように逃げた。貫之は落ち着いたら二人に謝ろうと決意して万年筆をポケットから取り出す。

 とにかく逃げないのなら、逃げなくていいところまでがんばる。

 貫之は素早く、少し痛みを覚えるくらいの筆圧で【耳】を左手に書いてそれを眉間に押し付けた。考えるのはイルカやコウモリのように音によって周辺を『視える』ようになること。生物学的理論をぶっ飛ばし、結果的に音で周辺が視えるイメージを最大限に強める。

 すると、脳裏に詳細にではないが障害物のような白いもやが見え始めた。さすが万能系といえるだけのことはあり、目を見開いて白いもやと実物を区別する。

 その中で、ある場所だけ白いもやはあっても何もないところがあった。


「フミ! あそこ!」

 貫之はある一点を指差すと、膝をつく月筆乃命は跳ぶようにして駆け出した。

 と、白いもやも距離を取るように逃げ始める。

 しかし、それよりも速く、月筆乃命の手の平が空間に隠れた何かに触れ、月筆乃命の背丈が小さくなると同時にそれは現れた。

 透明マントを剥ぎ取るように、一瞬前には何もなかった所に一瞬後には一人の人間が現れたのだ。背格好は男の大人と同じで中肉中背で、服装は白地のワイシャツにスラックスでネクタイもジャケットも無い。ただ、その顔にはヒーロー特撮物のお面を身につけていた。


 空間に隠れて奇襲をかけていた人物。それだけでも本当の神隠しと確信したいところだが、裏の上限が不明である限りお面の人すら騙しのカードと思わなければならない。

 そこにようやくロビーの入り口から何人もの機動隊が突入してきた。アクリル製の盾を持ち、重々しいベストを着用してその顔にはフルフェイスのヘルメットをした出で立ちである。

「警察だ! 神隠し! 今すぐ動きを止めろ!」

「君、大丈夫か?」


 一人の機動隊が警棒と盾を構えながら叫び、もう一人が貫之の前に盾を置きながら声を掛けてきた。普通なら助けが来たと安堵するところだが、全般を疑うと決めた貫之にしては神隠しの息がかかっているのではないかと心配してしまう。一応【硬】によって不意打ちには問題ないから、とにかく緊張の糸を図太くして切らせないのが肝要だ。


「例の少年を確保。木島、神隠しから目ぇ離すなよ!」

「わーってるよ! そこの小さな神様、神隠しから離れてください!」

「君、さぁ早く逃げるぞ。あとは俺たちの仕事だ」

「僕よりもあの子たちを先に助けてください。同級生なんです」

 貫之は現在位置と入り口の中間にいる女性三人を指差す。

「もちろん。けどまずは狙われてる君からだ」

「なら奴を捕まえるほうに専念しろ! いま奴を逃がせばまた今日の繰り返しだぞ!」

「それと知ってると思いますけど、神隠しは人を操ります。大丈夫ですか?」

「大丈夫。あいつは依巫以外の一般人を操るんだ。今ここにいるのは全員依巫だから操られる心配はないよ」

「ふん、どうかな。依巫は操れないと思い込ませてるだけかも知れんぞ」


 全てを懐疑的に見ているため、神隠しの説明に納得できても受け入れるわけにはいかない。

 ただ、【心】や【正】といった自白剤的な【陣】をお面と水晶、どちらでも構わないから使えれば、少なくとも敵の言葉よりは信用は上がるだろう。

 そのためには直接触れなければならず、今の貫之の心身では困難を極める。

 姿を消した神隠しを出すと同時に何故か元の大きさになった月筆乃命は、再び手を胸に押し付けると貫之と同じ程度の背丈まで体を大きくした。ただ、今までと比べると一割以上小さい。

 ふと貫之はあることに気づいて、自分の腕を手で叩いてみる。さっきまでした甲高い金属音がせず、柔らかい肉の感触だけがした。


 その事を受け、貫之は姿を隠していた神隠しを表に出すと同時に背丈を小さくした月筆乃命を思い浮かべる。

 もしかして、【陣】は同時に二つ以上の力を発現することは出来ないのではないだろうか。だから姿を見せるための【陣】を使ったことで、大人化する【陣】をかき消してしまった。

 貫之は最初に【硬】を使い、その後で【耳】を使っていて現在進行形で発現している状態だ。考えてみれば栞日記で二字を連ねて連想する使い方はしていない。


 そして月筆乃命が大人化している時に貫之も発現出来ていたから、貫之と月筆乃命の【陣】はそれぞれ独立していると見ていい。

【陣】は貫之が長年使い続けてきた栞日記を流用していて、その前提とするならもう一つ問題が浮上する。

 簡易的に一字を書き、その後に清書する栞日記は原則一日で同じ字を使わない。同じ字を書いてしまうと込める内容が混在してしまうからで、栞日記の法則通りなら次の日までは今日使った字は使えないはずだ。

