寺院の秘密(後編)
……眠れない。
……全然眠れない。
嫌気が差して目を開ける。そこにはまた生霊が。見回してみると本当にたくさんの生霊がいた。彼等は口を開く。
「お前が羨ましい。自由なお前が」
「類縁が欲しい」
「子供が欲しい」
「そうすれば死ねるのに」
「奴らは俺達を道具としか見ちゃいない」
「もう人を殺すつもりもない」
「ただ安らかに眠りたいだけなのに」
「それすらできない!」
生霊は口々に勝手なことをしゃべり出す。
「……」
私だって父親の血を浴びるまでは死ねない。彼等と同じだ。
「眠れない。眠れないんだよぉぉぉぉぉ!」
「皮を剥がれた。何もしてないのに皮を剥がれた。生きているのに皮ををををを! 何度も何度もぉぉぉぉ!!」
「何のために」
思わず質問してしまう。なんでいったいそんな非道いことを。
「赤蛇よけの防具にするのよぉぉぉぉぉ!」
「そんな……」
「奴らの着てる帽子。奴らの馬車の幌。奴らの馬のフードまで私達の皮で出来てるの!」
「……」
知らなかったそんなこと。聞かなければ良かった。私は答えた。
「わかりました、聞いてみます」
「聞くだけじゃ駄目。止めさせて。止めさせてよぉぉぉぉぉ」
「もういや、助けて……」
けれど逆効果だったようだ生霊はいよいよ部屋を狭しと動き回る。悲痛な叫びを口にしながら。
「たすけてくれぇぇぇぇぇぇ!」
「たのむ、たのむ……」
「死なせて……おねがい……」
「せめて安らかに眠らせてぇぇぇぇぇ!」
「いやだ……。オレが何をしたって言うんだ!」
「お前が憎い。のうのうと生きているお前が!」
「憎い憎い憎い憎い憎い!」
「殺せるなら殺してやる! 呪い殺してやる」
「もうやめて……」
部屋中を徘徊する生霊達に対して精一杯の言葉で私は呟く。
「あら、あら、あら。もう降参?」
「イナンナ!」
見知った声がして私は叫ぶ。
「そう、そう、そうよ。言った通りに連れてきたわ。どう、どう、どうかしら?」
その言葉と共に生霊の中からイナンナが顔を出した。
「今すぐ消えて! みんなを霊所に返して!」
「いや、いや、いやよ。せっかくこんな面白いおもちゃが出来たんですもの。手放すなんてもったいないわ」
クスクスと笑うイナンナ。私はぎゅっと歯をかみしめる。この子には何を言っても無駄だろう。私に悪意を抱いている。……だとしたら。私は跳ね上がるようにベッドから立ち上がった。今、私の左手にはリボルバーがある、と仮定する。生霊ではなく壁についたシミの一点に狙いを定める。トリガーを引く、つもりになる。
「あら、あら、あら、何をしているの?」
「……」
声に耳を傾けず、私は架空のトリガーを引き続ける。弾が切れた。手早く交換する。また狙いを定めトリガーを引く。
「まあ、まあ、まあ。滑稽な芝居ね」
「……」
場所を移動する。狙い撃つ。白い生霊には目をくれず、真剣に、ただ集中して壁の一点を狙い撃つ。汗をかいてきた。普段は汗をかきにくい私が。けれど集中を切らさずに銃の鍛錬を続ける。最早私の視界には壁の一点しか写らず、そこを何百回と狙い撃った。
「……はぁ」
何時間たっただろう。激しい疲労を感じ、ベッドにもたれ込む。白い生霊達は、いつの間にかいなくなっていた。私は目を閉じる。強烈な睡魔に襲われ私の意識は遠くなった。最後にイナンナの声を聞いたような気がする。
「うふ、うふ、うふ。今夜はこれくらいにしておくわ。あんまり早く壊れちゃったらつまらないものね……」
その声に応えようもなく、私の意識は眠りへと落ちていった。
目を覚ます。辺りを見渡す。生霊達は綺麗さっぱり消えていた。私は安心して息を吐いた。
「これで、なんとかなるかな……」
呟く。ザイチェフ師の助言に感謝する。気がつけば扉の下に皿に載った朝食のパンが用意してあった。どうやら扉の下の方には小窓があるらしい。そこから差し入れたのだろう。私はそれを食べ、元気を付けることにする。
「遅い目覚めじゃの」
食べ終わった頃にいつもの老人がひょっこり上の鉄格子の間から顔をだした。
「また生霊は出たかね」
老人が尋ねる。
「ええ、わらわらと」
