再会
少し歩くと森の少し開けたところで村人達の幾人かが肩を寄せ合っているところに出くわした。その中心には見覚えのある姿。私はその人の名前を呼ぶ。
「ボロジノフ!」
「ああ、嬢ちゃんかい」
振り返りボロジノフ。そうして僅かに身構える村人達に説明する。
「仲間じゃよ」
「この人達は?」
私はボロジノフに尋ねた。
「うむ、一緒に逃げてきたのは良いがこれからどうすればいいのかわからなくてな。困っておったのじゃよ」
「それならハドロフ司教達が対策を彼等に教えているはずです」
「そうなのか。わしはちっとも知らなかった。おい、みんな、そうなのか?」
ボロジノフの声に、我に返ったように村人達は頷く。
「だったらそうせんか」
「無理もないですよ。私も実際混乱している部分がありますし」
私にしては珍しくにこやかに笑いかけたときだった。赤い閃光が周りの村人達やボロジノフの脳天に突き刺さったのは。
「何?」
一瞬何事かわからなかった。そして思い出した。悪夢の最初。闇夜に赤く尾を引いて不気味に光る蛇。その名は赤蛇。魔人の力。一瞬の後、倒れ付す村人達。彼等はもう、絶命している。
「……奴じゃ」
帽子のおかげで倒れるだけで無事だったボロジノフが吐き捨てるように言った。私は周囲を見回す。そして捉えた。おぞましく笑う父の姿を。右手を挙げたままくつくつ笑っている。その姿は血まみれで、それが誰のものかは考えたくもなかった。父は右手を下ろすとゆっくりゆっくりこちらに向かってくる。そして呼びかけた。
「女」
威圧感のある声だった。でも不思議と懐かしさもあった。
「……私かしら?」
若干の動揺を抑え私は尋ね返す。
「そうだ」
「……なにかしら」
「お前にだけ赤蛇が刺さらなかった。何故だ」
「さあ、自分で考えたら?」
「ふん……。では、その身をバラバラにしてから考えるとするか」
ヴィザリオ師を傷つけた鉈を掲げ走ってくる父に私は呼びかける。
「傲慢になったものね。父さん」
「なんだと?」
その言葉に足を止める父。
「私の知っている父さんはそんなんではなかったわ」
懐から鉈を抜きながら父に言う私。
「お前が俺の何を知っているというのだ?」
「さあね。実際は何も知らないに等しいわ」
「ではなぜ、いま、そんなことを?」
「それはね……。時間稼ぎよ」
私が言うと同時に銃声。いつの間にか場所を離れていたボロジノフのものだ。その銃弾は見事に私の父の頭に着弾し父の脳天を吹き飛ばす。
「おのれ!」
顔が口だけになった父が叫ぶ。続けて私が襲いかかる。大地を蹴って走り、父の口だけになった頭にむけて左手の鉈を振りかぶる。一直線に。しかし振り下ろそうとしたその瞬間。衝撃と音響が私の体を襲った。足が止まる。いやその場に崩れ落ちる。
「くっ」
痛みに鉈を落とす。撃たれていた。散弾が体にめり込んでいた。
「ふふ……。どうだ。お前達が用意してくれた武器だ」
口だけで笑いながら手の中の二連装の散弾銃を弄ぶ魔人。いや父。あれはヴィザリオ師が持っていた銃身を切り詰めたショットガン……。怒りと痛みで頭が真っ赤になる。立ち上がろうとするが動けない。左足が完全に言うことを聞かなくなっていた。
「さて、俺の娘と言うことは俺の血でお前は死ぬのだよなぁ」
「……っ!」
「いつ出来た娘か知らんが、悪い娘にはお仕置きしなくては」
「くっ!」
怒りに顔が真っ赤になる。父は母のことを覚えていないのだ。それが無性に悔しかった。父は銃を捨て顔から流れ出す血を鉈に塗ると私めがけてゆらゆらと歩き出す。と、その歩みが止まった。ほぼ同時に銃声。ボロジノフの第二射だ。見事な狙撃だった。お返しとばかりに父の足を砕く。そうしてボロジノフは叫ぶ。