 大きな失敗が万年筆を奪われる要因になりかねない今、確証はなくともその前提で【陣】を使っていかないとならない。しでかす前に気づけたのは縛りであっても幸運と言える。

 万能系と冠だけはよいが中々に厳しい取り扱いだ。そして名前が【栞】ではなく普段から使わない【陣】とする意図も読めない。


「警察よ、貴様らは援護しろ。神隠しは妾たちが再起不能にしてくれる」

「馬鹿いうな! 神隠しは俺たち警察が相手をする。お前たちは逃げろ!」

「奴の狙いは妾じゃ! 逃げたところで向こうも逃げてまたこの場面になるだけよ」

 その逆に負けそうになって逃げて日を改める可能性もあるが、考えてもせん無いことだ。

「……やりましょう。ここで神隠し事件を終わらせるんです」


「いくら万能系だろうと君は中学生だぞ。これは大人の仕事だ」

「女に迷惑を掛けた挙句に逃げたら末代までの恥だ」

 貫之は警官の返事を待つよりも前に【強】と左手に書いて胸に押し付けた。【耳】を上書きし、格闘漫画の主人公のような強い体を想像する。

 それに合わせてか、二人の神隠しもそれぞれ動き出した。

 水晶玉は腰に手を伸ばして新たな依り代を出そうとし、お面は神通力を無力化する木刀へと走り出したのである。さらに秋雪を含め巻き込まれ操られる人々も貫之たちへと向かってくる。


「フミ、やるぞ!」

「よし来た! 貫之はお面をやれ。妾は水晶玉をやる」

 木刀相手ではフミは一撃必殺で依り代へと戻されてしまう。貫之が相手をしても十二分に脅威だが、一撃必殺とそうでないなら後者しかない。

「分かった」

「お巡りさんは他の人を頼みます!」

「これだから力を持った子供は困る。木島! お前たちは操られてる人を抑えろ! 神隠しは俺たちがやる!」

「了解です!」


 日本で生を受け、十五年と暮らしていればこの手の警察の苦慮は貫之も理解できる。

 警察が困るのは何もシチコを使って犯罪をする人だけでなく、権能も知識もないのに犯罪に立ち向かおうとする一般の人も当てはまるのだ。有り体に言えば余計なお世話で、警察なら多少の損害を出しても免責になるが、一般人にはないから損害賠償を請求されてしまう。しかも大抵は余計なことしかせず、返って警察の仕事の邪魔をしてしまうのだ。

 今の貫之は警察から見てまさに正義感を抱いたと錯覚した子供になっていて、月筆乃命の言う浅薄な感情論そのままと言えるだろう。


 しかし神隠しは貫之のシチコを狙っている。そして奪われないために戦うのは依巫として最低限の義務だ。強かろうと怖かろうと立ち向かうしかない。

 それに今まで貫之は略取を続けていた佐一に『強くなったら一矢向いてやる』と言い聞かせて、前を向くふりをして後ろに進んでしまっていた。情けないと思いながらも逃げられるなら逃げ続けた。だが今回は逃げ切るには後ろに進む訳には行かない。逃げ切るためにも前に進むのだ。

【強】によって肉体を強化したおかげでスタートダッシュは平時の数倍と速かった。それだけに経験との違いに畏怖を起こすも、構わず木刀を掴む寸前の神隠しへ加速を続ける。


「やああああああ!」

 貫之は木刀よりお面の神隠しを標的とし、格好良さも何もない体当たりを決めた。当てた右肩に未経験の衝撃が走るものの【強】の強さは文字に恥じるものではなかった。衝撃に比例してくるはずの痛みは皆無で、逆に神隠しからは苦しみの声が一瞬上がる。

