第2話~靴ファントム~
放課後の教室は、部活帰りの生徒の声と、どこか名残惜しげな夕陽の赤に染まっていた。
その静けさを破ったのは、ひとりの男子生徒の声だった。
「ヤバい……誰か、俺の上履き隠した!?」
悲鳴にも似た声の主――山本が、ロッカーの前でうろたえている。
「右足だけない!なんで!? おれ今日、体育館シューズも持ってきてないのに!」
教室にざわめきが広がる中――
「……事件の匂いがする!」
ぴたりと立ち上がったのは、制服の裾を無意味に翻しながら席を立つ男、「帰野玖郎」だった。
───人呼んで、「放課後探偵」。
眼鏡の奥の瞳に宿るのは、妙な輝き。
「これは黎進学園七不思議の一つ、“靴泥棒のファントム”……!」
「また始まったんか……」と、机に突っ伏したクラスメイト・福山しおりがショートボブのかき上げながらぼやいた。
ミニスカートに指定外のベルトを巻いているいつものスタイルだ。
玖郎は止まらない。
「七不思議その四――放課後、誰もいないはずの教室で靴が一つだけ消える怪異……!」
「それ都市伝説じゃし、去年は“消えたおにぎり”とかじゃなかった?」
「それも同一の存在による仕業だ。靴を盗む霊、それが“ファントム”! 人の足跡を記録し、模倣する――つまり、履かれることで存在をこの世に固定する、靴の呪霊!」
「人じゃなくて、靴の呪霊なん?」
しおりが机をばしっと叩くが、玖郎の推理は止まらない。
「見たまえ、ロッカーの前のこの足跡の乱れ……そして、わずかに引きずった跡!」
「それは山本くんが必死に探してた時のじゃろ?」
「いや、違う……この軌跡は不自然な角度で交差している……まるで、誰かの“もう一つの足”が割り込んだかのような!」
「三足歩行の霊なん?」
「つまりこれは“靴を失った霊の悲しみ”がこの場に痕跡として――」
「……あ、それ僕が間違えて履いて帰りました」
唐突に挙手したのは、クラスメイトの山口だった。
「え?」
「昨日、上履き間違えてて。山本のだったかも……ごめん、いそいでて。今日ちゃんと持ってきてる」
ごそごそとカバンから、やけにぺったんこになった上履きを取り出す山口。
「あ、俺のじゃん!」と山本がそれをひったくり、ほっと胸をなでおろす。
しおりがそっと玖郎の肩に手を置いた。
「玖郎。事件、終わったよ」
「……いや、終わっていない」
玖郎はそっと眼鏡を押し上げ、低くつぶやく。
「──それがトリックだとしたら?」
「またなん?」
「“なぜ”、山口は間違えて履いたのか。その背後には、黎進学園創立時の封印が関わっているのだ……!」
「関わってないじゃろ!?」
――果たして、くだらないはずの事件が、玖郎の妄想によって再び動き出す。
放課後の探偵劇、第2幕、ここに開演。
「つまりだ――これは偶然などではない。山口、お前が間違えて履いたことすら、“計画”の一部なのだ」
そう語る帰野玖郎の目は真剣そのもの。
傍から見れば、ただの空想癖の強い男子高校生にすぎない。しかし本人は至って真面目だった。
「……また始まったわ…」と、福山しおりはため息。
「山口。お前が上履きを間違えたその“瞬間”……何か奇妙な気配を感じなかったか?」
「え? いや、特に……あ、でも……なんか背中ゾワッとした気が……」
「やはり……!」
玖郎の目がギラリと光った。
「それが“靴ファントム”の接触だ」
「こじつけじゃろ…」
「靴は“足跡の記録媒体”だ。人間の歩いた歴史、記憶、行動――すべての情報を吸い取っている。そして、一定の条件が重なると……“過去の持ち主”の意識が呼び起こされることがある」
「え、どんな?」
玖郎は黒板の前に立ち、ひとつの図を描く。
【靴ファントム構造図】
(古代の足跡)→(現代の靴)→(人の記憶に干渉)
「つまり、この上履きは山本の足跡を吸収し、彼の“放課後のルーティン”を記録していた。だがそれを山口が履いたことで、山本の人格情報が一時的に“移植”されたのだ!」
「そんなんあったら靴脱げんようになるじゃろ!」
しおりの突っ込みも華麗にスルーし、玖郎は続ける。
「ここで思い出してほしい。“ファントム”の語源は、古代ギリシャ語の“ファントマ”……意味は“亡霊”!」
「なんか出典あやしいけど……」
「そして黎進学園が建つこの土地は、かつて“備後靴塚”と呼ばれた古墳群の跡地……!」
「そんな話初耳じゃけど!?」
「この地に眠る“足の記憶”が……今、現代の上履きを通じて蘇ろうとしている!」
「また壮大に広がったわあ!」
