第7話~新聞部の消えた報道記事~
放課後の校舎に、プリンターの「ウィーン…ガチャン」という乾いた音が響く。
新聞部の活動日。
しおりは新聞部にいた。
だが今日は、いつものようにいかなかった。
印刷機が、動かないのだ。
「…まじか…ほんまウチ、この機械と相性悪いわ」
しおりがぼやきながら、印刷室の機械を覗き込む。
プリンターがフリーズしていた。
彼女は明るい茶髪のショートボブを揺らしながら、腰に手を当ててプリンターに睨みをきかせる。
制服はゆるく着崩していても、その立ち姿には凛とした存在感があった。
しおりは新聞部のエース記者。
今日も完成した「黎進高校新聞」6月号を印刷するはずだった。
しかし、印刷してみたら全く別の記事が上がっていた。
「え?なにこれ…こんな記事書いた覚えないし…」
しおりは首を傾げる。
そんな彼女の背後に、ひょっこり現れる影――帰野玖郎。
「ふむ…つまり、謎の“印刷不可能事件”か…」
「いや、そんなたいそうなもんじゃないけえ…」
「否、それは始まりに過ぎない。これは陰謀の匂いがする。記事の差し替え…報道されては困る情報に闇の力が干渉してきたのだ。新聞部という情報操作の拠点に、何者かが干渉したのだ!」
「いやいや、ウチの部活、陰謀とか絡むほど影響力ないし…」
「すみません、データ、僕が昨日のまま上書きして消しちゃいました…」
犯人は山口だった。
「すんません!昨日USB借りて、自分の課題データ入れたまま返しちゃってて…」
「……」
「……」
「ほらー、やっぱりただのミスじゃないの!」
──だが玖郎は、静かにうなずく。
「いや、これは表の顔にすぎない…新聞部の“本当の顔”を隠すためのカバーストーリー…!」
「しつこいわ!もう、ただのUSBの間違えじゃろ!」
……だが。
「──それがトリックだとしたら?」
俺は、机に肘をつきながら、瞳を細めた。
「違うな、山口。お前の言葉、何かがおかしい……いや、いやいや、これはあまりにも出来すぎている」
しおりが呆れたように額に手を当てる。
「また始まった……玖郎の妄想タイムじゃ…」
「いいか? まず、なぜ新聞部の大事な原稿が、山口のような“ただの善人”によって簡単に消される? ありえん。そんな凡ミス、警戒心の強いしおりが見逃すはずがない!」
「え? うちのせい!?」
俺は静かに立ち上がり、教室を見渡す。
「この事件には、裏がある。そう……新聞部が“何か”を報じようとしていた。誰かが、それを止めたんだ」
「止めたって……なにを?」
俺は印刷室の扉を見つめる。
「おそらく、新聞部が手に入れてしまったんだ。生徒会の不正を暴く、爆弾級のスクープを!」
「いやいや、そんなのないし! うち、今月の特集“昼休み購買戦争の実態”じゃし!」
しおりのツッコミを無視して、俺の妄想は加速する。
「生徒会は焦った。『購買の列が長すぎて、生徒の生産性が下がっている』という記事は、購買部と生徒会の癒着を暴く第一歩……そこで、情報を消すために刺客を送り込んだ!」
「刺客言うな、山口じゃし!」
「いや、山口は囮だ。やつは利用されたのだ。まさに“影の組織”によって!」
「組織ってなんなんよ……」
「つまり、これは――報道を封じようとする力との戦いだ!我々は今、“真実”と“情報統制”の狭間に立たされているッ!」
玖郎の目がギラついていた。
その目には、ただの放課後の部室が、「抹殺された記事の陰謀」をめぐる戦場に見えていた。
しおりは、ため息をついた。
「“影の組織”て、生徒会のことなんか…はいはい、じゃあうち、ちょっと“影の組織”に掛け合って、消えたファイルの復元頼んでくるわ…」
「なっ、しおり……危険だ!あいつらに接触したら戻ってこれないかもしれないぞ!」
山口がつぶやく。
「あ、クラウドに保存されてました」
「……」
「……」
「山口GJ!!」
俺は震える手で、胸元を押さえた。
――だが、俺はすぐに気づいた。
「──それがトリックだったとしたら?」
「またぁ?」
しおりが、もう完全に聞く気のない顔をしているが、関係ない。謎は、今まさに深まったのだ。