 それでも神隠しは木刀の柄を掴んでいて、ぶつかった衝撃で地面から足が離れた貫之のわき腹に、不安定な体勢にもかかわらず木刀を叩き付けた。

 さすが警察から散々逃げ続けている依巫だ。機転の速さと戦いに慣れている。


 どれだけ【陣】で防御力を上げようと、それを無視する木刀を相手では貫之が圧倒的に不利だ。

 神隠しは他人から奪った神通力に頼っても警察から逃げるのは己の気持ちだ。拳を交えた喧嘩すらしたことのない貫之とでは、その心構えや経験とあらゆる意味で劣る。

「い、たいんだよ!」

 わき腹を殴打されてもすぐに木刀を腕で抱え込み、神隠しの腕に【強】の足を蹴り上げた。今度は神隠しの腕から骨が折れる音が発せられ、本来ありえない方向へと折れ曲がる。


「…………っ……っっ……!!」

 悲鳴こそ上げないが骨が折られればどんな屈強でも身動きが止まる。【強】によって反応速度も上がり、貫之が地面に倒れきる前に神隠しから木刀を分捕った。

「お巡りさん!」

 地面に倒れると同時に柔道の受け身をして体を起こし、操られる客を止める機動隊に向けて木刀を投げた。

 依り代の出し入れが自在でも神のように消すことが出来ないのは昨日の水鉄砲で把握済みだ。それすら裏をかく伏線なら見事に騙されたがそこは見たままを信じる。

 と、お面の神隠しの姿が消え始めた。


「逃がすか!」

 おそらくお面か隠し持っている依り代で消えようとしている。【耳】はもう使えないから、見えなくなる前に止めなければと神隠しの腹に握りこぶしを叩き付けた。

「ごほっ!」

 腕の痛みに合わせて腹への殴打に、消えかけていた神隠しはまた見え始める。

「おまわ――」

「……なんてな」


 当然ながら逮捕権の無い貫之は警察に頼るしかない。呼ぼうとした矢先に腹に打ちつけた腕を神隠しに掴まれ、【強】で強くなった貫之よりも遥かに強い腕力で放り投げられた。

 今の体をもってすれば着地は可能のはずが、不意打ちに体が固まってしまって顔面から地面に落ちて転がる。


 ハードとソフトの違いが大きすぎるのだ。元来人間はハードである体の成長に合わせてソフトである経験も成長する。それが強制的にハードだけを強めたから脆弱なソフトが足かせになってしまったのだ。

 次に体を強める時は自分の中にある経験も底上げするようにしなければ鬼に麺棒だ。


「思いっきり打ったのになんで……」

 顔面から落ちても体の頑丈さが幸いして大した傷みもなく起き上がれた。神隠しも同様で平然と起き上がる。

「このお面のお陰さ。これは見た目の通りにヒーローにさせてくれるんだ」

「正義の味方が犯罪なんかすんな!」

「一本取っても何も出ないぜ」

「いや、お前たちに取られた神様たちを出させてやる」

「……月宮クンは揚げ足取るのうまいな」


 お面の神隠しの折れたはずの腕が元通りになっている。お面の力であっても治癒や透明は『ヒーロー』の枠からは外れるから、お面の他に二つ以上の依り代を隠し持っているかもしれない。

 ただ、真偽はどうあれお面の依り代をしていることから顔面への殴打は絶対に出来ない。犯罪者同士ならどうでもいいが、貫之や警察相手では非常に有効な盾だ。依り代を壊してしまうと神殺しの大罪を背負わなければならなくなる。


 月筆乃命のほうでは機動隊と共に水晶玉と接戦を繰り広げていた。奪い続けた依り代をまとめて所持しているだけあって次から次に依り代を出しては一人ずつ倒している。地面には放置される依り代の数々と血を流しながら倒れている機動隊もいて、さながら戦場だった。

「よそ見してる余裕あるのか?」

「ガキ相手に大人げねーぞ!」

 よそ見をしてしまった隙にお面の神隠しの腕が伸びる。反射的に後ろに跳ぼうとすると同時に、機動隊のであろう警棒が貫之の側面を通過して神隠しの喉下に直撃した。


「げひゃっ!」

「お巡りさん」

「坊主! お前は後で拳骨だ。子供が悪党と戦うんじゃねぇ!」

「だったら僕らが危なくなる前に捕まえてくださいよ!」

 貫之とお面の神隠しの間に機動隊が割り込む。

「取り押さえろ!」

「それは駄目だ!」


 腹部への殴打や骨折すら瞬時に回復する治癒系神通力を持ち、尚且つ軽量とはいえ貫之を片手で持ち上げられるだけの腕力を出せるのだ。取り押さえ程度で抑えられる相手ではない。

 一人の機動隊が後ろに吹っ飛ばされた。

「言っとくけど、今の俺の腕力は普通の二十倍だぞ」

 さらに一人吹っ飛ばされ、貫之は考える間もなく手を伸ばして神隠しの両手を掴んだ。他の機動隊に肉体強化関連の神通力を持っているのか分からない以上、余計なお世話であろうと貫之が止めるしかなかった。

「いだだだだだだだだだ!」


 悲痛の悲鳴を上げるのは貫之である。【強】によって肉体強化しているはずが、自己申告である二十倍の腕力に負けているのだ。手首が限界に曲げられ、骨のきしみに合わせて痛みも来る。

「俺の半分ってところだな」

 どうやら『強い体』と曖昧な想像だったがためにその程度しか強化されなかったらしい。

「その仮面だな!」

 だがその隙にそこそこ地位があろう機動隊の一人が神隠しの背後に回りこんでお面の顎に手を掛けた。

「ちっ」


 力比べから逃げようとする神隠しの手を、今すぐ手放したい気持ちに逆らって放さない。二倍の腕力差でも一瞬の時間を延ばすくらいは我慢出来て、機動隊は神隠しから特撮ヒーローもののお面を壊さないように剥ぎ取った。

