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三日目 「防」

 そして迎えた放課後。


 ようやく長かった半日が終わった。

 昼休みに依り代に戻ってもらった詫びとして、図書室に向かって十五冊と文庫本を借りたのだが、その行く道中でも声かけは続いた。

 一体この日々がいつまで続くのだろう。人の噂も七十五日とあるように、一人歩きする噂も当事者が無反応であればそれくらいまでには納まる。しかし、顕現二日目にしてこの騒ぎだ。風化するまでに何もおきない確信は残念ながら持てない。

 では月筆乃命は邪魔かどうかと言われれば即答で邪魔じゃないと言える。今までの生活に大きすぎる変化を与えてくれたし、なにより佐一からの支配から解放されたのだ。この程度のことで邪魔と思うなら、貫之に依巫を名乗る資格はない。


「ひぃちゃん、帰ろー」

 太りに太った鞄を右肩に引っ掛け、席を離れたところで呼び声が聞こえた。

 入り口には制服姿に着替えた秋雪がいる。ひぃちゃんと言うところ古川を呼びに来たようだ。

 つい古川のほうに顔を向けると、まるで一日中運動したかのように疲労感をかもし出す古川は席を立っていた。


「なんか疲れてるね」

「もう朝のことばっかよ。知らないっての! 考えてもないのに勝手にそんな考えが浮かんで体が動いたんだから。何度も何度も何度も何度も聞いて、おまけにメールもそればっかだし」

「災難だねー。まさしく災難だねー」

「二回も言わないでよ」

「でもひぃちゃんも自業自得だよ。だめって言ったのに言うんだから」

「あのチビ神めぇ。今度土下座させてやるわ」

「その前にまた土下座させられそうだけど」


 つい古川の愚痴を返してしまった。ギロっと親の敵を見るかのように憤怒の顔を見せる。最早鬼女だ。


「月宮、あのチビ神は!?」

「依り代に戻ってるよ。あ、壊すとか言うなよ。重罪なんだからな」

「そんなことは分かってるわよ。一言文句言いたいのよ文句を!」

「……フミ、出る?」


 貫之は万年筆を入れた胸ポケットに声を掛けた。

 月筆乃命は姿を現さない。


「なんか嫌みたい」

 チッ、と対象者だけでなく周りすら不快にする舌打ちを堂々とする。

「あのにん――」

 古川はまた禁句を言いかけ、貫之と秋雪は同時に口を手でふさいだ。

「ひぃちゃんだからだめだってば!」

「僕としても連発は困る。本気であぶないから!」

 貫之にとっても古川にとっても、はたまた周囲にいる同級生を含め、その言葉をいま言うのは明らかに危険だ。

「もあー」

 口をふさがれても手は動く。それで貫之と秋雪を剥がそうとするが、何らかの拍子で息が合い、二人は古川を教室から出す事にした。


「いい加減離してよ!」

 給食のトレイを各階に移動するエレベーターホールまで移動したところで、古川の力が貫之たちの力を上回り、手を引き離して距離を取った。

「ほんっとに今日は厄日だわ! 月宮、この落とし前どうつけるのよ!」

「僕は何もしてないっての。秋雪の言うとおり災難なんだから割り切ったら? 僕だって今日一日勧誘攻めで参ってるし」

「んなの関係あるか。あたしなんか……あたしなんか、人前で土下座してんのよ!? 女が、人前で土下座! 分かるこの屈辱!」

 女の品格なんて犬に食わせたかのように荒っぽく叫ぶ。

「同情はするよ? でもフミに責任はないから泣き寝入りするしかないね」

「だからその依巫が責任取れ」


 今度は古川が貫之の胸倉を掴んだ。貫之より背が高く、怒りで力が増しているのかつま先立ちをさせられる。

「考えてみたら昨日のコンビニでもあんたらのせいで何も買ってなかったから何か奢れ」

 カツアゲ以外のなにものでもない。

「ひぃちゃん、確か神様が独断にしたからって依巫に責任は行かないって言うよ?」

 神が起こす事に責任がないのに依巫が負うことは、実質の責任が神にあると認めてしまうからだ。それでは法律違反になる。


 が、


「ここは裁判所じゃないし関係ないわ。んな憲法を出したって誰が守れって命令すんのよ」


 八百万の神が起こす天災の被害者やその遺族は大抵そう考える。神に対して裁判自体起こせず、その依巫に対して起こしても神単独であれば無罪になる。例えば依巫がいじめを受け、その神が独断で加害者を殺してしまっても依巫が神に頼まない限り天災の扱いになるのだ。例に挙げる四十三人の虐殺も神の独断だったためそれに当てはまる。

 逆に直接の指示でも示唆でも依巫が神の判断に大きく関与していれば依巫に全責任が来る。


 つまり、神単体の言動なら天災。依巫の言葉で動く神の言動は人災なので責任の動きが違う。

 ただし、民間レベルでそんな法律や裁判は知ったことではない。

 いくら個人が法律と言おうと、警察や裁判所が絡まなければただの言葉でしかない。だから政府としては天災として扱い、減災や防災になるよう努力義務を強いているが、親族に被害が及んで復讐する例は泣き寝入りと比べて少なくない。

 北海道に富士山級の神が顕現した際、何十万人もの人々を踏み潰し、ロシアにまで揺れを伝えた神の依巫は、初めての顕現であったがために故意とは言えず罪にはならなかった。が、その後の遺族や民衆の視線、尋常ではない罪悪感に耐えかねて自殺してしまった悲しき結末がある。

