第30話~浦崎と潮風とすこしの後悔と~
「……よし、行き先はこれで決めよう。」
そう言って、帰野玖郎はどこからか取り出したダーツと福山市の地図を、放課後の黒板に広げた。
「ダーツで……?」と、山口が戸惑い気味に聞く。
「明日は大切な日だからな。しおりの誕生日だ。」
「え、なにその決め方。普通もっと計画するやろ?」
福山しおりは呆れながらも、どこか楽しそうに笑った。
「ダーツは人生の縮図だ。偶然は必然を呼ぶ。」
「はいはい。まあ、誕生日やし、どこでも楽しめればええんよ。」
玖郎がダーツを振る。
ダーツが刺さった先は、*浦崎行きのバス停*だった。
「まさかの浦崎!私、ここ行きたかったんよね!思い入れがある場所なんよ。」
しおりが嬉しそうに叫んだ。
「そうなのか?どんな?」
玖郎は興味を持った様子だ。
「『風の後悔』ってゲームの舞台なんよ。」
「それ、どんなゲームなんだ?」
「なんというか…音だけのゲームっていうか。」
「それはゲームなのか…?」
「絵のないゲームじゃね。目に見えるものだけを信じるとだめじゃ。そうするとこのゲームの良さはわからんけぇね。」
「なるほど?」
「自分の小学生の頃の初恋のこととか、今思うとセピア色に思えてくるじゃろ?そういうことなんよ。このゲームは」
「それが浦崎となんの関係があるんだ?」
「良いかい?玖郎君!行けばわかる…はず。今から予習しんさい。」
「うむ…興味はあるな。しかし浦崎は不便な場所ではあるな。車が必要だ。」
「浦崎……?あ、実は親戚の別荘がそこにあるんです。自転車を用意してもらえますよ。」
山口が、さらっと爆弾を落とす。
「え、それ先に言えや!!」
しおりが全力でツッコむ。
「ふっ……これもまた、必然か。」
「絶対偶然じゃけぇ!」
こうして、帰宅部の誕生日旅行は、浦崎行きに決まった。
「いや~、いいとこじゃね、浦崎。この空気。この海。この海岸。海沿いの町。インスパイアされるものがあるなー。」
バスに揺られ、海沿いの町に降り立った三人は、まずは山口の親戚の別荘へ向かい、そこで自転車を借りることにした。
「親戚の家、勝手に使っていいん?」
しおりが聞くと、山口はニコニコしながら答える。
「はい、昨日連絡したら『どうぞどうぞ』って。あと自転車も使っていいって言われました。」
「ほー、それは助かる!」
玖郎はサドルにまたがり、ふっと笑う。
「運命が俺たちに、浦崎を駆けろと言っている。」
「そうじゃね。これで観光しやすくなったわぁ。」
「浮いたお金で、しおりの誕生日プレゼントを探そう。」
「……あ、ええやん。」
照れ隠しのようにしおりは早々にペダルを踏み出した。
「この先、スーパーとかコンビニないんで、今のうちに飲み物とか買っておきましょう」
海沿いの町にたった一軒しかないスーパーに立ち寄る。このお店に地元の人が集まるのだろうか。
海の中に立つ赤い鳥居。常夜灯。細い海沿いの道。
浦崎の潮風は、思ったよりも柔らかく、遠くで造船所が静かに稼働している。
「この海に立ってる赤い鳥居。宮島のやつと同じなんじゃね。地元にもこういうのあるんじゃね。」
玖郎は狭い道を走りながら、ふと遠くを指さした。
「……あの造船所。あそこでは、きっと極秘の巨大船を作っている。」
「いや、どう見ても普通の造船所じゃけ。」
「油断は禁物だ。町の静けさは、秘密を隠す最良のカモフラージュ。」
「もう推理始めとるし…」
山口は黙々とサイクリングを楽しんでいる。
ときどき、「あ、ここ、親戚に連れられて来たことあるかも」と懐かしそうに口にする。
玖郎は細い路地に入り、「この道は、異世界への入り口かもしれん」と呟いたが、すぐにしおりに引き戻された。
「ただの生活道路じゃろ!」
浦崎の、海は静かだった。
潮の香りは柔らかく、海岸沿いにポツポツと常夜灯が点在している。
「……おー、ええ雰囲気じゃな。」
しおりがペットボトルを片手に、港町を見渡す。
山口はスーパーで買ったアイスを嬉しそうに食べている。
