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グビラ舞う  作者: 庵字
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第二章 現場検証

 喫茶店(もちろん、暮松(くれまつ)刑事のおごりだ)を出て、現場へと向かう覆面パトの車中で、ハンドルを握る暮松刑事は、事件に関するさらなる情報を伝えてきた。

「実は、喫茶店で話した他にも、現場には少しおかしな点があってね。主に死体に関することなんだけれど」

「なんですか?」


 私と並んで後部座席に座る(らん)()が、バックミラー越しに暮松刑事を見る。


「まず、これはおかしなこととは言えないが、死体にはブランケットが掛けられていた」

「暮松さんも、説明でそう言っていましたね」

「ああ、そのブランケットは書斎にあったものと確認が取れているが、これは恐らく、犯人が返り血を浴びるのを防ぐ目的で掛けられたのだと思われる」

「僕もそう考えました。おそらく、犯人は()(ろう)さんを刺したあと、傷口とナイフを覆うようにブランケットを掛けて、その状態でナイフを抜いたんでしょうね」

「だろうね。刺してすぐにナイフを抜いてしまったら、傷口から血が噴き出してしまう。犯人はそれを嫌ったんだ。実際、(あら)()さんも(すず)()さんも、衣服や体に返り血は確認できなかった。もし、発見時に死体に近づいていたら、そこでまだ乾ききっていなかった血が付着したという可能性もあった――あるいは言い逃れも出来た――けれど、初郎(はつろう)さんが死体への接近を禁じておいてくれたからね。もちろん、初郎さんの体からも血痕は見つからなかった」

「すると、犯人は結構冷静だったと考えられますね」


 横から私も意見を述べる。


「あるいは、刺したこと自体は衝動だったが、それからすぐに冷静になった、とも考えられる。どちらにせよ、返り血を避ける手段を講じるだけの余裕はあったということだね。それとね……」バックミラー越しの暮松刑事の視線は、再び乱場を捉えた。「これは、警察も説明できていない、まさに異様な状況なんだけれど……死体の靴下が、片方だけなかったんだ」

「靴下の片方?」

「そう。スリッパは脱いだ状態で足下に残されていたんだけれど、靴下の片方――右側――だけがなくなっていたんだ。靴下を片方だけ履いているなんて考えがたいだろう。だから……」

「犯人の仕業?」

「だとしか思えない。ちなみに、その靴下も家のどこからも見つかっていない。無論、新太さん、涼香さんの所持品の中にもね。そして最後、現場の書斎には、タオルが一本あったと思われているんだけれど、そのタオルも見つかっていない。つまり、現場からは都合、三つのものが消えていたことになるわけだ」

「凶器、被害者の靴下が片方、タオル……」


 そう呟くと乱場は、黙考に入ったらしい。車窓に流れる景色よりも、私はその横顔を眺めながら、現場までの車中を過ごした。



 到着した治郎邸は、なるほど、聞いていたように、凹凸の何もない低い塔のような直方体をしていた。一階の面積をそのまま上へと押し出した形の総三階の建物。玄関前の駐車スペースには、四台の乗用車と、パトカーが一台駐められている。乗用車は、治郎を含めたこの家の滞在者のものだと暮松刑事が教えた。車社会の地方都市では、ひとり一台車を持つことは普通だ。ときおり泊まりに来る親族のために、これだけの駐車スペースを用意したのだと思われ、そうなると家屋に使用できる土地は必然限られてくるため、前畠(まえはた)治郎は建て替えに三階建ての物件を選択したのだろうと偲ばれた。駐車スペースはいっぱいのため、玄関先で暮松刑事は、歩哨中だった制服警官に乗ってきた覆面パトを託し、私たちは敷地境界に張られている規制線をくぐった。


 関係者は一階の居間に集められていた。前畠初郎、新太、涼香、三人の視線が、殺人現場に現れるには場違いに思われる二人の高校生に刺さる。さっそく暮松刑事は、乱場と私のことを三人に紹介する。「素人探偵ですか」「小説では読んだことがあるけど」「まだ高校生?」三人――特に新太と涼香――の反応は、一様に驚きと緊張を孕んでいた。


「暮松くん、羨ましいね。私は現役時代、ついぞ民間探偵と一緒に捜査をする機会には恵まれなかったよ。いや、羨ましいなんて言い方はおかしいかな。殺人事件なんて起きないに越したことはないんだからね」


 前畠初郎は、そう言って笑みを浮かべたが、私には、それは場の空気を和らげようという気丈な振る舞いに思えた。なにせ、殺人事件の被害者になったのは、彼の弟なのだ。事実、新太と涼香がまとう空気には、張り詰めたものが窺えていた。


