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悪魔の形 —————これが私の異世界——————  作者: 一沢


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第5話

 夜間警備など生温い、完全なる厳戒態勢の夜が続いていた。自分達三人の内なる力など知らせる訳がないし、知られる訳にはいかなかった。


 だが———あの獣の眼光を恐れないで済む時間の中で過ごせる環境は、心臓と精神を冷やせる聖域にも似ていた。


 そしてアビゲイルの親族関係を知った瞬間、兵士達は総じて頭を下げてプライバシーの配慮を始める。店内を捜査の一環として闊歩していた兵士は襟を立て、護衛でもするようにリビングへと送り、扉を閉める否や、やはり護衛として扉の前で立ち続けた。


「まさか。教授のご息女とはつゆ知らず、失礼いたしました」


 扉を叩き、許可を得て入室してくる兵士が一人。長大な軍服と腕章を纏う白髪交じりのその姿には歴史を感じさせた。


 一際輝く勲章を胸に付け、一目で硬質とわかる軍帽を外した初老の兵士は、椅子にも座らずに顔を眺めてくる。優し気な眼差しではあったが、深い皺が刻まれた瞼と目じりが鋭く尖れば、自分は向こうの世界のように———背骨を立たせ、須らく報告を読み上げてしまうだろう。


「あ、あの、私はそんな‥‥」


「あなたのお父様は、この国の英雄であり賢者だ。どうかこの対応をお許し下さい。そして謝罪させて頂きます。もはやこの国は戦争中ではないのだ。いつまでも我々が我が物顔で街や家に入り込んで良い筈がない。家主殿、どうか無礼をお許し下さい。そして捜査の協力を」


 軍帽を胸に当てて視線を下げるという、生涯数えても一度とない状況に、ミシュレさんもアビゲイルも慌てふためき始めたしまう。


 この態度には慣れた物と言わんばかりの兵士が、人間らしい弱った表情を浮かべる。同時に、この場に似つかわしくない異国の自分を眺めた。


「差し支えなければ、君は帝国の市民かい?」


「あ、えっと、この人は‥‥」


「はい、帝国の者ではありません。現在、教授の屋敷で使用人として働かせて貰っています」


 下手な嘘など吐く必要はない。探られて痛い腹など、そもそも持ち合わせていない。


 自分が全てを包み隠さず話した事に察しがついたのか、わずかに視線を尖らせた兵士が「ほう」と一言発した。


「現状、確かに戦争は終結し、時代は平和と呼ばれる方向に進んでいる。だが、帝国を取り巻く状況が刻一刻と改善している訳ではないのは、この帝都の市民ならば誰もが感じている。———済まないが、君だけこちらに来て貰えるか?」


「もちろん」


 被せるような速さで答え椅子から腰を上げると、その瞬間にはアビゲイルに手を引かれる。だから「明日には戻るから」と告げて手を包みながら解くと、小さく頷いてくれた。一瞬だけミシュレさんに視線を移して兵士の背に続き扉を潜る。


 慣れ親しんだ空気だった。自分の臓器以外が全て凍てついている。首と肌を凍えさせる視線に小声、これら全てを日常として過ごしていた。


 総じてこれらの環境の中で自分は敵対者、諜報員として場に居座っていた。勘付かれれば首を掻っ切られ、僅かに心証を害すれば意味もなく取り調べという名の尋問、拷問に処される。けれど———終ぞ、この口を割らせる秀才は存在しなかったのを覚えている。


「申し訳ないね。このような時代だからこそ、身元が明確ではない者を放置はできないのだよ」


「わかっています。それに、あのような事があったのに———俺は生きている」


「‥‥隠し事は出来ないようだな。君は、特殊な訓練でも受けていたのかい?」


 荒らされた店内に通された時、部屋の隅で待ち構えていた兵士の一団に取り囲まれた。


 背の高い兵士は無表情のまま、こちらを気圧しに掛かる。実際に戦場を経験したから、人を殺めてきたから纏える風格には息を呑んでしまう。だから自分も手を後ろでに組み、胸を張って掛けられる構えを取った。


