第8話~図書室の“幻の新刊”の謎~
黎進高校の図書室は、放課後になるとひっそりとした静寂に包まれる。
古い木の机に差し込む夕陽が、まるで時間の流れを忘れさせるような場所だ。
「おかしいな……昨日ここにあったのに」
本棚の前で首をかしげているのは、1年生の女子生徒だった。
隣にいた男子生徒が同じく棚を覗き込みながら言う。
「“購買戦争・外伝”……だっけ?俺も途中まで読んだのに。しかも作者も不明なんだよな」
「なにそれ、知らんし。そんな本、図書室に入っとらんよな?」
明るい髪色のショートボブにミニスカートにベルトを巻いた――新聞部の福山しおりが、暇そうに頬杖をついたままツッコむ。
彼女の備後弁混じりの口調が、場に不思議な緩さを生み出す。
そこへ、ひとりの男がスッ…と静かに姿を現した。
「なるほど……事件の匂いだ…」
決めポーズを取りながら現れたのは、――帰野玖郎だった。
「うわ、出た。探偵ごっこ始まったわ…」
「いや、これはごっこではありません。断じて“真実を追う旅”――なのです!」
玖郎はスッと人差し指を上げて、ぴしっと本棚を指さす。
「図書室から消えた謎の本。“購買戦争・外伝”。それは誰かが読まれてはいけない情報を封印した証拠。
……我々は、闇の禁書に触れてしまったのかもしれない――!」
「あのぉ…」
静かに手を挙げたのは、ぽやんとした表情の山口だった。
「あの…それ、僕が作ったやつです」
「…………作った?」
図書室の空気が一瞬止まる。
「購買のことを記録してたら、楽しくなって……つい文章にまとめちゃって。印刷して、ちょっと装丁して……」
「製本……したん?」
しおりがぽかんとして表情を見せる。
「うん。中綴じも頑張ったし、貸出カードもつけたら、本っぽくなって。置いたら誰か読むかなーって思って……」
「……」
図書室の司書、倉本先生がぽつりとつぶやく。
「表紙もタイトルもしっかりしてたから、誰かが寄贈したのかと……」
しおり、がくりと膝をついた。
「……犯人は山口。しかもただの“自作”……」
こうして、事件はあっさりと解決した。
――はずだった。
玖郎の目が、にわかにギラリと光る。
「──それがトリックだとしたら?」
「いやいやいや!山口が作ったいうたじゃろ??」
「いや、待ってくれ山口。……君は“作らされた”んだ。記憶を操作されたんだよ!誰かに!」
「はぁ…」
「君の記憶は改ざんされている!この本――見れば見るほど、不自然すぎる!人気パンの動向、売上グラフ、価格の変遷……これはただの作文じゃない!」
玖郎は懐からスライド棒を取り出すと、黒板を叩いた。
「これは“購買戦略研究書”!もはや経済学だ!さらに、ページの隅……見てみたまえ!」
「これ……ドーナツの絵じゃない?」
「そう!ドーナツ。だが、これはただのイラストではない。“シンボル”なのだ!」
しおりが小さくつぶやく。
「なんのシンボルなん?なんなんこの展開……」
玖郎は熱に浮かされたように、まくし立てた。
「つまりこの本は、“パンに秘められた錬金術”を記した書――」
「ライトノベルなん?」
「……“パンの錬金術書”ッ!!」
図書室に衝撃が走る。いや、主に玖郎の中に。
「司書がこの本の存在を否定したのは……その知識が、学校の秩序を揺るがすからだ!」
「いや、登録してなかっただけじゃろ!?」
「違う!これは“禁書”だったんだ!」
玖郎は熱を帯びた声で続ける。
「購買の秘密が暴かれれば、学校経済は崩壊する!購買戦争・第二章が始まってしまう!」
「そもそも購買に戦争なんか起きたことないんよ…山口が買い占めただけじゃし…」
「今こそ、回収しなければならない!この“ブレッド・アルケミスト”の遺産を!」