 顔を隠す神隠しの姿が露になる瞬間、姿が消えて地面にぽとぽとと何かが落ちた。同時に貫之の両手から圧力も消え去り、虚空を掴んで四つんばいとなる。

 目の前にどうやって製造したのか分からない水の入った切れ目の無いガラス球があった。他に針の無い注射器にビー玉を発射する玩具もあり、単純に考えてお面の神隠しは神隠しの神様のようだ。何度も月筆乃命の顕現と解除を見ていれば分かる。


「消えた?」

「奴の神が顕現をやめただけだ。依り代をすぐに確保して外に出せ。また顕現してくるぞ」

 ヒーローの仮面がどこにも転がっていない。ということは、あのお面を含めて神。依り代とよくも虚勢を張ってくれた。

「やめたって、これも奴の奇策ですか高菜さん」

「奇策でも咄嗟でも身構えとけ。坊主! お前は今度こそ外に出ろ」

「僕は、あいつが捕まるところを見ないと安心できません!」

 貫之の判断に関係なく、神隠しが逃げてしまうとまた襲われ、今度は時間稼ぎすら出来ないかもしれない。それを防ぐには【心】で神隠し本人と自白させて、警察に捕まえる瞬間をこの目で見るしかないのだ。手品師級に先を読ませない相手ではそこまでしないと安心して眠ることも出来ない。


「おい貴様ら! 駄弁ってる暇があるならこっちに手を貸せい!」

 月筆乃命の怒号に貫之と警備隊は首をそちらに向ける。地面に転がる依り代はさらに増え、戦っている機動隊は残り一人となって持っているアクリル製の盾は半分砕けていた。

「向こうが依巫か。依り代を使い捨てのように使いやがって」

「でも使い捨てならいずれ弾切れを起こすんじゃありません?」

 貫之の中にある神隠しされたシチコの数はニュースで言っていた八十七。それから数日を経てどれだけ増減したのか分からないが、すでに二十近くはこの短時間で放棄している。まだまだ強力な神通力はもっても、数が減ればそれだけ笑顔を出す被害者も出るのだ。

 使い捨てることに損は無い。


「……応援をありったけ呼べ。どうせ警察の威信なんざ散々逃がして落としてんだ。一般警官も依巫なら呼び出すように現場からの指示と要請しろ」

「了解」

「僕はフミを」

「いい加減英雄気取りはやめろ! お前は偶然力を手に入れただけの中学生だ! 危ない仕事は大人に任せろ!」

 月筆乃命が戦っている。依巫として参戦しなければと動こうとしたがそれを高菜に止められた。ヘルメット越しで顔は見えないが気迫は伝わる。

「外に連れ出せ。奴の神の顕現を解除させたんだ。それで十分だろ」

 今度ばかりは貫之に反論をさせてはくれないようで、一人の機動隊が貫之の腕を掴んだ。


「……この人が神隠しの息がかかってない保障ってありますか?」

 貫之の腕を掴む機動隊を、他の機動隊が見る。

「そんなことあるわけないでしょ! 一緒に署を出たじゃないですか!」

「依巫には掛からない心理系だって、そうだって思いこまされてるんじゃありませんか?」

 腕を掴む手が緩み、まだ持続する【強】の腕力で逃げると月筆乃命に向かって駆け出した。

「あ、おい!」

 もちろん動揺を誘わせる台詞ではなく、可能性から出る危惧を言ったまでに過ぎない。警察も奴の言動の不一致は知って当然だろうが、その前提だからこそ不信感を出す事は出来た。