私は明るく答えた。それを見て老人はにやにやと笑った。
「どうやら対処方を見つけたようじゃな」
「はい、まあ」
「だが安心してはならんぞ」
「そのことなんですが……」
「何じゃ、話の腰を折るのが好きなお嬢さんじゃな」
「昨日いろいろなことを聞きました」
「そうかそうか」
「彼等たち生霊はただ眠りたがっているようです」
「それは、どうじゃろう」
「類縁が欲しいと言ってました」
「まあそうすれば死ねるからのう」
老人は達観したように言う。
「でしたら彼等同士で子供を産ませて……」
私の言葉は憤怒と共に遮られた。
「お前さん、命を冒涜するつもりかね!」
「えっ?」
「生まれた子供はどうなる。父や母を殺すためだけに生まれた子供は! 魔人と魔人の子供は魔人じゃ。生まれたばかりなのに殺さねばならん。それはまぎれもなく悲劇じゃ!」
「それは……」
正直そこまで考えてなかった。私は自分の浅はかさを痛感する。
「命を何だと思っておるのか! 所詮お前さんも魔人の眷属と言うことか」
「違います!」
私は叫ぶ。
「いいや、違わぬ!」
「私の話を聞いてください!」
「いいや、聞かぬ!」
「たしかにそのことについては考えが及びませんでした。謝ります。けれどあの魔人達は本当に哀れなんですよ」
「ほだされたか。魔人の子」
「皮をはいで赤蛇よけの防具にしていると聞きました。幌も馬に掛けるフードも魔人の皮で出来ているって」
「……」
それを言うと老人は少し黙った。私も沈黙する。やがて老人が口を開いた。
「そこまで聞いたか」
「はい」
私は言う。
「……そのことだったら実際にそうじゃ。儂と番人がその仕事をしておる」
「だったらそれだけでも止めさせてください!」
「儂が好んでやっておるとでも?」
「……」
さすがにそうとは思えなかった。私は老人の次の言葉を待つ。
「上からの命令じゃよ。昔からのな。それにこれで被害をかなり減らすことが出来るのは事実なんじゃ。誰も止められはせん」
「けど!」
「お前さんの言いたいことはわかる。じゃが儂にはどうにもできん」
「大僧正にかけ合わせてください」
「相変わらず立場がわかっておらんの、お前さん。そんなこと出来るわけ無かろう」
「……」
「泣くな」
老人の言葉で気がつく。私の頬を一筋の涙が伝っていることに。
「だって……生きたまま皮を剥がれるなんて」
その涙をぬぐいながら私は言う。
「奴らはそれだけのことをしておる」
「それでもなんとか、彼等を助ける方法はないのですか?」
「……ふぅ」
老人はため息をついた。そして言う。
「無い。無いんじゃよ」
「私もいずれそうなるのですか」
私は尋ねた。
「それは、わからん。お前さん次第じゃ」
「……」
私は沈黙した。
「まずはここから出ることを考えることじゃよ。すべてはそれからじゃ」
「どうやって……」
「それも考えるのはお前さんじゃよ」
「みんな何でもかんでも押しつけて!」
私は今度は激高して言う。
「それがお前さんの生まれじゃ。諦めるか?」
「……いやです」
呟くように私。それから少し沈黙が流れ、老人は話の切り上げ時だと思ったのだろう。こう言って姿を消した。
「ではまた来るからの。よくよく自分の言葉を反省することじゃ」
「……」
一人になって私は考える。人って一体何だろう。苦しんでいるものを助けるのは人として道を外れたことなのだろうか。
けれど私の母はそうやって魔人を一人蘇らせた。それはやっぱり安っぽい感傷でしかないのだろうか。
ドラコフ。私の母を魔人にし、母の故郷を壊した男。つい最近その凶行を私も見た。血に酔ってしまったけれど。思い返せば凄惨な光景だった。生きとし生けるものは死に、動かなくなっていた。
彼等もそういうことをしてきたのだろうか。恐らくそうなのだろう。だとしたらその罰は当然のことなのだろうか。
私もあそこで血に酔った。それが魔人の血がなせる業ならば、やはり憎むべきは魔人の血なのだろうか。
そんなことを考える私の頭はこんがらがってきた。
鍛錬をしよう。ザイチェフ師の言うとおり。ここで怠けてはいられない。そうして夜ぐっすり眠れるように。