「探偵でもなんでもいいから、早くここから開放してくださいよ。休めない仕事が今日の午後に入っていたっていうのに……」


 憤懣やるかたない、といったふうに言葉をぶつけてきたのは、被害者の甥の前畠新太だった。その隣で、やはり不満げな嘆息を漏らした涼香は、


「その制服、本郷(ほんごう)学園でしょ」

「はい」


 顔を向けられた乱場が答えると、


「本郷学園って、女子でもパンツの制服を選べるようになったんだ」

「……いえ、僕、男子ですから……」

「――ええ?」


 まあ、そういう反応になる。その童顔、低身長、細い腰と腕脚、どこを取っても乱場が男子であるという事実を把握することは難しい。


「ま、まあ、とにかく……」場を収めるように、暮松刑事が、「探偵の乱場くんには、まず現場を見てもらって、それから皆さんに話を伺うことになるかもしれませんので、どうかご協力ください」

「早く開放してもらえるなら、いくらでも協力しますよ」

「私も」


 いささかぶっきらぼうに、二人は答えた。



 暮松刑事に案内されて階段を上がる。なるほど、聞いていたとおり、踏み板に足を乗せるたびに、木材がきしむ音が鳴る。三階に部屋は三つある。親族が泊まりに来たとき用に用意された客室が二部屋と、それよりひときわ広い治郎の書斎の三部屋だ。

 書斎に足を踏み入れる。「鑑識作業は終わっているので、何をどう触ってもいいよ」と暮松刑事。室内には、樫材で出来た重厚な書き物机が正面に置かれ、壁の所々を埋める本棚に収めてあるのは、書籍七割、趣味の蒐集品三割、といったところか。何をモティーフにしているのか不明な前衛的な置物、実用的な懐中時計、オルゴール、被害者の蒐集品目は多岐にわたっていたらしい。ジャンル問わず、眼鏡に適ったものをどんどん集めていった、という感じだ。本の背表紙に見えるタイトルは、おそらく仕事に関わるものであろう建築の専門書から、趣味の工芸品についてのもの、さらには旅行関連の本も散見される。そんな趣味の世界の中で、どうしても目を引くのは、白いテープでフローリングに貼られた人型だ。その胴体部分には広く血痕が残る。暮松刑事は、警察到着時に撮影した写真も用意してくれた。無論、テープによる人型ではなく、まだ同じ位置に死体が横たわっていたときに写したものだ。女の子と見まごうばかりの美少年が、眉ひとつ動かさずに凄惨な死体の写真を凝視している状況に、言いようのない妙な感覚を覚えて背筋がむずむずする。

 横から覗き込むと、乱場が見ている写真は、被害者の脚を写したものだった。車中で聞いていたとおり、靴下は片方しか履かれていない。灰色をして、ふくらはぎの中程までの長さがあり、これといった特徴のない一般的な普及品だった。

 写真を見おえた乱場は、部屋唯一の窓へ移動する。本や蒐集物を日光に晒したくないから、窓はこれひとつしか設けなかったそうだ、と暮松刑事が補足した。確かに、この広さの部屋に窓がこれだけというのは普通に思えば不釣り合いだ。乱場は両端の取っ手を掴んで窓を回転させる。窓自体の幅は五十センチ程度あるが、回転窓のため、目いっぱい開いても開口幅は二十五センチがいいところだ。これでは人は出入り出来ない。聞いていたとおり、窓外には広い駐車場が見える。


「どうだい? 乱場くん」


 暮松刑事が現場検証の首尾を訊いてきたが、


「これといって……なにもないですね。事前に聞いていた情報以上のことは……」


 言いながら探偵は窓を閉めた。うーん、と唸ってから、暮松刑事は、


「喫茶店でも確認したとおり、状況から見て犯人は甥の新太さんか、姪の涼香さんのどちらかでしかありえないんだが……。その二人に聴取してみるかい?」

「そうですね。ですが、この事件は、容疑者から話を訊いてどうこう出来るようなものじゃないような気がしています」

「というと?」

「現場から消えた三つの物品。その謎を解かない限りは……。逆に考えれば、その謎が解けさえすれば、自然と犯人も判明するような……」

「この家のどこからも、その三つ――凶器、タオル、片方の靴下――は見つかっていない。さすがに天井裏や床下までは調べていないけれども……」

「死亡推定時刻から死体発見まで、数分しかかかっていないんですよ。そんな場所に隠せるとはとても思えません。というか、そもそも、数分じゃあ、天井裏どころか、どこにも隠せそうにない……」

「でも、その三つが消えていることは確かだ。新太さんも涼香さんも――初郎さんも――身につけても、所持もしていない」

「指紋はどうでしたか?」

「この部屋からは、初郎さん、新太さん、涼香さん、全員の指紋が検出されたけれど、三人とも治郎さんに案内されてここへ入ったことは何回かあるそうだから、指紋が出てもなにもおかしくないというわけだ。それ以上の詳しい鑑識結果が得られ次第、こっちにも知らせが来ることになってはいるけれど……」