玖郎は教室の隅へ向かうと、ひとつの机の下にそっと手を差し入れた。
「見たまえ、しおり。ここに……白い粉がある」
「またチョークなん?」
「これは“踏まれた地霊”が宿る印……白亜紀の亡霊たちが、この上履きに憑依している証拠だ!」
「また白亜紀なん?」
その時だった。
廊下の窓が、カタン……と鳴った。
びくっ、と山本が肩を跳ねさせる。
「うわっ、今なんか鳴った……!」
「ついに来たか……“靴ファントム”!」
玖郎がすっくと立ち上がる。
「山口! その上履き……脱げ!」
「え? 今、履いてないけど……?」
「では、掲げろ!」
「えっ、こう……?」
山口が上履きを掲げると、夕陽の赤がその布地を照らした。
「しおり、目を凝らして見ろ。このインソールの擦り切れた文字……“M”と“Y”の文字が見えるだろう?」
「いや、たぶん“YAMAGUCHI”のロゴがすり減ってるだけじゃけど……」
「いや、それは“ムカデ”の封印名だ。古代備後王朝に伝わる、“多脚神・ムカージャ”の象徴……!」
「強引すぎるじゃろ……」
玖郎は黒板に踵を向け、掲げたチョークを天に向かって構える。
「この上履きに宿る霊よ……今こそその真名を明かせ!」
「やめーや、召喚すな!」
だがすでに、玖郎の妄想は教室という現実を超えて、時空の裂け目へと突入していた――。
「……現れよ、古代の靴霊!」
そう叫んだ帰野玖郎の背後で、黒板がギィィと音を立てる。風のような気配が、教室を駆け抜けた――気がした。
「……うわっ、なんか今、涼しい風きた……」
山本が顔を青ざめさせて言う。
「それが靴ファントムの“吐息”だ……」
「エアコンじゃろ、設定24度じゃけ!」
しおりが冷静にリモコンを掲げるが、玖郎のテンションはもはや神域に達していた。
「ムカージャ……それは、千年前、備後の地に君臨した“多足の神”。彼は千のサンダルを履き替え、時の王の夢に現れ、こう告げたという」
玖郎がチョークで黒板に不思議な図形を描き始める。謎の曲線、謎の矢印、そして何かを表す“ム”の字。
「“再び人が靴を履き違えしとき、我は蘇らん”と!」
「神様、器ちっちゃすぎない!?」
「その兆しが今……この上履き間違いという形で現れたのだ!」
「だから、山口が山本の上履きを履いたのが原因なんじゃろ! 出席番号近いし!」
しおりの鋭いツッコミが炸裂するも、玖郎はまっすぐ黒板に向かって呟く。
「ならば、儀式を行うしかないな……」
「いや、なんの?!」
玖郎は机の上に立ち、山口から受け取った上履きを頭上に掲げる。
「ムカージャよ……! そなたの封印を再び閉じるには、“履き間違えた者”自らが“正しき持ち主”の前で土下座し、返却の儀を執り行わねばならぬ!」
「えっ!? 僕、そこまでするの……!?」
「もうした方がええわ。それで気が済むんじゃろうが、ほれ、ぺこりして終わりじゃ!」
しおりが促すと、山口はやや照れながら山本に上履きを差し出した。
「ごめん……僕が間違えて履いてっちゃってた……」
「……ああ、いいよ。気づいてくれてありがとう」
山本が上履きを受け取り、ほっと息をつく。
その瞬間――
「……やった、封印完了だな」
玖郎が静かに言い放ち、教室に差し込む夕陽が彼の横顔を照らした。
「黎進学園に再び平穏が戻ったな……ムカーニャも、これでまた千年の眠りにつくだろう」
「…名前変わってない?」
しおりがため息をつきながら歩く。
「はぁ……まったく、なんなんその“靴ファントム”……。でも、玖郎の話、まあまあ面白かったけぇ、今日だけは許したげる」
「ふっ……“事件”は待ってるだけじゃ見つからない。“事件は見つける”ものなんだよ」
「いや、帰宅部やろあんた。早よ帰らんと日が暮れるで…」
「……おう、今日は晩ご飯に“ねぶとの唐揚げ”が出る予感がする!早く帰らないとな!」
「…アニメまでの暇つぶしじゃないん…?」
「!しまった!今日もメカメカ☆アイドルがあるんだった!」
……その背中に、夕暮れの風が優しく吹いた。
「放課後探偵、次なる事件に備えて!一時撤退!」
「いや、帰宅じゃろ…」
しおりのつっこみが、空に溶けていく。
今日もまた、ほんのささやかな「事件」と、果てしない妄想劇の一幕が、放課後の教室に咲いたのだった――。
次回予告(玖郎の妄想内)
「次なる事件は……“消えたプリントの謎”!?」
「その裏には、黎進学園を揺るがす“影の生徒会”の陰謀が……!」
「来週もお楽しみにっ!」
(なお、事件はだいたい3ページで解決します)