人殺し
「ソーニャ!」
私は叫ぶ。なんでこんなときだけ声が出るんだろう。なんでさっきまで出なかったんだろう。不思議で不思議で仕方ない。
ソーニャからの返事はなかった。私は見張戸から懸命にソーニャの姿を探す。けれど見えないのだ。ソーニャの姿が見えないのだ。どうしてもどうしても見えないのだ。そして消炎と真新しい血の臭い。
「うそ、だよね……」
私の口から言葉が零れる。それに対する返事は何もなかった。ただ去って行く男の靴の音のみ。
「待ちなさい! ソーニャをどうしたの?」
私はその足音に向かって叫ぶ。いやわめく。けれどそれに対する返事もなく。足音すら消えた。わからない、何もかもわからない。全くの暗闇に取り残されたようだ。
「開けて! すぐここを開けて!」
叫ぶ。返事はない。
「ソーニャ、返事をして! ソーニャ!」
叫ぶ。返事はない。
「ソーニャ! ソーニャ! ソーニャ!」
何度も何度も叫んだけれど、ソーニャはいつもの笑顔を見せてくれなくて。ただ時間だけが経って行く。
私は狂ったように戸を叩く。血が出るのも構わない。ソーニャさえ元気な顔を見せてくれたら、この流血なんて関係ない。そして魔人が開けた穴のことを思い出した。あの魔人にできるくらいなら私だって。
扉から離れ、適当な壁を探す。そこに向かって思い切り体当たりをする。痛い。けれど痛みなんてどうでも良い。何度も何度も壁に体当たりする。自分の体が潰れたって構わない。ソーニャの無事さえ確認できれば。この体など潰れてしまっても。そしてふと治ってしまっている手の傷が視界に入る。
「……だめ」
そうだ、私は思い返す。私が傷ついたら、側にいるはずのソーニャの生命力を奪ってしまう、裏口へ、裏口へ向かうんだ。あそこにはまだ魔人が開けた穴が残っているはず。
「ソーニャ! 今行くからね!」
私は大声で叫び寺院の壁伝いに走って行く。何度も何度も転びそうになりながら、さっきまではあんなに疲れていたのに、今は憑かれたように私は走る。角を二回曲がって裏口へ。そこには魔人が開けた穴が。そしてそこを守る二人の武装した神官。
「入れてください! リューシカです!」
私はぜいぜいと息を切らしながら彼等に頼む。
「だめだ、いまはここが最前線なんだ。外から来たものは誰も入れるなとの命令もある」
武装した神官の返事は優しいものだが態度は頑なだった。
「ソーニャ、ソーニャが危ないんです! どうかどうか入れてください!」
私は必死に頼み込む。
「今は中を片付けている最中だ。それが終わったらな」
「そんな!」
私は叫ぶ。
「リューシカ、お前、魔人の娘だろ」
「はい、そうですが」
「だから中には入れさせられない」
「なんで!」
私は尋ねると、神官兵の一人がため息をついて言った。
「また血に酔われたら困る」
「……」
そのことばに呆然とする。そうこの人は……見覚えがある。確かダヴィード司教の部下の人。一年前私が魔人ドラコフに襲われた町でやったことをその目で見ている人。けど。
「私は一度ここから入って中の惨状を見ました! でも血に酔ってなんかいません」
「中の惨状を見たのか」
「はい」
「それで血に酔わなかったと? 誰か証明できる人は?」
「……いません」
私は答えた。
「……では無理だ」
その言葉に私は噛みつく。
「今は一刻を争うんです! こんな問答をしている時間なんて無いんです! ソーニャが、ソーニャが!」
私の必死の訴えに二人の武装神官はひそひそと話し合う。
「待っていろ、いま確認させる」
「確認は私がします。どうせ片付けには役に立たない身です」
「そういうわけにはいかん」
「私もクリエムヒルト寺院の一員です!」
私は大声で叫んだ。
「しかし……」
困ったような彼等の声。彼等も板挟みなのだろう。でも。そんなことを考慮している場合じゃなかった。
と、老いた女性の凛とした声。
「ならば正面を守りなさい。リューシカ」
