番外編 前編~眼福の向こう側~
俺、耐田忍は、福山しおり先輩の“隠れファン”である。
正確には、「見かけたらラッキー」くらいの、いわば“観賞用の推し”ってやつだ。学年もクラスも部活も違うし、喋ったことなんて一度もない。でも、廊下ですれ違えば一日ちょっとハッピー、購買で列がかぶれば心の中で「勝利」って叫ぶ、そんな存在。
あの「ドS」ってぽい雰囲気が俺の「Mっ気」をくすぐって堪らない。
そして、何がいいって、やっぱり“スタイル”だ。
ミニスカ。いや、もうミニっていうか、ほぼ“限界チャレンジ”。スカートのホックを外して、上からベルトで締め直してるって噂もある。あれは芸術。昇降口で階段を上がるその姿は、毎日が文化財。
いつか俺は、そっとつぶやいたことがある。
「……眼福、眼福」
となりにいた友人にドン引きされた。
そんな俺の、ちょっとした“趣味”がある。
それは、図書館裏のベンチから、しおり先輩が通りかかるのを“たまたま”眺めること。もちろん、ストーカーじゃない。ただの偶然。いや、ちょっとだけ意図的な偶然。
その日も、放課後にその場所にいた。
しおり先輩は、たいてい帰る前にあのあたりを通る。何の用があるのかは知らない。でも、今日はちょっと様子が違った。
ベンチに、しおり先輩が――座ったのだ。
俺は、あわてて身をかがめた。見つかったらまずい。
でも、そこで見たのは――いつものギャルっぽい笑顔じゃなかった。
彼女は、制服のポケットに手を突っ込んだまま、空をぼんやり見ていた。いつもの明るい茶髪が風に揺れる。ピアスがきらっと光る。
でも、顔はどこか――寂しそうだった。
「……ほんまに、これでよかったんかな」
小さな声が、風に流れて聞こえた。
「ミホ先輩、うち……ちゃんと、なれてるんかな。自分のままで、おれる人に」
……誰?
ミホ先輩って誰だろう。でも、その声には、あのしおり先輩が、誰かを想ってる気持ちが詰まっていた。
その瞬間、俺は知ってしまった。
――この人はただの「Sっぽいギャル」じゃない。
「自分でいる」ことを貫くために、笑って、派手で、堂々としてるんだ。
俺は、ちょっとだけ恥ずかしくなった。毎日「眼福」とか言ってた自分が…。
──その日の放課後。
昇降口で、偶然、しおり先輩とすれ違った。
「……!」
視線が合った。あぶない。逃げねば――
でも、しおり先輩は、にこっと笑って言った。
「ん? なんじゃ、じろじろ見て。ピアス、ぶち似合っとるじゃろ?」
初めて話しかけられた。
からかわれた。でも、それがちょっとだけ嬉しくて。
俺はたぶん、これからも隠れファンのままだ。
でも、今日からちょっとだけ違う意味で、しおり先輩を見ている。
“かわいい”だけじゃない、“かっこいい”人。
そう思ったら、ちょっとだけ、好きの形が変わった気がした。
……でも。
今日も、ベルトで面積の少ないスカートを“ホールド”してる……。
あの丈……あれは警告だ。俺みたいな者には、近づくなという神の啓示。
それなのに、俺はまた……見てしまう……。
(うぅ……眼福、眼福……っ)
昇降口の階段を、すれ違うしおり先輩。
ほんのり、薔薇の残り香が漂う。
そのたび、俺の中の何かが確実に“昇天”している。
(しおり先輩。堪りません。はあ……叱られたい……じゃなくて、いや、ちゃんと見守らねば……)
眼福、眼福――なんて言葉、声に出したら一発退場だ。
だから俺は、今日も心の中で唱えるだけ。
昇降口の階段。見慣れた景色のはずなのに、彼女が通るとそれだけで違って見える。
福山しおり。
成績上位、自由制服枠の女王。ミニスカートにベルト、片耳のピアス。
ギャルっぽいけど、成績表は常に上位。
本人曰く「バカじゃけど、要領ええだけ」。そんなところも、正直ずるい。
俺は、ただの一年男子。
教室の隅にいるモブ男子。
ただ、毎朝しおり先輩が昇降口を通る時間になると、ちょっとだけ足を止める。
「……あ、今日もスカート短い……。今日はベルトまで花柄かよ……Sっぽい雰囲気…最高です……」
誰にも聞こえない声でそう呟きながら、俺は目を細めて彼女の後ろ姿を見送る。
これは別にやましい気持ちとかじゃなくて――あくまで、観察だ。たぶん。
──ある日。
たまたま図書室の前の渡り廊下で、しおりが一人で座っているのを見かけた。
足を投げ出して、制服の袖でそっと目を押さえていた。
――泣いてる?
信じられなかった。いつも堂々として、誰にでもフランクな彼女が、そんな顔をするなんて。
そっと近づいてみようとしたけど、その瞬間、彼女が顔を上げた。
「……あ、誰かおるの?」
どきりとする。見つかった。俺は逃げるタイミングを失って、ただそこに立ち尽くす。
「君か……まあええわ。うち、別に泣いとらんけえ」
そう言って、しおりはふっと笑った。
その笑顔は、朝の昇降口とは少し違っていた。
どこか――弱さを隠す、強がりのような。
その日から俺は、ただの“ファン”じゃなくなった気がする。
スカートの丈より、ピアスの色より、
彼女の、ほんの少し揺れる心の奥を見てしまったから。
(しおん先輩のベルトになりたい)
と、Mっ気を発動する耐田だった。