 今、貫之が巻き込まれているのはまさにそれだった。


「……なら聞くけど、朝のことで責任ってあるの?」

 古川の迫力は凄まじいが、年がら年中佐一に蝕まれた貫之からにすればまだ冷静でいられた。その冷静さで反論を考えて返すと、何を言っているんだと言わんばかりに古川は絶句する。

「だって騒動の最初は秋雪が口を滑らせたからで、秋雪はちゃんと謝った。フミも許して落ち着いたのに古川が突っかかって禁句を言って土下座だよ? 僕らに責任なんてないだろ」


 古川は謝らせた責任を取れと言うが、それでは古川は何も悪くないことになる。月筆乃命にとって恐らく最大級であろう侮辱を言ったのだから土下座をさせても謝らせたいはずだ。強制的とはいえ落とし前はつけたのだから責任なんて現時点ではどこにもないことになる。

「確かにそうだよね。別にフミちゃんは気に食わないから土下座させたわけじゃないし」

 貫之が紡いだ正論を秋雪が賛同してくれた。これで二対一だ。

「ゆゆ、あんたもこいつの肩を持つわけ!?」

「ツッキーやフミちゃんが一方的に悪くないからだよ。だから朝謝ったのに、ひぃちゃんが勘違いして怒っちゃって面倒になったんだから。反省しなきゃね」


 まるで母親か姉が叱るような口調だった。てっきり強く反論するかと思えば唇をぎゅっと結んだまま聞いている。

 ひょっとして古川は秋雪に頭が上がらないのだろうか。

「私のために怒ってくれるのは嬉しいけど、間違った怒り方は嬉しくないよ。前だって同じようなことして校長室に呼ばれたじゃない」

「だってゆゆがおじさんに相談されてると思って」

「うんしてたね。道聞いてた。出張でこの街に来て、方向がわからなくなって聞いてきた普通の会社員だったね」

「……どういうこと?」


 話が通じず、貫之は小声で秋雪に解説を求める。

「道を聞かれたのを援助交際の相談とひぃちゃんが勘違いして蹴っ飛ばしちゃったの。で、翌日校長室に呼ばれて一週間トイレ掃除されたってわけ。去年のことだけど知らない?」

「あー、そう言えばあったね。あれ古川だったんだ」

「だーかーらーなんで話しちゃうのぉ!?」

「いくらなんでも昼間の住宅地で中二にそんなことする人はいないよ」

 古川の涙の訴えにも秋雪は動じずに一般論を返す。

「それにあと半年で卒業して高校生だよ? もう大丈夫だからそんな心配しなくていいよ」


 二人の間で何かがあるのは秋雪の言葉で垣間見えた。でもそのことを貫之に聞く権利はなく黙っておくことにした。

 結局古川の要求する奢りは、身勝手なもので秋雪も否定に回ったため却下されたのだった。よって憎悪の熱は余計に過熱する結果になったが、親友がゆえに物怖じをしない秋雪に引っ張られていって強制解散となった。

 古川に根付いた恨みの樹木は中々折れそうにないほど大きく育ってしまった。切り倒せればいいのだが、貫之にその術はあっても使い方を知らないし、それでは真の解決には結びつかない上に月筆乃命はきっと怒るだろう。

 学校を出た貫之は腕を組みながら一人帰路に付いた。


「古川にはまったく困ったものだな」

 学校を出て数分、人気が少し減ったところで左肩に重みが加わり、耳元で男勝りにして澄んだ声が囁いた。

「今出るの?」

「あの場で出ても火に油を注ぐだけだからな。妾とて空気くらい読むよ」

 自由奔放を保障されても無駄な問題を作るのは非効率だ。てっきり気にしないかと思ったが読み違えた。


「……古川のあの反応って、秋雪のことが大事だからだよな」

「それで間違いなかろう。親友よりは家族のそれの匂いがしたから赤ん坊から共に遊んだのではないか?」

 納得できる見解だ。そこまで深い関係なら古川の反応は理解できる。

「これじゃますます秋雪と仲良くなると古川まで付いてくるけど……」

「贅沢な不満だな。女子二人といっぺんに知り合えたのになぜ弱腰になる。日本男子なら堂々と向かえ。軟派ではなく硬派であってこそ男じゃ」

「言うは易し行うは難しってことわざがあるよね?」


「知らん」


「僕の空気は読まないのね」

「それよりも、間違っても神通力を使って古川の機嫌を直すなよ。それをやろうとすれば十年は軽蔑するからな」

 読まれている。考える前に否定しておいてよかった。

「いやいや、そこは協力してよ。火に油を注いでるのは僕じゃなくてフミなんだから、僕にまで責任なんてないとか言わないでよね」

「……妾が同席した状態でまともな会話が出来ると思うか?」

「フミが女の子らしい話をすればいけるんじゃない?」

「性格の相性の問題だ。犬猿の仲と言うもので、時と場合しか意見は一致せんよ。だからがんばれ」

「嬉しい悲鳴だよ。まったく」


 そう貫之は悪態をつき、月筆乃命はケタケタと笑う。

「ちなみにフミからして古川のことどう思ってるの?」

「いい奴とは思うよ。友を大事にする輩は心底悪者ではないからな。見た目はアレじゃが」

「認めて話が合わないって……」

「対人関係とはそういうものよ」

 精神面で同い年。肉体面では二日目なのに年長者の言葉であった。

「大層な人生経験をお持ちで」

「そう皮肉るな。経験に基づいての言葉ではないが間違ってはおらんよ。多分」

 だったら多分をつけないで欲しい。多分をつけるだけでどんな格言も瞬く間に翳る。


「……あのさ、その犬猿の仲がもし依巫と神に当てはまったらどうなるのかな」

 対人関係はそのまま依巫と神の関係にもつながれる。情が顕現への重要な要素であるが、その情が常に正の方向とは限らない。負の情によって顕現しまうと、貫之と月筆乃命とは正反対の、まさに犬猿の仲にもなりかねなかった。