 水晶の神隠しで戦っていた最後の機動隊が玩具の拳銃で打ち抜かれて倒れる。玩具だろうが本物だろうが拳銃であれば殺傷能力の高い神通力はありえた。

 月筆乃命に銃口が向けられる。


「フミ! 伏せろ!」

 貫之は走りながら叫び、地面に落ちているアクリルの盾を掴んで投げた。

 拳銃の銃口が月筆乃命から盾に向く。元々鎮圧用だけあって防弾効果は高く、ヒビどころか跡すらつかずに神隠しの向こう脛に直撃した。

「いってえええええええええ!」

 弁慶の泣き所は万人に対して脆弱だ。しかし骨折の痛みを耐える神隠しの神霊と違って我慢強さはないらしく、しゃがみこんで向こう脛を押さえだす。

「吹っ飛べ!」


 その大きな隙に月筆乃命は距離を縮め、手の平が神隠しの腹に触れる。体が小さくなると同時に神隠しはフロントの奥へと弾き飛ばされた。

「フミ、大丈夫か?」

「妾の心配より、貴様の身と依り代の心配をしろ。それさえ無事なら妾は不死身じゃ」

「水晶玉のほうは依り代を使い捨てで使ってるの?」

「一発使えばすぐ別のを出してな。使い切らせようかと思うたがやはり数が多い」

「ならあいつの水晶玉に【無】を叩きつけるしかないってわけか」

「それも囮なら終わるまで続けるまでじゃ」


 お面側で交戦していた機動隊は水晶側で倒れた機動隊の救助に当たり、高菜と呼ばれる隊長らしい人が隣に立つ。

「お前らみたいのが本当に困るんだ。子供なら子供らしく逃げろ」

「妾は原則我が依巫が大事で面倒事は逃げるが、自尊心を傷つけられてまで逃げたくはない」

「僕だって逃げたいですけど、逃げて終わらないなら立ち向かう方が早いと思って」

「そういうのがこっちは困るんだっての」

「ともかく今は同僚程度の仲と思え。捕まればそれはこちらの責任じゃ。神の独断であればそもそも責任自体出ないのだろう?」


 憲法零条は、なにも神に責任が及ばないだけでなく、他人にも責任を負わせない解釈もある。責任を外に出さず、外からも入れない。故に零条を総括する一言は『神の自己責任』。

「法律はそうでも人情がそれをゆるさねぇんだよ」

「ならそっちも神を顕現させて協力させろ。この場にいると言うことは依巫であろう」

「生憎と俺の神は顕現嫌いでな。神通力も戦闘向きじゃねぇ」

「それで機動隊か」

「シチコで職業が決まるわけじゃないんでな。来るぞ」


 フロントの奥から銀色の曲線が一本。依り代であり前科がなければ帯刀することを許可される日本刀の抜き身が現れ、容姿は今のところ変わらない水晶玉の神隠しが現れた。単に復活したよりは仕込みを済ませたと思うべきだろう。

「フミ、あと何回体大きく出来る?」

「今ある妾の語彙ではあと数回じゃ。今夜から国語の勉強をせねばな」

「僕もがんばるよ」

「タカツミのやつ戻ったのか。四つも依り代渡せば楽勝と思ったのにな」

 日本刀をゆったりと揺らしながら神隠しは呟き、カウンターの上へと上る。


「やっぱり思い通り行かなくて面白いな」

 そしてへらっとした笑みを見せた。

「神隠し、妾は貴様の思想も動機も身を固める云々も一切興味がない。それは警察ないし法廷で叫び散らせ。こちらは唯一つ、貴様に土下座させて襲ったことを後悔させたいだけじゃ」

 負けじと月筆乃命はカウンターの上に立つ神隠しに指差し、拍手を送りたい口上を述べる。

「ご立派な口上をどうも。でも一から十まで自己中丸出しじゃねーか」

「貴様と論争するつもりはないと言ったはずじゃ」


 右側から一人、スーツを着た女が靴下でカウンターへと地面から飛び乗った。キョウだ。

「つもりと言うより暇がないよな!」

 いくら靴下で足音を消しても人間の視野は百八十度よりも広く、野生動物に劣っても動く影には鋭敏に反応できる。警察から神通力を使って逃げても一切合切を依存しているわけではないだろうから、当然分かりやすい奇襲に神隠しは反応を示した。


 依り代に違いない日本刀を両手で持ち、横から来るキョウに向けて下から上に向けて振り上げたのだ。何をするにしても間に合わず、だが馬鹿な行為と言う言葉と貫之は思わなかった。

 いくら猪突猛進の馬鹿であっても、日本刀を持っている相手に策なく挑むはずがないからだ。

 しかしカウンターの上を走るキョウの動きに変化は起こらず、刃と女の肉が、触れた。

 くの字に曲がったソレが宙を舞う。ソレの先端からは液体が噴出し、カウンターや床を紅く染めていく。


「キョウさんっ!」

「貫之! 妾をあいつに投げろ!」

 ソレ――左腕が地面に落ち、断裂部から血が円形に広がるのを見て吐き気を催してしまった。元来体から離れることのない人体の一部だ。同体と繋がってこそ見慣れていても、単体を見るだけでそれが人体から物へ変わり、生理的な拒絶が起きてしまったのだ。

「あいつは神だ! 腕が斬られようと胴体を斬られようとすぐに元に戻る。早く投げろ!」


 それは薄々思ってはいたことであった。キョウの供述と古川の供述。そして昨日と比べて明らかに歳を取っていることから人の形をした神ではないかと。神同士だからかは分からないが、月筆乃命ははっきりとキョウは神と言った。それならば覚悟の上で行ける道理も立つ。

 合わせて口の中に夕飯に食べた物があふれ出てくる。口から飛び出るよりも前に月筆乃命を掴むと下手投げで神隠しへと投げ、地面へ吐いた。

 投げられた月筆乃命は不規則な回転をしながらも神隠しへと飛び、腕を斬られたキョウは腕から大量の血を流しながらも顕現を解くことなく神隠しに抱きついた。

「チビ神! 俺ごとやれ!」

「任せろ!」

「こいつ神か!」


 神隠しもキョウが神であることに気づかなかったようだ。速く動かなければキョウごとやられてしまう。それを避けるため、神隠しは手に持つ日本刀を逆に持ってキョウの腹に切っ先をつきたてた。

