激闘
走る。走る。寺院に向かって。けれど歩みは重く、体はふらつく。それでも懸命に走る。――何のために? またそんな疑問が頭をよぎる。
「そんなの決まってる」
声に出して呟く。ソーニャ。ソーニャの為だ。ソーニャの居場所を守るためだ。今頃地下壕で震えているだろう彼女のことを私は思い、力を振り絞って駆ける。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ようやく寺院前にたどり着く。けれどもせっかく寺院にたどり着いたのに、扉は閉ざされたままだ。壁も魔人の力では上れないように細工がなされている。
「だれか、だれか、開けて!」
私は扉に向かって叫ぶ。だけど叫んでも返事がない。
「リューシカです! 外の魔人は倒しました。もう一体の魔人はどこですか?」
もう一度叫ぶ。けれども扉は開かないし誰も返事もしない。
「まったく!」
口とは裏腹に不安になって、私は焦る。そうして寺院の裏手の方で壁が崩れるような音がしていたのを思いだした。
「あそこだ!」
わたしは表口を諦め、寺院を半周して裏手に回る。ひどい遠回りだ。だけど仕方ない。だれも返事をしないんだもの。私は一抹の不安を感じながら裏口の方へと駆ける。そして傷。傷の治りが早い。早すぎる。まるで誰かの死んだ命を奪っているような……。考えてはいけない。考えてはいけない。私は足を速め。そして裏口が見えるところまで――。
「何……どうしたらこうなるの……?」
思わず足を止める。そこには散らばった寺院の壁の残骸と人一人が通れるくらいの穴。そして血、血、血。真っ赤な血の跡が。……寺院の人間の物ではない。魔人の物だ。
体当たりか爆薬による自爆で寺院の壁を突き崩したとでも言わんばかりに血の跡が散らばっている。
「なにこれ……」
どこまでの妄執があればここまで出来るのだろうか。私は慄然とし、しばらくその場に立ち止まったまま動けない。
「そうだ、中の人は!」
思い出し、魔人がこじ開けた穴から中に入る。そこも血で一杯だった。ただし寺院の人間の。赤蛇ではなく、一人一人確実に殺してある。銃で、突き落として、貫いて。さっき戦った女の魔人とは比べものにならない強敵であることを確信する。
私でも勝てるかどうかわからない。それでも。血の跡を追って走る。血の跡は地下の霊所に向かって続いていた。寺院の神官達は激しく応戦したのだろう。途中途中で破壊された寺院の施設や彼等の死体を見つけた。地下の入り口の番人も銃で殺され倒れていた。
私は去年の冬に出会った老人のことを思い出す。老人は無事だろうか。私は急いで地下への道を通っていった。そこには、自室の入り口を背にして倒れ込む老人の姿があった。私は慌てて近づく。銃で胸を撃たれたのかその部分を手で押さえている。
「やあお前さんか……。見ての通りやられたよ」
「おじいさん!」
私は叫んだ。鮮血は胸からドクドク出ている。まだ撃たれたばかりだ。
「ははは、その名前で呼ばれるのも久しぶりじゃの」
「もうしゃべらないで!」
「やれやれ、ここには二度と来んことを祈っておったがまさかこんなことになるとはな」
「だからしゃべらないで!」
「奴は霊所に……」
血まみれの手で霊所を指さす。そこの扉は開いていた。そうして老人が持っている鍵がない。おそらく魔人が奪っていったのだろう。
「わかった。だから……」
私は涙声になっていた。
「すまん……」
それだけいうと老人は事切れた。私は涙をぬぐって立ち上がる。もうあの女魔人につけられた頭の傷は完全に治っていた。ぱりぱりと乾いた血と脳漿の塊も落ちる。
「いかなきゃ……」
そうして私は老人が以前惨いところと言っていた霊所に初めて足を踏み入れた。
暗い。寒い。そして臭い。それが最初に感じた印象だった。やがて目が慣れてくると老人の言ったとおり凄惨な光景が広がっていた。釘で心臓を刺され、両腕に金属片を入れられ、縛られ、吊されたいくつものいくつもの魔人の死体、ではなく彼等は生きているのだ。魔人は死ぬことがないから。死ぬことが出来ないから。その証拠に彼等の肉体は腐っていない。だいぶやつれてはいるが生きているときそのままだ。顔は案外穏やかな顔をしている。それは私が以前殺したからだろうか。それとも元からだろうか。わからない。
