りんごは身体にいいんです
文字脱字の編集です。とくに変わったところはありません。
エリアルは図案を元にしたバラを刺繍していた。
あれから一月、エリアルの指も滑らかに動くようになってきた。力の加減もできて、見た感じは悪くない。それでも、少しやって休憩とはいかないので、身体が固まっていくのを感じる。
「あ~もう無理・・・」
空気が吸えてなくて、吐きそうだ。
「エリアルったら、まだ1時間よ」
「お茶いれるわ。一息つきましょう」
さっさと片付けて、リリスを促す。
「もう、またおば様に怒られるわよ」
「いいのよ。もうハンカチーフに刺繍をいれるくらいならできるようになったんだし。こんな大きなの作ってどこに飾ればいいのよ」
エリアルが今作らされているのは、大作といっていい。
「でもこの短期間でよくここまで上達したわよね。エリアルって本当に素晴らしいわ」
「リリスがいつも小さなことでも褒めてくれるからよ。きっとリリスに育てられた子供は皆幸せだとおもうわ」
リリスのモットーは褒めて伸ばせらしい。けなされるより、褒められて、気持ちよく続ける方が絶対伸びると思う。
「そうかしら。そうだといいわ」
嬉しそうに笑う。
「そうだわ、リリス、舞踏会のパートナーのことだけど」
どうなったの?と興味深々に聞く。
リリスは頬を赤らめて、少し下を向く。恥ずかしくてエリアルに目線を合わせられないようだった。
「ハール様にお返事をいただけたの。私をエスコートしてくださるって。お父様にもお手紙をだしてくださって、許可をいただけたわ。エリアルのおかげよ」
「きゃーー!おめでとう。良かったわね」
抱きしめるとリリスも抱き返してくれた。
「どうなったのか心配だったのよ」
「ごめんなさい。お父様が少し渋っていてやっとだったの」
リリスの父は、可愛い娘を箱入りにしておきたいのだ。気持ちはわかる。
「エリアルのドレスは結局どうなったの?悩んでいたでしょう」
エリアルはリリスのことが心配で、リリスはエリアルのことが心配なのだ。きっと二人とも「私の可愛い妹みたいな親友」だとおもっている。
いわれてエリアルは少し沈み込む。
母とも侍女たちとも戦ったのだ。ドレスは、沢山レースのついた白い可愛いものだ。父も似合ってるといってくれた。兄もめずらしく眼を瞬かせて、「まごにも衣装だな」と呟いていた。
が、母と侍女たちは違ったのだ。
「貴女は自分をわかっていないの。折角の、折角のこの腰と胸があるのに、何故それを隠そうとするの。もったいないわ~~~」
と母親らしくない台詞で胸の開いた背中の開いたセクシーなドレスを持ってせまってくるのだ。
「お母様、私はデビューよ。わかって。そんなドレス4年は早いのよ~~」
もったいないもったいないと母と侍女軍団、裁縫師、デザイナーがさながら幽鬼のようにせまってくるのだ。
「私、舞踏会が嫌いになりそうだわ」
夜会のたびに母たちと戦わなくてはいけないなんて、どんな苦行だ。
「エリアル、スタイルがいいから・・・」
乗馬だけでなく日々鍛えてるエリアルの身体はしなやかな筋肉で覆われていて、正直コルセットがいらない。自前の筋肉という名のコルセットが常備されている。引き締まった身体には少し邪魔な胸らしいが、リリスにしてみればファレルたちの気持ちもよくわかった。レースとフリルでは折角のエリアルの身体が隠されてしまって、もったいないのだ。
でもエリアルの気持ちもわかる。エリアルは可愛いのが好きなのだし。
「でも楽しみね。エリアル、ずっと会いたかった人がいるんでしょう?」
「ええ。遠くからでもいいからお会いしたいひとがいるの。どんな顔なのかしら?どんな声なのかしら」
リリスは、まだみないその人にエリアルが恋してることを知っている。
「素敵な人だといいわね」
頷くエリアルの顔が花がほころぶような笑顔で、こんな顔をみて心を動かされない人なんていないだろうとおもう。
二人は近づく春を楽しみに待っていた。
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ハールの初恋
「どうしたの?お腹すいたの?」
小さな女の子が倒れるように眠っていたハールを覗き込んだ。まだ3つか4つくらいだろう。
どうしてこんな森の中にいるのだろうと不思議に思う。
ここはグレンリズム伯爵の領地で、先ほどまで父と遠乗りをしていたのだけど、父は友達であるグレンリズム伯爵と出会ったので、足手まといのハールを置いていってしまったのだ。まだ乗馬は得意ではなかったので、置いていってくれてホッとしている。
この森は伯爵家のものと許可を受けたものしか入れないことになっているので、基本安全だ。着いてきた護衛は少し離れた泉で湧き水をハールのためにとりにいってくれている。
春の日差しの森の中のような緑色の瞳。光が透ける金の髪、あどけない笑顔にハールは息をするのも忘れるくらい見つめてしまった。
「これ、さしあげるわね」
持っていたリンゴをハールに渡してくれた。
「あ、あの、あり・・がとう」
妹と同じ生き物には思えなかった。天使かと思った。
「ううん。リンゴは身体にいいから」
だから沢山とってきたのと持っていた籠を見せてくれた。3つ入っている。
「いくよ」
少女の少し離れたところにハールよりも大きな少年が立っていた。彼が馬をひいている。
グレンリズム伯爵家の人間だろう。ということはこの少女も。
「気をつけてね」
白いワンピースの裾を貴婦人のようにつまんで、ハールにごきげんようと言って去っていった。
ハールはあまりの衝撃で、声もあまり出なかった。りんごを握って、じっと二人が去っていったほうをみていると護衛が帰ってきた。