「速く逃げるんじゃ!」
「でも足を……」
「いいから逃げろ!わしと奴の命を使え!」
「でも!」
私が叫ぶ。
「このままではお前さん死ぬぞ!」
「私の失態で……」
「気にするな。お前さんは切り札じゃ。やすやすと殺させはせん!」
「ボロジノフ……」
「おのれジジイがっ!」
父がどうやって空間を把握しているのかわからないが鉈を構える。
「ふん、鉈ではここまで届かん」
「ではこれはどうかな」
嘲笑するボロジノフに対して父はそう言うと鉈をしまい懐から別の銃を取り出す。あれはハドロフ司教が持っていた短銃だ。そしてまるで見えているかのようにボロジノフに向かって狙いをつける。
「……っ」
慌ててボロジノフが身を伏せる。
「隠れても無駄だ!」
父がボロジノフに狙いを定め直す。けれどその前に私のリボルバーから発射された弾丸がその手から短銃をはじき飛ばす。手を押さえる父。
「くそ忌々しい奴らめ!」
頭を向け口だけの顔で私を睨む父。その頭を吹き飛ばす銃弾。ボロジノフの第三射。私も頭に狙いを定める。射撃。もう父の頭はほとんど無い。
殺せる。二人ならば殺せる。そう確信したその時。地獄の底から響き渡るような声がした。
「赤槍」
右手から放たれた赤い刃。それは右手から長く伸びて確実にボロジノフの脳天を突き刺していた。
「な……、に……」
顔に槍が刺さったままボロジノフの口だけがそう動く。
「知らない! こんなのっ!」
そうして叫ぶ私。
「当たり前だ。奥の手は隠しておくものだからな」
狂乱する私に対してどこから声を出しているのか楽しそうに言う父。父は右手から出た槍をボロジノフに刺したまま、みるみるうちに私達が付けた傷を癒してゆく。それはきっとボロジノフの命を使って。ぞわりぞわりと赤い塊が首から上に伸びてゆき、父の体が軽くそれを振ると、もうそこには元に戻った父の頭が形作られていた。新しくできた顔ににやりと笑みを浮かべる父。やはりそこには乱杭歯があった。槍を引き抜く。ボロジノフの体が倒れる。もう絶命している。またあっさりと、人が死んだ。
父は槍を宙に消すと、今度は私に向き直る。
「さて、この技を見られた以上、お前も死んで貰わなくてはならなくなった」
父は残忍な笑みを浮かべてそう宣告した。私はまだ足がうまく動かない。ヴィザリオ師の散弾は特別製だ。魔人に良く効くように弾に工夫が施されている。――だから。父に対しても効くはずだ。私は近づいてきた父にヴィザリオ師の散弾銃を向ける。狙うは足下。弾は一発。
「いつのまに!」
叫ぶ父。私は無言で銃を発射した。弾は着弾。父の両足を見事に砕く。鉈を手放し地面に倒れ込む父。しかし。
「こいよ」
仰向けに横たわり、丸腰のまま不敵に笑う父。
「……」
私はその挑発に乗らなかった。
逃げる。父が体を治している隙に拾い上げていたいまはもう空になったヴィザリオ師の銃を杖代わりにまだ動かしづらい足を引きずって今は逃げる。魔人には赤蛇の他に技があることをザイチェフ師、いやクリエムヒルト寺院に伝えねば。今は、今はそれだけで十分だ。
背を向け、父から歩み去る。これが最善。これが最良。自分にそう言い聞かせながら。
一度だけ振り返ってみた。地面に倒れ、足に埋め込まれた散弾を抜きながら燃えるような目で父は私を睨んでいた。
今度会うときは最後の殺し合いになるだろう。私はそう直感しながら、まだうまく動けない足を引きずってこの森から抜け出した。