番外編~帰宅部と、バラの咲く日曜日~
「ええけえ、いっぺんでええけえ来てみてや! 絶対、損はさせんけえ!」
しおりがそう言って強引に引っ張り出したのは、新聞部の“取材”という名目を盾にした、半ば強制的な召集だった。
帰野玖郎と山口――帰宅部の二人は、何の因果かその日の午前十時、釣り人前に集合した。
福山駅前の花と人波に包まれていた。
「……まさか本当に来るとは思わんかったけえ、ちょっとびっくりしとる」
「そっちのセリフだよ」
そんな、ちょっとした非日常の始まりだった。
福山駅から歩いて十分。商店街を抜けた先の緑町公園は、まさに花の海だった。
色とりどりのバラが、道の両端を彩っている。
赤、白、黄、ピンク──まるで絵の具をこぼしたみたいに、にぎやかだ。
「すご、去年より咲いとる気がする……」
しおりが目を丸くする。
「バラの開花状況に関する年度比較……これはひとつの謎だな」
「なんの謎よ!」
「君が毎年見てるという事実と、今年“すごい”と思った印象──ここには誤差がある。つまり福山しおりの感性は年々変化している……」
「うちが成長しとるっちゅう話じゃろ!」
「もしくは老い──」
「だまっとれや!」
しおりのげんこつが、玖郎の頭にコツンと落ちた。
やりとりはいつものテンポ。でも、どこか柔らかい。
「今年はバラ会議が行われるので特に人がおおいんでしょうね」
その後ろで、山口がそっとシャッターを切った。
「──やっぱり、自然光のほうが表情が映えますね」
「なに撮っとんよ、やめぇや」
「いえ、参考資料として」
いつも無表情な山口の口元が、わずかに緩んでいた。
この空気が、帰宅部らしくて好きなのかもしれない。
「──で、なに買うん?」
しおりが焼きそばの香りに誘われて、屋台通りを見渡す。
「たこ焼き、焼き鳥、唐揚げ、バナナチョコ、クレープ……なにこの誘惑ラッシュ」
「そういう食の誘惑に、なぜ“串刺し”の文化が多いのか。そこにはきっと、謎がある」
「いらんて。謎、いらんのじゃて」
「串とは、すなわち武器。持ち歩きやすく、立ち食いに最適化されたこの形状には、合理的な設計思想が……」
「さすがに考えすぎじゃろ。でもトルネードポテト食べてる人目立つね」
山口が無言で焼きとうもろこしを手にしているのを見て、玖郎がハッとする。
「山口、それは危険だ」
「……なにがですか」
「焼きとうもろこし──それは屋台界のキング。焦げ目と甘辛いタレが、胃袋の防衛ラインを突破する。食べた瞬間から他の選択肢が霞むという──つまり、これは食欲の独裁だッ!」
「はぁ…」
「……つまり、まずは無難にポテトを食べるべきだった」
「わからん理屈持ち出すなや」
しおりは半笑いになりながら、ソースの匂いにつられて焼きそばを買っていた。
そのすぐあと、玖郎は「ムダ推理」により“どこの店のたこ焼きが最も焼きムラが少ないか”を調査し始め──
山口はその間に、バラ園エリアへとそっと足を向けていた。
バラ園には、色とりどりのバラと──
そのバラを背景に写真を撮る人々の姿があった。
バラのアーチは相変わらずその存在感を示している。
山口はいくつかの花の配置を観察し、無言でシャッターを切る。
カシャ、カシャ──と音だけが響く。
(やっぱり、光と色のバランスは野外がいい……)
バラの奥に、偶然しおりの姿が映る。
焼きそばを食べながら、バラを見つめるその横顔。
(……自然な笑顔、ですか)
彼はそのシャッターは押さなかった。
ただ、それを心に留めるように──
(撮るには……惜しい)
カメラのレンズを、ゆっくり下ろした。
玖郎がたこ焼きを手に戻ってきたとき、しおりはもう次の屋台へ。
「次は冷やしキュウリいこっか~」
「しおり、そんなに食べて大丈夫なのか?」
「ダイエットは明日からじゃ!」
「そう言って去年も翌日に後悔していたぞ」
「うっさいわ!」
笑い声とバラの香りが混ざる日曜日。
この日常も、ちょっと特別に感じるのは──きっと、三人だから。
「……え、ちょ、見て! あれ! バラのクレープ出とる!」
しおりが指さしたのは、バラカスタードクリームとバラホイップをたっぷりのせた風味豊かなバラクレープ。
バラシロップを練りこんだもっちりとした食感の生地が堪らない。
「クリームがピンク……いや、これはもう芸術では……?」
玖郎がうっとりした声を出す。
「食べ物を芸術とか言うとる時点で、だいたい腹ペコじゃけぇ」
「その指摘、否定はできない」
「じゃけぇ、買うよ」
「これは買うしかない」
しおりはさっそくローズクレープをゲット。
ふんわり甘く、花の香りがする。
「……ん~~、なんか、すごい乙女な味する……!」
そう言って、ちょっと照れながら笑うしおり。
