フクヤマアニメの日
放課後の黎進高校。教室に残る三人。しおりがポスターを広げて立っている。
「今年もあるんよ、フクヤマアニメ!」
しおりの声に、玖郎がため息混じりで答える。
「また町がコスプレで溢れかえる日か……」
山口も首を傾げながら言った。
「去年、ヨマさんだらけでしたね」
「福山リベンジャーズのコスプレも多かったんじゃけど、最近ぜんぜん見んのよ」
しおりが言うと、玖郎は少し考え込む。
「つまり、みんなタイムリープされたということか」
山口は肩をすくめた。「平和になったんですよ、黎進にも東京にも」
しおりはにっこり笑う。「じゃあ、今年の流行りは?」
「チェーンマンとか、申しの子とかですね」
「うちはパワーくんじゃね!」
玖郎は小さくつぶやいた。「……今だとリゼだろ」
その日の駅前は人であふれかえっていた。痛車が止まり、ステージではアニメソングが流れる。しおりはテンションMAXで駆け出す。
「見てみぃ!人いっぱい!」
「……あっ、あの人」山口が指さす。
しかし玖郎の視線はその人物に釘付けだった。「待て……あの人なんのコスプレだっけか」
「つまり?」しおりが首をかしげる。
「――正体不明のコスプレイヤーだ」
「なんだかきになりますね。見たことはあるとはおもうんですが…」山口がつっこむ。
玖郎は独り言のように分析する。
「服装は黒ドレス、ヘッドドレスなし。謎の一輪のバラ。つまり……」
「つまり?」しおりが笑う。
「結論、あの人物はわからん」
「…たぶん不完全なキャラのコスプレだと思いますけど…」山口も呆れ顔。
会場を散策する三人。しおりはパワーちゃん姿で写真撮影会に参加し、山口は限定グッズ列に並ぶ。玖郎は遠巻きに観察し、無駄に分析を続ける。駅前の街並みは、普段と同じはずなのに、アニメの世界に変わって見えた。
駅ビルに入った三人。
ライブ帰りの人混みを避けながら、フードコートやショップをのぞく。
「……あれ?」
しおりの目が一点に釘付けになる。
レイヤーたちが、コスプレのまま買い物をしているのだ。
黒ドレスにバラをつけたヨマ、レゼ、刀乱舞たち……カートを押して、普通にサンドイッチやドリンクを買っている。
「……町、完全に侵略されとる」玖郎がつぶやく。山口も目を丸くする。「でも、普通にレジで会計してますね」
「うちの町じゃ、今日だけ非日常が日常に混ざっとるんじゃね」しおりは笑う。
「まさに『日常に潜む非日常』ってやつか……」玖郎は呆れ顔。
さらに、しおりが指をさす。
「あの人……ポテトにマヨネーズめっちゃかけとる!絶対マヨネーズ王!」
コスプレのまま買い物をする人々の姿に、三人はクスクス笑いながらも、
「今日の町は、ほんまに夢見とるんじゃな」と静かに思った。
夕方。会場の喧騒は徐々に落ち着き、三人は川沿いのベンチに腰を下ろす。
「地元なのに、地元じゃないみたいじゃね」しおりがつぶやく。
「異世界転移したみたいだな」玖郎もぼそり。
「うちらが転移したんじゃなくて、町が転移したんよ」しおりはそう言って笑った。
「でも、あと少しでいつもの町に戻っちゃいますね」山口が静かに言う。
しおりのツノが夕陽に透けて赤く光る。三角の公園には、風に舞う木の葉だけが残った。
そして、三人は美術館前の公園にたどり着く。夕暮れの芝生に腰を下ろすと、地元バンドの野外ライブが始まった。音楽が風に乗り、遠くの笑い声と混ざる。
「今日ずっと人多かったですね」山口が言う。
「でも、町が誰かの夢みたいになっとる感じ」しおりは微笑む。
「非日常だ。君らにとって日常でも、町は今日だけ変身したんだな」玖郎は少し考えてから言った。
