第三部
そして日々は過ぎ、八月も下旬に差し掛かろうとしていた。
今日も、ツバサと二人で一日を終えるのだろう。
「よ〜し! 今日こそは十五回跳ねるからね! 見ててよ!」
「それ、かなり気に入ったのか……」
意気込むツバサの足元には、平べったい石が山ほどある。
全て、彼女が集めた物だ。
「なぁ、もう少し腕を大事にしたらどうだ?」
「大丈夫大丈夫!」
根拠の無い自信は、最早ツバサの個性と言っても良い。
けど、流石にあれだけの石を投げれば、筋肉痛は避けられないだろう。
別に放っておいても良いのだが、流石にそこまで鬼じゃない。
――しょうがないな……。
「なぁツバサ。水切り、そんなに楽しいか?」
「うん!」
相変わらず、この上無いくらいの笑顔で答えるツバサ。
「そうか……だったらな、それの半分くらいで止めとけ」
「あぅ!? 何で!?」
俺の言葉に、ツバサは寝耳に水と言った表情を浮かべる。
「よく考えてみろ。毎日そんなに投げてたら、そのうちにこの辺りの石が無くなってしまうだろ」
「あぅ……確かに……」
「資源は有限なんだぞ。もっと大事に使わないと」
「あぅ〜……解った……」
俺に促され、ツバサはしぶしぶ石を半分に減らした。
言うまでもなく、俺の言った事は出任せだ。
でも、彼女なら本当にやりかねない気さえする。
それにしても、俺の言う事を鵜呑みにしてしまうツバサも相当だ。
ここまで人の言う事を信じる人も、今時珍しい。
「よ〜し! 数が減ったからこそ全力で投げるよ〜!」
気を取り直して、ツバサが再び構えたその時、
「きゃっ!?」
強い潮風が、彼女の麦わら帽子をひったくっていた。
「あぅ〜! 私の帽子〜!」
彼女の叫びも虚しく、帽子は空高く舞い上がり、海へ着水した。
「あぅ〜! 帽子が〜!」
「あ〜あ……ありゃ無理だな……」
「大事な帽子だったのに……」
ツバサは、がっくりと項垂れた。
余程大事な帽子だったのだろう。
「ついて来いよ」
「……えっ?」
「代わりの帽子で良ければ……買ってやるから」
俺の言葉に、ツバサはキョトンとしている。
でも、今度は本気だった。
「良いの?」
「ああ。大事な物を無くした時の痛みは、俺にも良く解る」
「……どう言う事?」
「あんまり言いたくないんだけどな……長くなるけど、良いか?」
「うん」
話の流れ上、やむを得ず俺は話す事になった。
何故俺が、砂浜に居座ってばかりの無気力な人間になってしまったのかを。
「俺、ガキの頃に『ツバサ』って言う名前の友達が居たんだ。
とは言っても、人間の名前じゃないんだけどな……。
俺の七歳の誕生日に、両親がインコを買ってくれたんだ。
ペットショップで見た時からずっと欲しかったから、本当に嬉しかった。
インコは見た目で性別が判らないから、どっちでも通用する『ツバサ』って名付けた。
人見知りする俺にとって……あいつが初めての友達だったんだ」
話していると、『ツバサ』の姿が鮮明に思い出される。
綺麗な白い体に、頭は少し黄色くて、頬は恥じらう様なオレンジだった。
「それからもう、『ツバサ』に付きっ切りだった。
世話は全部俺がしたし、言葉も幾つか教えてみた。
初めて言葉を覚えてくれた時は、本当に嬉しかったな……。
多くの時間を『ツバサ』と共有した。
嬉しい時に、喜びを分かち合えた気がした。
悲しい時に、慰めてくれた気がした。
どんな時も、『ツバサ』と一緒だったんだ……」
今となっては、『ツバサ』と共に過ごした日々が、最も楽しかった気さえする。
それくらい、俺は『ツバサ』の事を大切にしていたから。
「でも、そんな時間は、突然終わった。
『ツバサ』が、突然原因不明の病気に冒されたんだ。
動物病院に連れて行ったけど、どうにもならなかった。
ペットショップも見に言ったけど、効きそうな薬は無かった。
結局、俺は『ツバサ』を見守る……傍観する事しか出来なかったんだ……。
日に日に毛並みが悪くなって、日に日に弱っていって……
そんな様子を見る事しか出来ないのは、身が裂かれる程に辛かった。
逃がそうかとも、本気で何度か思ったよ……。
目を背けても意味が無いから、思い留まったけどな。
……そして、俺の十歳の誕生日に…………」
「……セイジ君?」
七年経った今でも、『ツバサ』の最期はまざまざと思い出す事が出来る。
何もする事が出来なくて、息絶えるその瞬間まで、只眺めているだけだった。
そんな自分を思い出す度に、己の無力さを嫌と言う程思い知らされる。
やっぱり言わなければ良かった。
思い出す度に、涙を止められなくなる事は判り切っているのに。
「あぅ……泣いてるの?」
「こっち……見ないでくれ……泣いてるの……見られたくない……。
『親友』だとか……『友達』だとか……言っておいて……俺は……何も……。
だから俺は……獣医に……なって……『ツバサ』みたいな……動物を……二度と……。
俺の罪……が……軽くな……る訳じゃ……ないけど……それでも……」
突然、俺の背中に手が回された。
驚いているうちに、グイと引き寄せられる感覚を覚える。
気付けば、俺の顔はツバサの胸の中にあった。
「つ……ツバサ……!?」
「これなら、泣いている顔見られないでしょ?
辛い気持ちも、流した涙も、全部私にぶつけて良いから。
悲しみは、突然湧き出てくる。それが溢れ出したのが涙。
だから、誰かに吐露すれば……全部流してしまえば、少しは楽になれるよ。
私は、その為にここに居るんだから……ね?」
混乱していた頭が、ツバサの優しい声と言葉で静かになった。
いつもとは全くの別人の様だったが、それすらも気にならない。
「きっと……セイジ君は許して……ううん、セイジ君は悪くないよ。
一生懸命頑張って、その結果だったんだから、責められる理由は無いよ。
それに、誰かの為に、こんなに泣いてあげられるんだから。
だけど……だから、もう自分の罪を引きずらないで。
一度きりの人生を、罪滅ぼしの為だけに浪費しないで。
セイジ君が今の気持ちを忘れなければ、きっと誰かを幸せに出来るから」
「ツバサ……あり……がとう……」
ツバサの優しさが、只々嬉しかった。
恥ずかしいのは判っていても、もう少しこうされていたくて、
俺はもう暫くツバサに身を委ねる事にした。
俺の罪も、涙も、何もかも受け止めてくれる気がしたから。
そんな優しさに、もう暫く身を預けていたかったから。