「おそらく顕現をしないか、それとも会話を一切しないかであろうな。前提として妾が貴様のことが嫌いであれば、依り代を持って単独行動を取ると思う」


 言って月筆乃命は鼻で笑い、そんなことはありえないだろうがなと正の情を根拠にする断言をしてくれた。

 これは信用よりは依巫の全てを知ったからこそだ。親に話せない、本人の胸の中で隠さなければならない秘密すら神は知ることが多い。人は弱みを知られると文字通り弱ってしまう。しかしその弱みを受け入れてくれたとき、相手との繋がりは強固になる。

 神は依巫を脅す理由が少ない。ゆえに脅す気持ちすら抱かず、受け入れるような心境を持ち、依巫も神に対して秘密は持たなくなり本音で話す。

 月筆乃命は力こそ例外だがその性格は典型的な八百万の神と言えた。

 あと半年で大きく切り替わる通学路を歩いていくと左手に林が見えてくる。


 草間市のど真ん中に設置された県立の自然公園の雑木林だ。草間市の約四分の一の面積を使って置かれているこの公園は天災時の避難場所として使われ、普段はジョギングや子供たちの遊び場、各種イベントの中心地として使われる。

 貫之の家から学校は、直線距離で自然公園の角をかすめている。よって普段の登下校でも百メートル弱だが公園を横切っていた。

 今日も普段通りに公園の入り口ではなく境界の石垣を登り、正規の道ではないところから公園へと入る。現在位置は公園の角っこなので、角の内側を横断することで数分短縮できるわけだ。


 他の人たちも利用して出来た獣道を通って公園内の道へと出る。

 道を出た直後、右側から軽自動車以上の大きさのイノシシが歩いているのを見つける。車を軽々と貫けるほどの牙を三本有し、その目は野性よりは知的な印象を持つ。

 地球上にそこまで大きいイノシシは存在しない。つまり神だ。


「わるいなボウヤ」

 喋ったのは依巫ではなくイノシシの神である。その背中にはお婆さんが座っていて、貫之に向けて軽く会釈するとその神は避けてのそのそと歩いていった。

「大きい神様」

「神の大きさは様々だからの。しかし公園ならまだしも街中では顕現は難しいな」


 日本は神が実在し、見える神も二千万を越えるとされても出会える神は多くない。

 月筆乃命のように常時顕現する神より、圧倒的に身内にしか見せない神の方が多いのだ。そのため一日に見える神は五柱といるかどうかで、ゆえに日常生活に於いて支障が出にくい要因でもある。

 あのイノシシの神も、良識を持っていれば公園を出れば顕現をやめるだろう。


「良かったな。肩に乗れるくらいの小さな体で」

「そうだね。富士山級じゃなくてよかったよ」

 話をする度に大災害が起きたのでは殺されても文句は言えない。

「あ、おいと待ち」

 公園の道を横切り、再び茂みに入って公園から出ようとしたところで耳を引っ張られた。


「耳を手綱代わりにするのはやめろ。しかも左ばっか」

「ならこめかみの髪の毛を引っ張るか?」

「じゃなくて声だけでいいっての。それでなに?」

「このまま帰ってもつまらん。少し公園の中を歩いておくれ」

「いいけど、長くはヤダよ。勉強しないといけないから」

「学年八位のくせに何を言う。毎晩勉強しているではないか」

「それでもって志望校が落とした人が家族にいるから油断できないんだよ」

「一時間くらい息抜きしても合格は逃げんよ」

「……分かった。じゃあちょこっとだけね」


 県立自然公園は数十万人の避難場所として設計されているので広い。その直径は四キロで、ジョギングコースでも県内では有名で休日には外郭を走る人は多い。年に一度だけマラソン大会も開かれ、貫之も参加して完走賞は何枚か貰っている。

 公園は上空から見ると十字に区切られ、各区画でそれぞれテーマがある。北区画は凹凸のない原っぱ。東区画ではスポーツで各競技場。西区画はアスレチック広場。南区画は大きな池だ。

 いま貫之がいるのは南区画で、中央に向け歩き出すとすぐ左手には緑色に濁った池が見えてくる。水面には鴨が泳ぎ、ボートが何艘も浮かんで親子やカップルが漕いでいる。この池は釣りが容認されているので特定の場所と限定されているが釣りをする人もいた。

 それだけなら穏やかな池の風景だが、珍しく連続で別の神を見ることが出来た。

 巨大なイノシシの神の次に見えたのは白く輝く白鳥だ。電球に等しいくらいの光量で水面に浮かぶ白鳥から放たれている。

 原則的に大自然の神々は、大きさの違いはあれど人の姿をしているので、動物の姿をした神は道具の神霊となる。近くに依巫がいるのだろう。


「人の姿をした神はいないのかの」

 人の姿の神は当然ながら『人外』の型に当てはまらず、体格は人間と大差がない。月筆乃命の場合はあまりにも人外なので『妖怪』となるわけだ。だからもしかしたらすれ違っていて気づいていないのかもしれない。

