恋って難しい
タルトタタンて美味しいですよね~
「クレイン様、エリアル様のことなのですが・・・」
舞踏会の日から3日たった。
執事のバイエルが帰ってきたクレインを迎える。夜遅くても身なりを整えたまま待っている執事は、ここ最近のエリアルの様子がおかしいという。
王都にいる間は領地とは異なり、遠出もできないし、元気はあまりないのだが、どうもいつもとは違うらしい。
「エリーは?」
「もうお休みになっております」
日付は変わっていないが、確かに遅い時間だ。特にエリアルは早寝早起きで健康な生活をしているために、起きているとはおもっていなかったが。
「少し、お話をきいてあげていただけませんか」
と、生まれたときから大事にしてきたお嬢様が心配でたまらないらしい。
「わかった。明日は昼からだから、少しきいてみるよ」
執事はあきらかにほっとしたようだった。
確かに朝から、エリアルはおかしかった。
綺麗にむかれたりんごをみては、ため息をついている。
「食べないのか?」
クレインは自分の朝食をとりながら、横にいる妹に聞いてみた。
「お腹すいてないです」
ミルクを入れたほんのり果物の香りのする紅茶を飲んでいるので、「そうか」とだけいった。
これは、世にいう。恋してるとかいう状態なんじゃないだろうか、と思う。
世の中の乙女というのは、ときたまこういう状態になるときいたことがあるし、見たこともある。目がハートになるとでもいうのだろうか、ぼんやりしていて、熱烈にみつめてきたかとおもうと、シクシク泣きはじめる。
クレインは、騎士団の中では体格はよろしくない。背も高い方になんとか入るくらいだし、筋肉もあまりつく体質ではないからどんなけ鍛えてもモリモリになることはなかった。
騎士団という職場には、アルフォードを筆頭に、上背から横幅腹筋背筋上腕三頭筋をほこる人々は掃いて捨てるほどにいる。強さはすべからく筋肉量に相当するとおもっているのだろうかとクレインは常々騎士団における意識調査をしたいとおもっているくらいだ。
だが、クレインはもてる。脳筋な同僚には『あんな軟弱なやつ』と思われてる節はあるのだが、貴婦人をはじめ女性という女性がクレインを騎士団のいい男ランキングにクレインを押すので、初めての告白とか、一世一代の告白とかだけでなく昼下がりの情事に発展しそうなくらいに沢山のドラマがクレインの意思に反して展開してしまうのだ。
だから、妹の状態が恋であることは理解していた。
が、残念ながらその経験地がいかされることはない。
クレインにはもう愛を囁きたいは決まっていたし、その彼女を得るためには、つまみ食いしてる余裕などないから、「ありがとうございます。でも今は、閣下をを傍でささえることだけが私の使命なのです。他には何も考えられないのです」と切なそうなと評判の目であらぬ方向を見つめて、切り抜けていた。
シクシクと泣き出す令嬢もいないでもないが、それはクレインにとってはどうでもいいことだった。だから、クレインはどうすればこの妹の状態が戻るのかわからなかったのだ。
なんでりんごを見つめているんだろう。どう考えても、うちの上司はりんごとは縁がなさそうだ。握りつぶして果実水にするとは得意そうだが。
「今日は、リリスがくるといってなかったか?」
心配そうに見つめている執事に確認をとると、はっとしたように頷きながら答える。
「はい。朝のうちにいらっしゃるとおっしゃっておりました」
そうか、それはいいことだ。
「リリスにまかせよう」
そうだ、そうがいい。
執事は少し恨めしげにクレインをみつめ、仕方ないというように頷いた。
独身の二人には、恋する乙女に関する情報が少なすぎた。
リリスがエリアルの家に着いたのを待ち構えていたのは、リリスも小さいころから兄とよぶクレインだった。
珍しいことだ。
「ごきげんようクレイン兄様、お仕事は?」
「いらっしゃい、リリス。・・・待っていたよ」
含みのある言葉にリリスは目を見張る。
「エリアルになにか?」
今日は、舞踏会のことを沢山話そうと思ってきたのだ。エリアルも楽しみにしていたのに、クレインがにこやかにリリスを迎えるから、何があったんだろうと心配になる。
「わたしではお手上げでね。父も母ももう領地にもどってしまったから、頼れるのが君だけなんだよ」
「いつもながら、お早いお帰りですね、おじ様もおば様も」
娘の社交界デビューを見届けた後、すぐにもどってしまった2人をまだ若く戦争を覚えていないリリスは領地が好きなご夫婦だと思っていた。エリアルも領地だと名前にふさわしい風の精霊のように自由だったから、その親もそうなのだろうと。
クレインが十八の成人を迎えると、王都の用事は公用を含めてほぼ跡取りであるクレインが名代を務めていた。