「君を侮った事を、ここに謝罪しよう。私達も誠意を持たせてもらう」


 冷たい手錠に懐かしみを覚える。


 戦後直後の敗戦国の職にあぶれた者達が仕事を求めて帝都に来る。それを悪と断ずる事などできない。


 だが無秩序に帝都の路肩や路地裏を住処とし、治安を悪化させる者達を放置など出来ない。そして経済を無視した安価な働き手が闊歩し始めた時、帝国の市民と無法者達の中で埋まらない溝が生まれてしまう。結果生まれる『暴動』という名の矛が帝国に向くのを避けたがっているのは、どの世界でも同じようだ。


「君を不法入国者として逮捕する。身元保証人はいるかな?」


 もしいたとしても話など一切許さないだろう。彼ら帝国の兵士は、帝国と帝都の市民を守る為にいるのだから。


 だが、口にする人物の名が一線を画す存在———この国の英雄であり賢者ならば、彼らも無視など出来ない。


「帝都大学の教授。アビゲイルの父です」


「まぁ、その通りだろうね」


 そして鍵など一切閉めていなかった手錠は、体温で生暖かくなる時間すらなく外される。


 何が不思議であったのだろうか?戦場を渡り歩いた筈の兵士達は、額や首元から汗を流して一歩下がって行く。それほどまでに教授という存在、延いては火薬とアルコールを生産し続けているあの屋敷と工場はこの帝都にとって無視できない存在なのだろうか。


「君は知っているかい?教授の正体を」


「‥‥医療と兵器を同時に手掛ける天才」


「その上、我らが最高指揮官———皇帝陛下のご学友であり、帝室の顧問官であり次期帝都知事にも選ばれかねない秀才だ。彼女が襲われたと聞いた時、決死で車を走らせて教授にお伺いを立てた程だ。あなたのご息女がしがみついている彼は誰かと」


 軍帽を被り直した指揮官は、崩れ落ちるように削れた椅子へと腰を下ろした。一体どれほどあの教授は恐れられているのか、自分には皆目見当もつかなかった。だが、兵士達の安堵した様子を見て、それが垣間見えて気がした。


「教授はなんと?」


「我が家の跡取りとなる存在だ。丁重に扱ってくれと。怪我でもさせて娘を泣かせようものなら———君の家を爆破すると話されたよ」


 きっと涼しげに語った事だろう。軽やかに紡がれた言葉の信憑性など疑うべくもない。あの教授は冗談の類をほとんどしない。もし使ったのなら、それには大いなる意味がある。言葉の裏を読み解くとしたらこうだ、『私の家を崩壊させた君の家を崩壊させる』。


 その時、何もかもの証拠を残さずに速やかに実行、完遂させる。


「だが我々も野放しには出来ない、その結果が是だよ。悪く思わないでくれ、そしてどうか教授には」


「わかってます。あの人は、本気にしてしまう」


「‥‥助かる。ようやく終わった戦火の中、新たな火種に巻かれるのは避けたい」


 慣れない芝居を敢行した所為で、大きく呼吸をした軍人は肩の荷が下りたように天井を仰いだ。


 仕事に戻れと視線で伝えられた兵士達は、今も青い顔をしながら荒らされた店に残った血痕や爪痕を調べ始める。


「だが、すぐに解放する訳にはいかない。君の言う通り明日までは我々と居てもらうぞ」


「構いません。俺も、すぐには戻れないと思っていたので」


「ほう。何故だ?」


「彼女には時間が必要です。俺がいては、思い出してしまう———アビゲイルを守って下さい」


「言われなくても、そうするつもりだ。因みに言わせてもらうが、爆破対象は我々の家もと付け加えられた」


 白髪交じりで歴戦の兵士と思っていた指揮官殿は、もしかして教授と同年代なのだろうか。初老とは思えない口の軽快さに若々しさを感じる。そして多大な責任と教授の板挟みになっているようで、同情してしまいそうだった。