「クラウドに保存されていた“ことにされた”可能性……あるな?」
「いやいや、されたっことてなんなん?」
「考えてみろ。最初から“クラウドにあるから大丈夫”という安心感を演出することで、我々の追及を封じる作戦……まさに“記憶の改ざん”、いや、“データのすり替え”という高度な技術!」
「ねぇ、それただの自動保存機能じゃないん?」
「ちがうッ!! それは生徒会が仕掛けた“デジタルの罠”だッ!」
俺は勢いよく机を叩いた。響き渡る音。山口がビクッと肩をすくめる。
「つまりこうだ。新聞部が生徒会の暗部を暴く特集記事を作成。それをクラウドに保存した。いや、したと錯覚させられた。だが生徒会はそれを察知、データを上書き――いや、“似たような記事”と差し替えた!」
「いやもう、記事のタイトル“購買部の行列と私”って完全にうちの書いたやつじゃけど……?」
「それがフェイクだ!!」
「5話目のことなんじゃが!」
「考えてみろ。“購買部”の話に見せかけて、本当に暴こうとしていたのは、“購買部と生徒会のパン利権の癒着”!」
「確かに、生徒会はちょっと絡んどったけど…パン利権!? うち購買のあんぱん推しじゃけど、それ関係ある!?」
「もちろんあるとも! 購買で異常にあんぱんの入荷数が少ないことに気づいた記者・福山しおりは、密かに取材を始める――その矢先、データが消される! 偶然か? 否! 必然!」
「山口が買い占めたやつじゃろ!?」
俺は背を向け、窓の外を見つめた。
「すべては……あんぱんが、熱すぎた」
「それは購買で出来たてを買ったからじゃろう!」
「だが、その“出来たて”がなぜ常に“生徒会役員”の手に渡るか――考えたことはあるか?」
しおりの表情が一瞬固まった。
「……それは、早く並んでるからじゃ……」
「それが“並んでいるように見せかけて、裏から横流しされている”としたら?」
「……ないけぇ!!」
ふと、新聞部の部室の扉が開いた。
「……あれ? なんでアンタがおるん?」
しおりの視線の先には、印刷室の扉にもたれかかるように立つ一人の女生徒――葛城静だった。
「生徒会の“管理担当”として来ただけよ。印刷室のログ、不正アクセスがあったか確認に」
「“管理担当”って、生徒会にそんな役職あったっけ!? ていうかなんでそんな詳しいん!?」
玖郎が目を輝かせて叫ぶ。
「フフ…出たな、影の組織の幹部……! 君が“記録抹消者”葛城静か!」
「勝手に異名つけんでええんよ!」
印刷室の空気が、ピリリと張りつめる。
葛城静――クールな眼差しに黒髪ロングストレート、ぴしっと整った制服の着こなし。
生徒会で“情報管理”を担当しているという噂の女子生徒が、まるで時間を凍らせるように現れた。
「なんじゃ、静…まためんどくさいタイミングで…」
しおりがショートボブをかき上げ、眉をひそめる。
静は涼しげな目で印刷機に歩み寄ると、USBポートに何かの端末を接続した。
「ログを確認しに来ただけよ。最近、印刷室のアクセス履歴におかしな動きがあって。生徒会としても見逃せないの」
「ログて…アンタ、ほんまに何でも覗けるんじゃな…」
だが、その瞬間。
「やはり来たか……!」
玖郎が教室の机をバンと叩いて立ち上がる。
「やはりおまえが“記録抹消者”、葛城静か!」
「え? ちょっ……なにそれ、厨二!?」
「ふふ……ようやく姿を現したな、“影の組織”の中核にして、情報操作のスペシャリスト!」
「いやいや、静はただの生徒会やし……ログ確認するだけじゃけえ!」
「いや、違う……奴は“記録を消すことで、真実を葬る”ことを仕事にしている!つまり、新聞部の原稿が消されたのは、やつの手によるものだ!」
「もう…なんなん?」
静は端末を操作しながら、ちらりと玖郎を見る。
「……あなた、相変わらずね。前にも購買のレシートで陰謀説を唱えてたわね」
「貴様……やはり、すべて知っていたのか!」
「知っとらんて! 静はただの常識人じゃけえ!」
「くっ……その冷たい目……まさに心の奥底で“真実を焼却する者”の眼だ……!」
