番外編 後編~鉄板の戦場と、ホックのゆるみ~
──15分後。
「だめじゃ……ちょっと……苦しいかも……」
しおりの箸が止まっていた。
鉄板の上には、まだ半分以上の“特盛山盛りスペシャル”が鎮座している。
「ほら見たことか。ホックが今にも音を立てて“パキィッ”って言いそうな顔してるぞ」
玖郎が飲み物のストローをくるくるしながら言う。
「だ、だいじょーぶじゃけぇ……!ちょっと一時撤退じゃ!胃袋にもインターバルは必要なんよ!」
「一時撤退のたびにホックの危機が深まるシステムなんとかしろ」
「ていうか、もうミニスカのベルト……意味ない位置まで上がってきてません?」
山口が心配そうに、しおりのウエスト周りをちらりと見る。
「見んでええわ!」
バシィッ!とツッコミつつ、しおりは呼吸を整えた。
そして……机の下から、ごそごそと何かを取り出す。
「……まさか、秘策って」
「ふふっ。探偵七つ道具の一つ、“非常時用・予備ゴムベルト”じゃ!!!!」
ドヤ顔で掲げる、伸縮性バツグンの見た目が明らかにラクそうなアイテム。
「自作とはな!」
玖郎が笑いながら突っ込む。
「いつもギリギリで生きとるけえの、こういうの常備しとるんよ。……勝負はここからじゃけえ!!」
──秘策発動!しおり、再び戦場へ!
「よし、行くで!ソースの海を越えて、チーズの山を制するんじゃー!!」
「……もう何の戦いかわからないんですけど…」
山口がカメラを構えながら言った。
「これ、あとでしおりさんの“食レポ特集”として新聞部のコラムにしますね」
「やめぇやぁ!!」
――鉄板を囲んだ戦場にて、皆それぞれ箸を進めている。
香ばしい匂いが立ち上り、熱気と笑いがテーブルを包む。
各自お好み焼きととそれぞれ格闘中である。
「じゃ、そろそろ……俺の尾道焼、仕上げっと」
山口が立ち上がると、おもむろにバッグから*マイ・マヨネーズボトル*を取り出した。
「出たーッ!? 持参じゃあ!?」
しおりが驚いて身を乗り出す。
「しかもアレ、クルクルって文字書けるノズルついとるやつ…」
玖郎がじっと見つめる。
「これで“ヤ”って書くの、クセになるんだよね~」
言うが早いか、山口は“YMG”と鉄板に舞うように描きながら、お好み焼きにマヨネーズを回しかける。
「メイドカフェか!」
そして山口はおもむろに…しおりのお好み焼きにマヨネーズをかける。
しおりが箸で机をドン!と叩く。
「せっかくのうどん入りに……何を真っ白に塗っとんじゃ!
それはもう、粉もんへの*侮辱行為じゃろうが!!*」
「えっ、味変した方がよくないですか?家では普通にマヨネーズかけるんですけど」
「おみゃあの家庭の事情は知らんッ!!」
「な、なんか……思ったより熱いわね、しおりさん……」
静が少し引き気味につぶやく。
玖郎は黙って自分のそば焼きを一口食べると、ぽつりと呟いた。
「……お好み焼きでこんなに争う人間、久しぶりに見た」
山口が満足そうに自分の尾道焼き(マヨ持参)をかきこみ始めた頃、隣で静が小さな缶を取り出す。
「……では、わたくしも仕上げをいたしますわね」
トン、と缶のフタを開け、指先で優雅に振る。
舞う緑――青のり。
「ふふっ……この瞬間が、いちばん優雅ですのよ。香りが、鼻腔をくすぐって……ああ、わたくし、粉もんに生まれてきたかったですわ」
「そこまでは思わんかった」玖郎がつぶやく。
「ちょっと待て、静! 青のりそんな大量に振ったら――」
と、しおりが制止しようとするより早く、
──風が吹いた。
「くっ……ッ!」
しおり、反射的に目を閉じる。
「わっ……目がッ!」
玖郎が横に首を逸らす。
「……すごい、緑の霧……」
山口は無表情のまま、ほんのり青のりまみれ。
「わ、悪気はありませんのよ!?でもこの香り高い青のりこそが、私の“お好み焼きの仕上げの貴族的美学”ですもの……っ!」
「青のりで“美学”言うたの、人生で初めて聞いたわぁ!」
しおりが咳き込みながら叫ぶ。
山口が歯に青のりをつけたまま笑って言う。
「静さん、それもう“ふりかけ”じゃなくて“ぶちまけ”ですよ……!」
──ホックは締まらずとも、絆は固く。…なっていったのか…。
焼きあがる鉄板の音にまぎれて、
笑い声がぽんぽんと跳ねた。
玖郎は、ジュージューと焼ける音の向こうで、
しおりが山口の皿に箸を伸ばしてるのを、ちらりと見て。
(……いや、最初からそれ狙いだったろ)
そんな心のツッコミをしながら、彼もまたソースの香りに鼻をくすぐられていた。
「……ん、やっぱ鉄板の音って、戦場っぽい」
「……わたくしには、むしろ*静かなる決闘場*に見えますわ」
「……うちにとっちゃ、**戦と祝祭の境界線**じゃけぇ!」
玖郎がつぶやく。「なんのポエム大会……?」
そしてこの日、しおりのホックは──
ついに、その戦いを諦めた。
でもそれは、負けじゃない。
「まあ、*お好み焼きは別腹*じゃけえね」
そう言って笑うしおりを見て、玖郎は思った。
(やれやれ……また明日も、ホックが泣くな)
「そういえば、トイレ行ってる間に僕の尾道焼きが無くなってたんですが…」
──その帰り道。
夕暮れの商店街を歩くふたり。
「うぅ……歩くたびに胃袋が揺れるぅ……」
「そりゃあんなに食べればな。ホックどころか、ファスナーの精神も今ごろ限界突破してるぞ」
「……うち、ちょっと反省しとる」
しおりが、少しだけ小さな声で言った。
コンビニの明かりが頬に当たって、珍しくしおらしい表情をしている。
「ほう?めずらしいな」
「……好きな服、着たいじゃん。ミニスカもピアスもさ。なんかちょっと、玖郎の前やけんってのも……あるし」
「……え?」
「な、なんでもないっ!!!」
ぶんぶんっと顔を赤くして手を振るしおり。
その勢いでホックがぷちっと弾けそうになり、思わずスカートを抑えた。
「うぉわ!ここで脱落するなホック!最後の踏ん張りどころじゃけえ!!!」
「もはや人格宿ってないかそのホック」
玖郎は苦笑しながら、そっと自分の上着を脱いだ。
「ほら。これ、巻いとけ。風で飛んだら大惨事だからな」
「……え、あ、ありがと……」
ふわっと羽織られた制服のジャケットは、ほんのり玖郎の匂いがした。
顔をうつむけたしおりの耳が、夕焼けよりも赤く染まっていた。
──ホックと恋心、ゆるめるのはまだ早い。
──翌日。
お腹パンパンで昇天したしおりが、体育の着替えで“ホックが弾け飛ぶ事件”を引き起こしたのは、また別のお話である──。




