番外編~麺をすすりながら解く謎の味は~
「終わったーーーっ!!今回もばっちりじゃ!」
しおりの叫びが、昇降口にこだました。教室の空気はすでに抜け殻。生徒たちの顔には、それぞれの開放感と絶望が入り混じっていた。
「テストなんて全部燃えてしまえ……」
帰野玖郎はそう呟きながら、肩にかけた鞄を持ち直す。相変わらず眠たげな目だ。
「ま、燃えんけどね」
しおりはにやっと笑って、玖郎の隣に立つ。
「なぁ、玖郎。テスト終わったし、今日はラーメン行こうや。ご褒美よ、ご褒美!」
「断る理由はないな……胃が元気なら」
「よっしゃ、決まり! 山口くんも来るよね?」
「え? あ、うん、もちろん!」
玖郎の後ろから声をかけられた山口は、思わず小さく跳ねたように反応する。いつものように落ち着いていそうで、しおりの目を見ないあたりが不自然だ。
「ラーメン、好きですから。僕……」
「ふふん、じゃあ決まりじゃね! 今日のメインはもちろん――尾道ラーメン!」
しおりは堂々と宣言した。まるで勝利宣言のように。
駅近くのラーメン店『麺道・雷虎』。木目のカウンターと、魚介の香りがほんのり漂う空間。
「うわ、めっちゃええ匂い……やっぱりこれじゃ。尾道ラーメン!」
しおりは迷わずボタンを押し、食券を握って着席。席につくと、すでに頬がゆるんでいる。
「背脂と魚介のダブルパンチよ。あっさり見えて、意外とガツンと来るんよ。これが実家の味じゃけぇね」
「地元民の血が騒ぐな……」
「言うねぇ玖郎。じゃああんたは?」
「俺は……醤油ラーメン。無難にいく」
玖郎は何の感情もない顔でボタンを押し、静かに水をすすった。
そして、二人の視線が山口に集まる。
「……僕は……」
一拍置いて、山口が押したのは――
*つけ麺*
「邪道じゃろ!!!!」
しおりが叫んだ。
「ちょ、なんで!? 尾道の香りに包まれてラーメンを味わうのが流れじゃろ!?」
「す、すみません……でも今日は、つけ麺の気分だったんです……。スープより、麺を“冷静に”味わいたくて」
「冷静に!? テスト終わって開放感しかない日になに冷静になっとん!?」
「いや、その……」
山口はしどろもどろになりながら、それでも真剣な顔でこう続けた。
「しおりさんがラーメンに本気なのを見て、僕も……自分の気持ちに正直になろうって……」
「なんそれ告白みたいになっとるやん」
玖郎は湯気立つ水を一口すすってから、静かに呟いた。
「裏切りのつけ麺。……良いタイトルだな。推理劇の匂いがする」
「玖郎は黙っとって!」
「えっ!? あっ、いやその……」
「うちらラーメンで揃えよーゆーたやん!『三人でラーメン、テスト終わりに一杯な!』って!」
「しおりさんが言ってた“ラーメン”って、カテゴリ全体の話かと思って……!」
「それは“ラーメン類”や!!」
「……裏切りだな」
と、玖郎が一言。
「ちょ、玖郎さんまで冷たい! だって雷虎のつけ麺、期間限定なんですよ!? 今日までなんですよ!?」
「限定でも、心までは限定されちゃいけんのんよ……」
どこか哀しげにしおりが呟き、スープをすする。
玖郎はそれを見て、ぽつりと漏らした。
「……そのセリフ、涙声で言ってたらドキュメンタリー賞取れるかもな」
しおりの脇では、つけ麺の山口が黙々と食べていた。
数分後、ラーメンが届いた。
しおりは笑顔で湯気ごと尾道ラーメンを吸い込みながら、「やっぱ最高じゃわ……」と満足げ。
玖郎は淡々と麺をすくい、ひと口ずつ丁寧に味わっている。
一方、山口の前には、黄金に輝く中太ストレート麺と、魚介の香り立つつけダレ。
つけ麺の麺をすくってはつけ汁にくぐらせ、まるで何かを確かめるようにじっくりと食べていた。
「山口くん、つけ麺どう?」
「……冷たいのに、熱いです……」
「なに言うとん!?」
その時、カランコロンと店のドアが開く音が響いた。
「え?静?」
突然現れたのは、生徒会書記・静だった。彼女は勢いよく入ってきて、しおりの隣に座った。
「何してるの、君たち? ラーメン食べてるのかしら?」
「ラーメン食べてるに決まっとるじゃろ! テスト終わったし、今日はご褒美のラーメンじゃけぇ!」
しおりが得意げに答えると、静は少し驚いたように目を見開いてから、にやりと笑った。
「ふふん、じゃあ私は……」
静はメニューを眺めながら、決めたように言った。
「私は、特製チャーシュー麺をお願いします」静は、穏やかな声で注文した。
「それと、チーズのトッピングをお願いしますわ」
その言葉の響きに、周囲の空気が少しだけ緩んだような気がする。
注文を終えた静は、座席に背筋を伸ばして座り、ゆっくりと前を見る。
静が選んだのは、どこか品のある一杯。厚切りのチャーシューが美しく盛られ、透き通るスープの中に漂う香りは、誰もがその美味しさを想像させるものだった。