「さすがに人はね」

 池のすぐ横を通る道を歩いて十数分歩くと、公園を十字に割る交差点広場へと差し掛かった。

 そこは円形の小さな広場で、アスファルトによって補強されて露店が開いている。見えたのはワゴンで経営する女子供に人気のあるクレープ屋だ。

「…………」

 そのクレープ屋を月筆乃命はジッと見る。


「一つなら買えるけど?」

「いや、食べたい気持ちはあるがまずは肉まんが先よ」

「肉まんにどんだけこだわりがあるのさ」

「そうではない。自分が決めた順番を変えるのが嫌なだけじゃ」


 堅物で律儀な神だ。端的に言えば頑固者。

 家から離れないように公園を探索するなら西側のアスレチック広場を通る方がいい。それに遊具が乱立する場所を通る方が面白みはあるだろう。

 そう思いながらアスレチック広場と看板がある道に行こうとしたとき、クレープ屋から両手いっぱいのクレープを持つ一人の女性が南区画に向けて歩き出した。

 その人を見た瞬間、貫之は立ち止まった。

 月筆乃命も気づいて「あ」と呟く。


「いひひ、いつもこき使ってるからな。これくらい買い食いしても文句は言わねーだろ」

 つい十数分前に強制的に別れたはずの古川が、だぼだぼのトレーナーにジーンズとあまりに似合っていない格好でいたのだ。

「……古川……だよな?」

「見間違う……ことはないが、どこか違う気がするの」


 休日にレンタルショップや本屋に出かける際、上下スウェットで出歩く女性を見かけることはよくある。遠出をせず近所だから着替えるのが面倒で室内着のまま出る感じだ。しかし目の前にいる古川は、わざわざ着替えておきながら身近にあったものを着たような印象を受ける。

 着替えるのなら顔に見合う服装をするはずだと、勝手ながらそう認識しているので違和感が強くあった。


「双子なのかな」

「にしてはゆゆはそのことを連想させることを何一つ言っておらんな」

 他人の空似にしては似すぎている。それこそ当人を思うほどに。

「おーい、古川―」

 どうするか選択肢を考えるよりも早く、月筆乃命は大声で叫んだ。

 その声に、当該人ではない人も反応する。

「……あん? ひょっとして俺のことか?」

 女にして一人称が俺に、さらに古川緋夜ではない考えが強まる。

 両手で五つものクレープを持ち、すでに二つに噛み痕がある女子は貫之に近づいてきた。

「あんたら誰?」


 古川ではないのが確定する。貫之たちを見ても心底嫌悪するよりは知らない人への怪訝な表情だ。間違いなく目の前にいる人は貫之を知らない。

「すまんな。知り合いと非常に似ていてつい声を掛けてしまった。突然ですまんが、姓は古川か? あ、我が依巫は月宮で、妾はフミじゃ」

 名前を聞くならまずは自分からを忘れなかった月筆乃命は貫之の姓を名乗って聞いた。

「あ、ああ。古川で間違いないぜ。名前はキョウだ」

 肯定したことで貫之の中で小さな衝撃が走る。少なくとも今通う学校で双子がいるなんて聞いたことがないし、もし双子なんていれば一度でも話題になるからだ。

 同じ顔と姓でありながら家族がまったく違うとは考えにくい。いや、養子とかひねり出そうとすればありえるが、赤ん坊の頃からいる秋雪が示唆していない以上別人と考えるべきか。

 色々と考えるうちに頭がこんがらがってきた。

 古川に似たキョウはクレープを二つ、大口で平らげた。品性は女と言うよりは男だ。


「で、あんたらは緋夜のなに?」

「知り合いじゃ」

「ふーん。ってことは俺とも知り合いとなっても問題ないわけか。ナンパってわけでもなさそうだし、話があるなら付き合うぜ」

 ん、と今日はまだ食べていないクレープを二つ突き出した。

「ここのクレープはうめぇんだ。でもさすがに五個は多いから貰ってくれ」

「あ、じゃあお金を……」

「金なんかいらねーよ。俺の金で買ったわけじゃねーし」

 突き出すクレープを、貫之は申し訳なさそうに受け取った。生身は生クリームにチョコレート、イチゴにバナナが挟み込まれる定番のものだった。


「ありがとう。ありがたくいただくとするよ」

 月筆乃命が礼を言うと、キョウは親指を立ててウインクを決めた。

「でもいいわけ? 肉まんを先にと言ってたけど」

「人の善意を受け取らずに自分の意地を通して良いことなどない」

「うわ屁理屈」

「何とでも言え。ほれ、寄こせ」

 開き直ったように月筆乃命は手を伸ばし、貫之は左肩に手を挙げた。

「……うまい!」


 物として生まれ、得た魂と持った肉体が初めて感じる味覚の感想はその一言だった。

 明らかに大豆一粒入ればパンパンになる胃袋のはずなのに、その数十倍はあろうクレープを小さな口でどんどん食べていく。感想はその一言だけでクレープを食べきってしまった。

