寺院の秘密(前編)
クリエムヒルト寺院の地下。実のところ行くのは初めてだった。入り口に常に番人が立っていて通らせて貰えなかったのだ。そんな地下に初めて私は入って行く。抱えられて。縛られて。
中に入ると意外と暖かかった。どうやら暖房の設備があるようだ。地下まで降りて一直線。頑丈な作りの牢屋が並んでいる。扉は太い木で出来ており格子は鉄製だった。その中に一つだけ明かりのついた部屋があった。男達はそこまで私を運ぶと足を止め大きな声で言った。
「じいさん、仕事だ」
そう言うとじゃらじゃらと金属と金属がぶつかる音をさせながら一人の老人が扉を開けて顔を出した。私達の姿を見て驚いたような声を出す。
「おお、ここに番人以外の人が来るとは珍しいの」
「人じゃねえ、魔人の子だ」
男のうちの一人が言う。
「お前さん達がか?」
「バカ言え。抱え上げてるコイツだよ」
そういて男は私のことを揺さぶる。
「おお、あの噂の。実際に見るのは初めてじゃ」
老人の顔が僅かに近くなった。あまり風呂に入ってないのかちょっとだけ臭う。まあ私も人のことは癒えないだろうけど。
「これからいっぱい見られるぜ。よかったな」
「別に嬉しかないわい。魔人など見慣れとる」
「それってどういう」
私は口にだろうとしたがドスンと尻から下ろされ言葉にならなかった。
「それじゃ、じいさん、あとは頼むぜ」
「おまえさん、何の罪を犯したんじゃ?」
「……」
私は尻の痛みをこらえていたのでその質問を聞き流してしまった。
「まあ答えんでええ」
けれど老人は気にした様子もないようだった。
「それよりどこに入るかの? いまはどこも空いておるでな。好きなところに入るがええ」
「……おまかせします」
ようやく答える。
「おうおう剛毅なことじゃの。それじゃあちょうどこの辺りに入って貰おうか」
老人が明かりのついた部屋のはす向かいの牢屋を指さしていった。
「わかりました」
そう言って私は老人によって足のいましめを解かれ牢屋に入っていった。
牢屋の中は質素なものだった。簡素なものながらベッドと毛布があって私は安心する奥の暗がりに藁が敷いてあって、用はここで足せと言うことらしい。
「藁は一週間に一度取り替えるでな」
手のいましめを説きながら老人は言う。
「……私が怖くないのですか」
「何度も言っておろう。魔人なぞ見慣れとる。ほれ、解けた」
「ありがとうございます」
私は素直に感謝の念を言う。
「めしはちゃんと持ってくるでな。大人しくしておるんじゃよ」
「……はい」
そういって老人は出て行った。バタンと扉が閉まり老人の部屋からだろうか僅かな光が格子の隙間から入ってくる。
「ふう」
一人ため息をつく。自由になった手足をぎこちなく動かす。ある意味自由になった。ある意味不自由になった。私は微かな光が漏れてくる扉を見つめもう一度ため息をついた。ベッドに座り目をつむる。視界が真っ暗になった。
「どうしてあんなことになってしまったのだろう」
考える。魔人の血のせいか。それともあの夢のせいか。いやあの夢は私の記憶だから結局魔人の血がわるいのか。それとも……。思考は生まれて消えてなかなかまとまらない。
そんなときだった。牢屋の片隅から小さな声が聞こえたのは。
「あなた、あなた、あなたはだあれ?」
「……」
目を開く。輝くような金髪の美しい少女がそこに立っていた。ただし半透明の。年は私よりも二つ三つ下か。霊。私は身構えた。
「ねえ、ねえ、ねえ、名前はなんて言うの?」
「……名前なんてどうでもいい」
霊に名前を伝えるのは悪いことだと教えられていた。私は名乗ることを断る。
「名前は大事よ。私はイナンナ。あなたはだあれ?」
「……名乗ったからと言って名乗り返す義理はない」
私は答えた。
「まぁ。まぁ。まぁ。失礼な女ね」
「そう思っていればいい」
「じゃあ名無しさん。名無しさん。名無しさんと呼ぶわ」
「勝手にすれば……」
「ええ、ええ、ええ、勝手にするわ」
そういってイナンナは近づくと私にまとわりつく。そしておかしそうにクスクスと笑った。
「あなた冷たいわ。冷たいわ。冷たいわ。心じゃなくて体が。魔人の血を引いているのね」
「それがどうしたの……」
まとわりつかれても何も感じないことを不思議に思いながら私は言った。
「うふふ、うふふ、うふふ。あたしとおんなじだなって」
「イナンナも魔人の血を?」
「そう、そう、そうよ、名無しさん。あたしは魔人。ここに封じ込められてるの」
「そう……」
かったるそうに私は答える。
「ねえ、ねえ、ねえ、ここから出して。苦しい、苦しい、とても苦しいの」
「無理だよ」
私は答える。
「あら、あら、あら、魔人の力なら出来るでしょ」
「私は魔人の力を使ったことなんて無い」
「まあ、まあ、まあ。お利口さんなのね」
「イナンナ、あなたは魔人の力を……」
逆に今度は私が尋ねる。
「ええ、ええ、ええ。使ったわ。何度も何度も使ったわ。何人も何人も殺したわ」
「なんでそんなことを」