「なんか中二病入ってわぁ……」
玖郎の妄想は止まらない。しおりと山口は呆れながらも、どこか楽しそうにその様子を眺めていた。
「……で、山口。あの本、何冊くらい作ったん?」
「え?一冊だけだけど……あとで恥ずかしくなって…図書室の棚に置いただけだよ」
「……まぁそれはやりすぎだと思うけど…」
しおりがつぶやく。
倉本先生は手に取ったその一冊をじっと見つめながら、ぽつりと言った。
「……でも、よくできてますよ。丁寧な装丁、紙もいいもの使ってる。印刷のズレもないし……」
玖郎はその言葉に深くうなだれた。
「……禁書が……褒められている……」
その日の夕暮れ、図書室で無駄な放課後が過ぎようとしていた…。
だが、玖郎はその背中にひとつの決意を秘めていた。
――この本は終わりではない。必ず第二第三の“禁書”が、学校に忍び込んでくるはずだ。
──そして数日後。
黎進高校の昼休み。
購買部の前には、異様なまでの行列ができていた。
カレーパン、焼きそばパン、チョココロネに至るまで、すべての棚が一瞬で空になるという異常事態。
「ま、まさか……これが、“購買戦争・第二章”……!」
玖郎が目を見開き、口元を引き締めたその瞬間、隣から声が飛んだ。
「いや、違うって。しおりさんが記事書いたんよ。“購買の人気ランキング”って」
「記事?」
「うちの新聞部でな。山口の本の内容、まんま引用して。『今、熱い!購買パン特集』って載せたら、購買が混雑してな」
「なんということだ……つまり、“禁書”は拡散されたのか……!」
玖郎はふらふらと壁にもたれかかり、空を仰ぐ。
「この世界は、すでに“パンの錬金術”に支配されていたんだ……!」
「いや、ただの購買人気特集なんじゃけど」
しおりがぺたんと地面に座り込んだ玖郎の頭をぽんぽんと叩きながら、笑う。
「でもまぁ、あんたの変なノリのおかげで、山口の本が目立ったのも事実だしね。まあそのおかげで新聞部の記事の人気もうなぎ上り。」
山口はちょっと照れくさそうに笑った。
「実はさ……また続きを書いてて……。次は“購買戦争・第二巻”、あと、スピンオフで“焼きそばパンの系譜”も……」
「……マジか。完全にシリーズ化しとるわ」
しおりが呆れたように眉をしかめる。
しかし玖郎は、目をきらりと光らせて立ち上がった。
「そう……それだ!それこそが“学校に忍び寄る禁書”第二波……!」
「また始まったわ……」
玖郎はスッと手帳を取り出し、まるでエージェントのように書き込む。
《第二の禁書、“焼きそばパンの系譜”を追跡せよ。購買の裏に潜む組織“ソース同盟”との接触も視野に入れる──》
「もう妄想がとまらんのよこの人……」
しおりは頭を抱える。
だが玖郎の妄想劇には、もはや止まる気配はなかった。
「……パンの裏には常に陰謀がある。ドーナツの穴が、すべてを語っているんだ……」
「もうわからん。ドーナツの穴って何の話!?」
しおりはそっと購買部を抜け出した。
そんなこんなで、黎進高校には今日もまた、くだらなくもどこか心に残る“謎”が生まれ続けていた。
そして図書室の奥の棚には――
今もそっと置かれている。
山口の手製の一冊、“購買戦争・外伝(第一巻)”。
その背表紙には、彼のこだわりで金色の小さな文字が刻まれていた。
《黎進アーカイブ001 購買戦記シリーズ》
「続巻、近日登場」
その文字が、次なる“事件”の予感をにおわせていた。
そしてこれが話題になり、地元の新聞にのり、出版社からお声がかかり、出版し、ベストセラーに…。
……なったかならなかったかは――まだ、誰も知らない。
(次回の謎も3Pくらいで解決します)