「もう大丈夫だと思うが、隣の国との境界線だからね。父はまだ警戒を解いていないんだよ。わたしが騎士団に在籍してるからね。領地を護るには王都は少し遠いから」
10年以上前のことだから、リリスはあまり覚えていないが、隣の国が国境を越えて攻めてきたとき、騎士団とともに領地を守るためにグレンリズム伯爵とその子息は戦ったという。当事者であった伯爵が警戒を解かないのにはわけがあるのだろう。
それに気付かず、のんきな発言をしたリリスは、頬に朱をはしらせて、恥らった。大事な家族とも思っているつもりだったのに。
クレインは恐縮するリリスに優しげな微笑みを浮かべた。今までは大人でなかったから、口にしていなかっただけで、ただの事実を述べただけだ。リリスを責めるつもりもない。
エリアルもリリスも世間から認められた大人になったのだと、リリスは初めて気がついたのだった。今までならクレインはリリスの勘違いを訂正したりはしなかっただろう。大人の世界に足を踏み入れて、喜んでいる場合ではないと気を引き締める。浮つくなとクレインにたしなめられたのだと思ったが、どうもこの顔をみていると、違うようだ。
微笑むクレインの目は憂いげだった。
「エリアルが変なんだ。でも私では理由を教えてくれないのでね、ここはリリスを頼ろうとおもって」
片目でウィンクする。
クレインに恋心なんて抱いたことはないが、少しドキッとしてしまう。
「クレイン兄様、いつも言ってると思いますが」
下手に色気を振りまくなと忠告してるのに、この兄はわかっているくせにそういう態度をあらためようとしない。
「そのうち刺されますよ」
可憐、純情、お人形のようなと形容されるリリスに脅すように言われて、クレインは笑う。またその笑顔がいけない。
「リリスに言われると、なんだか嬉しいね」
だから色気を垂れ流すな~~~もういいと、リリスはクレインを振り切って居間にいく。
クスクスと後ろから聞こえる。本当に性質の悪い男と言うのはいるものだ。
私がハール様を好ましく、素敵に思えるのは、生まれたときからずっと見てきたエリアルの兄のせいだとリリスは思う。
ハール様は、本当に素敵だ。黒くない。偽らない。そして優しい。
エリアルの話を聞かなくちゃと思うのだが、なんだかハール様のことを長々と聞いてもらいたくなりそうで心配だ。エリアルはきっと聞いてくれる。
でも後ろから追いかけてくるクレインはハール様のことを延々と聞かせたら、リリスでなくハール様に八つ当たりするだろう。それは、彼が可哀想だ。
「エリアル!!」
リリスが、少しうつろにりんごを抱いているエリアルを見て、ハールのことを忘れたのは仕方ないことだと思う。
たった3日で、エリアルは憔悴しているようだった。
クレインが玄関で待ち構えていたのには理由があったのだと、改めてリリスは思い知らされた。
「あ、リリス?」
エリアルは自分がどこにいたのかもわかっていないようだった。ふと周りを見回して、焦ったように入ってきたリリスに視線を移した。
「リリス。どうしよう、りんごでいいのかしら?りんごなら沢山あるのよ。私も大好きだし、リリスも好きよね?りんごなら失敗してもやり直せるし。それより、どうしたらいいのかしら、持っていっていいのかしら・・・」
エリアルはリリスに詰め寄り、怒涛のごとく話はじめた。
そして、またふっと思考の海に沈みそうになるのに、リリスは気付いて、エリアルの腕をとった。
「ちょっと座りましょう、エリアル、落ち着いて。ちゃんと一緒に考えてあげるから、ね、りんごはそこに置いてね」
そっと手ごとりんごを包み込んで、傍のテーブルに置いて、ソファに横並びに座った。
エリアルは、りんごにもう一度目線を落とし、リリスの手をにぎる。
「ありがとう。ごめんね」
心配をかけたのだと、やっとエリアルは目を覚ましたように言った。
エリアルは、侍女のいれたすっきりするハーブのお茶を飲むと、今まで感じなかった空腹感におそわれた。
お茶請けにでてきたあんずのケーキを少しづつ食べていると、なんだか久しぶりに食べたような気がした。
リリスは空気のように気配を殺して窓際のソファに座るクレインのほっとしたような顔をみて、笑いそうになる。こんな顔をするクレインをみるのは初めてだった。
似合わない――。
「エリアルは、どうしてりんごをもっているの?」
素朴な疑問を投げかければ、エリアルの顔は手にしたりんごのように顔が紅くなる。
「あのね、舞踏会で、アルフォード様に踊っていただいたの」
リリスも覚えている。あんな嬉しそうで恥ずかしそうな初々しいエリアルをみて、ああ、この黒い髪の大きな男がエリアルのいってた憧れの人なんだと思い当たった。
アルテイル侯爵、この国で一番有名な侯爵かもしれない。
悲劇の英雄として――。
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