「では、君から聞き取りをさせて貰う。襲われた狼についてだが、一体どのような姿だった?思い出せる限りでいい」


 雑な聞き取りもあった物だ。だが、彼らもあそこまで間近に見たのも初めてだったのだろう。


 深く脳裏に刻み付かれた死の恐怖を思い出す。


「確か、手足は四本以上あったと思います」


「どうやら尋常の獣ではなさそうだ」


 想像していたらしい。もしくは、同様の存在を見た事があるのだろうか。どちらにしても兵士達をどの程度信じるべきかの尺度にすらならない。もしあの獣の正体を知っていながら今の今まで放置してきたのなら——彼らにとって、この帝都外周はただの狩場としか映っていない。


 よしんば違ったとしても、彼らの銃火器はあの獣には、ただただ無力であった。


「あの獣は何処に?」


「逃げられてしまった。帝都の路地裏は何処まで暗い」


「‥‥俺に、何を求めているのですか」


「ほとほと、教授は良い拾い物をしたようだな。話が早いと言うべきか、心当たりがあるのかと問うべきか」


 シガレットを取り出そうとした指揮官は、店内を一瞥しながら懐に戻した。


 この行為にも覚えがあった。周りの兵士への指示の類であるのと同時に、作戦実行の可否についての通達。自分はお眼鏡に叶ってしまったようだ。今晩は解放出来ないという言の真実味を噛みしめながら、両の手をテーブルに乗せて反抗はしないと告げる。


「教授はなんと?」


「あの教授について伝えておく。察しの通り、あの人は帝国の暗部とも繋がりを持つ表でも裏でも力を持つ支配者層だ。皇帝室も、無論その事を知っていて関係を持っている。ここまで帝国が発展し、なんの反抗も巻き起こらなかったのも、あの人の力が原因と断言できる」


「あなた方も、知っていて教授と繋がっている」


「清濁併せ呑むのも、国家運営における必須事項だ。その事については述べるべくもない、彼は功労者なのだからな」


「‥‥知っていたという事ですか。あの獣の正体を、更に言えばこの区画で狩りをする時間も」


「彼の思考を推し測れる者など、この帝国には存在しない。教授は一言、知らなかった、と仰られた。そして、迷ったのなら彼に頼れと」


 受け取り続けた恩恵に、そろそろ報いる時が来たと実感した。同時に、これはあの人からの試練なのだとも。


 だが、あの人が獣の手綱を握っているとは到底思えない。


 あの人にとってアビゲイルは宝以外の何者でもない。もし、彼女を傷つける者がいるのなら———世界最大の戦力を保持、周辺国家を飲み込んだ戦勝国帝国の全てが敵となる。それはこの世界の朝日を浴びる、夜に紛れるも出来くなると同意義である。


「だから、やはり君に問わねばならない。一体、何を知っている?」


「‥‥俺は何も知りません。だけど、」


 温かな草木から立ち上がり、冷たい空気を湛える月へとこの身を晒す。なんの躊躇もなく立ち上がった自分に、部屋の隅にいた兵士達が金具の音を響かせる。訓練された屈強な兵士だからこそ、反射的に構えと取ってしまう。そして、後悔しながら息を呑む。


「構いません。———外に出ても?」


「そのまま逃走する気か?」


「察しの通り。追跡します」


 冗談を真に受けたと思ったのか、だが自分の言葉に嘘など感じられないとわかった指揮官が兵士達に命令する。「お送りしろ」と。そして小銃を肩に掛けながら外へと先導しながらも、訝しむ目を向けている兵士達と共に、今も血で覆われている路地へと踏み出す。


 鮮血の臭気に鼻が包まれる。例えここが暗闇に覆われていたとしても、誰もが口を揃えて言った筈だ。「これは血だ」と。


 赤錆だらけの鉄を口に差し込まれた。忌み嫌う味から逃れるべく苦い唾液が大量に分泌され、嘔吐の前兆を思わせる。


 既に死体こそなかったが、この場で首を噛み砕かれたのだと、血を吹き出しながら抵抗したのだと———酸素を多く含んだ色鮮やかな血がぶちまけられた道から漂う香りには、家畜を解体して時とはまるで違う杜撰で凄惨な状況を想像させる。


