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グビラ舞う  作者: 庵字
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最終章 ナイフと靴下とタオル、そして猫

 約一時間後、私たちは()(ろう)宅の居間に戻った。何か分かりましたか? と訊く初郎(はつろう)。もういい加減に帰らせてくれよ、と悪態をつく(あら)()。君、本当に男の子なの? とまだ疑いを持つ(すず)()。その三人を前に、

「猫が見つかりました」


 唐突に言い放った、(らん)()のその言葉に、明らかに動揺を見せた人物がひとりいた。乱場も気付いたはずだが、そんなことはおくびにも出さずに、


「さて……」


 乱場の、名探偵の口上が始まる。彼の表情が変わったことで分かる。中学生と言っても信じられる童顔には、不思議と大人びた色気――と言っていいだろう――が重ねられ、細められてもなお大きな瞳には、蠱惑的な色が浮かぶ。


前畠(まえはた)治郎さんが殺害された、この事件。使われた凶器は明らかながらも、現場からその凶器が消えているという不可解な状況に見舞われました。消えた凶器というのは、治郎さんの蒐集品であるガラス製の工芸ナイフです。若い芸術家の作で、その芸術家が有名になる以前に治郎さんが目利きで買い求めたもので、現在は購入時の数十、あるいは数百倍の値が付いててもおかしくない代物だそうです。

 消えていたのは凶器だけではありませんでした。書斎にあったと思われるタオル。さらには、被害者である治郎さんが履いていた靴下の片方までもがなくなっていたのです。これら三点は、警察による徹底した家捜しでも見つかりませんでした」

「乱場くん、だったか」と、ここで初郎が、「凶器はともかくとして、靴下だとかタオルが事件に関係あるのですか――?」

「あります」言下に乱場は断言する。「この三つは、ワンセットとして取り扱われたんです」

「ワンセット? どういう意味……」

「犯行の様子を推理してみましょう」初郎の質問には直接答えず、乱場は自らの推理の展開に進む。「経緯は分かりませんが、今日の午後一時半前後、犯人は書斎に入り、治郎さんを殺害します。さきほども言ったように、凶器はガラス製の工芸ナイフ。犯行後の犯人の行動から考えて、これをめぐってひと悶着あった可能性が高いですね。まあ、とにかく、治郎さんを殺した――あるいは殺してしまった犯人は、凶器として使ったナイフを自分の物にしようとしました。おそらく、治郎さんの死体が発見される前に、ナイフを持って家を出るつもりでいたのでしょうね。が、ここでアクシデントに見舞われます。治郎さんのスマートフォンに着信があったのです。まさか応答するわけにはいきません。ディスプレイの表示から、発信者は兄の初郎さんだと分かったでしょう。着信を切ったのだとしても、兄からの電話を、外出中でなく自宅にいるというのに応答せずに切ったとなれば、当然訝しがられます。ですが、それはこのまま着信を放置し続けても同じことです。初郎さんは、治郎さんが三階の書斎にいることは分かっていたでしょう。声も聞かせずに着信を切った、あるいは、電話に応答しないとなれば、様子を見に書斎へ来ることは確実です。

 そうこうしているうちに、階段を上ってくる足音が聞こえてきました。もう、治郎さんの死体が発見されてしまうことは免れません。ナイフを持ったまま書斎を出て自室に戻ることは可能だったでしょう。初郎さんが三階へ辿り着くまでには、まだ猶予がある。が、その選択をしたら、どうなるか。治郎さんの死体を発見した初郎さんは、この家を封鎖するでしょう。なにせ、元警察官です。死体を発見したら取るべき行動は熟知しています。そして、たとえ親族といえども、自分たちもこの家に留め置かれることは必定です。死体はあるのに凶器がないとなれば、当然、捜索がされます。親族だからといって見逃してもらえるわけがありません。そこで、凶器に使用したナイフが自分の所持品として見つかったら……。かといって、現場に凶器を残したまま自室に戻ることも許せなかった。伯父を殺すまでして、手ぶらで帰るわけにはいかないと思ったのでしょう。じゃあ、ナイフを窓から放って、あとで回収する? いや、現場に凶器がないとなれば、窓から投擲されたのではないかと警察も当然考えて、捜索は屋外にまで及ぶでしょう。というか、そもそも凶器はガラス製で、窓の向こうはアスファルト舗装がされた広い駐車場です。三階もの高さから投げる、あるいは落としたりしたら、破損してしまうのは必定。それでは意味がありません。そこで犯人は、この窮地を脱する――自分は現場から逃げ延びて、さらに、あとから凶器も回収できる妙案を思いつきました。犯行時、書斎にいたのは、治郎さんと犯人の二人だけではありませんでした。犯人は、その〝もうひとり〟を利用したのです」

