第1話「葬儀のない葬儀屋」
星が死ぬとき、人間はその死を認めるまでに時間がかかる。
恒星の光が消える瞬間を目撃したからといって、その星が死んだとは限らない。何千年も前に放たれた光が、いまになって人類の観測機器へ届いたのかもしれない。反対に、昨日まで確かに輝いていた星が、今日も同じように光っているというだけで、生きていると断言できるわけでもなかった。
人類は、そういう宇宙に七千年をかけて慣れてきた。
星の寿命を予測し、必要ならば延ばす。文明が滅びる前に恒星の進化を調整し、居住圏を救い、何世代にもわたる移住を回避する。その技術によって、かつてなら滅びていた星系の多くが、いまも人類の故郷であり続けている。
ただし、星を救うことと、宇宙のすべてを救うことは同じではなかった。
「到着まで、あと三分です」
操縦席から声がした。久世玲司は返事をせず、正面の観測窓を見つめていた。窓の向こうに星があった。
青白い光を放つ巨大な恒星。周囲には七つの惑星が巡り、そのうち三つに人が住んでいる。恒星の光を利用した軌道農場、惑星間を結ぶ輸送路、星の磁場を利用した長距離通信網。それらすべてが、ひとつの恒星の活動を前提に組み上げられていた。
星の名前は『エリュシオン』
第七居住圏では、住民たちが夜空を見上げるたび、あの星のおかげで自分たちは生きているのだと教えられてきたという。玲司は、その説明を嫌いではなかった。ただ、現場でそれを口にする者は少ない。
星が自分たちを生かしてくれているのではない。星の変化を読み取り、そこに住む人々の未来を計算し、必要ならば人間が手を入れる。それだけの話だ。少なくとも、彼はそう考えてきた。
「久世主任。中央管制から通信です」
「つないでくれ」
視界の右端に女性の顔が浮かんだ。短く整えた髪に、眠っていない人間特有の目の赤みがある。
「葬士主任。こちらエリュシオン中央管制、マルタ・イーゼです。現地到着を確認しました」
「状況を」
「進化指標の変動が予測値を超えています。最初の異常を検出したのは、現地時間で三十六時間前です。現在も変動が続いています」
「予測値との差は?」
「単純な誤差として処理できる範囲を超えています」
「数値で」
管制官は一瞬だけ口を閉じた。
「観測系統によって違います。最大で事前予測の許容幅の六倍です」
玲司は目を細めた。
「観測系統の故障は?」
「独立した三系統で同じ傾向を確認しています。機器の故障だけでは説明できません」
「星脈の観測値は?」
「それが……」
彼女の声が止まった。
玲司は続きを促さなかった。こういう沈黙には二種類ある。ひとつは、相手が言葉を選んでいる沈黙。もうひとつは、言うべき言葉が見つからない沈黙だ。管制官の沈黙は後者に近かった。
「星脈の観測値がどうした」
「延命操作はまだ実施していません。それなのに、進化負荷の分布が事前の計算と一致しないんです」
玲司は観測窓から目を離した。
「分布が変化しているのか」
「変化しているというより、一部の観測記録で、計算上の対応関係が成立していません」
「欠測か?」
「欠測として処理することもできます。ただそうすると、別の観測値と矛盾します」
「なら、欠測にするな」
「はい」
「分からないものを分からないまま残せ。空欄を埋めるために都合のいい数字を入れるな」
管制官はうなずいた。
玲司は通信を切る前にひとつ尋ねた。
「住民の避難は?」
「居住圏ごとに準備を進めています。ただ、全面避難には時間がかかります。現時点で延命操作が成功すれば、避難の規模を大幅に縮小できます」
「成功すれば、か」
「はい」
「わかった。到着後、現地の観測記録をすべて見せてくれ。加工前のデータもだ」
通信が切れた。
玲司は椅子に深く座り直した。
星の寿命を延ばす技術は、人類の歴史を変えた。だが、その技術が万能でないことも、彼は知っている。
星脈はエネルギーそのものではない。恒星の進化条件に関わる、宇宙に自然に存在する構造だ。人類はその一部を観測し、限定的に干渉する方法を見つけただけだった。
延命操作を行えば、対象の星だけでなく、星脈を通じて結びついた別の領域にも影響が及ぶ可能性がある。その影響が、必ずしも目に見えるとは限らない。
だからこそ、葬士には三つの仕事がある。観測すること。操作すること。そして、操作した結果を追跡すること。三つ目ができないなら、最初の二つが成功したと胸を張ることはできない。
