いのししではありません、乙女です
早くイチャイチャさせたいな~
アルフォード・リングス・アルテイル侯爵。32歳。
サラマイン王国騎士団、軍務西方司令を国王陛下から任命されたのは、まだ27歳のときだった。侯爵の地位をしても早い出世だと思う。
10年ほど前の戦争は、隣の国カンリエリスの貴族が国境であるミズリ川を越えてグンリズム伯爵の領地を襲ったことから始まる。
川沿いに両国の町があり、とても仲良くしていたのだ。カンリエリス側の領地が元の侯爵家の領地であったころは。
カンリエリスのその侯爵家には跡継ぎがおらず、国に領地が返還され、そこを王弟であったアレン・ルクテス・カゼインが公爵となり、封じられた。
この公爵、自分がこんな田舎の土地に追いやられたことも不服であったが、隣のグレンリズム伯爵家の土地の方が豊かで道まで行き届いているのに不満をもらしていたという。
何が彼を自暴自棄に追い込んだのかは不明だが、私兵を集め、傭兵をあつめ、王が平和主義者であることを良く思っていなかった連中をそそのかし、サラマイン王国グレンリズム領に押し入ったのだった。
にわかに不穏な空気を感じていたグレンリズム伯爵は、サラマイン国王に願い、もともと駐屯していた騎士団の人数を増やし、自分の領民からも密かに兵を募り、自らも応戦することにした。息子は自分の傍に置くのではなく、騎士団の侍従として戦う騎士たちの世話をさせることは将来を見越してのことである。
王の軍団は強かった。一騎当千ともいえる騎士団のエース、この当時はファクト伯爵であったアルフォードを中心にした若手の一軍が、カンリエリスの軍を打ち破るのにそう時間はかからなかった。アルフォードは敵であるカンリエリスの軍からは『黒い悪魔』と呼ばれたと言う。
戦いは終わったと思われた。
カンリエリスの王は弟の行動に驚き、反対から弟の軍を攻めたことも大きかった。
王の弟が捕まってその罪を償い命を落とし、緊張が緩んでいたサラマイン王国の王都リスカスの郊外にあったアルテイル侯爵の屋敷が襲われたのは王弟が命を落とした次の日の夜半であった。
アルテイル侯爵家には家格に見合うだけの私兵がいたが、暗殺を得意とするその侵入者を阻むことは出来なかった。寝室からアルテイル侯爵と奥方が喉元を掻ききられ、それに気づいた家人が声を上げて私兵が侵入者を捕まえたときには、アルフォードの妹は足の腱を切られた後だった。
「黒い髪は不吉だから殺せなかった」
暗殺者は残念そうに呟いて、歯に仕込んだ毒を噛んで死んだ。
両親をなくし、侯爵をついだアルフォードが騎士団を辞し、再び国王に乞われて戻るのに2年の月日がかかったという。
サラマイン王国には珍しい黒い髪は、遠く東の国のお姫様が東の国を遊学した何代か前の侯爵に一目ぼれして、嫁いでこられたからだという。
瞳は深い海の紺碧。敵を前にするとさながら黒豹のようだと言われているが、普段の侯爵は、その地位にも役職にも似合わないくらい気さくで鷹揚なかたらしい。
どれだけ部下との間に妙な噂をたてられても平然と受け流しているから、もしくは、本当に部下との間に愛が育てられているともいう。その部下とは、同じ部屋にいるクレインだともリリスは噂に聞いている。
エリアルはあまり出ていないが、リリスは母親に連れられてよく貴族の夫人、もしくは令嬢の主催するお茶会にでている。お茶会自体は社交界にでていなくても招待されれば出席可能だからだ。
その席で、クレインとは兄妹のように接しているからクレインのことを教えてほしいと請われることもあるし、クレインの深い愛を一緒に見守ろうとアルテイル侯爵のことを教えてもらうこともあった。
クレインのことはオブラートに包み込んで、当たり障りのない彼女たちの求める王子様的な部分を話せばよかった。が、クレインの黒い部分を知ってるリリスは、『侯爵に忠誠を誓うクレイン』だとか『王太子様と侯爵閣下の間でさまよい揺れるクレイン(愛)』だとかを真剣に話し込む方々の前でなんど噴き出しそうになったことか。表情筋を鍛えられたのはクレインのおかげともいえる。
最近は、ご婦人方の間で『薔薇の園のしじま』というよくわからない騎士団を中心にした(ほぼ男しかでてこない)小説の愛好者の会がひろがっているそうだ。ちなみに『柊の下で』というハール様が通われた学園の本もあるらしい。そちらは、密かに入手していることはエリアルとハール様には内緒だ。
リリスは自分の中のアルテイル侯爵を想像して、エリアルの話の続きを聞くことにした。 余計な知識から脚色がついてるので、そこは敢えて目を瞑った。
だめよ、リリス。閣下が少し首を俯けるとクレイン兄様にキスが出来るとか、腰に降りてきた手がそっと引き寄せたとか、思い出しては駄目!!