 これは食事跡だった。欲望のままに、食欲と支配欲のままに貪られた人間がいたのだと。


「死体は既に回収しました。ご覧になりますか?」


「いいえ、見ても何も残っていないと思いますから」


 兵士が少しだけ上から聞いてくるので、そのまま返す。それに自分は死体などに興味はない。


 見たいのは血痕。足跡、爪の間隔に残った毛の一本一本。全体像は既に視認している、ならば体重の程も大まかに見当が付く。


 それはそのままあの獣の歩幅を想像させる。あの獣が去って既に30分は経っていた、真っ当に考えるのならば既に帝都から距離を取っていると考えられるかもしれない。だけど、あれだけ内臓にダメージを与えた以上、遠くには逃げられない。


 同時に———この帝都を餌場として考えているのなら、獣は遠くには行かない。住処もそう遠くはないと。


「‥‥追える」


「車両の準備を」


「いえ、恐らくあの獣は建物の上を走っている。車両はあなた達が」


 土地勘がある兵士達を撒くほどの速力を持っていると言われれば、確かにそれほどかもしれない。


 けれど、兵士達は人数と明かりも車両すらも持ち合わせている。そして帝都の治安維持の為に訓練も受けている。人海戦術で追跡をしているのに追い付けないのなら、追いかけられない道を通っているのだと嫌でも想像できる。これは自分に求められた逃走術の一つ。


 そして店の扉を開け、あの指揮官が軍帽を被りながら現れる。


「使っても?」


「何をしても他言無用。君達の力を使わねば、この難局を乗り越えられないとわかってるつもりだ。好きに使え」


 その意味が理解できた兵士から、僅かに視線を逸らした。


 その力を今まで見た試しのない兵士は、やはり疑問を浮かべた表情をする。


 力を持っていると知られたならば、早々に砦へと連行される。帝国の為、今も抵抗する周辺国家から防衛の為、力の行使を求められる。正しい運用方法だった。時限爆弾にも匹敵する力の持ち主達を野放しには出来ない。そして平和を目指すのなら、備えなければならない。


 悪魔の力は混乱を巻き起こす———帝都内に混乱など無用。そして全ての力を収束、管理する為に施設へと送られる。


「車両の準備を。急げ」


 自分達の足を用意しろと告げた指揮官は、既に月に収まった自分を見上げていた。


 





「血だ‥‥」


 白と灰色の屋根瓦。スレートと呼ばれる石造りの屋根の数枚には、今も血が滴る足跡が残っていた。


 踏みつけられた屋根は砕かれ、自分を害した者を指し示すように血を残している。視線を向ければ白い煉瓦造りの煙突がそびえ立ち、長い強大な握力で掴み取って去ったのだと、残った爪痕が克明に記されていた。


「今まで逃げきれていた理由が、これか」


 闇夜の中、屋根から屋根へと飛び回っていれば今まで人間同士で殺し合っていた兵士が見通すのも頷けた。火薬と金具の音に全神経を尖らせる時間を求められてきた兵士を嘲笑うように、数歩の足音だけを残して別区画へと逃げ去っているのだから。


「最後に逃げ切った俺が、今更追いかけるなんて」


 黒のコート状に編み出した悪魔の身体は、空間を滑るように身体を前へ前へと押し出す。これの原理など知らない、きっとどれだけの天才だとしても解明するなど不可能。だから自分も『悪魔の力』だと世界に言い訳をして、物理法則を無視し続ける。


 眼下の路地を見れば、そこにはあの指揮官を乗せた軍の車両が道を走っていた。自分を追いかけるという戯言に頷いてみた結果、彼らはなかなかの操縦技術で食らいついていた。夜の街は戒厳令でも出されたように、完全なる無人と化している。


 もしくはあの獣に恐れて、皆閉じ籠っているのだろうか。


「まだ遠い」


 獣の真似をする。


 外套から伸ばした『悪魔の腕』で煙突を掴み、身体を引き寄せる。


 顔を叩く空気が増していくが、夜風に切り裂かれる皮膚の感覚には慣れた物だった。実際に小石や鉄片が混じった風の中を走っていたのだから。そして、これはただ風を浴びたいという理由だけではなかった。血の匂いが濃くなっていくのがわかる。