 と、そこに、「暮松刑事、鑑識結果が来ました」とドアを開きっぱなしにしていた出入り口から制服警官が声をかけてきた。「噂をすれば、だな」と呟いてから、おう、と応じた暮松刑事にA4サイズの封筒を渡すと、制服警官は、


「暮松さん、被疑者の二人が、いい加減に帰らせろ、と一分おきに文句を言ってきています。ここに残ってもらっているのは、あくまで任意ということになっていますから、これ以上拘束するのは限界です」

「確かにな……」暮松刑事は腕時計に目を落とすと、「あと三十分だけ待ってもらえ。そうしたら五時半になるから、ちょうどいいだろ。〝お勤め完了〟ってことで」


 ギャグのつもりなのだろうか。分かりました、と敬礼を残して警官は去った。乱場と私もいちおう敬礼を返しておいた。


「ということで、乱場くん」少年探偵に向き直った暮松刑事は、「あと三十分で解決してもらわないと、あの二人を帰さなきゃならなくなる。もし、警察も発見できなかったところに証拠品なんかを隠していたとしたら、それも処分されてしまうかもしれない。なるべく今日中に決着をつけたいな」


 勝手なことを言ってくれる、と私は心の中で嘆息したが、当の乱場は、「頑張りましょう」とけなげとも思える返答をして微笑んだ。

 封筒の中身の書類を卓上に広げると、私たちは額を突き合わせた。


「現場で採取されたものの分析結果が主ですね」


 書類に記された内容をざっと見て、私は言った。


「そうだね」と暮松刑事も、「採取された血痕は、すべて被害者のものか。犯行時に犯人が僅かでも傷を負っていて、というのも期待したんだけれど……」

「……これ」


 乱場が、一枚の書類を手にした。私と暮松刑事も、その書類を覗き込む。


「それは、何だい?」


 私が訊くと、


「猫の毛、です」

「猫?」

「はい。この部屋から、猫の毛が採取されているんです。柄からして三毛猫ですね。治郎さんは、猫を飼っていましたか?」

「いや、そんな話は聞いていないけれど……。初郎さんたちに確認してみようか?」

「お願いします。僕も行きます」


 当然、私も二人のあとを追って一階へ下りた。



「……いや、飼ったことはないと思います」


 前畠治郎は猫を飼っていたか? という乱場の問いかけに(結局、質問も乱場がすることになった)初郎はそう答え、新太と涼香も首を横に振った。


「というのもですね」と初郎は続けて、「()(なえ)さん――光郎の妻、つまり、新太と涼香の母親です――が強い猫アレルギー持ちなんです。香苗さんもここへはよく遊びに来るので、治郎が猫を飼うとは思えないですね」


 その言葉に、新太と涼香は今度は首を縦に振った。


「そうですか。でも、治郎さん自身は、猫アレルギーではないし、猫も嫌いではなかった?」

「ええ。アレルギー持ちでないことは確かですし、猫に限らず小動物は好きでしたね。旅行先でも、出会った野良猫なんかをよく写真に収めていたらしいですから」


 初郎からそう聞くと、乱場は、


「……石上先輩、暮松さん、ちょっと」


 と、ワトソンと刑事を外へ連れ出した。

 玄関を抜けて、公道まで出ると、乱場が、


「二人に探してほしいものがあります」

「なんだい?」


 私が訊くと、


「猫です」

「猫?」

「はい。猫。といっても、猫そのものじゃなくてもいいんです」

「どういうことだい?」

「この近所での猫の目撃情報でもいいんです。その目撃情報から、猫の居場所を割り出せたら」

「居場所?」

「そうです。例えば……この近所に野良猫がいて、その野良猫が決まってねぐらにしている場所があるとか、そういった情報を集めてほしいんです」

「その、探す猫の種類、いや、柄って……」

「ええ……三毛猫です」

「三毛猫……現場から採取された毛と同じ柄の……」

「そうです。あと、石上先輩、気づきましたか?」

「……なにを?」

「新太さんと涼香さん、二人が履いていた靴下です」

「靴下? いや、そんなところに注意を向けてはいなかったけれど……」

「新太さんは、くるぶしまでしかないショートソックスでしたけれど、涼香さんは、膝下まである長いものを履いていました」

「そうだったのか。でも、それが何か? 治郎さんの片方だけなくなっていた靴下と関係があると?」

「あります。ですが、今は猫の捜索が先決です」


 じゃあ、言うなよ。名探偵の考えることは分からん、と首を傾げて、私たちは散会した。

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