「死ななくてもいってぇんだよ!」

 常人であれば左腕どころか、浅く斬られるだけでも身動きも出来ないと言うのに、腕を斬られ、腹を刺されてもキョウは逆に大声を発して右手で神隠しの首を掴んだ。

 もちろん顕現した神の肉体構成は既存の生物と変わらないし、Ⅹ線写真を撮っても大差がない。心臓が動けば血も流れる。それでも食も脳も心臓も命に直結せず、あくまで依り代と依巫に限られ、顕現した神単体では実質的な不死と言えるのだ。まさに神と称するに相応しい生態で、キョウは血の池を作ろうとも死ぬ気配を見せない。


「離せこのクソアマ!」

「残念。アマじゃなくてカミだゴラ。俺にゃ性別はねーんだよ」

「……あんまり女の顔に手は出したくないんだけどな」

「なに――」

 キョウの体が腹部から顔に掛けて縦に割れた。

「神なら死なないんだろ!」

 どうして斬れたのかは考えず、斬れてしまった結果だけを貫之は重視した。人が横に斬れるのは漫画の中ではたまにあるが、縦に斬れることは滅多にない。そして全部と言えるだけの大量の血液も噴水のように湧き出し、神隠しは全身に神の血を浴びながら切っ先を月筆乃命へと向けた。