 あの獣からは血と肉の混ざった、腐った匂いが放たれていた。


「一度飛ぶか」


 自分が生やしているのは翼ではなかった。人が見れば「あれは吸血鬼だ」と指を差すかもしれない。


 漆黒の外套に包まれた身体が自分の意のままに月へと運ばれた。伸ばした『悪魔の腕』が建造物の屋根全てを覆い隠し、足場としながら空へと自分を押し出す。想像していた浮遊感を無視しながら、視界に映る異色—――もう濁ってしまった血を見つける。


「そこか」


 けれど血の残る屋根へと腕を伸ばす訳にはいかなかった。そこは巨大な門の先、帝都内部へと続く貴族街の構成物のひとつだった。


 浮遊感から続けて感じられる重力加速度に従い、路地へと舞い降りる。風を起こす事もなく無音で降り立った自分を見て、後続の車両に乗る兵士達が顔を引き締めるのが見えた。ようやく、このガキを侮る訳にはいかないと気が付いたようだった。


「大佐」


 呼びかけに応じた指揮官は車両の窓からランタンを取り出し、そこで待てと伝えてきた。


 改めて見ても、技術と資源のバランスが取れていない車だと思った。鋼鉄に覆われた軍用車両にいくつもの排気管が設置され、水蒸気を多大に吐き出しながら疾走している。ヘッドライトすら群青石とやらで賄われているらしく、煌々と街の闇を暴き出していた。


「首尾はどうだ?」


「貴族街まで続いています」


 隠さずに行われた舌打ちに、人間味を感じた。


 続けて運転手である部下に視線で有無を訊くが、部下すら首を振って忌々しく貴族街を睨みつけた。


 庭園へと訪れた時には大きく開かれていた門は、既にその身を閉じ絶対の拒絶感を放っている。何者も受け入れないと言わんばかりの巨木と白亜の趣向を凝らした門は、犯しがたい純白の騎士を彷彿とさせる。そして———諦めたように下車した指揮官は、煙草に火をつける。


「今日はここまでのようだ」


 なんの感慨も覚えさせない軽い口調に、自分はただ押し黙るしかなかった。


「聞かないのか?何故、追いかけないのかと」


「あの街は、この帝国の礎であり戦争の英雄達が暮らす聖域です。疑うなど、帝国を裏切り行為となるのでは」


「‥‥全く憎らしい」 


 それはどちらに対しての言葉だったのか、自分にはわからない。


 続々と到着する車両に、煙草で方向を示すと総じて誰もが顔を歪ませる。


 僅かな疑問が浮かんだ。もし貴族が憎いのであれば、これを理由に堂々と捜査すればいいではないか。だが、つい先ほどの指揮官の言葉を思い出した。清濁併せ呑むからこそ、帝国の運営が出来ているのだと。彼ら今まで黙認してきた暗部へと、メスを入れられないでいた。


「帝都で消える人間が年間どれだけいるかわかるか?犯罪によって殺害される市民がどれだけいるかわかるか?我々兵士が敵国の凶弾にどれだけ倒れているか、誰か数えているかわかるか?その中のひとりの為に帝国を解体する事などできない」


「では諦めるのですか?」


「この場では、そうだと答えるしかない。撤収だ」


 そう言い放った指揮官が後ろに乗れと視線で示してきた為、甘んじて受け入れる事にした。






 兵舎の中での一晩は、何度経験しても酷い物だった。


 数か月も銃弾に脅かされた兵士が深夜に叫び病院へと運ばれ、兵士内で行われていた賭博が明らかになった時、関係もない兵士達も連帯責任として長い肉体鍛錬を強制される。穏やかに眠れない、そう確信した自分は兵舎の屋上へと飛び出て適当に樽へと腰掛ける。


