閑話 我が愛しの妹姫
ジン、カイ両兄の視点です。読まなくても本文に支障はありません。
私の名はジルンアス。
オイレンブルク侯爵家の嫡男としてこの世に生を受けた。
両親はとても仲が良く、小さい頃から2人の仲睦まじい様子を見ていて・・・
正直、冷めた目で見ていたと思う。
侯爵家嫡男として次期当主になるべく、物心つく前からこの国の政治、歴史、今は戦争はないが戦術や文芸に至るまでありとあらゆる知識を培ってきた。
幸い、私には比較的飲み込みと理解力と記憶力が強く備わっていたらしく、家庭教師に驚かれるほどであった。
だが、日々の勉強の中には、「愛」だの「恋」だのはなかった。
両親は尊敬しているが、冷めた目で見てしまうことは、このことが要因であったように思う。
私には2歳下の弟がいる。カイだ。
当時2歳の私には、「弟」という感覚はあまりなかったように思う。
いつの間にか小さいものがいるな、といった感じだ。私も小さいだろ、という反論は聞かないでおこう。
私が5歳、カイが3歳の頃。私はもう家庭教師について朝から夕方までみっちり講義を受けていて、兄弟間の関わりはさほどなかったが、両親の意向でよく茶を共にした。
もちろん食事は一緒だ。「よく食う奴だな。だからそんなに大きくなるんだ」と、日々大きくなっていく弟を眺めた。
7歳になった時は「才児」として私はちょっとした有名になっていた。
吸収できるものは貪欲に吸収した。どんどん増えていく知識が楽しくて仕方がなかった。
だがそれを何かに生かそうだとかは考えていなかった。
ただ、侯爵家の嫡男として、自分の代で潰さない程度に、最低でも現状維持ができればいいと思っていた。
「夢」や「希望」や「野望」がなかったのだ。
7歳でそれは冷めていたと、後に両親に言われた。
幼い頃より使用人に傅かれていることも当たり前のことになっていた。
そんな時、母が懐妊したと知らされて、驚いた。
2人兄弟で終わると思っていたからだ。もし長男の私に何かあっても、次男であるカイが侯爵家の当主になるだろうと。男児を2人産んだ母は、立派に貴族としての役目を果たしたのだと。
そして、相変わらずの父母の仲の良さにあきれ果てたものだ。あぁ、その時には子がどう成されるのか理解していたのであしからず。
カイの時は私も小さかったので覚えてはいないが、7歳となった時には日々膨らんでいく母の腹を見て腹の子が順調に育っていく様を目の当たりにした。
ある日、母の手に誘われて、臨月となった母の腹に手を当てた。
ポンっと、手に伝わってきたのは、腹の子が蹴る感触で。人体の神秘さに感動を覚えた。
弟だろうか、妹だろうか。性別に興味はあまりなかったが、産まれてくる赤子はどんな感じなのだろうかと、気になった。
私が8歳になった時、サラが誕生した。
屋敷が騒がしく、どこかソワソワした雰囲気に勉強どころではなく、珍しくカイの相手をしながらその時を待った。
やがて産声が聞こえてきて、しばらくしてから侍女頭が私たちを呼びにきた。
出産に疲弊しながらも、どこか誇らしげな母。
その傍らで、穏やかな優しい顔をしている父。
そして、母の胸に抱かれて、泣き続けている―――赤子。
女の子だと、母に教えられた。
うっすらと銀色の髪が頭を彩り、その全てもが小さく小さく。
やがて泣き止みスヤスヤと眠る赤子を見て、心の底から「天使だ」と思った。もちろん私は冗談なんぞ言わない。本気で「天使だ」と思ったのだ。
それからというもの。
私は勉強の傍ら、よく母の寝室へ行っては赤子を見た。
初めて目を開けて私を見た時。
私に向けて伸ばされた小さな手。
必死で何かを訴えかけようとしている、言葉にならない声。
不思議そうな目で見上げられた時。
そして、ふにゃ、と笑いかけられた時。
私は頭を鈍器で殴られたような、頬を思いっきり張られたような(もちろんそんなことされた経験はない)、衝撃を受けた。
ハイハイをし、
よちよちと立ち上がり、
私の後を必死で着いてこようとする姿。
そして、日々愛らしさを増していくその姿。真っ直ぐな銀髪は夜の化身のようで。
真っ白でふっくらした頬は、甘いものが嫌いな私でも「食したら甘いだろうな」と思わせるもので。
長いまつ毛に縁取られた大きな瞳は宝石の輝きを持ち。
侍女達は「まるで妖精のようだ」とはしゃいでいたが、私には妖精にも天使にも見えた。
数々の名画を見てきた。有名なアクトレスの観劇もしてきた。
だが、そのどれよりも、妹は可愛らしく、庇護欲をそそられた。
初めて、父母の間に流れる「愛」というものを、理解できた。
そうしていつの日にか、私には「夢」ができた。「希望」を持った。
この妹のために、妹が過ごしやすい世界を作ろうと。
安心して暮らせる国を作ろうと。
妹が幸せを感じることができる環境を作ろうと。
サラが危険な目に合いそうになったら、この身を挺してでも救おう。
悪意から守ろう。
サラの目にはできるだけ綺麗なものを見せよう。
耳には綺麗な言葉を聞かせよう。
口はいつも笑みを浮かべるような、空間を作ろう。