「一口もらっていいか?」
「女子力が上がる覚悟があるなら、どうぞ」
「おぉ、リスク高いな……」
しおりはくすくす笑いながら、クレープを山口にも差し出す。
「山口は? 要る?」
「……ちょっとだけ、いただきます」
そのあと、三人は**バラジュース**の屋台へ。
「ローズウォーターっていうんかな、これ」
「成分分析したい……」
「玖郎、飲め」
「承知」
ジュースはほんのり甘く、後味がすっきりしていて──
意外にも、男子二人も「アリだな」とうなずく味だった。
そして最後に現れたのは、**バラソフトクリーム**。
「わあ……ピンクのソフトクリームって、かわいすぎるじゃろ」
「見た目は完全にスイーツ界のアイドル……」
「たぶん山口、もうカメラ構えとる」
「はい」
「やっぱりな!」
ソフトクリームを手に、バラの背景で並ぶ三人。
偶然撮れたその一枚は、山口の中でもお気に入りになる──のは、もう少し後のこと。
スイーツ三昧のあと、ふらりと歩いていた三人は、
公園エリアの片隅でちょっとしたステージイベントに出くわした。
「大道芸やっとる! 皿回しにジャグリングに……一輪車!」
「えっぐ……まさかバラがここまで主役になるとは」
「文化の暴走……それがフェスの正体」
観客に混じって拍手を送る三人。
「なぁ、せっかくやし、俺たちもちょっとした芸やってみるか?」
「は? なんで?」
「なにって……芸のため、いや帰宅部の名誉のために」
「うちの知らんところで、帰宅部ってそないな団体になっとったん?」
玖郎はすでにポケットからトランプを取り出していた。袖口を軽く払うと、赤と黒のカードが手の中で踊る。
「よし、しおり、適当に一枚引いて。ほら、そこの子どもも見てくれよな」
人通りの多い通路脇に、なんとなく人だかりができはじめる。玖郎はトランプを高く掲げ、帽子の中に投げ入れた――と見せかけて、するりとカードを消し去る。
「おや、どこに行ったでしょう?」
その瞬間、玖郎の耳の後ろから、引いたはずのカードがひょっこり顔を出した。子どもたちが「わあ!」と歓声を上げ、しおりが小さく拍手する。
「地味にすごいんじゃけど……」
そしてその隣――。山口は一歩下がった位置で、やや斜めに立ち尽くしていた。
その姿が……なぜか、不自然なまでに静止している。
じっと動かず、視線も変えず、まるで“彫刻の人”のように。
「……山口」
「……はい?」
「そのまま動くな」
「え…」
山口が不思議そうに尋ねたそのとき、通りすがりの子どもが、そっと山口の足元に小銭を置いていった。
「……なんでお金入れられたんですか、僕……」
帽子を拾うと、中にも飴玉が一個。
どうやら完全に“パフォーマンスの一部”だと思われたらしい。
玖郎は腹を抱えて笑いながら、ぽんぽんと山口の背中を叩いた。
「いやー、これはもう才能やな。来年は『動かない銅像』として正式参加せえや」
「僕、ただ立ってただけなんですけど……」
「…うちの帰宅部、なに部目指しとんじゃろな……?」
呆れながらもしおりは笑っていた。
その背後では、本物のパントマイム芸人が動かず山口を見つめていた。
突然山口が動きだした。
「……ん? 山口、なにしよるん?」
「大道芸、やります」
「は!?」
そして始まった、*山口のマジックショー(即興)*。
使うのはポケットに入っていたトランプと、たまたま手にしていた紙ナプキン。
その動きは妙に滑らかで、手元の技が見事すぎて観客がざわつく。
「すご……え、あれどうなっとん?」
観客がざわめく。
「山口……何者なん……」
「ただの帰宅部、だけどな…」
拍手とともに、数人が小銭やお菓子を帽子に入れていく。
「え、もう投げ銭入っとるやん!?」
「ちょっとした小遣い稼ぎです」
「やめとけ! 職業:帰宅部じゃけぇ!」
──その後。
会場横のミニイベントスペースでは、「飛び入りカラオケ大会」が始まっていた。
「参加者、あと一人いないかな〜? お姉さんどう?」
そうマイクを向けられたしおりは、一瞬迷って──
「……ええよ。やったるわ」
「あああああ! 参加しよった!?」
「おい、しおり、あれ本気じゃないか!?」
しおりが選んだのは、ちょっと懐かしさのあるガールズバンド風の一曲。
まっすぐで青くさい歌詞に、バンドサウンドが乗っかって、まるで放課後の校庭みたいに胸がざわつく。
サビに差しかかると、テンポが跳ねて一気に盛り上がる。
ちょっとハスキーな彼女の声が、不思議とよく似合っていた。
会場が手拍子で盛り上がり始める中、スマホで写真を撮る人々。
しおりは最初少し照れていたものの──
途中からは笑顔を見せながら、堂々と歌っていた。