そんな中、玖郎はふと、海に沿って並ぶ常夜灯を指さした。
「なあ、しおり、山口……あの常夜灯、なんであんなに点在してると思う?」
「へ? そりゃ、船が夜でも帰ってこれるように――」
「違う。」
玖郎が真顔で、しおりの言葉を遮る。
「……あれは異世界の入り口だ。」
「出たー!」
しおりは吹き出したが、玖郎は一切崩れない。
「よく見ろ。浦崎には必要以上に常夜灯がある。どこまでも続くように、まるで“異世界への道しるべ”だ。」
「たまたま漁港が多いだけじゃろ!」
「いや、常夜灯の配置が不自然だ。途中だけ感覚が狭くなっている。つまり、あそこに……ゲートがある。」
山口が興味津々で食いつく。
「異世界、行ってみたいです!」
「だろう?よし、探検に行こう。」
玖郎が自転車にまたがる。しおりは呆れながらも、ペダルを踏んだ。
「しょうがないのう……つきあったるわ。」
海沿いの道を、常夜灯を左折し山の方へ進む三人。
潮風は少し冷たいが、ペダルを漕ぐ足は軽い。
「しおり、恐れてはならん。」
「いや、別に怖くないけど……玖郎がテンション高いだけじゃけ。」
「ここから先、常夜灯の間隔が一気に狭くなる。……見ろ、やはり。」
玖郎が指さした先、確かに灯りの距離が少し詰まっている。
「これが“入り口”だ。」
「いやいや、ただの港の角じゃろ。」
玖郎は真剣に自転車を降り、足音を忍ばせて進む。
「慎重に行くぞ……異世界の門は、音に反応する可能性がある。」
「いつも思うけど、その情報どこから来とるん?」
山口は小さく笑いながらも、少しだけドキドキしていた。
「あの。多分この道進むと岬に出ますよ。そこの近くに温泉があるみたいなんです。せっかくなんでそこまで行ってみませんか?」
しおり、玖郎、山口の三人は山道を自転車で走っていた。
「この先にほんとに岬があるん?そして温泉!いいね、温泉行きたいわ!」
「だろ?こういうのは、思いつきで行くのが面白いんだ。」
道はどんどん狭くなっているような気がする。軽四が一方通行でギリギリ通れるくらいだ。
「ほんとに岬までいけるん?」
「大丈夫、大丈夫」
玖郎の自信に引っ張られ、しおりと山口も続く。
「一応、スマホのナビで調べたんですけど岬までいけるっぽいです」
舗装されていない、少しガタガタした道。
タイヤが砂利を踏む音だけが、静かな夜に響いていた。
「結構奥まで続くんじゃな……。」
「この先に、岬の端があるはずだ。」
段々と道が狭くなり、草が自転車のハンドルに触れる。
「なんか、だんだん不安になってきたんじゃけど……。ホラーゲームにでてきそうじゃ…」
「平気だ。冒険だ。」
玖郎が笑いながら前を走る。
「ほんとに大丈夫なん?なんか壊れた祠みたいなのもあるし…」
「この坂を下ったあたりが岬のはずです。ナビではそうなってます。」
しかし、ふいに。
「……行き止まりだ。」
山道の一番端まで辿り着くと、最後の常夜灯があった。
目の前は低いフェンスで塞がれていた。
その先は、ただ黒い海が広がっている。
「えっ……ここで終わり?」
「終わりだ。」
しおりが玖郎に詰め寄る。
「……異世界の入り口、なかったな。」
玖郎はフェンスに手をつき、遠くの黒い海をじっと見つめた。
「そもそも最初から無いって言うとったじゃろ!」
しおりが笑いながら玖郎の背中を軽く叩く。
「まさに後悔」
「こういう後悔はいらんのんよ!もっと、初恋とか、小学校の思い出とか。そういう話じゃろ!?」
山口はフェンス越しに、夜の海を見ていた。
「でも、なんか……ちょっと、いいですね。こういうの。」
「こういうの、って?」
玖郎が振り返る。
「行き止まりとは知らずに、ここまで走って来て、目的地ではなく、ここでみんなで海を見て、戻る……そういうのが。」
「『知らない』ということは一度知ってしまうと二度と体験できないことだよ。この景色はもう二度と忘れることはないだろうな。」
玖郎が笑い、しおりもふっと笑顔になる。
しばらく、言葉もなく、ただ波の音を聞いていた。
「誕生日なのに、なんも特別なことないけぇ。」
