開戦
見間違えるはずがない。あの姿。あの体格。そうしてどこか納得する。父ではなくボロジノフであることに。しかしあの銃の腕。遠目の効き。ここまでのものとは。私はどこかでボロジノフを甘く見ていたことを心の中で謝罪する。
とはいえ、倒さなくては。私は鉈を振りかぶりボロジノフの首をはねようとする。しかし、何か固い金属のようなもので弾かれてしまう。思わず二、三歩下がる私。
「え?」
そして森の奥に銃口を向けていたボロジノフがゆっくりとこちらを見る。いやあれは見ているのか? 瞳孔も何もない真っ黒な穴。生気を失った青ざめた顔。周囲に漂う僅かな臭気。そんな存在がこちらを向いていた。そうして胸には赤槍で刺された穴がぱっくりと開いたままだ。おかしい。何かがおかしい。あれは……?
「ゾンビ……」
呟く。動く死体。そんなもの、遙か西の島の昔話の中だけの存在だと思っていた。しかしこうして目の辺りにするとそれは事実なわけで。――魔人はこんなこともできるのか。一瞬呆然とする。だけど。倒さないと。私は心を決め、かつてはボロジノフだった存在に襲いかかる。
「――――」
声にならない声を上げボロジノフがこちらに銃を構える。なんて速さだ。私は鉈を横に向けて射撃を警戒するしかできない。銃撃音と痛み。こっちは動いているのに! 正確に鉈を構えた左の手を打ち貫いていた。凄まじいまでの腕だった。鉈を取り落とし、私は呟く。
「化物……」
そんなそぶりは見せなかったのに。こんな腕を隠していたなんて。そうして共闘ではなく敵対しなくてはならないなんて。私は理不尽を神に恨んだ。一瞬天を見上げる。その隙にボロジノフの方は装填を済ませていた。今度は私の心臓を狙う。一瞬の判断で右手の籠手で心臓を押さえた。
鈍い音を立てて銃弾が弾かれる。もういい。このまま突撃する。私は走り出しボロジノフとの距離を詰める。右手の籠手に武器を填めている時間はない。そのまま顔を殴る。固い。まるで岩のようだ。さっき首を刎ねようとして失敗したのもこれか。ボロジノフは無表情のまま銃弾に弾を込めようとする。
「……」
ひらめいた。私はボロジノフの長銃よりも短い射程で相対する。臭いがするが気にしないことにした。ボロジノフは銃が撃てなくて焦っているようだ。ふらふらと私から距離を取ろうとする。
「そんなに撃ちたい?」
「――――!」
私は銃身の先に石を積め距離を取る。ボロジノフの顔が喜びに輝いた――様な気がした。銃声。しかし弾はここまで届かない。銃は私の目論見通り暴発していた。
「さてとあとはその硬い皮膚を何とかすることね」
壊れた銃に一心不乱に弾を込めようとするボロジノフ。なんだかそれがひどく哀れな行為に見えてしまった。けれども同情なんてしていられない。私は右手で不器用に聖餅を投げつける。思った通りこういうものが効くようだ。ボロジノフの体が崩れてゆく。皮膚もたるんでこれなら切り刻めそうだ。私は僅かに癒えた傷で鉈を掴み振りかぶる。ボロジノフをこのようにした父への怒り。止めなければと言う思い。
混ざり合って叫びになった。
「あああああああ!」
叫びながら私はボロジノフを解体してゆく。その手を足を胴をそしてその全てを。あとには細切れになった糸引く肉片の山が残された。かつてボロジノフだったもの。それがその末路だった。血は一滴も出なかった。きっと父の赤槍が一滴残らず吸い取っていたのだろう。
パチ。パチ。パチ、パチ。
疲れ切った私めがけてどこからか拍手の音がする。音がした方――後ろを振り向く。そこには魔人――父が笑って立っていた。
「ずいぶんと余裕ね」
私は目に怒りを宿らせて言い捨てる。
「そうだな。それにしても見事な解体手腕だったぞ娘よ」