「……カメラ目線じゃなくても、笑ってる顔って、自然に撮れるもんなんですね」
山口がぼそりと呟き、そっとシャッターを切った。
午後三時。
市街地をうねるように進む、**福山ばら祭りのメインパレード**。
「わあ……すご……」
「人が沢山……迫力あるな」
「いや、あれトラックじゃけど……屋根に乗っとる人、手ふっとるで?」
太鼓と笛のリズム。
金色のはっぴを着た一団が舞い、空から紙ふぶきが舞い落ちる。
まるで街そのものが、巨大なステージになったようだった。
「なんかもう……観るだけでも体力削れるくらい派手じゃね」
「山口は?」
「……後ろにいます」
「すでに人混みから逃げようとしとるやん」
しかしそのとき、パレードの誘導係らしき人が言った。
「君たち、飛び入り体験したい? ちょうど若者枠が一組空いててね」
「えっ」
「えっ」
「お三方とも派手な服だし、映えると思うよ?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、しおりの目がキラッと光る。
「やっちゃおうや! 一生に一度のバラパレ体験よ!!」
「いや、でも俺は……」
「山口、もう腰にハッピ巻かれとる!」
「えっ」
「えっ」
あれよあれよという間に、玖郎も金のハッピを羽織らされ、
バラを抱えた台車の先頭に回される。
「……こうなったらもう、やるしかないじゃろ!」
囃子に合わせて前へ、前へ。
手を振り、笑い、時に掛け声も飛ばす三人。
歩く道の両端には、たくさんの観客たち。
スマホやカメラがこちらに向き、沿道からは拍手と歓声。
「うわぁ……緊張してきた……」
しおりがそわそわと手を振る。
「この視線の集中……なるほど、謎が解けたぞ」
「はい出た、なに?」
「バラ祭りの主役は、バラじゃない──“楽しんでる人間”そのものなんだ」
「……ちょっとええこと言うやん」
「で、謎は解けたが、羞恥心は増している」
「じゃけぇ手ぇ振れ、ほら!」
その隣で、山口はというと──
「……こういうのも、悪くないですね」
「ん? 今、なんか言った?」
「同じあほなら踊らにゃ損です」
そう言いながら、山口はバラを持ったまま、少しだけ笑っていた。
三人は歩きながら、笑って、時々照れて。
観客の歓声と、遠くから聞こえる太鼓のリズム。
空からは花吹雪──まるで映画のラストシーンのような、特別な日常。
「……楽しかったな」
「うちも……来年も来ようや」
「そうだな。来年も、三人で」
この一日をカメラに収めた写真たちは、きっとあとで見返しても笑ってしまう。
でも、心に焼きついたシーンたちは──
誰のレンズにも収まらない、かけがえのない宝物になる。
沿道から飛ぶ「かわいいー!」の声に、しおりが薔薇のピアスを触りながらちょっと照れ笑い。
玖郎も苦笑しながら、楽しげにバラを手に取った。
そして夕方、緑町公園の高台にたどり着いた三人は、
地面にどっと座り込む。
「つっかれた~~~……」
「いやほんま、途中から自分が誰かわからんなった」
「……でも」
玖郎が、空を見上げた。
夕日が沈みかけ、赤く染まった空の下、
街中に散ったバラの色と香りが、ほんのりと風に乗っていた。
「今日が“いつもの帰り道”じゃなかったこと、たぶん、しばらく忘れられんな」
「玖郎……今日だけはそう、年に一度のイベントじゃけえね」
「来年も来れるといいな……三人で」
三人はそこで、しばらく何も言わず、風の中に身を委ねた。
笑って、歩いて、巻き込まれて、また笑った。
ただの一日。でも、確かに特別だった。
──エピローグ ──その夜、グループチャットにて。
夜。
自宅でソファに沈んでいた玖郎のスマホが、ぽん、と震えた。
《しおり》
「バラソフト食べる山口」
「大道芸やってる山口」
「つられて投げ銭してるあたし」
「パレードで手振る玖郎、カッコよかったで(←これは奇跡の角度)」
どれも、ちょっとブレていて、ちょっとピントが甘くて、
でもなんだか、やたらと楽しそうな写真だった。
そして最後に、もう一枚。
「これ、三人で撮ったやつ」
パレードを終えたあと、緑町公園のてっぺんで。
夕陽の光を浴びた、薔薇のハッピ姿の三人が並んで、ちょっと疲れた顔で笑っていた。
《しおり》
「うちら、案外なんでもできるじゃろ?」
「帰宅部、なめんなよ☆」
玖郎は思わず、ふっと笑ってしまった。
「……本当だったな…」
画面を暗くし、スマホを胸に置いた。
外では、まだ微かに、祭りの余韻が街に漂っていた。
(バラの咲く祭りの日。けれど咲いたのは──バラだけじゃなかった。
帰野玖郎と、山口と、福山しおり。
三人の《帰宅部と、バラの咲く日曜日》が、そこに確かにあった。)