しおりがぼそっと呟く。
「いや、これが特別だ。」
玖郎が静かに言う。
「ダーツが導いた偶然、山口の親戚の別荘、道に迷いながらのサイクリング……全部が繋がって、今ここに辿り着いた。」
「……まあ、そうじゃな。なんか、無駄じゃなかったね。」
潮風が三人を優しく撫でる。
「ところで、温泉は?どこが岬じゃ!行けんかったじゃろ!」
「いや、こういう“行き止まり”もまた一つのロマンだ。」
玖郎はフェンス越しに海を見つめる。
「考えてみろよ、もしこのフェンスを越えた先が“異世界”だったら。」
「越えたら即、海なんじゃけど…」
「そうだ、つまり……異世界への入り口は、時に海の底にあるんだ。」
しおりは少し呆れながらも、静かに笑った。
「……まあ、今日はええ思い出になったかも。」
波の音が、耳に心地よい。
「……温泉なかったけどね。」
「いや、これが答えだ。」
玖郎はゆっくりと振り返る。
「異世界は“ここにない”と、証明できた。」
「え、行けんかっただけじゃろ。汗かいたし、温泉ですっきりしたいんじゃけど…」
しおりはそう言いながらも、どこか楽しそうに笑う。
「まさに『風邪の後悔』だな」
「そういう意味の『風邪』じゃないんよ!」
山口もこくりと頷く。
「来た道。引き返しますか…」
「異世界への道は今は閉ざされているのか。」
玖郎の冗談に、しおりは肩を揺らして笑った。
「じゃあ……次は“開いとる時間”に来よか。」
「ふふ、約束だ。」
山口もほっとしたように言った。
「でも、三人でこうやって走るの、なんか楽しいですね。」
玖郎はしおりに視線を送る。
「しおり、今日の誕生日、どうだった?」
しおりは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく笑った。
「うん。……まぁ楽しんどるかな。」
「ふっ、なら作戦成功だ。」
玖郎は最後に、常夜灯を見上げながら呟く。
「でもな……もし、全部の常夜灯が灯ったら――」
「ん?」
「本当に異世界に、行けるかもしれん。」
しおりは一瞬だけ、ゾクッとしながらも、笑って答えた。
「……でも、夜にこの道を通るのはやめとこうや…」
玖郎はふっと笑い、ペダルを漕ぎ出した。
常夜灯が照らす道を、三人の影がゆっくりと伸びていく。
三人は引き返す。来た道を、笑いながら。
その背中を、ひっそりと常夜灯が見守っていた。
山道を引き返し、行くときに左折した常夜灯まで戻ってきた。
「右折したら岬へ行けたんですね。」
達成感からか、潮風が心地いい。
「温泉、楽しみじゃな。」としおりが笑った。
玖郎も頷く。
「うむ、温泉こそ、この旅のフィナーレにふさわしい。」
「温泉、早く入りたいです!」と山口も目を輝かせる。
温泉の看板を見つけた。
「みらくの温泉、こちらと書いてますね。」
そのまま意気揚々と進む三人。
岬へ着いた。
……しかし。
「温泉?ああ、潰れたよ。」
地元のおばちゃんの一言で、すべてが崩れた。
「え!?でも、看板にはしっかり書いとったで!」
「そりゃ、看板を外すのがもったいないけぇ、そのまんまにしとるんよ。」
玖郎は真剣な顔で呟く。
「……温泉、神隠し事件だな。」
「いやいや、誰も隠してないけぇ…」
帰り道、再び海沿いをサイクリングしながら、玖郎はぽつりと呟く。
「温泉は消えたが……この時間は、確かに残った。」
しおりは笑って答える。
「ほんま、今日は楽しかったわ。ありがと。前からいきたかった場所じゃし。聖地巡礼した気分じゃ。」
「ふっ、誕生日旅行、成功だな。」
山口は満面の笑みで、「次は誰の誕生日ですか!?」と聞く。
しおりはクスクス笑いながら、前を向いた。
目を閉じると今日の出来事や風景が思いだされる。
何か創作意欲が湧いてくるようだった。
「温泉は入れなかったのは残念じゃったけど……」
玖郎は最後に一言だけ、真顔で締めた。
「まさに『浦崎の後悔』だな」
「いや、『風の後悔』じゃろ!?」
しおりのツッコミが、静かな町に心地よく響いた。




