後始末
老人の無残な死体の前を通り地上へ。眩しさに目を凝らす。
「生きてる人いますか? 戦える人はいませんか?」
そして叫ぶ。けれど返事はなかった。何度も何度も叫ぶ。ようやく何人か集まってきた。皆無傷だ。
「魔人は……?」
彼等の中の一人がおそるおそる私に尋ねる。
「倒しました……自分以外は。あなたたちは……?」
何故無事なのか尋ねようとして私は口をつぐむ。いまさら野暮なことだ。と、遅れてクリエムヒルト大僧正が姿を現した。
「彼等は皆、私や地下壕の護衛です。無傷なのはそのせいです。リューシカ」
私の心を悟ったようなクリエムヒルト大僧正の言葉。
「魔人は地下へ向かったようですね」
「はい」
大僧正の言葉に私は答える。
「どうなりましたか」
「死にました。寺院に囚われていた彼の奥さんと一緒に」
「そうですか……地下に生存者は?」
「いません。囚われた魔人以外は。……魔人は死ねませんから」
「ではあの老人は」
さらに尋ねる大僧正。私は老人の無残な亡骸を思い出し目を伏せ言った。
「亡くなりました」
「そう……」
少し寂しそうな目をする大僧正に私は頼み事をする。
「あの、お願いがあるのですが」
「何でしょう」
尋ねる大僧正に私は腰のポケットから瓶を取り出した。私はと言えば一人で二人の魔人を倒し正直もう立っているのも辛いくらい心が疲労困憊している。
「ここに侵入した魔人の血が入った瓶があります。誰か、これで寺院の入り口前で拘束してある魔人を殺して来てくれませんか。おそらく侵入した魔人の類縁です」
私は言うが彼等は誰も答えない。ただ顔を見合わせて大僧正の言葉を待つだけ。クリエムヒルト大僧正はふうとため息をつくと言った。
「ごめんなさい。彼等達には手分けしてもらって生存者の捜索や怪我人の救護にあたらせないと」
「そう、ですか……」
私は言う。
「申し訳ないのですがあなたがやってください。リューシカ」
「はい……やります。では、入り口の鍵を貸してください」
私はしかたなく了解し左手を差し出す。けれど反応はひどく冷たいものだった。
「それもできません。あなたは最初に対処したとおりに壁から飛び降りて倒した魔人の元に向かってください」
「……どうしてですか?」
その言葉に私は尋ねる。大僧正は少し辛そうに答えた。
「あなたと外の魔人、いやあなたがその気になるだけで、今のこの寺院は簡単に滅ぼせてしまうんですよ」
「つまり私が裏切ると……?」
その考えは私の頭の中に全く無かった。私は驚愕する。
「残念ですが……そう考える人もいるということです」
大僧正の言葉に私は激昂する。いや取り乱したと言った方が良い。
「そんな、ひどい! 私は命がけで二体の魔人を倒したのに!」
「わかっています。けれどそれがあなたの仕事です」
落ち着きを取り戻してきたのか淡々とした様子の大僧正。続けて私に言う。
「それと狼に見張らせていますから、外の魔人の拘束を外した時点であなたを敵と見なさせていただきます。いいですね?」
「……」
私は唇をぎゅっと継ぐんで沈黙した。
「わかりましたか?」
念を押すように大僧正。
「はい……」
私は了解するしかなかった。とぼとぼと入り口の方へ歩く。そして外壁の階段を上って外に飛び降りた。痛い。ひどく痛い。最初の時はなんとも感じなかったのに。私はしばらく屈んだまま痛みに耐えると、ゆっくり立ち上がり倒れた魔人の方へ向かってゆく。固い固い雪の地面の上を。
「なんで、こんなことまで! 私が!」
怒りを踏みしめる雪にぶつけながら、歩いて行く。やっぱり自分はただの道具でしかないのだろうか。それとももっとおぞましい恐怖の対象なのだろうか。そんなことを考えながら歩いて行く。やがて白い衣装の女魔人のいる所までたどり着いた。首と胴体が離れてもまだ生きている。心臓に杭が打たれても、手足を縛られ拘束されていても。……確かにおぞましいかも存在かも知れない。
「助けて……おねがい」
私を見とがめたのかヒューヒューと喉の方から音を出しながら女魔人はか細い声で懇願してきた。
「助けて……おねがい……何でもするから……」
もう一度。その姿に今の自分の立場を重ねて胸に吐き気がわき起こる。
「助けて欲しいのはこっちよ」
私は視線を外して小さく呟く。
「せめて拘束だけでも外して……、人間らしく死にたいの……」
頼む女魔人。外してあげても良かったがそんなことは許されてない。許されていない。
「人間らしくですって?」
だから私はせせら笑った。手に持った鉈に赤い髪の魔人の血を塗りたくって行く。
「あなたは魔人よ。魔人らしく死になさい!」
「あなたも魔人のくせに! この同族殺し!」
私は大きく叫び、ヒューヒュー喉の音をさせながら首だけの女魔人は小さく叫ぶ。
「うるさい!」
私は叫ぶ。赤い髪の魔人の血を帯びた鉈の一閃が光る。その一閃は女の魔人の顔面を真っ二つにした。それで女の魔人は動かなくなった。私は本当に女魔人が死んでるか確かめる。……死んでる。私が殺したんだ。これが私の選択。そうして魔人が魔人を本当に殺すという新たな矛盾。いやそれは地下の時からすでにあった。ただ思考になかっただけだ。私は立ち上がり呆然と思いを馳せる。周りにはどこまでも白い雪原が広がっている。