「大僧正様!」
「大僧正様、こんな前まで出ては危のうございます」
私は叫び。武装した神官は注意を呼びかける。
「ソーニャは! ソーニャはどうなりましたか?」
さっそくたずねる私。
「……残念ながらあの子は天に召されました」
「え……?」
呆然、というよりきょとんとする私。
「……付いてきなさい」
大僧正はそんな私に言う。
「よろしいのですか」
武装した神官のうちの一人が言う。大僧正は静かに答えた。
「私も片付けには役に立たない身です。リューシカ、行きましょう」
「……はい」
私は二人武装神官の間を通る。彼等は無言で私を通してくれた。
「あの……本当に、ソーニャは……」
「私は嘘偽りは申しません」
大僧正の言葉。
「それじゃあ、本当に……」
「はい」
「誰が殺したんですか!」
叫ぶ私。
「まだ誰が殺したかは不明です。ですが寺院のものであることは確かです」
大僧正の言葉に頷く私。早口で大僧正にまくし立てる。
「そうです男の人です。扉越しなので声はうまく聞き取れなかったけれど、たしかに男の人でした!」
「恥ずべきことです。寺院の長として情けなく思います」
「それで、ソーニャは今どこに」
私は尋ねる。
「まだ撃たれた場所に」
「どうして!」
その言葉に激昂する私。
「落ち着きなさい。誰が撃ったのか調査が必要なためですよ。リューシカ」
「はい……」
「では行きましょう」
その言葉と共に静かに大僧正は歩き出した。そっと私がその老体を支える。
「……」
心臓がバクバクしている。
寺院の入り口に近づく度に、冷えたはずの私の心臓が。走り出したい。けれど大僧正の体を支えているという事実が私の体を止めた。まるで落ち着きなさいと言っているかのようだ。そうだ。落ち着け。落ち着いてソーニャの元へ。遠回りしたさっきまでとは違って今は入り口までほぼ一直線だ。その間に心を心を落ち着かせないと。私達二人は無言でゆっくり歩く。
そして入り口へ。
最初は私の目でも小さな点だった。
やがて人の姿だとわかった。
そしてソーニャだとわかった。
ソーニャは。
まるで眠っているかのようだった。
けれど胸からは血を流していた。
それが地面を赤く汚していた。
「足跡を踏まないように。リューシカ」
「……はい」
大僧正に注意され少し遠回りをしてソーニャの所へ向かう。やがて表情が見えた。笑ってた。微笑んでいた。もう押さえきれなくなった。
「ソーニャ!」
私は叫ぶ。返事はもちろん無かった。もう関係なかった。最後の良心で大僧正をしっかりと地面に立たせ、私はソーニャの元へと駆け寄った。
「ソーニャ、ソーニャ、ソーニャ!」
体を揺さぶる。もう、冷たくなっていた。絶望が私を押し寄せる。私はソーニャの体を抱きかかえ目を瞑る。涙が目から溢れこぼれ落ちた。そうして思う。
私のせいだ。ああ、私のせいだ。ソーニャを殺したのは私だ。
最後の言葉一つ残さずにソーニャは逝ってしまった。
側までようやくたどり着いた大僧正がソーニャに向かって十字を切った。
「リューシカ」
しばらくして大僧正が言った。
「何でしょう」
ソーニャを抱いたまま私は尋ねる。
「務めを果たしなさい」
「嫌だ。ソーニャと一緒にいるんだ!」
ソーニャをぎゅっと抱きしめ、私は言う。
「私が裏口で貴女を通したのは貴女がクリエムヒルト寺院の一員だと叫んだからです」
「……」
「寺院の一員なら、矜持を持ちなさい。正面を守りなさい、リューシカ」
大僧正は静かな声で言った。私もゆっくりゆっくりかみ砕くように理解する。
「……わかり、……ました」
私はソーニャをゆっくり元の位置に横たえると、涙をぬぐって立ち上がる。そしてソーニャにお別れのキスをすると小さな声で言った。
「……さよなら、ソーニャ」
私は寺院の外壁の階段をゆっくりゆっくり上っていく。……守らないと、みんなを。そんなことを呟きながら。自分はクリエムヒルト寺院の一員なのだから。