「だって、だって、だって。魔人はそうやって命を支えるものでしょ。あたしを魔人にした魔人はそう言っていたわ」
「普通の食べ物だって食べようと思えば食べられる」
「でも、でも、でも。飢饉だったら? 普通に食べるものが無くて他に食べるものがなかったら? ひどい扱いを受けていて誰かに復讐したいと思っていたら?」
「……」
イナンナの言葉に私は押し黙った。
「きっと、きっと、きっと。あなたは恵まれてるのね。名無しさん」
「恵まれている?」
「だって、だって、だって。あなた、普通に生かされているじゃない。それだけでもあたしには羨ましく思えるわ」
「羨ましい……か」
「だから、だから、だから。あたしはあなたが憎くて憎くて仕方ないの」
「だろうね」
呟く。そして言葉を続けた。
「きっと私は恵まれているんだろうね。イナンナの言うとおりだ。でもだからどうしたんだ。人にはそれぞれの生まれや育ちの形がある。それをとやかく言っても始まらない」
私は立ち上がる。イナンナは私の体をすり抜けた。あわててイナンナは私から離れる。
「消えろ亡霊。お前の言葉には騙されない。私の前から今すぐに消えろ」
「うふふ、うふふ、うふふ、名無しさん。あなたもいずれ、そうなるわ。死ねない魔人はそうなるわ」
「うるさい消えろ!」
私は怒鳴る。
「あはは、あはは、あはは。あたしはみんなにみんなに知らせてくるわ。ここにここにここに魔人の子がいるって。きっと、きっと、きっとたくさんたくさんたくさん会いに来るわよ。楽しみね楽しみね楽しみね」
捨て台詞を吐いてイナンナは霞のように消えていった。
「生霊……」
呟く。
「あんなの相手に銃の練習なんてしても無意味じゃないか!」
私はもう一度叫んだ。
「なんじゃやかましい」
ちょうどその時鉄格子の間からランプを持った老人が顔を出し言った。
「あ、申し訳ありません」
さっきの老人だ。紛れもなく生きた老人だ。なぜなら体温もあったし私のいましめを解いてくれた。
「なんじゃ、こんなじじいの顔を見てほっとしたような顔をして。生霊にでもあったかね」
「ええ、まあ」
私は正直に答えた。
「そんなことじゃろうと思ったよ。ここは生霊がうじゃうじゃしておるからの。お前さんも耳を貸さんことじゃ」
私はしばらく考えていたが、思い切って聞いてみることにした。査問会でザイチェフが言っていた言葉。
「あの、霊所って知ってますか」
「おうおう詳しい娘さん。儂はそこの管理もしておるよ」
「どんなところなんですか」
わたしはさらに聞く。
「うむ、死ねない魔人が眠る場所と言えばわかるかの。まあ実際は眠ってなどおらんがね」
「死ねない魔人……」
「おぬしも知っておるじゃろ。魔人は死ねない。だから動けないようにして封印するしかない、ということを」
「そこを見てみたいです」
「悲惨な場所じゃよ」
「それでも!」
「お前さん、自分の立場を忘れたかの」
「けれど!」
「だれか助けを求めておったか?」
「……はい」
イナンナのことを思い出しながら私は答えた。
「そうじゃろうそうじゃろう。ここにいる魔人はみんな助けを待っておる」
そしてため息をつくように老人は一呼吸置くと
「じゃが、助けるわけにはいかんのじゃよ」
と言った。そして逆に私に尋ねてくる。
「冷酷じゃと思うかの」
「……いいえ」
私は答えた。
「助けたら人や生き物に被害が出る。最後の審判が彼等を助けてくれればよいのじゃが」
「最後の審判……」
「それくらい知っておるじゃろ。いずれ現世に神が復活されて……」
「ええ、知ってます」
長くなりそうだったので私は言った。それくらい寺院にいるものなら誰でも知っている。
「なんじゃ話の腰を折るな」
「す、すみません」
私は慌てて謝った。
「とにかく霊所には行かせられん。わかったな」
「はい……」
「わかったら大人しくしておれ」
「けれどみんなを呼んでくるって……。魔人の子がいるって呼んでくるって……」
私はイナンナの最後の言葉が不安だったので老人に助けを求めるように言う。
「相手は所詮生霊じゃ。何もできはせんよ」
「けど!」
「なんじゃおぬし、怖いのか」
「怖い、です」
ここで嘘を言っても始まらない。私は正直に答えた。
「ははは、魔人の子でも怖いものがあるとはの。まあわしは何もできん。お前さんが対処するしかないんじゃよ」
「それは大僧正に言われたことですか」
私は尋ねる。大僧正はこれは試練と言っていた。老人の物言いもその一環なのだろうか。
「いいや、人生の教訓という奴じゃよ。まあ会うのが嫌なら眠ってしまうがええ」
それだけ言うと老人は去っていった。私は足を縮め辺りを見渡す。暗がりのそこかしこから視線を感じるような気がして身をすくめた。
「何も出来ない、か……」
それはそれで哀れな気がした。けれどこうして私を震え上げさせているわけで。
「何も出来ないなんて嘘だ……」
呟く。……老人の言うとおり寝てしまおう。私は牢屋の隅にあるベッドに横たわり目を閉じることにした。