「もうひとり? いったい、誰が?」


 初郎が目を見開く。


「いえ」と乱場は、細めてもなお、見開かれた初郎の目よりも大きな、その蠱惑色の双眸を向けて、「〝ひとり〟という言い方は語弊がありますね。正確には〝一匹〟です」

「一匹? そ、それは、もしや……」

「そうです〝猫〟です。この近所に住む、野良の三毛猫です。どういった事情で、書斎に三毛猫がいたのかは――もはや治郎さんに訊けない今――分かりませんが、動物好きだけれど、この家を訪れる義理の妹――弟の妻――のために猫を飼えない治郎さんは、せめて野良猫をかわいがることを密かな楽しみとしていたのかもしれません。おそらく、何度もかわいがっておやつをあげたりしているうちに、野良猫のほうでも治郎さんに気を許して、おやつをねだりにこの家に来るようになったのかもしれません。玄関に来させては、そこに猫アレルギー物質が溜まってしまう可能性がありますから、治郎さんが猫と会う場所としたのは、三階の書斎です。正確には、書斎の窓。地面から窓までの壁面にはダクトや配線が這っています。人間には到底無理でも、猫なら上り下り可能なのではないでしょうか」


 その後の調査で、地面から書斎の窓までに至るダクトや配線から、書斎で発見された――そしてのちに保護された――三毛猫のものと同じ毛が採取された。


「そして、今日も三毛猫はやってきました。治郎さんは猫を窓から書斎に入れ、撫でるなりおやつをあげるなりしてかわいがっていたのでしょうね。そこに、犯人が現れた。自分しか使わない書斎であれば、猫がいても悪いことはないと思っていたのでしょう。猫を帰すことも、隠すこともないまま、治郎さんは訪問者に応対します。そして……犯行後、その猫は犯人に利用されることとなってしまいました。犯人の目的は、自分は逃げて、かつ、凶器も現場から離して、あとから回収すること。そのために犯人がとった行動は、こうです。

 まず、治郎さんの靴下を片方脱がせて、それにナイフを入れます。そのナイフ入りの靴下を、今度は、これも現場にあったタオルに結びつけて、さらに、そのタオルを猫の胴体に巻きつけます。ナイフの入った靴下が猫の背中側に来るようにです。これで準備は完了。最後は、()()()()()()()()()だけです。三階もの高さから放られることも、猫にとっては問題になりません。まったくのノーダメージで地面――駐車場のアスファルト――に着地。ナイフは猫の背中側にありますから、当然、これも無傷です。猫はそのまま走り去ります。こういう行動をとったことから、犯人はその三毛猫のことを知っていたはずです。この近所に住み着き、決まった場所をねぐらにしている。猫は間違いなくそのねぐらに帰るでしょう。あとからそこを訪れて、ナイフを回収すればいい」


 居間は沈黙に支配された。皆、半信半疑という顔をしているが、ひとりだけは違った。その人物だけは、乱場の推理が荒唐無稽なものではないと分かっているのだ。


「そ、そうだとして……」半信半疑な顔をした初郎が、「あまりに危険じゃありませんか? 猫がねぐらに帰るまでの道中で、他の人間に見つかってしまう可能性が高い。まして、相手は背中に何かを背負った猫です。人目を引きすぎます」

