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「サラ様!サラ様、お待ちください!」
兄たちとのお茶の最中に飛び出していったサラを追いかけたのは、もちろんミリーだ。
ミリーには何よりもまず、サラを優先させるように命じられている。
それが、この侯爵家に雇われた時の条件だった。
『有事の際には、当主や奥方、嫡男や次男を気にかける必要はない。ただ一番にサラのみを助けること』
侍女たちの中でも、サラと一番親しく、一番一緒にいる時間が長いミリー。
これは彼女のみに言われた命令だ。
だが、まるで精巧な人形のようなサラを、心の美しいサラを、たとえその命令がなくともミリーはサラを一番に大切に思っていた。
現在25歳のミリーはちょうど10歳下のサラを妹のように感じてもいた。
「サラ様・・・」
自室に飛び込み、すぐさまソファにうずくまった小さな主人を見て
心が痛んだ。
あぁ、きっと泣いていらっしゃる。
普段は泣きたいことがあっても、ぐっと堪えているサラ様が。
ミリーはいてもたってもいられなく、その震える小さな背中にそっと自身の手を置いた。
「ミリー・・・・」
涙声で、サラはそっと呟いた。
「はい、何でございましょう?」
ミリーは優しく聞き返す。
「兄様たちに、ひどいことを言ってしまったかしら・・・」
この優しい方は、いつも先に他人を気遣う。
自身が悲しくて泣いているにも関わらず、だ。
(サラ様は、優しすぎるわ)
思い出す5年前。
高熱を出して寝込んでしまった時。やっと意識を取り戻したと思ったら、少し様子が変で。
取り乱していた彼女の様子は未だに覚えている。
だがそれもひと時で。
それからは付き物が落ちたように素直に、従順になった。
そこまでする必要もないくらいに、他者に気を遣うようになった。
まだたった10歳だったというのに。
いろいろなことに我慢をしていることが傍から見ていても分かった。
なぜそんなに我慢をするのか、ミリーには不明で、それでもサラが頼ってきてくれないことに、泣きついてくれないことに少しの寂しさもあったのだ。
「大丈夫でございますよ、サラ様」
そう、何も心配する必要はないのだ。
サラはそっと顔を上げて、微笑むミリーを見つめる。
「・・・本当?」
顔を上げたサラは、先ほどの行いに傷ついた顔をしている。
そんな顔をする必要もない。
「えぇ、本当ですとも」
「兄様、私のこと嫌いになったりしてない・・・?」
「そんなこと、有り得ませんわ。このミリーが保障いたします」
天地がひっくり返っても有り得ない。
あの妹溺愛の兄二人が、サラを嫌いになるなんて。
むしろ、サラがそんな風に思っていたと知った彼らのほうがひっくり返るだろう。
驚きで。
「サラ様。大丈夫でございますよ。ジルンアス様も、カイルアス様もサラ様のことが愛おしくて溜まらないんですわ。きっと、サラ様のお願い事も理解して下さいますよ」
ミリーとて、実はジルンアスとカイルアスの意見には賛成だったのだ。
サラを侯爵家から出さないこと。
ミリーは元々没落貴族出身だ。
今はもうない低い爵位をかろうじて持っているだけだったが、それでも貴族同士の付き合いはあった。
そこで、イヤになるほど見てきたのだ。
貴族同士の醜い争いを。
何も目に見えるものじゃない。
陰での蹴落とし、本人がいない所での悪口。
大人だけじゃない。
まだ社交界デビューもしてない、成人してない子女も同様だった。派閥さえある。
なまじ貴族というプライドがあるために、少しでも他者より優位に立とうとする。
全てがそういう人ばかりではなく、純粋に友人同士という間柄もいたのだが、ミリーは辟易したものだ。
だから、その中にサラという純真な存在を投入することは、躊躇われる。
どうなってしまうか想像もできないことが怖いのだ。
ジルンアスとカイルアスの想いが痛いほどよく分かる。
ジルンアスはその明晰さで、他の貴族―――特にその座を妬む嫡子の思念も思惑も上手くかわしてきたし、何か言われようものなら、冷徹ともいえる言葉で完膚なきままに叩き伏せてきた。
カイルアスは最初から軍人志望だったのだが、親衛隊という特に身分も関係してくる役職に就いてからは、七光りだの言われたりしたが、文字通り武術でもって有無を言わせることはなかった。それに、裏表のない生粋の豪快な性格でもってして、慕われるほうが多くあった。
だから当主も奥方も、そういう点では息子たちに特別な心配はしていなかった。
だが、サラの気持ちも痛いほどよく分かった。
むしろ、今まで言わなかったことのほうが驚きなくらいだ。
その歳になれば、親しい友人がほしいだろう。
侯爵家では、年上の、しかも自分に傅く人たちばかりに囲まれて過ごしてきたから。
だから、ミリーはサラにアドバイスをした。
あの兄二人に、サラの願いを聞くように仕向ける、アドバイスを。
思うように話が進みません・・・。お読みいただきありがとうございます。