「設定変わってない?」
静は作業を終えると、クールに言い放つ。
「消えた記事のデータ、復元できるかも。最近の操作履歴が一部残ってたわ。印刷されなかったのは、PDFの設定ミス。おそらく、“この男”のせいね」
「……はい、僕が変なフォント入れてました」
山口がまたしても手を挙げる。
「山口、ウチもう怒る元気もないわ……」
玖郎は静に詰め寄る。
「だがな……まだ一つ、謎が残っている……。なぜ、“生徒会の人間”であるおまえが、こんなにも素早く異常に気づけたのか?それはすなわち、“監視していた”ということではないのかね?」
「ただのルーチン作業よ」
「……そうとも言える……。だがその平静な声こそ、“嘘をつき慣れた者”の響きだッ!」
「じゃあ何? 私が“情報を統べる黒幕”って言いたいわけ?」
「その通り!」
「設定が適当じゃない!?」
「つまり、静は“第七図書室の奥にある秘密会議室”から、学園のあらゆる動きを操っていたんじゃ!」
「この学校、そんなに図書室あるん?」
玖郎と静の視線がぶつかり合う。
片や妄想探偵。片や氷の参謀。
バチバチと火花が散るその狭間で、しおりは盛大にため息をついた。
「……はあ、なんなら、何の話しよるんウチら……」
また、いつものように放課後の無駄な時間が過ぎようとしていた…。
静が、ふと口元に手を添えた。
「でも……妙ね。消えた記事、“購買パン戦争”ってタイトルだったけど。内容、ほとんど白紙だった。ファイルの作成時間も、データの容量も――不自然に小さすぎる」
「え……? そ、そうだったの?」
「この端末に“未送信データ”が残っていたわ。 そのファイル名は《購買部と生徒会の微笑ましい関係.pdf》」
「“微笑ましい”…つまり“癒着”の隠語だな」
山口が小声でつぶやく。
「あの…それ僕が書いてた小説のタイトルなんですけど。恥ずかしので消しちゃって…」
「なんでPDFで保存するん?紛らわしいんよ!」
「つまり……誰かが“ダミーデータ”を作って、削除したように見せかけた可能性もある」
「いやいや…」
その瞬間。
玖郎の脳内で何かが“カチッ”と音を立てて噛み合った。
(まさか……そうか! そうだったのか!!)
彼は机の上に登って、ビシッと天井を指さした。
「ようやくつながったぞ……全ての点が!」
「また始まったわぁ……」
玖郎の目がギラリと光る。
「いいか、しおり……静の言うように、“本当の記事”は最初から存在しなかった。つまり――誰かが、架空の記事を使って、新聞部の“発行権”そのものを消そうとしていたんだ!データは二重に改ざんされていたのだ!!」
「え、うちの新聞部、そんな危機感なかったけど……それに山口が書いた小説じゃし…」
「いや、気づいてないだけだ! すべては、“生徒会広報部”による情報一元支配のため……!」
「そんなディストピア?」
玖郎はさらに目を見開いた。
「この事件の目的はただ一つ……“報道の自由”の抹消! そして黎進高校を情報統制の独裁国家へと変える……!」
「え、ウチら、そんな高校生活しとったん!?」
「そしてその裏で動くのが……“コードネーム:K”――葛城静、貴様だッ!」
静は淡々と返した。
「なかなか鋭いわね……だけど証拠は?」
「ない!! だが、直感はある!」
「駄目じゃろそれ!!」
玖郎は息を整えると、壁の掲示板に貼られた「生徒会主催・避難訓練ポスター」を見やった。
「このポスターのQRコード……なぜ“校内Wi-Fi”しか読み取れないようになっている?」
「電波干渉よ。校外から読み取れないのは仕様」
「その仕様を決めたのは誰だ!?」
「……私だけど」
「なるほどね…」
「そこはちょっと突っ込んでいいとこじゃない?」
しおりが机をバンバン叩く。アクセサリーもじゃらじゃらと音を立てる。
玖郎の妄想はさらに加速する。
「つまり校内に“閉じられたネットワーク”を構築し、外部情報を遮断し、やがて学内SNSを乗っ取り、最後には……“帰宅部までも、統制下に置く”!」
「どうやって帰宅部狙うん!?」