玲司はその原則を誰よりもよく知っていた。それでも彼は、救助をやめたことがなかった。
救える命があるのなら救う。すべての影響を予測できないからといって、何もしないことが正しいとは限らない。
それが、久世玲司という人間だった。
***
エリュシオン中央管制区画は、恒星を見渡せる巨大な観測施設の内部にあった。
玲司が到着したとき、管制室には十数人の技術者が残っていた。全員が眠っていない顔をしていた。壁一面の表示盤には、星の進化指標、星脈の観測値、居住圏ごとの避難準備状況が並んでいる。
管制官のマルタが、玲司を迎えた。
「お待ちしていました」
「記録は?」
「こちらです。独立観測系統の生データも、別の保管領域に複製しています」
「いい判断だ」
玲司は受け取った端末を開いた。
最初の数ページには、異常が始まるまでの記録が並んでいた。恒星の光度、表面活動、磁場の変化。いずれも通常の範囲内だ。
異常は、三十六時間前に始まっている。それまで安定していた進化指標が、予測曲線から少しずつ外れた。最初は誤差だった。次は観測条件の違いだった。さらに数時間後、補正値を変えても、別の観測系統で同じ傾向が現れた。
そして、現在──
玲司は表示を拡大した。
「この時間帯のデータを出してくれ」
マルタが操作すると、観測値の推移が大きく表示された。一本の線が、予測曲線からわずかに離れている。その離れ方に、玲司は違和感を覚えた。
異常そのものではない。線の形だった。通常、観測誤差ならば、ばらつきは不規則に現れる。補正を加えれば一定の範囲へ収束する。しかし、この線は途中まで、まるで予測曲線をなぞるように動いていた。そして、ある地点から、何かに押し出されたように離れている。
「ここで何が起きた?」
「現在のところ、説明できる変化はありません。星そのものの活動にも、明確な変化は見つかっていません」
「観測装置の更新履歴は?」
「ありません」
「外部からの干渉は?」
「確認できていません」
玲司は表示を切り替えた。
次の画面には、星脈の観測値が並んでいた。こちらも異常の始まる直前までは安定している。ところが、進化指標が予測から離れ始めた時間帯に、一部の対応関係が崩れていた。
星脈の観測そのものが途切れたわけではない。データが消えたわけでもない。計算に使っていた対応関係が成立しなくなっている。
玲司は指先で画面を拡大した。
「この記録を最初に確認したのは誰だ?」
「私です」
マルタは答えた。
「最初は補正モデルの問題だと思いました。別のモデルで再計算し、独立系統でも照合しました。それでも一致しませんでした」
「その後は?」
「上位の研究機関へ報告しました。現在、四葬士全員への召集が進んでいます」
「四人とも?」
「はい」
玲司は短く息を吐いた。
四葬士。
星脈技術の運用と、その限界を判断する四人の天才。現場の延命操作を指揮する自分。星の終末と記録を研究する御影澄花。星脈の理論を扱う真壁透。そして、星系間の資源と政策を決定する鷹宮史乃。
四人が同じ現場に召集されることはほとんどない。一つの星を延命するだけなら、通常は現場の葬士と、必要な分野の専門家がいれば足りる。
四人全員が呼ばれるということは、今回の異常が単なる延命操作の問題ではないと、上層部も判断したということだ。
玲司は端末の最終ページを開いた。そこには、操作前の進化負荷分布を示す図があった。
本来なら各観測値の対応関係は、既存モデルの範囲内に収まるはずだった。だが、図の右下にひとつだけ不自然な空白があった。
値がゼロなのではない。測定値が存在しないのでもない。対応する観測結果が見つからない。
玲司はマルタを見た。
「この空白はいつからある?」
「過去の記録にも同じ形式の空白がいくつかあります。ただし、以前は観測精度の不足として処理されていました」
「今回は?」
「同じ処理をすると、ほかの観測値と矛盾します」
「そうか」
玲司は端末を閉じた。
「なら、今回は空白のままにしておこう」
マルタが不安そうに尋ねた。
「原因がわからないままで、延命操作を行うのですか?」
「まだ決めていない」
玲司は観測窓の向こうを見た。
エリュシオンは変わらず光っていた。その光の下で数百万人が暮らしている。子どもたちが学校へ通い、工場が動き、病院では患者が治療を受け、農場では次の収穫の準備が進んでいる。
彼らにとってこの星の異常は、まだ遠いニュースにすぎない。だが異常が本物なら、その距離はいつか消える。
