逆撃
森に入ってしばらくのところで大樹を背に眠っているユージンを見つけた。私はザイチェフ師に向かって囁く。
「どうやら無事のようですね」
「ああ」
「よかった……」
「そんなに感動することか?」
「ボロジノフは、ここにたどり着けませんでしたから」
「……ああ、そうだったな」
どこか感慨げにザイチェフ師。
「う……ん? ボロジノフのじいさん……?」
その声に応じたのかユージンが小さく声を出す。そうしてもぞもぞと体を動かすと目をゆっくりと開け、辺りを見回し、私達を見る。
「あれ、半魔人のねーちゃん? いつの間に。つーか、どこにいたの?」
「律儀に馬車のところにいたよ」
「はは。らしいや」
ザイチェフ師が言うとユージンは軽く笑った。不思議に思って私は尋ねる。
「どういう意味ですか」
「迷子は別れたところに戻りたがるもんだ」
「そうそう」
「そうなのですか?」
私が言うとザイチェフ師が言葉を遮る。
「とまあ、軽口はそこまでだ」
「はい」
「ボロジノフは死んだ」
「え……? じいさんが?」
「ああ。リューシカが言うには魔人に襲われたそうだ」
「くそ……これで半分かよ!」
ユージンが声を出しザイチェフ師がたしなめる。
「声が大きい」
「すみやせん」
「それでな。一応俺も馬車に戻って装備を整え直してきた。ユージン、お前の分もある」
そういってザイチェフ師はユージンにごつごつしたものが入っていることが外からでも覗える薄い皮の袋を渡した。
「……はい」
それを受け取りながらぼんやりとうつむくユージン。
「どうした?」
「いえ、まだ戦うつもりなんですか? 司教は死んじまったし、戦力は半分になっちまった」
ザイチェフ師の言葉に不安そうに顔を上げユージン。ザイチェフ師はそれに応えていった。
「奴はまだ側にいる。それにな」
「それに?」
「今追われているのは奴ではない。俺達だ」
周りを見回しザイチェフ師はそう宣告した。
「そんな……」
「じきに来るぞ。奴が」
「……いつの間にか追われる身ってわけか」
ユージンの呟きに、私は二人に言わねばならないことがあることを思い出す。
「あとあの魔人には隠している技があります」
「本当か」
「はい」
私は二人にボロジノフを殺した赤槍について説明をした。
「ふん、そんな技を隠していたとはな。せこいやつだ」
「どうやってかわせばいい?」
「撃った場所に留まらないこと……、撃ったら遮蔽物に隠れること……だと思います」
「難しいな」
「ええ、でもそうしないと」
私は言い、そして天を見上げて誓った。
「今度こそ、殺します」
「ああ、そうしてくれ」
ザイチェフ師が口にしたのを耳にして私は話題を変える。
「ところで話は少し変わるのですが、よろしいですか」
「なんだ? リューシカ」
「ハドロフ司教がいない今となっては、指示を出すのは貴方で良いんですよね。ザイチェフ師」
「……」
私の言葉にザイチェフ師は答えなかった。私は言葉を続ける。
「誰かが私達のまとめ役にならないと」
「もう各自バラバラで良いんじゃないか?」
吐き捨てるように言うザイチェフ師に私は回答を迫る。
「それは駄目です」
「やっぱり駄目か」
「はい」
「……少し時間をくれ」
「……はい。けれど時間は余り」
「わかってる!」
「声が大きいです」
わたしはザイチェフ師をさっきユージンをザイチェフ師がたしなめたように言った。
「……すまんな」
私達のやりとりを不安そうに見つめるユージン。
「とりあえず、ザイチェフ師も一休みしてください。見張は私がします」
「そういうわけにもいかん」
「というと?」
「することがあんだよ。ユージン、起きたなら手伝え」
「この暗いのに?」
ユージンは不平そうに言う。
「なんだお前見えないのか」
「そんなの、あたりまえじゃないか」
「そうか、じゃあ俺一人でやる。お前は寝てろ」
「そういうわけには、いかねえだろ」
「見張りはいる。俺には仕事がある。夜目が利かないお前は何が出来る?」
「……」
「食って寝て、体力を回復させろ。いいな」
「了解……」
ユージンは渋々そう言うとザイチェフ師に貰った皮の袋をあさり始めた。それを見てザイチェフ師はこの場を離れる。
「おひとりで大丈夫ですか?」
わたしは聞いてみた。
「もうつける護衛もいないだろ」
そう言ってザイチェフ師は私達から離れていった。私も見張りの作業を開始する。
見張りをしていてわかったのだがザイチェフ師は森中を移動しているようだ。時折気配を感じる。その存在を感知すると私は安心した。なぜかよくわからないけれど。どうやら罠を張っているようだ。なんとなくそれがわかる。どうやらここを決戦場とするつもりらしい。なんだかんだ言っても私達を統率する気はあるらしい。それがひどく安心できた。とはいえ安心ばかりもしてられない。私は周囲の気配に目を研ぎ澄ませて耳を澄ます。いまこの森に動くものはザイチェフ師だけのようだ。
