第20話~山口に彼女の予感~
「最近、友達ができたんすよ」
昼休み、教室で何気なくそう呟いた山口の一言に、玖郎の眉がぴくりと動いた。
「……何だと?」
「えっ? だから、友達ができたって──」
「まさか……恋人か?」
「えっ、いや、そこまでは……」
(だが、その顔つき……まるで何かを隠している。照れている……!?)
玖郎はぐいっと山口に詰め寄った。
「隠しても無駄だ、山口! 恋人ができたな!? 誰だ! 相手はどこの誰だ!?」
「いやいや、マジで違うんすけど……!」
玖郎の瞳はギラリと光っていた。
(放課後、尾行だ……!)
──放課後。校舎裏の裏庭。
静まり返るその場所で、山口はしゃがみこみ、何かに話しかけていた。
「今日はサバの味噌煮っす。味が濃いから、こっちは水で少し流したやつ……〇おん、塩分には気をつけるっすよ」
優しい声。差し出されるタッパーのおかず。
玖郎は遠くの木陰から、固唾をのんで見つめる。
(なんだあれは……!? まるで、誰かの髪を撫でるような……いや、まさか!)
山口の手が、白いふわふわとした“何か”の頭を撫でている。
「……どしたの?」
突然、後ろから声がした。
玖郎が振り返ると、そこには福山しおりが立っていた。
「なに、尾行しとん……?」
「静かに! 今、重大な恋愛スキャンダルが発覚しかけている!」
玖郎は指を山口の方へ向けた。
「見ろ、あの様子……! 優しく手を添えて、相手の髪を撫で……それに“いおん”と呼んでいる……!」
「え、“いおん”!? えっ、それって──」
しおりの視線が、山口の手元の白い影に向かう。
「にゃーお」
そこには、ふわふわの白猫が、満足そうに身を丸めていた。
「……猫なん?」
「え?」
「うち、あの子見たことあるよ。名前、“しおん”って言うんじゃね」
「……しおん」
玖郎が繰り返したその名前に、いおんが小さく反応した。
いつの間にか、いおん本人が参加していた。
「……なに? なんで私の名前?」
「いや……さっき、玖郎が“いおん”って……あれ? もしかして、しおんといおんを……?」
しおりが吹き出した。
「もしかして、“しおん”を“いおん”と聞き間違えて、恋人やと勘違いしとったん?」
玖郎は顔を真っ赤にして立ち尽くす。
「……ち、違う! 最初から猫だとわかっていたさ。これはあくまで、確認のための尾行で──」
「顔が真剣やったし、手帳に“恋の相手は白い”とか書いとったじゃろ」
いおんはふっと笑いながら言った。
「でも、うれしいかも。そんなに気になる存在に思われてたんだね」
「……ぐ、偶然の誤解だ」
「うちも、ちょっと気になっとったけえ。山口が“しおん”って言うけえ、てっきり……」
しおりは肩をすくめて笑う。
山口はそんな一同に気づいて、白猫を撫でながら言った。
「紹介しとくっす。この子が、オレの友達、“しおん”っす」
白猫のしおんは、ふわっと尻尾を揺らしながら、三人を見上げた。
どこか人懐っこい目をしていた。
「なるほど…つまり、“しおん”とは、君が毎日えさをやっていた白猫。白く柔らかな毛並みに、優しい声で語りかけ、まるで恋人のように──」
「そこまで言わんでええわ!」
しおりがツッコむ。
山口は頬をかきながら、猫のしおんに目をやる。
「出会ったのは夏の終わりくらいっすかね。最初はこっち見ても逃げてたんすけど……、ちょっとずつ距離が縮まって、今は毎日来てくれるっす」
玖郎は真顔でうなずく。
「……つまり、山口は“信頼関係”を積み重ねていたわけか」
「いや、別にそんなドラマチックな話では……」
「むしろお前が最近、妙に“達観してた”理由が分かったよ……! すでに癒やしを得ていたとはな……!」
「いやいや、たかが猫っすよ!?」
しかし玖郎の目は真剣そのものだった。
「山口……猫は“たかが”ではない。“無償の存在”だ。気まぐれで、わがままで、それでいて必要なときには寄り添ってくれる。──それは、ある意味、人間以上に人間らしい……!」
「なんの話っすか……」
その場に、しばし沈黙が降りた。
だが夕焼けに照らされた四人と一匹の表情は、なぜかすこし柔らかく見えた。
しおりが小さく息をつき、ふと山口に聞いた。
「なあ、その子……“しおん”って名前、どうしてつけたん?」
「えっと、最初“しおりさん”のこと思い出してつけたっす。それと、“いおんさん”。なんか白くて、すんとしてて、ちょっと気が強そうで……2人の名前を合わせました」
「……あんた、けっこう失礼なこと言いよるな」
でも、しおりといおんはその口元をかすかに緩めた。
「ま、ありがと」
山口はぽかんとする。
玖郎は気づかぬふりで、空を見上げていた。
「……さて。猫に先を越されたわけだが」
「は?」
「いや、何でもないさ。今日も平和だな」
玖郎は背中を向け、ゆっくり歩き出す。
その背にしおりが軽くツッコんだ。
「どの立場やねん、あんた!」
──放課後の校舎裏。
今日も一匹の白猫が、淡いピンクの首輪を揺らしながら、静かに去っていった。
──帰り道。
玖郎は並んで歩くいおんに、ちらりと目をやる。
「……あの猫、なかなか賢そうな目をしてたな」
「ふふ、ライバル視してる?」
「……いや、僕はただの探偵だから」
「でも、“しおん”の名前、しばらくみんな間違えそうだね。“いおん”って」
いおんは、どこか楽しげに笑った。
玖郎は目を伏せて、少しだけ微笑んだ。
「……君の名前は、そう簡単には間違えないよ」
夕暮れの中、白猫“しおん”は遠くからその姿を見送っていた。
その目には、どこか誇らしげな光があった。
(それからというものしおんは帰宅部のメンバーが交代で餌やってます)