 同時に貫之は駆け出した。キョウを見たことである策を思いついたからだ。


 ただ、その策を月筆乃命に伝える方法はない。目線も交わせず、手や仕草で合図も送れない。可能性としては偏に同じ策を考えてくれることを信じるだけだ。

 キョウが消えると同時に大量の血液もまた消え、貫之を襲う怖気も一気に無くなる。

「そぉらもういっちょ!」

 いかに万能系でも手順まで万能ではない。通じるか否かはさておくも神隠しは全力で、空中では自分以外に【陣】が使えない月筆乃命を討ち取ろうと刀を振る。

 鈍くて高音な、金属と石が接触したような音が響き、月筆乃命は野球ボールのように打たれてとんだ。

「あれ、当たった?」


「お返しだ!」

 それはまるで手順が逆の野球であった。フルスイングをしてヒットを決めた神隠しに向けて、貫之は投手のようにボールを投げる体制に入ったのである。

 そして貫之の右手に重みが来る。柔らかく暖かい、安心する重さ。

 生物を投げるなんて持っての他だが、同じ考えをしてくれたからこそ右手に来てくれた。

 貫之は全力で、右手に再顕現した月筆乃命を神隠しに向けて投げる。


 てっきり刃に触れる寸前に顕現を解いて振り出しに戻ると思ったのだろう。この短時間で神隠しの言動を見てきた貫之と月筆乃命だからこそ、裏をかくことが出来た。

 万が一この策に気づいていたとしても、振り出しに戻って不利にはならない。

【強】によって強化されたため、普段の何倍もの速さで投げ出された月筆乃命は、元々助走をしていたのも合わさって一瞬の間すら与えなかった。

 生きた弾丸となった月筆乃命は神隠しの胸に直撃し、バランスを崩してカウンターの奥へと倒れていった。


「お巡りさん! すぐにあいつは無防備になるから捕まえに行ってください!」

 まるで噴水のように数多の道具が四方へと噴出した。

【無】や【解】等の【陣】が神隠しの依り代に通用した証だ。

「突っ込め!」

 間髪いれずに高菜は叫び、お面神隠しと戦った機動隊が一斉にカウンターに向けて駆け出す。


「こ、こりゃまずいぞ。さすがにまずいぞ!」

「あいつ、まだ動けるのっ!?」

 機動隊がカウンターに向かうよりも前に、月筆乃命の直撃を受けてもまだ神隠しは動けてカウンターから飛び出た。

「もうあいつには依り代は無い。一気に確保だ!」

 神隠しは胸に左手を押さえつけ、右手で水晶玉を持って非常階段のほうへと走っていく。


「……やった……」

 これでひとまずお役御免と思い、貫之はその場にへたり込んだ。

「おい貫之、まだ終わっとらんぞ」

 貫之の横に瞬間移動と大差ない用途で月筆乃命が再顕現する。

「いや終わりでしょ。もうあいつは丸裸なんだし」

「まだあいつを土下座させとらん」

 そういえばそんなことを言っていたし、逃げるのをやめるきっかけにもなっていたか。

「それに逃げる際にいくつか依り代を持っていったのを見た。移動用の力なら逃げられるぞ」

「いい加減諦めろよ…………って秋雪たちは?」


 無我夢中で動いていて完璧に忘れていた。一応離れるようにはしても、戦いに夢中になって機動隊に助けられたのかも見てはいなかった。

 見つけると入り口付近で古川と救急隊員が秋雪の介抱をしていた。キョウも再顕現をしていてあのおぞましい傷は見られない。

「古川、秋雪は?」

 月筆乃命を水平の腕に座らせて貫之は駆け足で古川のところへと走る。

 と古川は伏せた顔のまま立ち上がり、食いしばる歯を見せながら貫之の顔面を殴った。

 痛みは【強】によってそれ程ではなくてもやはり経験と体のバランスが悪く、貫之は後頭部から地面に倒れた。

「アンタ! ゆゆになにをしたの! 全然起きないのよ!」

「だ、だからっていきなり殴るか!?」

「ちと強く考えすぎたかの。なに、起きないとしても単に麻酔のように眠りが強いだけよ。また操られてこられても困るでな。少し深く眠るように考えてしまったようじゃ」


 貫之と一緒に地面に落ちた月筆乃命はすぐに立ち上がり、横になったまま規則的な寝息を立てる秋雪に近づくと、小さな手を押し付けた。

 途端、秋雪は目を開けた。

「ゆゆ、大丈夫?」

「ひぃちゃん、あれ、私寝ちゃった?」

「一瞬で昏睡にして一瞬で覚醒か。さすがすげぇな。救急隊員さんよ、もう大丈夫みたいだぜ。ただ寝てただけみたいだからな」

「いやしかし、念のため検査しないと」

 人命第一を原則とする救急隊員の言葉をキョウは軽めに拒否する。


「平気だよ。あのチビ共の力はそこらの病院より信用できっから。小百合、どこか痛いところあるか?」

「……どこもないけど、と言うより何があったの? ここホテルの受付け……そっかバイキングに来てたんだっけ」

 強制的に昏睡したから神隠しに関することを忘れてしまったようだ。もしくは【陣】によって忘れてしまったか。


「月宮、あたしらを巻き込んだ落とし前、きっちり払ってもらうから。バイキングの半額じゃ許さないわよ」

「殴った上にさらに要求すんの!?」

「当たり前よ。チビ神が顕現してからあたしら碌なこと無いんだから」

「恨まれるのは筋違いじゃがその話はあとだ」

「なに、なに?」

「おーおー血気盛んだねぇ。嫌いじゃねーぜそういうの」

「貫之、早く追え。空に飛ばれると手出しできんぞ」


 このホテルは二階から上に出入り口は無い。上にあがると言うことは空に逃げる算段があるのだろう。理論上、【陣】を使えば空を飛ぶことは出来るかもしれないが、なぜか空を飛ぶには【陣】そのものの力が及ばない気がしてならない。

「飛べばいいじゃない。あんたらの力なら出来るでしょ」

「いや出来んよ。万能と言われようと出来ないことは多々ある。例えばくっ付けることは出来るが生やすことは出来ない。妾らの力は広く浅いんじゃ」


 確かに『身体能力を何倍にもする』や『どんな重態でも治る』に比べ、『自由自在に飛ぶ』はぶっとんだ印象がある。元々【陣】は特殊な使い方をする日記から出来たものだからあまりにもすっ飛んだ事象は出来ないのかもしれない。けれど理論上できるはずだから考え次第か。

「フミ、いいの? 喋りたがらなかったのにぺらぺら喋って」

「ひぃ子達なら、いい。それよりも神隠しだ」

 貫之もおそらく古川たちなら【陣】について聞かれれば話した。巻き込んでしまった罪悪感もあるし、万年筆に脈が起きた日に古川は言いふらさなかった信用もあった。

 その逆に記憶を消してしまうことも出来るが、それは最悪の手段だ。


 古川たちから一連のことを忘れさせるのは簡単だ。しかしそれは貫之が佐一に対してし続けた逃げよりも遥かに悪質だろう。

 佐一を反面教師にするからこそ、貫之と考えを似通わせる月筆乃命は先に言ったのだ。

「追うのはいいけど、どこの階に逃げたのか分からないと追いようもないぞ?」


 貫之は【眼】を手に書き、眉間に押し付けて透視能力を眼に宿らせる。すると目の前にいる古川たちの下着が見え始め、さらに内側が見える前に上に向けた。

 天井が透けて配管が見え、コンクリートの内部にある鉄筋も通り越して二階が見えた。ただ、透視能力を加える際に視力倍増を忘れてしまい、数階分が見えるところで止まってしまった。