「この分では肉まんもさぞ妾を喜ばせそうだな!」

 口にクリームをつけ、満面の笑みで叫ぶ。

「でもほどほどにね。お金ないんだから」

 ポケットからティッシュを取り出して月筆乃命の口についたクリームをふき取る。


「分かっておるよ。一通り味見をすれば落ち着こうて」

 その一通りが百種類を越えないことを祈る。きっと資金面は佐一から得る三十万に頼むのだろう。で、断ると功績云々を出して支払わせるに違いない。

「はは、そこまで喜ばれちゃあやっただけのことはあるな。もう一つ食うか?」

「ありがたいが、さすがに腹が一杯よ」

「その体で一つ全部食べるのでもすごいけど」

 貫之のツッコミにキョウは「違いない」と笑うが月筆乃命は無視をした。


「フミ、無視しないでよ」

「違う。下を見ろ」

 下の言葉で貫之とキョウは足元を見た。

「……水?」

 足元に水溜りではない流れる水があった。その水が貫之の靴に当たり、二人の足元を通り過ぎていく。同じ広場にいる人たちにも異変に気づいて同じ方向を見る。

 貫之たちも流れ出てくる南区画の池を見た。

「もしかして、池の水が涌き出てる?」


 そんなはずはない。公園の池は人工のため池で自然の川と連動していないのだ。それにここ最近雨も降っていないから氾濫なんてありえない。

 池から流れ出てくる水の量は秒ごとに増大し、靴の中に染み込むほど水深が出来た。明らかに自然なものではない。

「なんかヤな予感がすんな。神通力か?」

 それは、大噴火を見るような光景だった。

 即ち、大質量の水が上から下ではなく、下から上へと噴出したのだ。その高さは目算で軽く五十メートルを越え、噴出速度が重力に負けて四方八方に倒れ始める。

 池と貫之たちの間には僅かばかりの雑木林があるが、水をせき止めるなんて不可能で、それどころかなぎ倒す始末だ。そして五メートルから十メートルはあろう津波級の水が目前まで迫って来る。

 あまりにも一瞬の出来ことに、貫之の脳裏に逃げるを含む対処全般の考えが出ない。ただ、目の前で起こる事象を見るだけであった。


「左肩を前に出して踏ん張れ!」

 左肩から月筆乃命が叫ぶ。踏ん張れと言う程度で済む水量ではないのは明白だ。

 それでも思考が停止した貫之はただただその言葉に従い、左足を前、右足を後ろにして左肩を出す形で踏ん張った。

 同時に大量の水が貫之とキョウに押し寄せる。

 しかし、水しぶきは掛かっても、大量の水が華奢な体を押し流すことはなかった。

「……?」

「わお、すっげー、ギリシャの神みたいに海を割ってるな!」


 貫之の背丈の何倍もある水の壁が、わずか数十センチのところで割れているのだ。その角度は鈍角で九十度近くはあるだろう。そんなモーセのような神業を成しているのは、細い腕を伸ばす万年筆の神霊である。

 力技で割っているような印象はない。鉛筆より少し太いくらいしかない白い腕は、静止したまま巨大な圧力に押されずに割っていた。いや、割るより割れていると表現するべきだろう。

 治癒に心理に物理への干渉。数多ある神通力の中で人々が最も欲しい二種類を有し、さらに他のも有すとなると一般例にはまったく当てはまらない。唯一当てはまる系統はあるが、それは伝説級に希少であるため戦慄してしまった。

 池の津波は二十秒ほど続いたところで落ち着きを見せ始めた。流れはそのままに高さが下がりだしたのだ。高さの低下は加速度的に速く、神通力によって起きた事象であって自然ではないからだろう。下がりだして数秒もすると一メートルを残して流れすぎるように水は通り過ぎていった。

 波打ち際のような水の音を四方から聞きながら、濡れた路面、なぎ倒された木、横転したクレープ屋のワゴン車を見つめる。


「……ぁ、き……キョウさん、大丈夫ですか!?」

 ハッと今さっき知り合った人を思い出して振り返った。

 古川にそっくりのキョウは、位置が少し悪かったのか服をずぶ濡れにし、コケか緑色に着色しながらも流されずには済んでいた。濡れたことでトレーナーが体に張り付いて体格がはっきり見えたりして視線を逸らす。意外と大きい。

「うへ、コケくさっ。一体何なんだ。神通力テロか?」

「暴発か、それとも悪意か。なんにせよ迷惑以外にないな」


 人の心配に底の見えない自分の神の力、さらに事故か故意の津波と並列で考えないとならないことが多く、初の事に言葉が浮かばない。

 なのに月筆乃命とキョウは焦りの色を浮かべずに状況分析をする。

「とりあえず警察に通報しとけ。携帯電話は濡れてなかろう?」

 あれだけの水柱は大勢が目撃して通報しているはずだ。それでも貫之もなにかせねばと、無事だった携帯電話を取り出す。

「……警察ですか? 自然公園のため池が、神通力と思うんですけど噴出しました。周囲の木や人が流されて大変なことになってます。すみません、しょ、消防署に連絡……お願いします」

 だんだんと口ごもるのは寸前の畏怖が蘇ってきたからだ。受話器の先で担当官が「すぐに人を向かわせます」と返事が来て通話を切る。

「それで、僕たちは何をしたら……人助け?」

「いや、人助けをする余裕はなさそうだぞ」


 一体何のこと、と聞き返すよりも早く、視界に濡れていない人がいるのに気づいた。

 その人はチェック柄で裾が膝まであるスーパーテールシャツを着た二十代の男だ。

 月筆乃命は道中を歩いても恐らく気づかないであろう人を注意深く凝視する。

 その空気に貫之も当てられ、その空気が出す答えを呟いた。

「あいつが池の水を?」

「濡れずに広場にいるのが証拠であろう。妾のように水を割ったのなら分かるが、路面が濡れているからそれは違う」

 池の方向から見た貫之の背後は、水を割ったことでその延長線上にある木々と人を含め守られている。しかし男の真下にある路面はコケによって緑色に染まっていた。

 濡れた直後に立ったと言うことは、高確率で犯人だ。


「さて、警察が来るまでどうするかな。見逃してもらえれば幸いだが」

「放っておくのか? 犯人が目の前にいるのによ」

「こちらに実害がなければ誰がどうなろうと知ったことではない」

 月筆乃命の優先順位が絶対的に貫之なのがよく分かる。

 神の性格も人それぞれで十人十色。全般的な正義感を持てば悪も持ち、限定的な正義感を持つ神もいる。月筆乃命が限定的な考えをしても責めるのは筋違いだ。神は常に正のほうにあるわけではない。