そうして夜が明けた。逆撃の朝が来たのだ。ザイチェフ師は日が昇るとほぼ同時に戻ってきた。
「つかれた 俺は少し寝る。お前はどうする?」
「私はもう少し起きていられます」
「そうか」
「あの、団長の件は」
「ああ、後でな」
私は尋ねたがはぐらかされてしまった。続けてザイチェフ師は言う。
「あとユージンを起こしておけ」
「はい」
「蹴り飛ばしても良いぞ」
「そんなことしません」
「……つまらん奴だ」
「自分で自分のことを面白い奴だと思ったことはありません」
「そうか、意外と面白い奴だと思うけどなぁ」
「それってどういう……」
「……」
私は尋ねようとしたがもうすでに返事はなかった。ザイチェフ師は眠り込んでしまっている。少し頬を膨らませた後、私はユージンを起こすことにした。
「ユージンさん。起きてください」
「もう起きてるよ」
薄目を開けてユージンは言った。
「そうでしたか」
「……アンタ等のやりとり見てた」
「そうですか」
何の感慨もなくそう答えたのだが返事は予想してないものだった。
「ねーちゃんわりと可愛いところあるのな」
「可愛い?」
「そう、可愛い」
「自分で自分の……」
そう言ったところでユージンが手を上げて私の言葉を遮断する。
「ああ、そういうのはいいよ」
「? どういう意味ですか」
「いや自分を卑下することはないんじゃないかなってこと」
「卑下したつもりは……」
私は言うが、また制止させられる。
「そういうのが卑下だっつーの」
「そうでしょうか……?」
「そう」
「私にはわかりません……」
「わからないのかよ」
「はい」
「しょうがねーなー」
「あの……」
「あ、オレ、めし食う」
「……」
私は自分本位なユージンにあっけにとられてしまった。最近の若い人はそんな感じなのだろうか。自分もまだ若いとは思うけれど。と、いけない。話している間見張りを怠ってしまった。私は周りに目を凝らし、気配を探る。
特に何者の存在も気配も感じない。少し安心する。
「じゃあ見張り代わるわ」
食事を食べ終えたユージンが私に言う。
「すみません」
「いいって夜は寝てたからな。見張りの場所はそこで良いのか?」
「はい」
「そっか」
そう言ってこっちに向かって歩き出した瞬間だった。ユージンの足に赤い穴が開くのは。
「!」
少し遅れて銃声。そして傷口から湧き上がる赤い血。ユージンはその場に倒れ込む。
「風下から!」
私は叫ぶ。銃声がした方を睨み付けても何も見えない。なんという長距離射撃。そしてユージンは。
「ユージン! 大丈夫ですか」
「ああ、こんなのかすり傷さ」
そうは言うが歩けそうにはなかった。私はザイチェフ師を起こす。
「ザイチェフ師! 魔人がやってきました!」
「ああ? そうか……」
まだ寝ぼけているようだ、こんな時に。そうして続けてユージンのつま先に弾丸が当たる。
「いってー!」
叫ぶユージン。そうだ。まずはユージンを助けないと。私は見張りの場所から動きユージンを助けに……。左足に熱を感じる。そして銃声。撃たれていた。その場に倒れる。これは……。
「罠だ」
「ザイチェフ師……」
私を物陰に引きずり込む声に聞き覚えがあった。
「ユージンを囮に俺達を釣っている。近づけば撃たれるぞ」
「そんな……」
またユージンが撃たれた。助けを伸ばす右の指を。あれはどこの指だろうか。
「どうすれば……」
困ってしまった私はザイチェフ師に問う。
「足はまだ動けるか」
「食べればなんとか」
「よし食え」
「ユージンが撃たれている前で?」
私は詰問したが返事は絶対的なものだった。
「いいから食え」
「……はい」
釈然としない気持ちで携行食糧を口にする。その間もユージンを何度か銃弾が襲う。殺さないように殺さないように、耳を指を吹き飛ばしてゆく。心が苦しい。けれど今は食べて傷を癒さないと。やがて食べ終える。心は晴れなかったが傷はなんとか癒えた。
「動けるか?」
「はい」
「これからお前は迂回して、奴の所へ向かえ」
何故か木を切り倒そうとしているザイチェフ師が私に言った。
「ザイチェフ師は?」
「俺はコイツを切り倒してユージンの盾にする」
納得した。それならば。
「わかりました。では行きます」
「俺の作った罠には気をつけろよ。赤い印が木の枝にぶら下がっていたらその樹には近づくな」
「見逃したら?」
「そんなの知るか。早く行け」
「はい」
私は言うと矢のように飛び出した。向かうは風下。ユージンを狙撃した魔人を倒す。これで終わりにする。私は刃に自らの血液を塗り森を走る。
とはいえ一直線には走れない。あちこちの木々に赤い印がぶら下がっている。ジグザグにに避けてときには迂回して魔人の元へ向かう。
遠い。
果てしなく遠い。何という遠距離射撃なんだろう。そうして見えてきた姿を茂みに隠す魔人の姿。私は近づいていって鉈を振りかぶり、驚愕の声を上げた。
「ボロジノフ!」