高らかに私を褒める父。嫌悪感しか覚えない。このちちがボロジノフをそうした張本人なのだから。
「解体中に攻撃しなかったことは褒めてあげるわ」
余裕たっぷりな言い方に吐き気がする。
「ふん、解体に夢中になるふりをして背後に気を配っていただろ?」
「……勘は良いのね」
「当たり前だ」
乱杭歯を見せつけて笑う父。私はボロジノフの血と脂と肉片とでぐちゃぐちゃになった鉈を父に向けて突きつけて言う。
「でも一つわかったことがある」
「なんだ?」
私の言葉に父が問う。
「今の貴方は銃器を持っていない」
「あんなもの、人間のおもちゃさ」
あざ笑う父。私は静かに言った。
「そのおもちゃに苦しんだのは誰?」
「……」
「また思い起こしてあげましょうか?」
鉈を地面に突き立て懐からヴィザリオ師の二連装散弾銃を取り出す。結局ザイチェフ師に渡しそびれて自分が持ったままだった。弾は一応装填し直してある。
「ふん、それ空だろう?」
「弾丸を補充したと言ったら?」
その言葉にあからさまに父は青ざめた。狙いを定める私に向かって慌てて言う。
「待て。思い起こすと言えば、……俺も一つ思い出した」
「何のこと?」
私は狙いを外さずに父に問う。
「あれは十数年昔のことか。俺が何度目かの復活を遂げたとき、手助けしてくれた少女がいた。礼と言ってはなんだが類縁にしてやった」
「それは私の母よ!」
私は叫ぶ。
「そうか。あのときまさか娘まで出来ていたとはな。いや俺もなかなかのものだ」
「うるさい!」
私は叫んだ。
「それでお前の母親はどうしている? 息災か?」
「……死んだわ」
「死んだ? 何故だ?」
不思議そうに言う父に私は説明する。
「母の父の血を使って寺院の人達に殺された」
「そうか。そう言う手があったか」
私が言うと妙に感心する父。そして尋ねてくる。
「それでお前はどうしてここに」
「胎児だった私は寺院の人に助けられてそこで育ったのよ」
わたしは正直に答える。そうすると父が笑い出した。
「そうか。道理で……ふふ、これは傑作だ。ははははは!」
「何がおかしい!」
「ははは、ふふ。戯れに作った類縁であったが、そいつはすでに死んでいてその娘がまさか俺を殺しに来るとはな。教会の犬となって」
「……戯れですって?」
「そうだ、戯れだ。全ては戯れだ。長く生きていればお前にもわかる」
「長く生きるつもりなんて無いわ。そして貴方をこれ以上長生きさせる気も」
私は言い放つ。その言葉に父は舌をぺろりと舐めた。
「……では、絶やさねばな。自分の責務だ。俺が果たそう」
「殺してくれるのなら、それもいいかもしれない」
「……」
私が言うとにやりと笑う父。そんな父に私は宣言する。ハドロフ司教、ザイチェフ師、ボロジノフや父の手によって犠牲となった全ての人の代弁者として。
「でも今は違う。先に死ぬのが貴方。後を追うのが私。この順番は覆らない」
「人間風情にほだされたか? あのとき言ったはずだぞ。『一人で生きろ』と」
「ああそんなこと言ってたわね。母に。……でも」
「でも?」
「あのときすでに私達は二人だった。母と私のね。孤独なのは貴方だけ。永遠に孤独なのは貴方だけよ!」
銃を懐に戻し鉈を引き抜き、まとった血や脂をぬぐうように振る。そんな私を見て父はおかしそうに笑った。
「そうか。女というのは度し難い。やはり殺さなければ駄目か」
「そうよ。殺しに来なさい。逆に殺してあげるから!」
そう言って私は走り出すと、森の中へと逃げ込んだ。
「追ってきなさい! その気があるなら!」
「人に頼るか。娘よ」
挑発は成功したようだ。森に向かって歩みながら父。
「当たり前よ。私は人なんだから」
当然のように私。
こうして私と父、魔人と半魔人、そうして人対魔人の最後の戦いが始まった。