あぁサラ。でも兄は心配だ。
日々美しさを増していくお前が。
人前に出でもしたら、いつか誰かにさらわれてしまうのではないか。
人を疑うことを知らない優しいお前が、誰かに騙されてしまうのではないか。
それを避けるためには・・・
そうだ、人前に出さなければいい。
悪事を企む奴に会わせなければいい。
屋敷から、外に出さなければいい―――
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俺はカイルアス。
オイレンブルク侯爵家の次男としてこの世に生を受けた。
生まれた時には既に兄がいたが、残念ながら、兄に遊んでもらったり構われたりといった記憶はない。
俺の中では兄は「遊んでくれない存在」として定着した。
好きなことは・・・
食べることと、体を動かす事だった。
両親から「貴方は本当によく食べる子だった」と昔をしみじみと懐かしまれるくらいだ。
侯爵家の次男としての役割といえば、一つ。
長男の有事の際にはその助けとなること。
有事とは、例えば病弱で爵位を継げない場合。不慮の事故で亡くした場合。
滅多にあることではないが、才が劣っている場合。
だから、俺も幼少の頃より家庭教師がつけられた。
だが俺は机に向かって勉強することよりも、体を動かす事が好きだった。
それに気付いた父は、すぐさま俺に剣術の師をつけてくれた。もちろん最低限の政治や国のことは知識として得ておくことが条件だったが。
やりたいことをやらせる、特技や興味があることを伸ばすことを良しとした父に、尊敬の念を抱いている。
貴族出の母も、父のやり方に異を唱えることはせず、暖かく見守ってくれた。
「貴方ってば、こんな所に筋肉がついてしまって・・・」と、嘆かれたことはあったが。
2歳上の兄はといえば、俺とは違って優秀な頭を持っていて、完全に趣味が合わなかった。
仲が悪いわけではなく、互いの分野を侵すことなく良い距離を保っていたのだ。
そんな俺に、6歳の時妹ができた。
楽しみで仕方がなかった。
これまで、侯爵家で一番年齢が下なのは俺だったので、いつも「まだ助けが必要な幼い子」として認識されていたからだ。
もちろん6歳の時点で周囲の助けを必要としなく一人で生きていける子供などいやしないが。
もし男児だったなら俺の剣術の相手をさせようと思っていた。
その日、珍しく兄が部屋にやってきた。その日ばかりは剣術の稽古はせずに部屋で大人しくしていようと思ったのだ。
何かしら話していたとは思うが、記憶がそれほどあるわけではない。
大方「弟だろうか、妹だろうか」という取りとめもない話だったのだろう。
やがて、聞いたこともないようなとてつもない泣き声が聞こえてきた。
侍女に呼ばれ、部屋に行くと、母に抱かれ小さな生き物がいた。
あぁ、人間はこんなにも小さく頼りなく産まれてくるのだな、と思った。
そういえば以前、母の部屋に行った時に、母が実家から持ってきたという人形を見せてもらったことがあった。
かなりのお気に入りの人形で、大切そうに飾ってあったそれ。
有名な人形師が精魂こめて作り上げたのだという精巧で愛らしい人形。
この小さな生き物は、その人形に心なし似ているような気がした。
違うところといえば、全身で泣く生命力と、赤く染まる頬に感じる「生」だろう。
その小さな手にそっと指を近づけてみると、その姿からは想像もつかないほど大きな力で
指を握られた。
まるで「助けて」「どこにも行かないで」とでも伝えているかのようで。
反射的に「守らなきゃ」「傍にいてあげなきゃ」と思った。
俺が、この小さな存在を。
この儚く、それでも生命力に溢れたこの存在を。
寂しい思いをさせることのないように。
もっともっと、強くなりたい。
もっともっと、大きくなりたい。
サラを守るために。
傷つくことなく、安心して過ごせるように。
サラが伸び伸びと成長できるように。
その環境を作ってやりたい。
自分の手で。
それからというもの、本腰を入れて鍛錬に励むようになった。
全ては、サラのため。
サラを守るため。
兄は兄なりに、考えがあるらしい。
全てを冷めたように見ているあの兄が、と最初は珍しく思ったものだ。
だがきっと兄らしく、その優秀な頭脳をフルに活用したものだろう。
ならば、俺は俺なりに。
あぁ、だけど―――
四六時中、サラの傍にいられるわけではない。
綺麗なところばかりの国なんてない。
ならば。
少しでも危険から遠ざけるためには。
この屋敷から出さなければいいのではないか。
その考えは兄と一致した。
分野は違えど、目的は同じなのだとお互いが認識した。
やがて、俺は武術において名を知られるようになった。
「頭脳の兄、武術の弟」とは、オイレンブルク侯爵家の名物兄弟を指す言葉として浸透している。
全てはサラのために。
あぁ、だけどサラ。
力をつけたことでの唯一俺が後悔していることは。
力いっぱいお前を抱きしめられないこと。
その華奢な体は少しでも力をこめれば簡単に壊れてしまいそうで。
・・・それに抱きしめた時の兄の冷気たっぷりの目線が怖ぇし。