「その危険も低いと、犯人は考えたのでしょうね」

「どうして?」

「猫のねぐらを知っていたからです。そもそも、猫のねぐらがどこかを知らなければ、この工作は行えませんから。僕たちは、その猫のねぐらを発見しました。最初は、ここから半径百メートル程度の範囲の徹底捜索は覚悟して、聞き込みをするつもりだったのですが、いま、初郎さんがおっしゃった危険性は無視できないと考えて、そういった――他者に猫が見つかる危険性――は絶無だと犯人は確信していたからこそ、この工作を決行する気になったのではないか? であれば、猫のねぐらは、他者に発見される危険性がない場所にあるのではないか? その考えは当たりました。僕たちが発見した猫のねぐら、それは、裏の駐車場のすぐ脇に位置する、空き地でした。誰も管理する人がいない土地なのでしょうね。雑多な不要品が積まれ、がらくた置き場と化していました。書斎の窓の直下からは十数メートルしか離れていません。窓から放った猫がそこに辿り着くまで、誰にも目撃されることはないと確信できます」


 乱場が「猫のねぐらを発見した」と口にした直後から、ただでさえ動揺を見せている人物の態度がさらに変貌した。無意味に両手を組み、落ち着きなく指をからませ始める。


「ねぐらを発見したということは、当然……」対照的に冷静な乱場の声が、「そこにいる猫も見つけました。言うまでもなく三毛猫で、胴体に巻かれていたのであろうタオルも、猫のすぐそばに落ちていました。もがき回って、体に巻き付けられた異物を取り去ったのでしょうね。そのタオルには、さらに靴下が結びつけられていて、中には……」


 その言葉を合図に、暮松刑事が密封された透明ビニール袋を掲げ上げた。照明を受けて、中身がビニール越しにきらめく。長さ三十センチ程度の、見事な造形が光るガラス製の工芸ナイフだった。本来透明であるはずの刀身は、赤黒く染まっている。ナイフ入りのビニール袋を、さらに自分の頭よりも高く掲げて、暮松刑事は、


「これが、治郎さんを刺した凶器と見て間違いないでしょう。柄には指紋が付着しているのが肉眼でも確認できます。しかも、指紋の一部が血痕の上に重なっています。ということは、その指紋は、このナイフが血で濡れてから捺されたもの、つまり、治郎さんを刺した際、あるいはその直後に付けられたものだということは明白です。死体発見時、初郎さんの計らいで、警察が到着するまで死体はもとより、凶器にも誰も触れてはいません。以上のことから、この指紋は、すなわち、治郎さんを殺害した犯人のものであることに疑いはないでしょう」


 暮松刑事は証拠品を持つ手を下げた。今度は、それを合図に乱場が、


「これから警察は、このナイフに付着した指紋の持ち主を照合する作業に入ります。そこで……いかがですか、もしも、いま、この場で犯人が名乗り出たとしたら、おそらく自首扱いに出来ると思うのですが……」


 視線を向けられた暮松刑事が、厳しい表情のまま頷く。

 背負っているものの重さに耐えきれなくなったかのように、がくりと膝を折ったのは、被害者の甥、前畠新太だった。



 凶器の柄に指紋がついている。というのは、乱場が暮松刑事に仕込んだブラフだった。確かに前畠新太の指紋は付着していたのだが、それは血痕とは重ならない場所にだったのだ。これでは、以前に見せてもらったときに触ったときのものだ、と言い逃れされてしまう。乱場は、居間で話を訊いたときに、犯人は新太だ、と確信していたという。何を根拠に? 靴下だ。彼の推理どおり、被害者の靴下が片方だけ脱がされていたのは、ガラス工芸品である凶器を保護するためだが、もし、涼香が犯人であったなら、わざわざ被害者の靴下を拝借する理由はないというのだ。


