顛末
三日間。
寺院内の片付けが終わるまで私は正面で休むことなく歩哨をしていた。三日後大僧正の昼夜を問わない尽力もあってどうにかやり繰りが付くようになり、ようやく歩哨を交代することが出来た。その間にソーニャの遺体もすでに埋葬され、ついでに犯人もあっさり捕まっていた。犯人は『俺じゃない』とは言わなかった。むしろそうしたことを誇ってすらいた。私はとても腹が立ち、どうにかして殺してやろうと思ったが、大僧正に止められた。
「あなたはクリエムヒルト寺院の一員なのですよ。寺院の法に従いなさい」
……これを持ち出されては私は黙るほか無かった。歯を食いしばって復讐を止めた。
二週間後。ザリコフツカヤに駐屯していたハドロフ司教率いる前線部隊の一部が寺院に帰ってきた。その間ずっと私は交代で外壁の正面を見守り続けた。魔人は結局現れなかったけれど、昼夜を問わず外を見張り続けた。それが償いだと思った。
一部の人員が帰って来たことで寺院には余裕が出来、魔人に殺された武装神官の集団葬儀とその武装神官に殺されたソーニャのささやかな葬儀が営まれた。
ソーニャを殺した犯人は院内裁判を受け、罰として霊所の新しい番人に指名された。一生地下から外には出られない、寺院で二番目に重い罰だ。つまりあの地下で亡くなった老人も以前罪を犯した人間だったと言うことになる。どんな罪だろうか。それを聞く機会が大僧正からあった。
「あの人は、私の代わりに罰を一身に受けたのです」
「というと?」
「昔、昔のことです」
私が聞くとどこか懐かしげ、そすして寂しげに大僧正は当時のことを語ってくれた。
「私達は不義を犯したのです」
「不義……?」
私が尋ねると大僧正は微笑んだ。
「愛し合っていたと言うことですよ、リューシカ」
「愛し……あって?」
「そう、もう何十年も昔の話になります。あのことは私もあの人も若かった」
「……」
私は無言で大僧正の次の言葉を待つ。
「……私から誘ったのです。リューシカ。あの人は若く美丈夫で、大して私と言えば狼の言葉を理解できると言うだけの寺院の置物でしかありませんでした」
「置物……」
それは何となく今の私と立ち位置が似ているなと思った。
「そう置物です。でもそんな私でもあの人は愛してくれた。それが嬉しかった。私達は少しずつ大胆にかつ情熱的になって周囲が見えなくなっていきました」
「……」
私には愛だの恋などはわからない。経験しようとも思わない。だけど大僧正の話にはどこか惹かれるものがあった。
「ですが、そんな私達の行為はいつしか寺院中に噂として広がり、ついに現場が押さえられました。知っての通り寺院内の人間による恋愛や結婚は認められていません。……あの人は一言も弁解はしなかった。ただ自分が悪いと繰り返すだけで」
「そして地下の番人に……」
私は呟く。
「ええ、一番近くて一番遠い場所へ行ってしまった。そのあとは一度も会っておりません」
「一度も……」
「ええ」
「葬儀にも?」
「……はい。見せる顔がありませんから」
大僧正はそういって目を閉じる。それはどこかあの老人のことを懐かしんでいるように見えた。やがて目を開くと私に向かって言う。
「なぜこんな話をしたかわかりますか」
「……いいえ」
「年寄りの戯言です。気にせずに」
「……はい」
私はそう言い、この話は二度とされることはなかった。
時は流れ冬が終わり、ハドロフ司教達がザリコフツカヤの村から帰って来た。戦果は無し。けれども魔人ドラコフの被害がなかったのは自分たちのおかげだとハドロフ司教は自信たっぷりげだった。
ザイチェフ師とヴィザリオ師も帰って来た。何でも村々で魔人に対する対処の方法を教えて回っていたのだという。
「まあ戦果がないのが戦果と言えるんじゃないかの」
「こっちはひどい目に遭いましたけどね」
私が言うとハドロフ司教は少し考える仕草を見せ言った。
「うーむ、村々で大々的に宣伝をうったからのう。それが魔人に嗅ぎつけられたのやも知れぬ。確信はないがの」
「宣伝が最大の防衛と言うことですか」
「そういうことじゃ」
「そして宣伝が魔人をここに招いた」
「……おぬしも言うようになったの」
そうはいったが別にハドロフ司教は嫌な顔はしなかった。むしろ楽しげに見える。と、ザイチェフ師とヴィザリオ師が遅れてやってきた。ザイチェフ師が言う。
「魔人を二人、いや三人殺したんだって? やるじゃないかリューシカ」
「……誇っていい」
ヴィザリオ師も同意する。
「でもソーニャが……」
私が呟くとハドロフ司教は憤慨した顔を見せた。
「寺院にも悪い奴もいたもんじゃ。だがおぬしが気に病む必要はない」
「そうでしょうか」
「そうにきまっとる。なんならわしの権力で復讐させても良いぞ」
「いりません……」
私が答える。
「なぜかの?」
「ソーニャはそんなことをしても喜ばないから」
「ふむ」
「それに人殺しはしたくありません」
「いい答えだ」
ザイチェフ師が言いヴィザリオ師も無言で同意する。
「ふむ、おぬしも成長したということじゃな」
「母親の敵と言われたときは、正直、肝が冷えたぜ」
ハドロフ司教とザイチェフ師が言う。私は少し恥ずかしくなって謝った。
「……あのときは申し訳ありませんでした」
「いいんじゃよ。わしは殺されて叱るべき様なことを何度もしておる。今回だってそうじゃ。生き残っている者のうちには魔人ではなくわしこそを恨んでいる人間もおるじゃろうて」
「そうかもしれませんね」
「そこは否定して欲しいのう」
「事実でしょうから」
突き放すように私。
「ふむ」
「それでどうなさるおつもりですか」
「どうもこうも大僧正の腹の内一つよ。まあわしとしてはこの遠征は続けたいと思っておる。今年は現れなかったが危ないのはむしろ来年じゃなにしろ奴は……」
「腹を空かせてる」
ハドロフ帰郷の言葉をヴィザリオ師が引き継いだ。その言葉を聞いてハドロフ司教は盛大に頷く。
「そうじゃ。ドラコフが近場まで来た形跡はある。もっとも今年のような大人数での遠征というわけにはいかんじゃろうがな。そしてなによりも遠征は金になる」
「金ですか」
私は言った。
「そうじゃ、大事なんじゃよ。寺院の壁は直さねばならんし失った人員も補充せねばならん。いまこの寺院は金を欲しておるのじゃ」
「そこを突くわけですか」
私は言うとハドロフ司教は驚く。
「おぬし、だいぶ物わかりが良くなったの。まるで別人じゃ。なにがそこまでおぬしを変えたんじゃ?」
「……わかりません」
本当はわかっている。私はソーニャというゆりかごから出たのだ。そのとたん冷厳な目で世界が見えるようになった。そうしてハドロフ司教の考えも、一方的な視点ではなく多角的に、天秤に掛けて考えられるようになった。それだけだ。だがそれを伝える気にはさすがにならなかった。
「ふむ。言いたくなければ言わんでもええ。さて、叱られに行ってくるとしようかの」
ハドロフ司教はそれすらもきっと悟ったのだろう。そんな口調で会話を終わらせた。去り際にこんな言葉を残して。
「ザイチェフ、ヴィザリオ、リューシカを鍛え直してやってくれ」
「了解しました」
「承知……」
それはこちらも望むところだった。こうしてソーニャのいない季節が始まった。