高貴なる野獣ってw
「エリー、こちらがアルテイル将軍閣下だ。ご挨拶しなさい」
兄と最初のダンスを踊って、国王陛下、王妃様にお目通りがかなって、一番最初に連れられてきたのが、兄の上司であるアルフォード・リングス・アルテイル侯爵だった。
初めてみる彼は、兄に聞いていたよりも大きく思えた。騎士団指揮官の第一礼装がとても似合っていた。腰には剣帯が許されている。
「大きい・・・」
馬よりも大きいんじゃないだろうかと、比べる対象を間違いながら、エリアルはため息のように呟いた。
ああ、間違えた、とあわてて兄をみると眉間をもんでいる。
アルテイル閣下の周りには沢山のお姉さま方がいて、フフフとざわめきがおきる。
「閣下、大きいですって」
一番そばにいたお姉さまが、閣下の耳元に囁く。囁くという動作の割には声が大きい。
まぁ、まぁと周囲のさざめきに、エリアルは戸惑う。何か変なことをいってしまっただろうか。確かに、挨拶しなさいといわれたのに、ついつい感想を述べてしまったのは失敗だったとは思うが。
「小さなお嬢さん、はじめまして。アルフォード・リングス・アルテイルだ。クレインにはいつも世話になっている」
大きな身体に似合わない動作で、エリアルの手に口付けを落とす。屈んでもエリアルより大きい。間近でみた瞳にはいたずらっこのような色を浮かんでいた。
呪縛を受けたように動かなかった身体がやっと動いたので、エリアルも挨拶をすることができた。
「エリアル・シュノーク・グレンリズムです。いつも兄から閣下のことを聞いておりました。お会いできてうれしゅうございます」
噛まずに言えた! と自然と笑みが浮かぶ。なんだかこの将軍閣下の前にでてから、鼓動がうるさいし、暑くてたまらない。緊張しすぎてるのはわかっているのだが、どうし行動していいのか、こんな状態になったことがないので困ってしまった。
「クレインが、何をいってるのか聞きたいところだが。どうせ鬼だとかいってるのではないのか」
閣下は目線をお兄様に向けて悪い笑顔でそういった。
お兄様の瞳がキランと光ったのが見えたような気がした。閣下も長い付き合いからクレインのことをよく知っているようで、しまったと思っているのが窺える。
「聞きたい?ああ、それはいい。折角だから、エリー、閣下に踊っていただきなさい」
自分の腕に添えられていたエリアルの手を閣下の腕に押し付けて、クレインは嬉々と去っていった。その速さは、だれも口を開く間がなかったほどだった。
周りのお姉さまたちも呆然とクレインを見送ってしまった。唯一その速さに対応できるはずの閣下も一瞬のことで、エリアルの手が置かれた腕と反対の手を空をつかむように伸ばしてから、
「あいつは・・・」
獰猛な動物のうなり声をあげた。
エリアルも我に返る。低い声が背中を走った。
少し身震いをして、閣下から手を離した。
怒ってるような気がしたからだ。
それはもちろんクレインに向けたものだったが、こんなに沢山の美しい豪華なお姉さま達がそばにいるのだから、エリアルのような子供を預けられても困るだろう。
なんでこんな子供っぽいドレスを選んでしまったのだろう。選んだときはあんなに嬉しかったのに。
エリアルは年の割には胸はあるほうだが、身体の割には優美な動作や色っぽい動作ができない。だから似合わないだろうと思って、胸はあまり強調しない可愛いドレスを選んでしまった。
お姉さまたちをみて、負けてる・・・こんな子供をダンスに誘ってしまったら、きっと閣下の名折れだろう。
「閣下、兄のことお許しください。わたしはあちらのほうで兄が戻るまでじっとしておりますので、お気になさらず、皆様と楽しんでくださいませ」
ドレスの裾をつまんで、退去の挨拶をする。
「エリアル嬢・・・」
閣下の声を許可とおもい、方向を変える。