……このまま逃げようかな。逃げても怒られないよね。むしろ逃げろと言うサインなのでは。私は一人立ち尽くしぼんやりと考える。
「……」
駄目だ。しばらく考え私はそう判断した。今は逃げおおせられたとしても、寺院にはソーニャがいる。強力な本隊が前線に駐屯してる。ハドロフ司教はともかくザイチェフ師やヴィザリオ師を裏切ることになる。武器もこの鉈一本しかない。後はせいぜいこの女の魔人が持っていた鎌一本。赤蛇も使えない。町への行き方も知らない。そんな魔人あっというまに狩られてしまうだろう。
「帰ろう……」
呟く。結局私の居場所は寺院にしかない。つまり所詮私は道具なのだ。寺院の道具。そして犬。それが私。私は泣いた。すすり泣いた。大声で泣いた。けれども足は寺院へと向かう。愛用の鉈を落とし、子供のように泣きじゃくりながら、それでも私は寺院へ帰って行く。ひどくひどく惨めな気持ちだった。入り口近くまでたどり着き、そこでへたり込む。もう心の限界だった。
それを救ってくれたのは一人の女性の声。
「リューシカ! リューシカ!」
「ソー……ニャ……?」
私は涙でくちゃくちゃの顔を上げる。そこには寺院の外壁のに立つ別れたときと変わらぬままのソーニャの姿があった。ソーニャは私の顔を見て安心したような声を出す。
「そうよ。ああ、リューシカ、無事だったのね」
「無事じゃないよ……」
涙混じりの声で私。確かに体に傷はないが衣装は血だらけ穴だらけだ。それをみたソーニャは謝罪の声を発する。
「ごめんね。でも地下壕に入った人達はみんな無事よ。みんなあなたのおかげよ、リューシカ」
「いや……」
多分あの赤い髪の魔人はそこを襲う気持ちなど全然無かっただろう。だけど言う必要もないことだ。
「今入り口を開けて貰うから」
そういってソーニャは姿を消した。私はソーニャの言葉に気力を貰い立ち上がると入り口まで歩いて行く。入り口でしばらく待っていると見張戸を開ける音がしてソーニャがそこから顔を覗かせる。寂しそうな顔で。
「ごめんね……」
「どうしたの?」
謝るソーニャに私は尋ねる。ソーニャは僅かな沈黙の後答えてくれた。
「あの……あのね……。しばらくそこで待っているようにと言われて鍵は貸して貰えなかった」
「そう……」
まだ警戒しているのか。私は落胆する。
「本当にごめんね。一生懸命頼んだんだけど……」
私はソーニャの言葉に口を挟む。
「いいよ……別に」
私は自虐的に笑った。涙が頬を伝うのがわかる。
「リューシカ? 泣いてるの?」
「泣いてないよ。悲しいだけ」
「どうして悲しいの?」
「どうしてだろうね。自分でもわかんないや」
涙をぬぐいながら私。
「だいじょうぶ。わたしが側にいるから。側にいられないけど側にいるから」
ソーニャは優しくそう言ってくれた。
「ありがと……」
私は素直に感謝してそっと見張戸越しに扉に体を寄せる。ソーニャもそうしてくれた。扉越しにソーニャの体温を微かに感じる。ソーニャは冷たい魔人の体の私のことなど何も感じてないだろうけど。それでも何かが繋がったような気がした。
「ねえ、ソーニャ」
「何?」
「やっぱり、泣いていい?」
「いいよ。リューシカがそうしたいなら」
「ありがとう……」
そういったとき扉の向こうから誰か知らない男の大声が聞こえた。
「おい、ソーニャ! 何やっているんだ! ちゃんと働け!」
「……だってさ、ソーニャ」
私は力なく笑ってソーニャに言う。いや笑ったつもりだったのかも知れない。なぜならソーニャはこう言ったからだ。
「ううん。わたしはリューシカの側にいる。泣き止むまでずっとずっと側にいる」
「……」
そのとき私はどんな顔をしただろう。自分ではわからない。
「おい、聞いてるのか!」
「外にリューシカがいるんです!」
一端振り返りソーニャが叫ぶ。
「やかましい。魔人のせいで大惨事なんだぞ!」
「でも寺院を守ったのもリューシカじゃない!」
「うるさい! 何人死んだと思っているんだ! その中にはソイツが殺した分もあるかも知れない!」
そこまで言うか。私はぎゅっと拳を握りしめる。
「リューシカがそんなことするわけ無いじゃない!」
叫ぶソーニャ。
「何も見てないお前が!」
ザッザッザッと、扉に近づく足音と大きくなる声。
「じゃあ、あなたは何を見たのよ!」
ソーニャが男に向かって言葉を叩き付ける。
「やめなよ」
私は言う。いや懇願する。
「行って、ソーニャ」
けれどソーニャは私を見つめ悲しそうな目で私に言う。
「駄目。行けない。今のリューシカを置いてなんて行けない」
「いいんだ。もう、大丈夫だから。早く」
私はソーニャに懇願する。男もそれを聞きつけたのか、下卑た声で私に同意する。
「だとよ」
「でも……」
「ご本人様が言っているんだ。さっさと動け!」
ソーニャの頭が見張戸から消える。きっと男が突き飛ばしたんだ。それでも。
「……いやです」
きっぱりした声でソーニャ。見えないけどきっと男を睨んでいるんだろうなとわかる。
「だめ、ソーニャ。それ以上逆らっちゃ駄目」
私は扉の向こうで叫ぶが喉が絡まりうまく声にならない。祈るような声しかでないこれではソーニャに届かない。……そして一発の銃声が扉の向こうで轟いた。