「へぇ、あの水に耐えるんだ。思ったより力強いんだな」

 男の声はまっすぐ貫之たちに向けられる。

 年齢からして成人になって少しだろうか。右耳にはピアスをし、首には金のチェーンのネックレスをしている男は、狙いましたと主張してさらに紡ぐ。

「さっすがレア中のレアってところか。その依り代の万年筆は」

 池の噴出も衝撃的だったが今の言葉はより衝撃的だった。心臓が一際大きく鼓動し、全身が硬直する。

 なぜ、初対面の男が依り代を知っている。しかも依り代だけではなくその力の内容についてもだ。いくら学校内の噂が外に広まったとしても、そもそも知られているのは心理系のみ。物理現象にまで作用するなんて持ち主がいま知ったことなのになぜ知り得ている。


「貴様、まさかと思うが神隠しか?」


 月筆乃命の言葉に貫之は気づく。最後に神隠しが現れたのは隣町で長距離移動の神通力は失われた。

 それ以前に、どうして神隠しは神を隠すことが出来るのか。人を見ただけで依巫かどうか分からないし、道具を見ただけで依り代かどうかも分からない。

 つまり分かるのだ。神隠しは誰が依巫で何が依り代で、どんな力を持っているのか。そして神を黙らせ収集し、利用する力も持っている。

 シチコを知って支配する力を神隠しは持っているから、神が人を隠す本来の意味ではなく人が神を隠す意味として『神隠し』の名を広めさせた。

 神隠しの言葉から貫之のシチコを狙っているのは明々白々だ。


「さてな。俺はそんな名前名乗った覚えねーな」

「当人であることは認めるわけか。して、妾が欲しいと?」

「一つの依り代で万の力を使うなんて子供にはもったいないし使いこなせないだろ。力に振り回されるんなら大人が使ってやる方が利口的ってもんだ」

「…………」

「何も言い返さないのかよ」

「子供のたわごとに付き合う気なんざさらさらないからな」


 くだらな過ぎる理屈を述べた時点で、会話をするだけ無駄と月筆乃命は判断したらしい。意識こそ向けても口を開く気持ちは失せたようだ。

「いや、一つ前もって言っておくか。もし妾を狙うなら、こちらとしても容赦はせんぞ。体を得て二日目。たった二日で自由を放棄するつもりはない」

 言い切ったところで左肩が軽くなった。月筆乃命が跳び下り、草履もはかない足袋のまま濡れた地面に着地したのだ。綺麗な袴がはねた水で汚れる。


「貫之、貴様は依り代を大事に持っておれ。力のイロハにまだ気づかんお前が動いたところで邪魔になるだけだ」

「邪魔って、まさか……戦う気?」

 そんな小さい体で、とは言えなかった。

「向こうがくればな。出来れば貴様がある程度気づいた方が良かったが、まあ致し方ない」

「なんかトンデモねーことになってんな」

 緊迫な中でもまだ揺るがずキョウは度胸が据わったことを言う。

「キョウさん、逃げたほうがいいと思いますけど」

「まあ成り行き? あと俺の心配よりは自分の心配をした方がいいぜ。狙われてるの俺じゃなくてお前のシチコだし」


 言いつつキョウは一歩も動こうとしない。いくら狙われないとしても流れ弾を受けない道理ではないはずなのだが。

 動きが突然起こり、意識を前へと向ける。

 神隠しが右手を伸ばしたのだ。しかし化け物みたいに腕が長く伸びることはなく、その手には手を最大限に広げようと半分もつかめない透明な水晶球があるだけだった。

 目を凝らして見ると、その水晶球の中央で小刻みに変わる何かが見える。

 何かは遠すぎて見えないが、おそらく物がルーレットのように現れてはほかの道具に入れ替わっているのだろう。間違いなく被害にあった依り代たちだ。


 だから八十七ものシチコを奪っておきながら軽装でいられるのだ。収納数は分からないが、それだけ奪えれば百は余裕かもしれない。

 入れ替わりで出現する依り代の中で一つ、革手袋が出たところで止まって水晶の外に出た。

「フミ……」

「心配するな。貴様と依り代さえ無事ならばどうとでもな――」

 言い終わる寸前、月筆乃命の体が消えた。いや、飛んだのだ。まるで不意打ちで引っ張られるように、まっすぐ左手を伸ばす神隠しのほうへと。

「フミ!」


 あの革手袋は掴んだ物を離さないでも手を守るものでもない。任意の対象物を引き寄せるものだ。道具からみてありえない内容でも、ありえるのが神通力の成せる技でもある。

 引き寄せられ宙を移動する月筆乃命は、そのまま神隠しに捕まられると思ったところでさらなる異変が起こる。

 ただでさえ小さい月筆乃命が離れたことで、さらに小さく見えるはずの体が反比例するかのように大きくなりだしたのだ。瞬く間に貫之を越える大きさへと変わり、大きくなったことによって両足が地面に着いた。瞬間、神隠しに向かう速さが倍増した。