シャンと姿勢をただして、毅然と前を向いて、唇が震えるのは仕方ない。泣きそうだが、顔にはださない。そうだ、お話してもらえただけで、どれほど嬉しかったか。一瞬ダンスを踊ってもらえるのではないかと期待した分だけ落ち込んだだけだ。
心の中でクレインを馬鹿兄貴、馬鹿兄貴となじる。どうせ、目当ての女性でも誘いにいったのだろう。父にエリアルのエスコートを頼まれたときも嫌そうだったもの。いつもは自分に甘い優しい兄だとおもっていただけにこの裏切りはきつかった。
「エリアル嬢」
後ろから腕を掴まれた。なんだかあわてたような声だった。
こんな大きい人でもこんな声を出すんだと思った。
振り向くと人の輪を抜けてエリアルをおいかけてくれたようだ。
胸が詰まる。
嬉しい・・・。
「クレインに怒られる・・・。一人にはできない」
周りで黄色い悲鳴が上がる。
これは違う・・・。これは私と閣下でおこったものではないと思う。どうも「クレインに怒られる」という台詞がつぼだったようだ。
そうだ、兄は言っていた。付きまとってくる女性に対する盾に閣下は最高だと・・・。閣下が眠らせてくれない(仕事が多すぎて)閣下に呼ばれている(仕事で)閣下の相手をしてると脚腰がたたなくなる(剣の稽古で)などなど、クレインを引き止めて話始めようとする女性に困ったようにいえば、「お疲れでしょう。閣下はクレイン様を独り占めにされるのね」といって解放してくれるのだそうだ。
閣下のあだ名は『高貴なる野獣』だそうだ。腹をかかえて兄は笑っていた。
アルフォードは、正直とまどっていた。
今日の舞踏会で、7人ほどいる社交界デビューの令嬢達のうちの1人が、自分の職場の部下の妹だということは知っていた。当のクレインが酒の席で言っていたからだ。
この部下、23歳のときにアルフォードの直属として移動してきた。父親は伯爵、自身も父親からもらった称号でアゼル子爵を名乗っている。
珍しいことだった。
アルフォードが指揮するのは王国騎士団でもかなり危険な部署である。国王陛下の信頼も厚く、地位や名誉といったものにも非常に近いが、一度戦火を交えると、国王の名代として戦に立たねばならない。大規模な戦闘にもでるが、実は少人数の精鋭部隊としても使えるのだ。もちろん自分もともにいく。そんな危険極まりない職場に伯爵の跡継ぎは不向きだろうとアルファードは断ったのだが、人事を統括する騎士団の副団長に頼み込まれて(脂汗をかいていたように思う)クレインはアルフォードに付き従い、何度かの戦闘にも参加した。
今はもう、クレインのことは大事な仲間だとおもっているし、頼りにもなるが、まだよくわからないことも沢山ある。
アルフォードは自他ともに認める大型動物気質であまり細かいことには拘らない。
彼が牙をむくのは敵だけだ。だから、彼に寄ってくる女性は多い。鷹揚で力強く、あわよくば公爵夫人の名を得ようと思うのか。彼がどんなに独身主義だといっても群がってくる。
アルファードとしても、成人男性であり、淡白というわけでもないからたまには女性を必要としていたが、それでも剣を振っていればそれなり発散できるもので、最近は少しご無沙汰だったのは確かだ。
だからといって、自分の半分の時間しか生きていない部下の妹を呼びとめ、引いた腕の先に揺れてる瞳を見た瞬間、自分の中の大型動物が目覚めたのに気が付いた。
いや駄目だろう・・・。駄目だ。俺はいわゆる幼な趣味とかいうやつか?人生を振り返ってもそんな事実はない。今目覚めたのか?いや、駄目だろう。グルグルと回る思考を振り切りながら、
「一曲・・・っ」
お願いする間もなく、正面に回りもう一度手をとった。
おびえてるのだろうか、目には驚きが見えた。
唇は少し震えながら、「喜んで」と形作るが、声は出てない。
まだ慣れていないだろうエリアルに合わせて踊ろうと思ったが、踊りは得意なのだろうか、アルフォードに難なくついてくる。楽しくなって、少し回転させすぎたような気もする。歩幅が大きくなってもエリアルは楽しそうだ。