それにしても地下にこんな広い空間があるとは。魔人はどこだろう。暗がりの中、私は音を立てないようにして魔人を探す。魔人は簡単に見つかった。大きな音を立てて一つの縛られた魔人の縛めを力任せに解いている。背中と後ろ頭しか見えないが赤い髪で巨漢の男の魔人。……どうするべきか。声を掛けるにしても武器がない。ここは暗殺しかないか。私は愛用の鉈をそっと出し魔人の背後からゆっくりゆっくり近づく。
相手の武器はこれまでの殺害方法でわかってる。銃に剣。あるいは銃剣かも知れない。遠距離から攻撃されるとやっかいだ。一歩一歩音を立てないようにして近づく。もうすぐだ。魔人は縛めから解かれた女の魔人を抱え、跪いている。今が好機。無音の中、私は鉈をゆっくり振りかぶる。本当はさっきの白い女魔人の血を塗りたいが、今はよけいな音を立てたくない。あと五歩、四歩。
「ねえ、ねえ、ねえ。赤髪の魔人さん。後ろに注意した方が良いわよ」
そんな静寂を破ったのはいの地下に住まう生霊イナンナの声だった。赤い髪の魔人は女の魔人を抱えたまま私に向かって振り返る。目と目があった。燃えるような赤い眼。怒りに満ちた赤い眼。
けれど遅い! 私は三歩走って鉈を振り下ろす。赤い髪の魔人はそれを右腕だけで受け止めた。
「えっ」
私は驚く。首をも切断できるはずの一撃だった。それが腕一本さえも切り落とせないなんて。
「この力、お前、魔人だな。しかし弱い。できそこないか」
赤い髪の魔人はあざけるように言う。
「それがどうしたの」
私は答える。
「なぜ人間の、しかも魔人を倒す寺院の味方をする」
「さあ、私にもわからないよ」
「……バカが」
赤い髪の魔人は右腕の鉈をそのままに立ち上がる。私は鉈を抜こうとするが、筋肉の力のせいか鉈が腕から抜けない。赤い髪の魔人は丁寧に銀髪の女の魔人の死体を優しく床に横たえると左足で私を蹴り飛ばす。ものすごい力だった。私は握っていた鉈ごと壁まで吹き飛ばされてしたたかに背中をぶつける。
そして赤い髪の魔人は床に置いてあった銃剣を拾いあげ私の心臓に狙いを定めた。そして私に問いかける。
「できそこないでも魔人なら聞きたいことがある」
「な、なに?」
「どうして我が妻は目覚めない」
「我が妻?」
「そうだ。我が妻だ」
「そこに横たわっているのがあなたの奥さんなの?」
私は尋ねる。
「そのとおりだ。この寺院の物に捕まり二百年以上ここに囚われていた」
「二百年……」
「そうだ、長い年月だ。その間オレは力を付け寺院が手薄になるのを待った。そして時は来た。だが妻は目覚めない。何故だ!」
「それは……」
おそらく。と続けようとしたとき、イナンナの生霊が口を挟んだ。
「ねえ、ねえ、ねえ。悪いけどその子、もう心が死んでるわ」
「心が死んでるだと?」
イナンナの方を向いた赤い髪の魔人の銃身がぶれる。
「そう、そう、そう。少し前にその魔人の子があの子の心を壊したの。……あの子、死にたがっていたから」
「死にたがっていただと?」
「そう、そう、そうよ」
イナンナは快活に笑って言う。代わりに愕然とする赤い髪の魔人。私から銃の狙いを外し床に手を突き慟哭する。
「オレが来るまで待てなかったのか! オレはずっとずっとお前を助けるためだけに生きてきたというのに!」
「うふ、うふ、うふ。そんなの知らないわ、赤髪の魔人さん」
イナンナは赤い髪の魔人の周りを飛び回り上機嫌そうに言葉を続けた。
「ねえ、ねえ、ねえ。ところで話は変るけど代わりにあたしを助けてくれない? そこの杭を引っこ抜いてくれればいいの。そう、そう、そう。そうすればあなたとあたし二人でこの子を……」
「やかましいぞ、小娘!」
魔人はやおら立ち上がると宙に浮かぶイナンナの首を掴んでへし折る。イナンナの生霊はポロポロと崩れ床に落ちて消えていった。
「イナンナ!」
思わず叫ぶ私。
「次はお前だ。できそこない」
イナンナを灰にし振り返る赤い髪の魔人。その言葉には真っ赤な憤怒が満ちていた。
「我が妻をよくも殺したな」
「死にたいと思っていたから殺しただけよ」
私は答える。
「減らず口を」
けれど私は覚えてない。彼女の生霊を殺したと言うことを。あのときはただ助けを求める生霊を殺すことだけで精一杯だった。そのなかに彼女がいたなんて、私は覚えていない。