「さすが、静さん、ラーメンにもこだわりがあるんですね。」しおりが冗談交じりに言うと、静は軽く微笑んだ。
「そうね、私はは食事にも少しだけ『特別感』を求めてしまうの。」
静は照れた様子もなく、静かな自信を感じさせる声で答えた。
ラーメンが運ばれてくると、その美しさに誰もが息をのんだ。白い器に盛られたスープは、少しとろりとしていて、まるで高級レストランの一皿のようだ。浮かぶチャーシューは見事に整えられており、その厚さと色合いが、まるで食べ物でありながら芸術品のように見える。
「いただきます。」
静は静かに箸を取ると、ゆっくりとチャーシューを箸でつまんで口に運んだ。
旨味が口の中に広がり、彼は満足そうに目を細めた。
「このチャーシュー、柔らかいし、脂身も程よくて…素晴らしいな。」静の目が光った。
彼女はそのラーメンを、ただの食事としてではなく、一つの芸術として楽しんでいる。
その横で、しおりは少しばかり呆れ顔で見ていた。
「ほんま、静はラーメンまでおしゃれに食べるよね。」
「食事にこだわることも、また一つの芸術だと思いますの。」
静はニコリと微笑んで言った。その笑顔には、ラーメン一杯の選び方にも、どこか貴族的な品格が感じられた。
周りの三人も、静の食事の仕方に、少しだけ感心しながら見守っていた。
静のような存在が、ラーメン一杯をどう楽しむのか。
彼女の姿を見ていると、ただのラーメンが少し特別なものに感じられるから不思議だ。
「替え玉食べる!」
しおりが思わず声を上げた。
「え!? そんなに食べるの!?」
静は笑って肩をすくめた。
「まぁね、腹が減ってるし、気分転換だし。……二杯目、いただきます!」
しおりが再びラーメンを食べ終わると、満足げに椅子から立ち上がり、すぐにスタッフを呼んで「替え玉お願いします!」と頼んだ。
「えっ!? さっき食べたばっかじゃん!」
「まぁまぁ、テスト終わったからね。お腹が空いたの!」
「こ、こんなに食べるなんて……本当にラーメン好きだな」
その後、静も替え玉を楽しみ、店内はいつの間にか和気あいあいとした雰囲気に包まれた。
そして、ついに山口の様子が変わる。
「……あ、あれ、これって?」
山口が顔を輝かせて言った。
「実は、ここ、七杯替え玉すると無料なんですよ!」
しおりは目を大きく見開いて、驚きの声を上げた。
「まさか、あんた、そんなに食べる気か!?」
「はい、だって無料でラーメンが食べられるんですもん、遠慮しませんよ!」
そして、山口はなんとそのまま七杯目の替え玉を頼み始めた。
店内の喧騒が少しだけ静まり、玖郎が呟いた。
「裏切りのつけ麺が……まさか、こんな展開になるとはな。」
しおりは山口を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「山口……意外と、やるね。」
そして、三人はさらに盛り上がり、また新たな笑い声が響いた。
ラーメンをすべて食べ終えた後、しばらくの静けさが店内に広がった。
山口は満足そうにお腹をさすり、しおりは替え玉を食べ終わって、満足げに微笑んでいた。
店の外では、夕暮れの空がオレンジ色に染まり、忙しない街の音がかすかに聞こえる。
玖郎は黙々と水をすすりながら、ふと顔を上げて言った。
「…事件の味だな。」
しおりが振り向き、思わず眉をひそめる。
「は?なんなん?」
「この店のラーメンみたいなもんだ。」玖郎は静かに微笑んだ。
「最初はシンプルに見えても、すすればすすむほど、どんどん味が広がっていく。」
しおりがくすっと笑いながら言った。
「まさか、ラーメンで謎を解いた気分?」
「麺をすすりながら解く謎の味はなかなか美味だったぞ」
「なんなんそれ……こんなところでかっこつけるなや、玖郎。」
しおりは唇を尖らせながら、目を細めた。
「そんなセリフは、もっと他のところで使え!」
玖郎はその言葉に少し驚いたように笑った。
「だよな。どうせラーメンの味しかわかってないから、そんなの気にすんな」
しおりは鼻を鳴らして、手で顔を軽く覆った。
「ほんま、男ってつくづく面倒くさいわ…今度は他の店つれていってよね。玖郎のおごりで」
「なんでそうなるんだ」
「かっこつけるならもっとスイーツとかカフェとかさ…」
「いいですね。今度はスイーツいきますか!」
山口が絡んでくる。
しおりは腕を組みながら、少し照れた様子で言った。
「そ、そうじゃ!…別に、あんたと2人で行くなんかいってないけぇ!なんか特別なことを期待してるわけじゃないんだからね。ほんまに…」
そう言って、しおりはふんっと顔をそむけた。その頬がほんのり赤くなっているのを、玖郎は黙って見つめていた。
──「麺をすすりながら解く謎の味」は濃厚で、スープみたいに熱っぽくて。
でもどこか、ほんのり甘かった。
(この作品はミステリーもの。のはずです)