「涼香さん自身が、膝下まである長い靴下を履いていたじゃないですか。ナイフを保護するなら、断然そっちのほうがいいです。被害者の靴下がなくなっていた、なんて不可解な状況を作り出さずにも済みますしね」


 新太が履いていたのは、くるぶしまでしかないショートソックスだった。あれでは、全長三十センチもあるナイフの保護材としては使えない。


「犯人のミスは、治郎さんの靴下を片方しか使わなかったことです。靴下を両方脱がせて重ねてしまったらよかったんですよ。そうしたら、被害者は最初から裸足だったんだな、と思わせられて、不可解状況を発生させずに済みました」


 なるほど。名探偵のそばにいるというのは、犯人視点としてみても勉強になるものなのだな。


 新太への聴取によって、犯行の動機と詳細が明らかになった。会社の金の使い込みが発覚しそうになり、その穴埋めのために大金を必要としていたのだという。そこで事件の日、書斎に伯父を訪れて、まとまった値の付く蒐集品をひとつ譲ってくれないか、と頼み込んだ。彼が目を付けていたのは、ガラス製の工芸ナイフだった。これを伯父が持っている、と知り合いに話したことがあり、もし手に入るなら、最低これだけは出す、と、その知り合いは使い込みの穴埋めをしても余りある金額を提示してきたという。が、治郎は、金に換えるために集めたものではない、と言下にそれを却下。さらには、新太の普段の態度などについて説教を始め、頭に血が上った新太は……。

 そこから先は乱場の推理どおりだ。伯父を刺してしまった直後、机の下に猫がいるのを見つけ、しかも、新太は、その猫のことをよく知っていた。見憶えのある特徴的な三毛猫の柄は見間違えようがなかった。黒、白、茶色、の三色の毛のうち、背中から右脇にかけて伸びる黒い毛のエリアが、特撮ドラマ『ウルトラマン』に登場した〈海底怪獣グビラ〉のシルエットに見えることから、彼はその三毛猫のことを勝手に〈グビラ〉と名付けていたという。伯父の家に来たときに何度か目にしており、一度は興味本位から追跡を行い、〈グビラ〉のねどこも突き止めていた。裏手の駐車場脇のがらくた置き場……。ここで新太の脳裏に、凶器を処分するとともにそれを首尾良く自分のものにするための妙案が浮かんだ。グビラのほうでも新太のことは知っていたのかもしれない。タオルを体に巻き付ける際も、ゴロゴロと喉を鳴らし、不思議と大人しくしていたという。

 階段のきしみ音が大きくなってくる。準備が調うと、新太は、「頼むぞ、グビラ」と呟いてから、窓外に向けて抱き上げた猫を放つ。四肢を広げ、三毛猫グビラは宙を舞った。

 治郎は、猫のために猫用おやつを書斎に常備していたそうだが、トリックの露見を防ぐため、そこに猫がいたことを知られないよう、そのおやつは持ち去って、あとでトイレに流したという。初郎の計らいで現場に留め置かれていたといっても、もちろんトイレには自由に行かせてくれていたのだった。


 保護されたグビラは、涼香が引き取ることになった。名前は、兄が名付けた〈グビラ〉をそのまま使うと言っていた。

 治郎の死が報じられると、彼のコレクションを求めて全国津々浦々から蒐集家――あるいは、その皮を被ったバイヤー――が押し寄せてきたが、治郎の遺産を管理することになった初郎は、そのひとつたりとも流出させるつもりはない、と断言して全員を追い払ったという。

 そして、今回も見事に事件を解決した我が名探偵、乱場秀輔と私は、暮松警部の覆面パトに送られて家路についた。西の空から夕日が車窓を差し、後部座席の背もたれに身を沈める名探偵の頬を赤く染める。事件の疲れからか、乱場は寝息をたてていた。私は飽くことなく、ずっとその寝顔を見つめ続けたのだった。

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― 新着の感想 ―
結末を知った後、投稿日を確認してしまいました。一日違いました(笑) 久しぶりの乱場探偵、楽しかったです。
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