「外の魔人もあなたが?」
代わりに私は尋ねる。
「そうだ、この日のために用意した手駒だ」
「妻を助けに来たのに二股とは大したご身分ね」
「まさか」
私が言うと僅かに驚愕する赤い髪の魔人に私はわずかに微笑む。
「ええ倒させていただいたわ。血も採取した。この類縁の血であなたを殺す!」
「……ふん。そう簡単にいくかな」
赤い髪の魔人はそう一蹴したが、僅かに怯みの色を見せるのを私は見逃さなかった。起き上がる。痛みはもう無い。ここは傷がすぐに癒える。魔人達の生命力を使って。わるくない。そう、悪くない場所だ。だが、相手の力量は計り知れない。勝負は互角か。それとも不利か。私は鉈を構え直し、相手の様子を覗った。
そして戦闘は始まった。相手の銃口が動く。私はそれを避けるように吊された魔人の陰に隠れる。発砲。命中。だけど吊された魔人の体は完全に弾丸を体内に留めてくれた。私は吊された魔人の体の列に沿って相手の近くへと移動する。私の銃は壊れている。接近戦を挑むしかない。
相手もそれを知ってか知らずか動こうとせずに、彼が妻だという死体の側から離れずに私に対して銃撃を続ける。まるで遊んでいるようだ。接近戦でも勝てる自信があるのだろう。だけど。
「この血で……」
私は鉈を口で咥え左手でさっき外で採取した白い服の女魔人の血を鉈に滑らせる。そして再び鉈を左手に持ち替えると吊された魔人の陰から躍り出た。
「やぁぁぁぁぁ!」
最低一回は銃撃されることを考慮して右手の籠手で心臓を庇いながら左手の鉈を振り上げる。いくら魔人でも撃つとき反動で銃は上に向くはず。それを考えての下からの攻撃だった。しかし。
発砲はなかった。かわりに銃剣がするすると伸びて鉈とぶつかり合い、火花を散らす。私は力を込め、鉈を押し込む。銃剣は私の力に負けて上を向き……、私の心臓に狙いを定めた。そのまま突き入れてくる。右手の籠手で庇う。男は力任せに私の右手ごと心臓を貫こうとする。だがそれは無理だろう。この籠手はとても硬い金属で出来ているから。鍵が無ければ外せない。私は鉈を引き今度は上から頭をかち割ろうとする。
その瞬間男が肩でタックルを私の胸元に入れた。吹き飛ぶ私。守っていた心臓から外れる右手。そして発砲。その銃弾は完全に私の心臓を貫いていた。私は床に大の字に倒れる。続いて左手首に銃剣が刺さる。そして赤い髪の魔人は鉈を足で蹴り飛ばした。魔人の血のついた鉈は遠くへ飛んでいってしまう。
「これで終わりだ」
「まだよ!」
右手の細身の刀身を赤い髪の魔人に向ける。男はそれを見てせせら笑った。
「なるほど戒められた教会の犬と言うことか。ならばオレも貴様を戒めてやろう!」
そう叫ぶと地面から長い鉄製の杭を拾い上げ私の心臓に向かって突き入れる。
「これはオレの妻を戒めていた杭だ!」
「くっ」
それを右手の籠手で何とか受け止める。ギリギリと嫌な音がする。赤い髪の魔人は何度も何度も杭を振り下ろす。そのたびにわたしは右手の籠手で受け止める。そのたびに嫌な音がする。けれど心臓への攻撃は完全に籠手が守ってくれた。男は心臓を諦め右手が届かない左の太ももに杭を刺した。
「ぐっ!」
鋭い痛みが走る。だけど私は上体だけ起き上がり、右手の刀身で赤い髪の魔人の左腕を刺す。捕まった魔人が沢山いる『私達』にとって生命力に満ちたこの場所だから出来る芸当だ。
「効かぬぞ!」
本当に効いていないのだろう。赤い髪の魔人は刺した左手をそのままに自由に動ける右手で私の左手に刺さったままの銃剣を手に取る。そしてそれを私の心臓めがけて突き入れようとする。
「しまった!」
私は右手で庇おうとするがさっきの鉈のように刀身が男の体から抜けない。
「終わりだ」
男が宣言する。
「まだよ!」
私は左腕で赤い髪の魔人の足にしがみついた。長い銃剣では距離を取らなくては心臓は刺せない。赤い髪の魔人がわずかに戸惑う中、私は左手で壊れたリボルバーを取り出す。男は左手が外れたことで再び私の心臓を狙おうとして長い銃剣の扱いに当惑している。好機は今。狙うは頭、ではなく刀身が刺さったままの男の左手。狙いも定めずレバーを引き銃を暴発させる。
「ぐわっ!」
「きゃ!」
