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異世界のプロローグ的ななにか

作者: 竹中八重
掲載日:2026/02/15

ただただプロローグにもなれない前ふりです。

でも、この場面が思い浮かんできたんです。


 会社員のお父さんがいて、介護士のお母さんがいて、お姉ちゃんと妹がいて。

 どこにでもいる普通の小学6年生だった。

 空色のランドセルを背負って学校に通っていたことを、まだ、思い出せる。


 その日はお母さんが遅くなるって聞いていたから寄り道をすることにした。

 漫画雑誌の発売日だったから。

 おこづかいをもらって本屋さんに向かったの。

 無事に漫画は買えて、でもお姉ちゃんと妹の分も一緒だったからずっしり重くなっちゃって。

 三冊を入れたエコバッグをひぃひぃ言いながら抱えていた。

 あたしが買ってきてあげる、なんていい顔しなきゃよかった。

 後悔したけど言ったからにはやりきらなきゃグチグチ言われちゃう。

 右手に左手に何度も持ちかえながら寄り道した分長くなった道をぽてぽて歩いてた。

 やがて最後の信号までたどり着いて。

 やっ…とここまで来た、と大きなため息が出た。

 この横断歩道を渡って2回曲がれば我が家だ。

 時間にしたら5分もかからない道のり。

 信号が青になったのを確認して、地面に置いていたエコバッグを持ち上げ直し「よいしょ」と気合を入れる。

 通い慣れた白と黒の横断歩道は10秒あれば渡り切れるものだったのに。

 永遠に向こう側にたどり着くことはなかった。



 いつか、ファンタジー映画とか、アニメで観たような…。

 表現するのが難しい、というか情報が多すぎる場所に、いた。



 そのときから あたし はずっと迷子のまま。




 こちらの時間で10年が経ってもなお。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~



 トルシェントという町にリエスエストビエンという名のレストランがある。

 地方都市からも離れた、いわゆるいなか町にあるにしては立派なレストランだった。

 それこそ役人が接待や会合を行ってもおかしくない質を備えていた。

 3代前の総支配人が首都育ちの者であったことが大きいのかもしれない。

 それからずっとこのリエスエストビエンは高い質を維持し続けている。

 おかげでトルシェントはいなかとは呼ばれなくなるほどに、栄えた町となっていた。

 それこそ地方都市の一角を担ってもいいほどには整った町となっていた。


 そうなると敷居の高い高級店として一般市民には敬遠されそうなものだが、誰にでも料理を楽しんでいただける場所であることを信念としているため様々な人が来店する。

 記念日を祝う家族、とっておきを演出するカップル、厳粛な話し合いをする仕事人、ただおいしいものを食べにきた食道楽…。

 店内を見回せば、静かな空間の中にそれぞれのBGMが流れている。

 特別にも、普段通りにも使用できる粋なレストランだった。


 その若者はその日、初めてリエスエストビエンの敷居をくぐった。

 彼はこのたび新しくレストランの仲間となる青年だ。

 首都で生まれ育った彼は、特異的な立場にあるこのレストランをその目で確かめにきた。

 上司となる壮年の支配人とあいさつを交わし、ゆっくりと店内を見回っていた。

 悲喜こもごもあふれる店内は、しかしとてもゆったりとした独特の空気が流れている。

 その空気が人を引き寄せるのだろう。

 そこに行けばと思わせる何かを感じる。


 入口から一番離れた奥のテラス席へと続く大きな窓がある。

 そこから見える町と森の風景は生きた絵画のようでもあった。

 聞くとそれを眺めに来店する客も少なくないとか。

 さもありなんと傍を通るとき歩みは遅くなったのは仕方ないことだろう。

 すると聞き慣れない旋律が耳に届いた。

 足が止まった理由はわからない。



   はぴばあつでえつうゆー

   はぴばあつでえつうゆー

   はぴばあつでえいあちひろお

   はぴばあつでえつうゆー



 歌、だと思われる。

 全く聞いたことがないので確信はできないがしっかりとした旋律があったため歌と判断した。

 異国語なのか、意味はさっぱりわからない。

 だがなぜか。

 胸が引き絞られるような思いがした。


 テラスにいたのは一人だけで、青年からは横顔が見えた。

 まだ子どもだろう幼い顔が、まっすぐな黒髪に隠されている。

 ただぱっと見の印象から発せられるとは思えない苦しさと哀しさと、決意を持った歌声だと、思った。


「どうかしましたか」


 後に続いていないことに気づいたのだろう支配人がそっと声をかけてきた。

 その視線の先をたどり、小さくうなずく。


「ああ、チャーリーさまですね。お得意さまですよ」

「お得意? まだ子どもでは?」

「幼く見えますがすっかり成人しています。地に足を着けた素晴らしい女性です」


 年齢を知らされ、にわかに目を見開いた青年は思わず支配人を見やるも彼はにっこりと笑うだけ。

 からかっている様子はない。


「二月に一度、ランチに、年に一度、ディナーにいらっしゃる大切なお客さまです」


 リエスエストビエンの食事は決して安くはない。

 だが高すぎることもない。

 堅実に暮らしている市民であれば、特別な日に訪れることができる。

 彼女も例にもれないということだろう。


「ここでの食事が生きているご褒美とおっしゃてくれるかわいらしいお客さまです」


 じっとデザートの乗ったプレートを見つめていた口元がふっと弧を描いた。

 髪と口元しか確認できない横顔から青年は目が離せなかった。

 自分でもよくわからない何かに引きつけられているようだった。



~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~



「今までありがとう、千紘」


 小さくつぶやく。

 毎日まいにち、これだけは決して忘れまいと口に出し続けてきた親からもらった大切な名前。

 もう誰にも呼ばれることのなくなった三音。

 よすがだった。

 他にすがるものがなかった。何もこの手になかった。

 だから必死に名前を守ってきた。

 いつか必ず帰れる、と。

 必ずまた家族に会えるから、と。

 希望そのものだった。


 10年。

 己を支えてくれた。

 感謝の言葉がこぼれて当然だろう。

 けれど。

 今日で終わりにする。


 いつかした自分との約束。

 10年は元の世界に帰るための努力を許そう。

 けれど10年経っても何も見つかれなければ、受け入れよう。

 この世界で生き抜くことを。


 約束の日がやって来た。ただそれだけ。

 もう、家族の顔も声すらも思い出せなくなっている。

 それでも確かにこの手の内にあった大切な想い。

 手放すわけではない。

 そっとしまい込むだけ。

 前に進む糧とするために。


「22年、ありがとう千紘」


 本当だったら大学を卒業していただろうか。

 それとももう働いて稼いでいただろうか。

 もしかしたら大恋愛の末に結婚して子どもだっていたかもしれない。

 そんな、あったかもしれないことを夢想するのもこれで終わり。


 そっと顔を上げる。

 まもなく夜に変わる。

 どのような仕組みなのか、太陽や月といった天体が存在しないこの世界は数秒の暗転で昼夜が入れ替わる。

 まるで映画館のように。

 もう、それが当たり前になった。


「これからよろしく、チャーリー。死にたくないから、一生懸命生きよう」


 ようやく わたし がこの世界を見た瞬間だった。

 いつか、この世界も美しいと言えるようになったら勝ちだろう。

 今はまだつらく苦しいときが多かったとしても。




 お父さん、お母さん。よくやったって、いつか褒めてね。





続きを書きたい気持ちはあるのです。

ええ、ちゃんとあるんです…。

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