「透かして見ても無理だね。ホテル全体は見えないや」

「万能系のくせに使えないのね」

「万能系って言ってもアメーバみたいに得手不得手があるんだよ。その代わりに治癒系じゃ骨折なら一瞬で治るくらい特化してるし」

「それじゃ病院要らずだね。どこまでの病気なら治るんだろ。癌とかエイズとかも治るのかな」

「そんなのがすぐに治ったら世界中から人来るわよ」

 さすがに貫之も分からず月筆乃命を見る。


「……治るぞ。治すことに関しては死以外ならまず治せるとみていい。腕が千切れてもくっ付くし、狂犬病や余命一ヶ月の病でも治るはずじゃ」

 はずと付けるのは顕現してから一度も試していないから。知識としては可能と分かっても実証がないからそういわざるを得ないのだ。

「信じる信じないは任せる。さて、どうするか。屋上は安直過ぎるな。しかし面白さを求めて自分を追い詰めるあやつでも、奪ってきた依り代の大半が無くなれば安全な策に出るだろうし」

「……あの神隠しの考えが分かればいいんだな?」

 そう呟いたのはキョウである。


「ちょ、キョウ! あんた」

「こいつらだって見せて話したし、別に話して損することじゃないだろ」

「やはりキョウはひぃ子の神か」

「ああ。俺はインスタントカメラの神霊だ。神通力は写真にした瞬間の人物に成るんだ。記憶や性格もそのままにな」

「成る……成り切るんじゃなくて?」

「さすが理解が早いな。緋夜はすぐに気づかなかったのに。そう、例えば緋夜が神隠しに成るとそのまま神隠しとして襲ってくるぜ。成ってる間緋夜の人格は一切ないからな」

「それで神隠しの考えを聞けと言うわけか」


 ならなぜキョウは姿を変えても人格はそのままなのか気になるが、神特権だったりするしこれ以上時間は取れないから後だ。

「あたしは嫌よ。そりゃカメラは持ってきてるけど、なんで関係ないこっちが協力しないといけないのさ」

 月筆乃命の逆鱗に触れる前であれば同じことを言ったかもしれない。古川の拒否は正当なものだ。そもそも貫之とて被害者であって警察の真似事をすることはなかった。


「持ちつ持たれつって言葉があるだろ。積極的に人助けしろとはいわねーけどよ、向こうが出来なくてこっちが出来るなら手を貸してやるのが人じゃねーか? 神が全国で人に反逆した日本大災害後だってそうやって大復興したんだろ? いっそここで大恩を売っちまえば責任と合わせて万能系を使わせてもらえるかもしれないぜ?」

「そういう話はこちらに聞こえないところでやれ」

「ひぃちゃん、私はあまり何が起きてるのかよく分かってないけど、神隠しが逃げようとしてるんだよね? じゃあ捕まえないと、今度はキョウちゃんが捕まっちゃうよ」

「……あーもう! 分かったわよ。ほらこれ。あたしがあいつにケースで殴る前のだけど撮ったやつ!」


 古川は根負けし、ポケットからいくつか皺の入った画質が少し荒い写真を出した。そこには横顔であるが神隠し全身が写っている。言っていることが真実なら、この瞬間の神隠し本人に成れることになる。

「なんで写真撮ってるの? 関わりたくなかったんじゃ……」

「警察に提供しようと思ったのよ。報奨金とか出ると思って」

 それがボランティアであれば綺麗で済むのに勿体無い。

「さっきも言ったけど、してる間はあたしの人格はないからすぐに襲ってくるわよ。矛盾をなくすために依巫に成ると依り代はいつの間にかどこかに行ったって記憶は植えつけられるみたいだけど」

「心配ない。すぐに【陣】で従わせられる。危害も一切加えないしさせない」


 古川は深いため息を吐き、写真に写る神隠しに小指を除く四本の指を乗せ、時計回しに回した。その行為が成る所作なのだろう。瞬間的に古川の背格好は水晶玉を除いて神隠しとなる。

「おお、潜入には持って来いだが、思想も敵のままでは敵を増やすだけだな」

 背格好や声が当人になれる神通力はあるが、思考や記憶まで相手になるのは珍しい。だが主人格を失うのであれば単体では使いどころが難しく、しかし心理系と併用すれば情報の流出は莫大だ。スパイ活動としては安価にして絶大な力と言える。

 月筆乃命は古川が成った神隠しが動き始める前に脚に触れた。


「さて神隠し、貴様に聞きたいことがある。正直に答えろ」

「……なんだ」

 声も雰囲気も神隠しそのものだ。先のことを思い出し、安全と分かっていても不安が過ぎる。襲わないと職員が豪語する猛獣が鎖もつけずに目の前にいるような恐怖だ。

「貴様が此度の行動で窮地に陥ったらどう行動に移す? 前提として貴様が奪ってきた依り代が全て水晶玉から出たとしてだ。妾たちを狙うならその状況は考えているだろ」

「俺の依り代はどこかに行っちまっただろ」

「だから前提だ。応えろ」

「……だとするなら――」


 神隠しの答えは、秋雪はきょとんとしたが貫之と月筆乃命にとって驚愕であった。

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