「ぼっちゃん、どうしたんですか」
ハールの視線の向こうには馬に乗る少年と小さな少女が見えた。
少年の方には見覚えがあった。
「ああ、クレイン様ですね。グレンリズム伯爵の子息ですよ。ということは、一緒にいらっしゃるのはエリアル様ですね。少し歳の離れた妹君がいらっしゃると聞いております」
知り合われたのですか?と尋ねられて、
「りんごをもらったんだ。でも挨拶できなかった」
顔を真っ赤にしたハールに護衛は微笑ましく思う。
「また会えますよ。お隣なんですから」
頷いて「エリアルっていうのか」と、名前を忘れないように呟く。
いつか彼女を馬に乗せるんだと、クレインにやきもちを焼きつつ、ハールは誓う。
「お尻痛いけど、もう一度練習するぞ」
彼はその日から毎日乗馬を練習することになった。
けれど、その次の年に隣の国が境界をこえて侵入したのがグレンリズム伯爵の領地であったため、伯爵の奥方とエリアルは安全な王都の屋敷にもどってしまった。クレインは伯爵とともに伯爵領の警備軍に加わり、国の騎士団とともに参戦したと聞いた。まだ14歳だから戦力にはならなかっただろうけど、その志はすばらしいとハールは尊敬した。そしてそんな兄を見慣れているだろう少女を思い、彼も一生懸命剣の稽古に励んだのだ。
2年後出会った彼女は、思い描いていた天使とは少し違った。
あの時くれたりんごのことも覚えていなかった。
ハールにとっては世紀の出会いだったが、確かに名前も名乗っていなかったし、その後の戦争のこともあったので、覚えていなくて当然だろう。
それでも、エリアルは美しいし、さっぱりした性格が好ましい。何故かハールにだけりんごを投げてきたり、木刀で剣の相手をしろといってきたりで中々大変だが、それも自分にだけだと思うと少し嬉しい。
ハールが、勘違いに気付くのは、舞踏会でエスコートしたリリスにりんごの出会いを言われたときだ。
「あの時、りんご、重くない?って聞いてくれたでしょう」
ハールはそういえば、と思い出す。
あまり声になってなかったとおもったが、リリスは聞こえていたらしい。
そして優しい人だなと思ったのだそうだ。何年後かにエリアルを介して知り合い、エリアルに湖に落とされたり、とったイチゴを全部食べられたりしているのをみて、もっと好きになったのだといった。
ハールは声が出なかった。今まで、エリアルだと思っていたのがリリスで、自分に好意を寄せてくれている。
言葉もでなかった。
真っ白になったといっていい。
「ハール様がエリアルを好きなのもわかっているんです。でもどうしても、初めての舞踏会はハール様にエスコートしていただきたくて、無理をいいました。ごめんなさい」
キュッと口元を結んで、何かをこらえている。
「ありがとうございました」
ホロリと涙が頬を伝った。リリスは自分の涙に驚いていたようだった。こすろうとした手をとるともっと涙が浮かんできた。
「リリス、こんなことを言う自分を軽蔑していただいてもいいのですが・・・、どうやら、私の求めていたのは、リリスのようです。まだ自分の中がよくわかっていなくて・・・。私はもっとあなたのことが知りたい・・・」
リリスは目を見開いて、ハールを凝視した。
「言ってる意味がよくわかりません」
それはそうだろう、自分でもわからないのだから。ハールは、それでも、言葉を綴る。
「私は、りんごをくれた天使は、エリアルだとおもっていたのですが」
「あの日は、エリアルが風邪をひいてしまったのです。私はクレイン様にお願いして森にあるりんごの木まで連れて行ってもらいました。そこでハール様にであったのです」
あのりんごは、エリアルのためにとっていたのかと、思い当たった。風邪のときにすりおろしたりんごに蜂蜜をかけて食べるのはよくあることだ。
小さな時からリリスがエリアルの屋敷に遊びにいっていたことも、少しの間一緒に暮らしていたことも聞いている。
ハールは頭を抱えた。
「どうしたのですか」
心配そうにリリスが見上げてくる。
「いや、おれは本当に間がぬけているな・・・と思って」
ハールはリリスの手を握った。一人称が素に戻っていることにリリスは気付いた。
もう間違えてはいけない。ハールは思いをこめてリリスに告げた。
「こんな間抜けな男で申し訳ないが、私の天使となっていただけますか」
膝をついて手の甲に唇を寄せる。突然のことでリリスは落ち着きなく視線をさまよわせ、それから返事をしなければ、と思い当たって、気持ちを伝える。
「わたしでよければ、あの、ハール様、立ってくださいませ」
周囲の視線を集めているのが恥ずかしいのだろう、リリスは真っ赤になったままハールに懇願する。困らせたいわけではないので、ハールは立ち上がり、そっと頬に唇を寄せた。
あんなに好きだと思っていたエリアルには、キスをしたいとか思ったことがないことに今更ながらハールは気付いた。
「ハール様」
そっと抱き寄せると、恥ずかしそうだが、反発はなかった。
ハールは、自分にはあまり関係のないものだと思っていた情が、あったんだと意外に思った。
「踊りましょうか」
こんな庭先で、二人でいるとやばそうだと、ハールはリリス促した。
エスコートするにも先ほどより少し間が近くなっていて、ハールはそれに満足する。
これから、今までのぶんも愛せばいい。ハールは前向きに考えることにした。これから、自分の失敗を償って、リリスに愛を示さなければ。
ハールはこの日から積極的にリリスに花束を贈り、デートに誘い、愛を証明していくのだった
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