「‥‥どうせ拘束もしないなら帰してくれればいいのに」


「なかなか肝が据わっているじゃないか。本来なら収監室で一晩過ごして貰っていた所だ。君の意志を尊重した気だったが?」


 軍帽も軍服も脱ぎ去った指揮官が、同じように樽に腰を掛けていた。


 白い煙を吐きながら、下層で行われる無駄な鍛錬声を聴き流している姿にはやはり歴戦の兵士の姿が映った。突然自分が襲い掛かっても問題ないよう常何時でも警戒を怠っていない。腰の拳銃とナイフで容赦なく喉元を抉れる構えを、休みながらも取っていた。


「それに今すぐ帰ろうと思えば誰も止められない。この兵装も、どれだけ意味があるか」


「‥‥武器の技術革新はまだのようですね」


「ああ、まだまだ先だ。確かに新たな銃器は各々提供こそされているが、数も訓練も場所もまるで足りない。帝国も軍事力の重要性は痛みで知っているが、全てを一度に変えようものなら必ず綻びが生まれると知っている」


「だから、新たな武器を配っている。あなた達を———」


「実験台にしているからだ。暴発でもされれば喜び勇んで回収に来るだろうよ。書類上の数だけの死人を把握もせずに」


 差し出されたタバコを断ると「そうした方がいい」と自分の口に運んでいく。


 もし誰も想定しない欠陥が戦場で起ろう物なら、そしてその欠陥を一切検証も検品しないで配給しようものなら帝国はあっけなく瓦解するだろう。兵器とは100年先でも通用する技術と知識の粋を集めた結晶でもある。だから、まだ平気だ、まだ通じると考えてしまう。


 そしてそれらは総じて正しい。生身を捨てられない以上、誰も鉛玉には抗えない。


「だが、お前のような悪魔には別だ。悪魔に対して現代の武器では何もかもが足りない。あんな力を見せれば、ここの兵士も全員が確信した筈だ。悪魔を殺す為には、新たな武器が必要だと。こぞって支給品の失敗作を使い出すだろうな」


「悪魔が憎いですか?」


「さぁな。どうでもいい。現在辛うじて悪魔達を捕らえて力として使っているが、それだって近々瓦解する。彼らは英雄として帰ってくる。英雄を蔑ろにしてみろ?この帝国は成す術なく悪魔に敗北する。皇帝の隣に悪魔が常に立ち続ける事となる———それも時代の流れだろうが」


 仕方ないから認める。


 そう言いた気だが、違う気がした。自分の役目が終わる事への安堵か、もしくはそう遠くない未来に復讐が達成されると信じているようだった。この顔は知っている。今は諦める、だが必ずや舞い戻ると、過去の権力者がそう確信して消えて行ったのを思い出した。


「‥‥悪魔は、帝国への復権も占領も考えていないと思います」


「何故だ?」


「それよりも、大事な人がいるから」


 きっと呆れられる。そしてこの確信は正しかった。


 肺を膨らませて白い息を吐き、月を見上げた指揮官は指元にまで達した吸い殻を踏みつぶした。


 そこでようやく時間を計っていたのだと理解した。


「‥‥ああ、きっとそうだ。焦って恐れているのは何も知らない俺達だけだ。ああ、ならば『こんな物』よりも大事な物を見せないといけないな———もう日付は変わった。帰っていいぞ」


「はい、お世話になりました」


 樽から立ち上がり、黒の外套を纏った時だった。腰の後ろから取り出した鈍色の鉄塊を差し出される。


 それは兵士達が腰に下げていた物よりも洗練されたデザインを持つ拳銃だった。銃口近くに長方形のマガジンを抜き差しする事で装填を一瞬で終えるマシンピストル。あちらの世界では既に100年は経とうかという骨董品であったが、きっと今すぐ持って帰っても通じてしまう強力な銃火器。何故だ?そう視線で聞いたが、


「出獄祝いだ。持って行け」


 としか教えてくれない。


「あなたから渡されたと告げます」


「好きにしろ。どうせ、俺には無用だ。お前の方が使いこなせるだろう」


 それ以上は聞くなと、新たなタバコで口を噤んだ兵士達の指揮官を背後に、黒の身体を編んで造り出した外套を纏う。


 そしてふたたび巨大な月へと戻った。

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