 月筆乃命が自ら地面を蹴ったのだ。その証拠に地面の水が放射状に跳ね上がる。

 何を持って驚いたのか、驚きを見せる神隠しに向けて月筆乃命は速さの乗った右拳を放った。


 拳は神隠しの胸を襲う。人体同士が接触する音が十メートルと離れているはずなのに聞こえ、さらに月筆乃命の左手が素早く動く。左手が目指す先は、神隠しの右手の水晶玉。

 しかし水晶玉に触れる月筆乃命の手は神隠しの上げた足に阻まれ、今度は引き寄せの反対であろう斥力を行って距離を取る。

 弾き飛ばされた月筆乃命は足袋のまま地をすべり、神隠しは背中から倒れた。

 引き寄せられてから今に至るまで、二秒かかったかどうかだった。

 貫之は何一つ言葉を言えず、ただ目の前に光景を見るしか出来ない。


「おーすっげーすっげー。あのカミサマ、体の大きさ変えられるのか」

 今まで得た情報から推察すると有り得ることだ。ほんの数秒前のことを思い返すと、月筆乃命は右手で自分の体を叩いていたように見えた。それによって体が大きくなったなら、神通力によって強制的に体を変えたことになる。

「ぶっつけ本番だったが、まあうまくいったな」


 状況も状況の上に月筆乃命の図太さもあってもう戦慄しっぱなしだ。何が普通でなにが驚愕なのか境界が分からなくなる。

 足が震え、少しでも気が緩めば尻餅をついてしまうのを懸命に堪えるが長続きしそうにない。

 そして貫之にとって恐怖の塊である佐一があまりにも稚拙で笑えて来た。

 そんな事実を噛み締めていると、貫之より背が高くなったフミが後ろ向きのまま跳んで近くまで戻ってきた。

 せっかく純白で綺麗だった足袋は緑や茶に汚れ、袴の裾も汚れてしまっている。

 依り代に戻れば顕現時に負った怪我を含め元に戻るらしいが、戻るからと言って怪我や汚れをしてもいいとは言わない。


「フミ……」

「話はあとにしてくれ。まずは警察が来るまで守らねばならん」

 守るとは依り代か貫之か、この場合は両方だろう。どちらを失っても終わるのは変わらない。

 貫之は月筆乃命から神隠しへと視線を変えると、すでに起き上がっていて新たな動きを見せていた。それは自動換装機能でも付いているのか、革手袋ごと水晶玉に入れて引き抜くと素手の状態となっていたのだった。

 そして水晶玉の中の道具が入れ替わり始め、ある道具で止まる。


 それは夏祭りで必ず見る玩具であった。多彩な色で子供たちを魅了し、決して危険ではない水の打ち合いで楽しむ水鉄砲。それも半透明の拳銃ではなく、両手で持つバズーカタイプだ。

 明らかに水晶玉の直径より大きいが、複数の物を入れられるだけあって大きさは関係ないらしい。そもそも固体である水晶玉に〝入れる〟のだから直径の考えが浅い。

 水鉄砲を抜き取った水晶玉は腰へと隠し、両手で抱えると左手でポンプを引いた。


「キョウ、出会い頭で悪いが貫之のことを頼めるか?」

「ん? いいぜ。つっても盾になるのはごめんだがな」

 言いながらキョウは手を伸ばして貫之の肩を掴んだ。それと同時に月筆乃命は地を蹴る。

 神隠しも動いて銃口を月筆乃命――ではなく貫之へと向けた。

「えっ……?」

 兵法として神を無視して依巫を狙うのは常識だ。顕現する神はあくまで神格化した依り代から溢れる神通力を基にして形作っているだけで、どれだけ傷つこうと依り代へ還元されない。つまり神をどれだけ瀕死にしようと、依り代に戻るとゲームの最強回復薬のように瞬時に全快に出来るから終わりがないのだ。

 しかし依巫は生身の人間だ。傷つけば障害がたちまち発生するし、依巫と神の命は直結しているから脅しにもなる。良心を持たなければ狙わない道理がなかった。


「あらよっと」

 キョウが貫之の左肩を引いた。直後、寸前まであった左胸辺りを何かが横切っていった。横切ったのは分かってもその何かは分からず、分かったのは横切った先で起きた音を聞いた後だった。

 池の津波に耐えていた木が一本、へし折られず綺麗な断面を作って倒れていていた。おそらくウォーターカッターを撃ち出すのが神通力なのだろう。見た目とは裏腹に立派な兵器だ。

 あんな物を生身で受ければ即死してしまう。

「あいつ、神通力が欲しいのに殺してどうする気だ?」

 神を狙わずに依巫を殺せば二つの兵力を一気に奪えて有力だが、依り代を奪おうとするのに殺せば本末転倒だ。


 悠長にキョウが言っている間に月筆乃命はもう神隠しとの距離をほとんどなくしていた。

 第二射はないまま、月筆乃命が神隠しに跳ぶ。今は水晶を持っていないから他人から奪った力を使うことは出来ないはずだ。

 そんな貫之の考えを覆すように、神隠しはまた予想外の動きを見せた。

 両手に持っていた水鉄砲を月筆乃命に向かって投げたのだ。常識を持ってすれば絶対にしない行為に、月筆乃命が硬直するのが後姿からでも分かる。

「依り代に戻れ!」

 そのあり得ない神隠しの行動と月筆乃命の切り替えできない動作を鑑みて、もっとも適した指示を貫之はひねり出して叫んだ。

 拳が水鉄砲に当たる寸前に月筆乃命の姿が消え、同時に貫之の肩に二点の重みが加わる。即ち一度万年筆へと戻って本来の小さな体の状態で再顕現をしたのだ。盾として放られた水鉄砲は地面に落ちるだけで文字通り神の一撃を受けずに済む。


「すまん、助かった」

 どうやら月筆乃命の中で依り代に戻る考えは一切なかったようで、指示を飛ばさなければ一つのシチコを消していたところだった。

「あいつ、依り代を投げたぞ!?」

 月筆乃命と貫之は神隠しを見る。神隠しは投げた依り代を拾おうともせず、腰に手を回して水晶玉か新たな依り代を引き出そうとしていた。あいつにとって、奪った依り代は常識を逸した力を出すだけの道具に過ぎないのだ。壊れたら補充する。それだけの物。だから盾として放り、隙を作るため拾おうともしない。