「町がコスプレしとるんよ」しおりは小声でつぶやく。
「明日には元通りですね」山口が空を見上げる。
「ええんよ。それで十分」しおりも見上げた。
玖郎は心の中でつぶやく。「夢を見てる間くらい、推理を忘れるのも悪くないな」
夕暮れの光が三人を包む。町は二日間だけ夢を見た。そしてまた、いつもの午後に戻っていく。けれど、その夢を見届けた人たちは、少しだけ現実を好きになれるのかもしれない――。
しおりにとって、福山の町並みは空気と同じだった。駅前のシネマモードも、商店街のアーケードも、見上げる福山城の無骨な石垣も、すべてが昨日と同じ、明日も同じ、変わることのない日常の背景。
だが、年に一度、その日常のキャンバスに、鮮烈な色が塗り重ねられる『フクヤマニメ』の二日間が来る。
いつもの宮通りを歩けば、白衣を纏った天才科学者が足早に通り過ぎ、その足元を、巨大な翼を広げた堕天使が占拠している。日常と非日常の境界線は、まるで熱で溶けたアスファルトのように曖昧になる。
「彼女たちはいったいどこから来たのだろう」
しおりはふと思う。コスプレのイベントは、会場に行って「非日常」を楽しむものだと思っていた。それは、遠くにある夢の国へわざわざ出かけるのと同じ。だが、フクヤアニメは違う。彼女たちは、日常の風景に、まるで季節の変わり目に現れるハロウィンの精霊のように、突如として姿を現すのだ。
この二日間だけは、普段住んでいる福山が、一瞬、どこか別の惑星の基地か、魔法の国の玄関口になってしまう。そして、その異変を、いちばん近い場所で体験しているのは、しおりたち、この町の日常を生きる住民だけなのだ。
夕暮れの美術館前公園。芝生に座る三人。地元バンドのライブが始まり、ワンピのテーマソングが流れる。
「♪ウィーアー!」
しおりが大声で歌い出す。
「え、まさか大声で合唱する気!?」玖郎があきれ顔。
「せっかくだけぇ!」しおりは手を振り上げ、周りの観客を巻き込もうとする。
山口も小声で口ずさむ。
その時、しおりの視線が芝生に座ってマヨネーズをかけまくったフライドポテトを食べる人に止まった。
「……あの人、またマヨネーズ食べとる!」
しおりは目を輝かせる。
「……間違いない、あの人は『マヨネーズ王』だ!」
玖郎は小声でつぶやく。
「……この町、非日常と謎称号が入り混じりすぎだな」
しおりはさらに大声で叫ぶ。
「♪ウィーアー!帰宅部!そしてマヨネーズ王っ!」
観客の一部がキョトンとする中、玖郎は思わず笑いをこらえる。
「……今日の町は、夢見るだけじゃなく、ギャグも満載だ」
音楽と笑い声が夕暮れの空に溶ける。
町は二日間だけ夢を見る。
そしてまた、いつもの午後に戻っていく。
けれど、その夢を見届けた人たちは、少しだけ現実を好きになれるのかもしれない――。
夕暮れの空がオレンジ色に染まる美術館前の公園。
三人は芝生に座り、ライブの余韻に浸っていた。
「今日の町、ちょっと……ええ感じじゃね」
しおりがぽつりとつぶやく。
「うん……いつもなんとなく過ごしてるけど、今日だけは少し好きになった」
山口も微笑む。
玖郎は空を見上げ、心の中で思った。
――日常が非日常に変わる瞬間は、町そのものが夢を見た証拠だ。
僕らは少しだけ夢をみた。
そして、その夢を見届けた人たちは、少しだけその町を愛せる。
音楽と笑い声が、夕暮れの風に溶けていく。
今日という一日が過ぎ、明日からまたいつもの日常に戻るけれど、
この町がほんの少しだけ、好きになれた、そんな一日だった。
見上げると福山城、そして送球のフミーレンのコスプレ。魔法使いとお城の組み合わせもなかなか良いと思った。




