番外編 中編 ~誰がために花は咲いている~
――自由って、なんなんじゃろうね。
中学二年の終わり頃、しおりはそんなことを考えていた。
広島の片隅の、中高一貫の中学。制服のスカートは膝下、靴下は白指定、髪の色も染めてはだめ。
校則の話なんて今さら退屈だったけど、誰かが破ると、先生もクラスもやたら騒いだ。
しおりはめんどくさいのが嫌で、ずっと「普通」でい続けた。
「ふつう」であることは、楽だった。でも、それは誰かが決めた「ふつう」だ。
うちが選んだわけじゃない。
――自分らしく、なんて、なにをどうすりゃええんよ。
そんな言葉は、まるで他人事だった。
だけど、心の奥ではずっと、誰かの真似ばかりしている自分に、少しずつ息苦しさを感じていた。
ある日、放課後の図書室で、小さな銀のピアスを拾った。
それは、高校の先輩――ミホ先輩のものじゃった。
茶髪にゆるい巻き髪。ネイルはピンクで控えめに光って、制服の着崩し方も絶妙。誰が見ても「ギャル」、だが、成績はいつも学年トップ。先生ですら強く言えないような、堂々とした人だった。
正直、しおりは、こっそり憧れていた。
ピアスが許されてるのは限られてる。
成績優秀な生徒だけ。
「これ、落としましたよね?」
しおりが差し出すと、ミホ先輩はふっと笑った。
「おー、ありがとう。……片方しか残ってなかったけぇ、もう諦めとったんよ」
「これ、高そう……」
「ううん。ピアスって、最初は自分のために買うもんじゃけ。あんた、耳、開ける勇気ある?」
「……わからないです」
「なら、これあげる。片っぽだけじゃけど。
うちも最初、ピアスって“自分にウソつかんための証”みたいに思っとったけぇ」
しおりは、そのピアスを受け取った。
それから何度も鏡の前で、耳にあててみた。でも、開ける勇気は出んかった。
それでも――そのピアスは、「変わってええ」と背中を押してくれた気がした。
「自分を選んでええんよ」って、そう言ってもらえたような。
そして、高校に入ってから思い出す。
黎進高校の「成績トップなら服装ある程度自由」の校則。
そのとき、あの銀のピアスのことを思い出した。
――やっと、このピアスをつけてもええ場所に来たんじゃ。
しおりは、本気で勉強した。成績トップになるのは、自由を得るための挑戦じゃった。
自由は勝ち取るもの。堂々と、胸張って、自分の服を着るために。
やがて成績が上位に入り、彼女の制服は変わっていく。
スカートは一折して、ベルトでキュッと留める。クリップ式のピアスを片耳にだけつけてみた。
鏡に映る自分は、まだどこか不慣れ。でも、少しだけ憧れの“ミホ先輩”に近づけた気がした。
でも“あのピアス”だけはまだつけれずにいた。
「なあ、しおり」
帰野玖郎が言った。
「その服装、校則的にアウトじゃないのか?」
しおりは笑った。
「うち、トップにおるけぇ」
「ほう……そういう仕組みか。しかし、なぜそんな面倒なことを?」
「面倒じゃけど、気分がええんよ。
これはうちのための服。……誰かに憧れて、でも、今はちゃんと“うち”として着とるけぇ」
ふと、耳に触れる。あの銀のピアスは今でも、引き出しの奥にしまってある。
まだ開けてないけど――いつか本当に“うち”になれたら、そのときこそ、つけてみよう。
自由とは、誰かに教えられるものじゃない。
でも、その最初の一歩をくれた人が、おった。
だからしおりは、今日も自分で服を選ぶ。
――これが“自分らしい”かどうかなんて、まだようわからん。
でも、自分で選んだんなら、堂々とすればええんじゃ。
ただのギャルじゃない。
“しおりという名前の制服”を、彼女は着た。
──うちは、うちが好きな恰好しとるだけじゃ。
玖郎は目を細める。
「なるほど、自由とは自己満足の追求でもあるというわけか」
「なんかようわからんけど、たぶん合っとる。うちは、“自分を楽しみたい”だけじゃけぇ」
傍で聞いとった山口が、ぽつりとつぶやいた。
「しおりさん、かっこいいっすね……」
「なんで小声なんよ。はっきり言わんかい」
「いや、なんか……照れるんすよ」
廊下を歩くしおりの姿は、制服というルールの中に、自由を描いている。
それは、ルールを破ったわけじゃない。
ルールを知った上で、自分の“色”を混ぜているだけ。
しおりは、憧れを捨てたわけじゃない。
そして、今もそれを心のどこかにしまっとる。
「わたしは わたしを 選ぶ」
――それが、彼女が自由を手にした理由。
今日もしおりは、ホックを通さずスカートの上からベルトを締める。
自由とは、選ぶこと。
そして、それを楽しむこと。