スローテンポな曲に変わって、身体が近づくと筋肉が緊張したように震えた。顔を覗くと腕の中で恥ずかしそうにアルフォードを見上げてくる。その瞳はアルフォードの何かを破壊するほどの威力だった。
エリアルが進行方向にいるカップルに気付いて小さく指先だけで手を振った。まだ若い男とエリアルの友達なのだろう少女が一緒に手を振る。出会えて嬉しいのだろう。初々しい態度に自然とアルフォードの笑みも深くなる。笑われたと思ったのだろうか、そんなつもりはなかったのだが、エリアルは真っ赤になって俯いてしまった。首筋まで赤い。
「そんな風に首筋をみせてはいけない」
アルフォードは笑いを含みながらも本音をもらしてしまった。そんな美味しそうな首筋をさらされたら、男は喰らいつかずにはいられないのだから。
エリアルは、意味がわからなかったのだろうか赤い顔のまま小首をかしげる。
曲のテンポがまた少し速くなる。リードを変えると、エリアルが軽やかに踊る。
結局3曲一緒に踊った。踊り終わった時、エリアルは頬を上気させて嬉しそうにお辞儀した。こんな笑顔は初めてみたような気がする。ずっと緊張していたんだろう。
「少し庭にでないか。涼しいはずだ」
「はい」
エスコートすると、少し戸惑いながらも手をのせてくれた。
ほっとしながら、アルフォードは庭に続く窓から外へと導いた。
庭にでると、気持ちのいい風が頬をなでた。
あちこちに明かりがともっているので、美しい庭を眺めることができた。初めての王宮は優美だ。
「疲れたか?」
先ほどより少しくだけたような口調。
「いいえ。まだ踊り足りないくらいです。アルテイル閣下、ありがとうございました」
エリアルは踊っているうちに、硬くこわばっていた心がほどけていくのを感じていた。 リードが段々と大胆にそして繊細になっていくごとに、アルフォードの顔をみるのが、体温を感じるのが嬉しくなっていった。いつまでも踊っていたいと思ったのだ。
最初は、とても大人で、穏やかな色をしていたのに、踊り始めたころには何だか目覚めたばかりの肉食獣が、こちらを窺うような色に変わっていた。いつも兄が語る閣下とは違う。なんだか落ち着かなくなる。
「アルフォードでいい。クレインの妹なら、俺の妹・・・娘みたいなものだろう」
妹と言ったところで少し考え、焦ったように娘といいなおされてしまった。
エリアルはかなりショックを受けていた。それは一生懸命笑顔の裏にかくしたが、妹ならまだしも、娘とは完全に相手にしてないと言われたのも同然だろう。
声を絞り出すように「光栄です」と言えたのは、なかなか自分を褒めてあげたい。こんなに心がキュっとなっているのに。
「エリアルとお呼びください」
愛称をエリーというものの、何故か家族以外はエリアルと呼ぶ。
「よく似合っている名前だ。風の精霊のことだな」
言われて、ああ、そういえばそうだったと気が付いた。
風の精霊・・・飛んで行きそうなんだろうか。暴風とかでなければいい。
「アルフォード様・・・」
エリアルが名前を呼ぶと、アルフォードは少し目を彷徨わせながら言う。
「飲み物をとってこよう。少しだけここで待っててくれ」
「アルフォード様?」
マントを翻した姿は格好良かった。大きな歩幅で颯爽と歩く姿は見惚れずにはいられない。が、速過ぎないか・・・。
エリアルは、大きく息を吐いた。緊張しすぎてると自分でもわかっている。これほど緊張するのは、やはり憧れのアルテイル侯爵だからだろう。
兄はまだ4歳くらいの頃から、エリアルを相手にずっと彼のことを語ってきた。ファンなのだ。12年ほど前の戦の時の英雄を誇らしげに語る兄に嵌められていたと思う。だから兄が自分を放置したことには怒りがあるが、クレインの妹であるエリアルと踊ってくれたことに喜びを感じる。
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