一週間ほど前に某男爵令嬢と読んだ文章が出てくるのを必死に彼方においやるのに、リリスは少しだけ疲れた。
エリアルは、リリスが抱き寄せてくれるのをそのまま抗わずに肩にもたれた。
親しんだ百合の香りがほのかにして、エリアルは落ち着いていくのを感じた。
「お話していてね、アルフォード様は甘すぎないお菓子が好きなんだとおもったの。だから踊っていただいたお礼に差し入れますって言ったの」
静かに、とつとつと話すエリアルの頭をリリスは撫でた。
がんばったんだろうと、リリスは思う。
「でも困ったようなお顔をされてしまったの・・・・・。私、妹だか娘のようだって言われたから、戦力外通告されてしまったような気がしてたんだけど、それでも得意分野で盛り返そうと思ってたのよ、・・・多分」
あの日の上がったり下がったり忙しい自分の気持ちを思い出して、恥ずかしくなる。
だって、あの日食べたお菓子が何だったのか、白かった気はするが、覚えていないくらいだ。
アルフォード様の好みが知りたくて、沢山質問したはずなのに、もうりんごしか覚えていない。アルフォード様は、話をとぎれささないためにか、反対に色々エリアルの好きなものを聞いてくれた。
「りんごはむいただけでも、煮たのも、ジャムにしたのも好きなんだって言ってたの。私もりんご大好きだから一緒ですねって笑ったんだけど・・・。もう今になったら、持ってきていいっていってくれたのが、社交辞令で、本当は駄目なのか、私が持っていっていいのか、お兄様に渡したらいいのか、わからなくなったのよ・・・」
もう、会えないなんて辛すぎる。でも、持っていって、また困ったよな顔をされたら、きっと辛くて泣いてしまうだろう。泣きたくない、泣くのは負けのような気がするから。
なのに泣けてくる自分がわかってるから、会えないのだと、エリアルは言った。
矛盾だらけだ。
クレインは、エリアルとリリスに気づかれないように立ち上がり、そっと部屋を抜け出した。理由がわかればそれでいい、後はリリスが慰めてくれるだろう。
執事にエリアルが調理場を使えるように用意しろと指示する。コックも幼いころからエリアルに料理やお菓子を教えているので、きっと心配してるだろう。本来コックの神聖な場所だから、クレインは口出しすることはないが、そう言えば使用人たちが安堵することがわかっていたので、敢えて命じる。
その証拠に執事は、スマートな立ち居振る舞いのなかにリズムを刻んで、厨房へと消えていった。
リリスは、テーブルに置いたりんごを手に取る。
「ね、エリアル。あなたのモットーは?」
エリアルは、気持ちよさそうに目を閉じていたが、言われて瞬きをした。リリスが何を言いたいのかわかった。
「私のモットー?・・・・・やらないで・・・後悔するくらいなら、やって後悔しろ?」
声に出すと途端に胸に落ちてくる。
そうだ、いつもそうやってきた。どうしようと迷うことは簡単だ。でも迷っていても仕方ない。
考えてもりんごしか思いつかないなら、りんごでいいんだ。
娘と言ったのはアルフォード様なんだから、甘えていいはずだ。
もし、またあんな顔をされてしまったらとおもうと震えがきそうだが、会えないほうがいやだ。会うためなら、クレインに渡してもらってる場合じゃない。
世間知らずなエリアルは、成人して社交界にデビューしたのだから、パーティでこれからも会う機会があるなんて思いもしなかった。
これまで憧れ続けてきたのに、一度も会えなかったのだから、これが最後だと思ったのは仕方ないことだろう。
生気が戻った顔にリリスは安堵した。
「リリス、ありがとう。大好き」
エリアルは、生まれてからずっと自分のそばで支えてくれる大事な友達に、心からお礼を言った。
「エリアル、私もよ。大好き」
いつものように抱き合って、立ち上がる。
「リリス、お菓子を作りたいの。手伝って?ハールは柑橘系が好きよね?マーマレイドがあるから、それで焼き菓子でもつくりましょう」
「ええ。もちろん、りんごのタルトの後でね。私、りんごのタルトが好きなの」
「知ってるわ、もちろん私たちのぶんもね」
楽しそうな笑い声が聞こえて、ここ3日静かだった屋敷がにわかに活気付く。
元気の塊のようなエリアルが沈み込むとこんなに雰囲気がかわるものなのかと屋敷の人間たちは、改めてお嬢様の偉大さを噛みしめたのだった。
読んでくださってありがとうございます。今日はじめてアクセス解析なるものがあるのに気づきました。結構な人数の方が読んでくれているのですね、驚きですw。ブックマークして読んでくれてる奇特な方、本当にありがとうございます。勇気がわいてきます。