「ひとつだけ、覚えておいてくれ」
玲司は言った。
「星を救うとき、俺たちが確認するのは、星が延びたかどうかだけじゃない。どこまで分かっていて、どこから先が分からないのか。それも含めて救助の記録だ」
マルタはうなずいた。
「はい」
「それと、住民への説明は続けてくれ。まだ分かっていないことを、分かったふりで説明する必要はない。だが、何も伝えないのも違う」
「承知しました」
玲司は歩き出した。
彼には、まだ決めなければならないことがいくつもあった。
延命操作をいつ実施するか。どの程度の操作なら許容できるか。どこまでの影響を確認できれば、成功と呼べるのか。そして、もし追跡できない負荷が残ったなら、それを誰に、どのように説明するのか。
答えはまだなかった。ただ、ひとつだけ確かなことがある。
エリュシオンは、いまも光っている。その光を必要としている人々がいる。
だから玲司はこの場所へ来たのだ。
***
同じ頃、中央管制区画から離れた観測施設で、真壁透は別の記録を読んでいた。
彼が見ているのは、エリュシオンの観測データではない。その星脈を構成する観測値のうち、過去の操作記録と照合できなかった部分だけを抽出した一覧だった。
透は、数字を追いながら眉を寄せた。
一つの記録なら、誤差かもしれない。二つなら、偶然かもしれない。だが、異なる観測系統で、異なる時期に、似た形式の不一致が現れている。それらは、既存モデルで説明できないという点だけが共通していた。
「……これは、どこから来た?」
彼は独り言のようにつぶやいた。
画面には、過去の記録番号が並んでいた。そのうちの一つに、見覚えのある番号があった。
二十八年前──星脈統合理論計画──第零実験
透の指が止まった。
その実験で、彼らは何を確認し、何を確認できなかったのか。報告書には成功と記されていた。少なくとも公式記録の上では……。
透は、記録番号を開こうとした。しかし、詳細データへのアクセス権限が失効していた。画面の中央に短い通知が表示される。
〈付属資料:参照不可〉
透は、しばらくその文字を見つめた。そして、別の端末から資料の保管履歴を検索した。該当する記録は見つかった。
ただしそこに残されていたのは、資料が存在したという記録だけだった。内容は、ない。
透は端末を閉じなかった。
まだ結論を出すには早い。資料が失われた理由も、観測値が一致しない理由も、何も分かっていない。彼はその事実を、正確に記録した。そのうえで、四葬士の召集通知を開いた。
通知の末尾には、現地で確認された異常の概要が添付されていた。
透は、その概要を読み終えると、もう一度、二十八年前の記録番号を見た。
偶然かもしれない。誤差かもしれない。あるいは、以前から説明できなかった何かが、いまになって別の形で現れているのかもしれない。
まだ何も証明されていない。だからこそ、彼は現地へ向かう必要があった。
***
その夜、エリュシオンの居住圏では、予定どおり学校の授業が行われた。
子どもたちは星の寿命について学んだ。恒星は生まれ、輝き、やがて終わりを迎える。人類はその過程を観測し、理解し、必要ならば介入する。
教師は最後にこう説明した。
「星の寿命を延ばすことは、星を永遠にすることではありません。私たちができるのは、未来の選択肢を少しだけ増やすことです」
最前列の少女が手を挙げた。
「先生。星を救ったら、その星は死ななくなるの?」
教師は少し考えた。
「いいえ。いつかは死にます」
「じゃあ、救う意味はあるの?」
教室が静かになった。教師は窓の外を見た。青白い星がいつもと変わらず輝いている。
「その星の下で生きている人たちに、明日を渡せるかもしれない。それが救うということなのです」
少女は、納得したような、していないような顔でうなずいた。授業が終わると、子どもたちは教室を出ていった。
誰も知らなかった。自分たちの星を救うために、何人もの大人が集まろうとしていることを。その判断が、別の場所にどのような影響を及ぼすか、誰にも予測できていないことを。
そして、二十八年前に記録されたひとつの未解決事項が、いまも完全には解消されていないことを。
エリュシオンは光っていた。人々は、その光を明日も見られると信じていた。
久世玲司は、まだその星を救っていない。
そして彼は、これから行う判断がどこまで正しかったのかを、最後まで知ることができないかもしれなかった。