両手に痛みが走ったがなんとか刀身は男の体から外れた。私の両手は血まみれだ。男の左手も杭から外れた。すばやく私は右足一本で立ち上がり、右手の刀身で今度は男の心臓を刺し貫く。
「ぐっ」
赤い髪の魔人は顔をしかめる。だが致命傷ではない。心臓に届く途中で刀身は止まっている。赤い髪の魔人は不敵な笑みを浮かべ、こんどこそはと私の心臓めがけて銃剣の狙いを定めるようとする。
「動いて!」
ぼろぼろになった左手に願う。地下室の魔人達は力をくれた。私はポケットから白い女魔人の血が入った瓶を取り出し口に含むと男の顔に向かって吹きかけた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
類縁の血を浴びた赤い髪の魔人は血を浴びた箇所から煙を上げながら悲鳴を上げて後ずさりする。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
私は息を落ち着かせ左ももに刺さった杭を抜く。傷はすぐに癒えた。男の傷も。
「おのれ……」
男は怒りに満ちた目で私を睨む。私はと言えば――
床に横たわった銀髪の女魔人の体を掴むと赤い髪の魔人にむかって放り投げる。
「何ぃ! 我が妻を!」
思わず銀髪の女魔人を抱き留める赤い髪の魔人。そして私はいままで自分の太ももに刺さっていた長い鉄の杭を女魔人の右背中に向かって――受け止めた男魔人の心臓めがけて――貫き通す。
これは賭けだ。完全な賭けだ。でも目算はあった。男か女、どちらかがどちらかを魔人にしたのだと。そしてたぶん――赤い髪の魔人――男の方が――銀の髪の魔人――女を魔人にしたのだという確信。つまり二人は類縁。
「ごめん!」
何故か謝る私。
「卑怯だぞ!」
罵声を浴びせる赤い髪の魔人。
「わかってる!」
答える私。
「ぐわああああああああっ!」
叫ぶ魔人。杭は彼の妻の――類縁の血を浴び、魔人はそのままそれを心臓に受ける。
そのまま刺し貫く。嫌な感触が私の心を不快にする。けれどそれに負けてはいられない。渾身の力を込めて二人の体を一つに結びつける。抜けた感触があり杭が魔人の背から出たことがわかる。私は杭をひねり、傷口を広げて行く。
「許さんぞ! 我が身だけではなく妻の体も傷つけるとは!」
「一緒に死になさい! 魔人!」
これではどっちが悪人かわからない。いやこの戦い自体に善も悪もないのだ。ただの殺し合いでしかない。殺し合いでしか。それを止めたのは一つの優しげな声だった。
「ああ、あなた。来てくれたのね」
それは銀髪の女魔人の声だった。声は凛と澄んだもので、目をうつろに開き、赤い髪の魔人の顔をじっと見つめてる。いや本当に見ているのかどうかはわからない。ただぎゅっとしがみつき言う。
「もう、離さないで。……私を」
「やめろ離せ!」
その手と足をほどこうとする赤い髪の魔人。しかし銀髪の女魔人の力は強いのか、外れない。
「一緒に死にましょう?」
うつろな目で呟く銀髪の女魔人。
「くそ、やめろ!」
「あなたの愛はその程度の物だったの?」
私は暴れる赤い髪の魔人に問いかける。
「これは愛ではない。これは違う!」
叫ぶ赤い髪の魔人。
「そう、でも一緒に死ねばいい」
私は言葉で突き放し傷口をどんどん広げてゆく。二人の血が渾然と混じり合う。
「そう、一緒に死にましょう」
銀髪の女魔人までも私の意見に賛同する。
「くそう、女どもめが!」
「そう言った時点であなたの負けよ」
私が言う。最後の回転。そして押し込み。これでとどめ!
「ぐわぁぁああああああっ!」
「っ! ぅんんんんんんっ!」
悲痛な断末魔を残し、赤い髪の魔人は息絶えた。そして銀の髪の女魔人も。
「はぁ、はぁ、はぁ。終わった……」
全身から力が抜けそのばにへたりこむ私。けれどもまだやることがある。最後の力を振り絞って立ち上がる。
「……血を採取しなくちゃ」
そうしないと入り口にいる女魔人も死ねない。私はさっきまでその女魔人の血が入っていた瓶に赤い髪の魔人の血を注ぐ。
「これで、あの人も死ねるよね」
呟く私。そして遠くに飛んでいった鉈を探し出し、そっと地下の霊所を後にした。
その間に私の体の傷はすっかり癒えていた。心はすっかり疲弊してたけれども。