 依巫の風上には絶対に置けない、いや、人としても最低な男だ。


 あの男がいるがために八十人以上の人が泣いている。あの水鉄砲の依り代だって、最初は縁日や店で買われ、大事に大事に遊んで保管して、魂を抱いて体を持って神は顕現を果たした。

 依巫となった持ち主もさぞ喜んだに違いない。なのに、ある日突然奪われたとすれば怒りと悲しみはどれほどのものだろうか。一時でも家族に奪われた貫之にはその感情が手に取るように分かる。

 だが、悠長に考えて怒りを増幅させる暇を神隠しは作らない。

 次に取り出したのはF1を模したプラモデルである。実際に走り、佐一が持っていたのを見たことがあった。

 車の形をしているなら神通力は移動系か。

 池の津波を起こして五分は経ち、遠くからサイレンが聞こえてきた。すぐにパトカーが来てくれるはずだ。


「神隠し、貴様逃げる気か」

 神隠しの意図を悟った月筆乃命が切り込む。

「元々長居するつもりなかったからな。池の水で潰しておいて奪うつもりだったのに、まさか余裕で耐えるとは思わなかったよ」

 それは貫之も同意見だ。あれだけの水の質量を割るのは常識の神通力ではまず難しい。ハシラミの力でも無理だ。

「だからもっと欲しくなったよ。いや、他のを全部捨ててもそのシチコは欲しいな」

「……アンタは、」

 神隠しが取り出した四駆を地面に置いている中、貫之でも月筆乃命でもないもう一人の関係者が言葉を発した。


「アンタはさ、何が怖いんだ?」


 キョウが何かを悟ったのか諭すように呟く。

「……」

 神隠しは少し視線を下げる。何も、言い返さない。

「そんなに力集めて、身を固めて、何が怖いんだ? 何から守ろうとしてるんだ?」


 次の瞬間、神隠しの大きさが急激に縮んだ。次なる手はと貫之は思考を走らせるが、すぐに四駆の神通力に気づいた。

 車の形である以上、本来持つ力は走る事。車の形である以上、人を乗せるのは道理。例え玩具であろうと依り代になった以上はその概念は粉砕される。

 それを証明するように、小さくなった神隠しは四駆へと乗り込むと地面の水を撒き散らしながらスリップさせ、グリップが利くと爆走の名に恥じない走りで広場から去っていった。

 辺りが静寂となってやたら呼吸音が大きく聞こえる。それが自分のであることに貫之はすぐには気づけなかった。

 そして、サイレンに紛れるように周囲からうめき声が聞こえ出した。いや、していたのに目の前の異常に気づかなかったのだ。遠くで倒れ、木の幹に打ち付けられて倒れている人もいて見渡すだけでも数十人はいる。


「あ……あ」

 頭が冷えれば冷えるほどに恐怖の渦が貫之を包む。神隠しと対峙していた時より膝はガクガクに震え、過呼吸か息をしているのに苦しくなった。

「おい」

 両肩を掴まれながらキョウに声を掛けられ、膝の力が一気に抜けた。すかさず肩から脇に回して優しく支えてくれる。


「気が抜けたか。ま、いきなり襲われて腰抜かさなかっただけ上出来かな」

「す、すみません、巻き込んで……助けても貰って」

「いいっていいって。俺に実害あったわけじゃないし」

「妾からも礼を言うよ。貫之を助けてくれてありがとう」

 月筆乃命の礼にキョウはにっと笑って神隠しが逃げた先に視線を向けた。

「にしても面倒なのに狙われたな。あの様子じゃまた来るぜ」

「でも警察が……」

「今まで逃げ切ってた奴がそう簡単に捕まるかねぇ」

「今回は奇襲で短期戦だから何とか出来たが、長期戦を踏まえてくれば今みたいに耐えるのは難しいであろうな」

 地面に立って腕を組んで考察する月筆乃命を、貫之は両手掴んで持ち上げる。

「……フミが奪われるなんて、絶対に駄目だ」


 まだ恐怖から来る声の震えは治らないが、振り絞って考えるまでもない決意を表明する。

「そのためには、なんとしても妾の力の使い方に気づいてもらわんとな。背の低い妾だけではさすがに対峙は無理じゃ」

 体を大きくし、あれだけの攻防をしても月筆乃命の中では勝てない公算が強いようだった。

 確かに神隠しのほうは余裕があった。放り捨てた水鉄砲がそのままのところを見ると、補充する予定か代わりがあるのだろう。

 逆に貫之が自在に力を使えれば、体格差の問題をないまま動くことが出来る。


「うん。フミがかなり見せてくれたからなんとかするよ」

 自分で自分の体を叩いて体を大きくする。それを見ただけで完璧ではないにしてもおおよそのことは分かったつもりだ。あとは自分で試して確信へとつなげればいい。

「あ、やっば。警察に捕まると何時間が時間食うよな。悪いけど俺は先に帰るわ」

「おいキョウ」

「今度また会うだろ。話はそのときに。じゃーなー」


 別にキョウは捕まることは何もしていないのに、事情聴取で時間を食うことを気にすると、脱兎の如くその姿を瞬く間に小さくして去っていった。

 そしてまるで雨を司る神は見計らったかのように、本降りの雨を降らせ、手を当てずとも聞こえる貫之の鼓動をかき消したのだった。

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