静は眉をひとつ上げて、わずかに笑った。
「盲点だったわね……帰宅部なんて、最初から存在しなかった… 学校の公式記録には、そんな部活、登録されていないし…」
沈黙。
玖郎の目が点になった。
「……え?」
「言ったでしょ? 記録は私が管理してる。帰宅部なんて項目、正式には存在しないわ」
「…………」
「……………………」
「……ッッッ!! つまり……われらは“無記録の存在”!すなわち、“サイレントマジョリティー”!!」
「おみゃあがさぼっとるだけじゃろ!」
玖郎は腕を組み、静に向き直る。
「ふふ……わかったぞ、静。おまえはこの学園の“記録者”にして、“消去者”……だが、“記録に存在しない者”であるこの帰宅部こそ、唯一おまえに対抗できる“バグ”なのだ!!」
静は一歩だけ近づいて言った。
「完敗ね。そう。だから私は――あなたを見ていたのかもしれない」
「……」
玖郎、フリーズ。
「って、なんでちょっと恋愛フラグみたいなりよるん?」
しおりの絶叫が、印刷室に響いた。
「つまり……静、お前も知っていたんだな?」
玖郎がゆっくりと、後ろ向きに立つ葛城静に向き直る。
放課後の部室。窓から差し込む夕陽が、彼女の眼鏡の縁を光らせる。
「フッ、くだらない妄想ごっこをここまで膨らませるとは……相変わらずね、帰野くん」
静は、さりげなく前髪をかき上げると、鋭い視線を玖郎に返した。
「じゃけえ、なにその謎のバトル構図!? なんなん!?」
しおりのツッコミが飛ぶが、ふたりの世界は止まらない。
「静。君が校内LANの“裏アカウント”で、生徒会にアクセスしていたログはすでに確認済みだ」
「その程度の証拠で私を追い詰めたつもりかしら?」
静が冷たく笑う。その表情には、わずかに焦り……のようなものが浮かんでいた。ように見えた。たぶん。
「そんなアカウントあったん?」
しおりがついに立ち上がって止めに入る。
「いいや、しおり……君は何もわかっていない」
玖郎は机を指でトントンと叩いた。
「静は“あえて”山口に間違ったパスワードを教えた。いや、それどころか“正しいパスワード”を入力できないように、キーボードのキー配置を地味に変えていた可能性すらある」
「……なんでそんな小細工すんの!? 山口の操作ミスじゃろ!」
「静……新聞部と裏で繋がっていたな?」
「なぜ即決めつけるのよ。証拠があるのなら、出してごらんなさい」
「いや、証拠はない……だが確信はある!」
「さっきの話関係ないん?」
しおりの怒号が、また印刷室にこだまする。
しおりは思わず机を叩く。
そのとき、カチャリ、と小さな音がして印刷機が突然動き出した。
「──あ、直った。さっき再起動してみたんですが、今やっと反応したみたい」
山口が無表情でつぶやく。
「なにい……!!」
玖郎が、思わず壁にもたれかかる。
「じゃあ……じゃあ、今までのは……」
「ただのプリンターのフリーズじゃけ!!」
しおりの怒声が炸裂した。
「くっ……しかし……陰謀の可能性がゼロになったわけでは……ないッ!」
「ゼロじゃなくても、限りなくゼロに近いんよね!」
ついに玖郎は、新聞部の部室の床に膝をついた。
その背中に、静が静かに声をかけた。
「……妄想も、極めれば事件になる。だけど、真実を見ることも忘れないで」
その言葉に、玖郎はわずかに振り向き、笑った。
「それでも……この世界には、語られぬ事件がある」
「いや、もう、探さんでいいわ!」
しおりが再び怒鳴ったとき、ようやく「黎進高校新聞・6月号」の印刷が始まった。
「“購買戦争の実態”……なかなか良い記事じゃない」
静がそう言って、しおりの原稿に目を通す。
「まあ、陰謀とか癒着とかないけど……購買部が、チョココロネしか置かなくなったのは、“パンの仕入れ担当がチョココロネ推しだったから”っていう、ただの主観やし」
「その事実こそ、もっとも恐るべき“個人の暴走”だ……!」
玖郎の目が、再び鋭く光る。
「パン祭り終わっただけじゃろ……」
しおりはため息をついた。
(次回の事件はどうなる?事件自体は大体3Pで解決します。)