番外編~しおりの詩~
黎進高校・放課後。春霞がかった空に、うっすらと夕日がにじむ頃。
帰宅部の部室では、今日もいつものように、玖郎の声が響いていた。
「今日も異常なし。世界は俺に謎を与えぬか……」
「与えたところで、無駄に膨らませるだけじゃけん」
チョコ棒をかじるしおりが、呆れたように返す。
「だが、しおん。平穏の中にこそ、真実は潜むもの。いつ何時、夜鷺が新たな事件を運び込むか――」
ガララッ。
「……失礼、ちょっとこれを見てほしくって」
図書室帰りの夜鷺いおんが、静かに現れた。
「おっと、来たな。今日も“奇妙な事件”の香りがするぞ……!」
玖郎が椅子ごとクルリと回転する。
「ちがいます。ただ……」
いおんは小さく笑い、手にした一冊のファイルを取り出した。
「これ、図書室で見つけちゃって。しおりさんの名前があったんです」
表紙にはこう書かれていた。
――《黎進高校 文芸作品集(非公開)・令和7年度》――
しおりの手がピクッと動く。
「ま、まさかそれ……」
顔が一気に赤くなる。
いおんは、少し微笑んだ。
「“春にとける雪のように わたしの心が透明になる”」
そっと一節を読み上げた。
「詩、書いてたんですね、しおりさん」
「やめぇぇぇぇぇえええ!!」
部室中に響く叫び。
「お願い、いおん、他言無用じゃけん! 玖郎には絶対言わんといて!!」
「……いや、もう聞こえとるぞ」
しおりは真っ赤になり、頭を抱えた。
「なんで……よりによって、いおんに見つかるんよ……!」
「しおりさん、意外と乙女なんですね」
「乙女って言うな! 若気の至りじゃけん! 黒歴史の極みなんじゃけん!!」
──そんなことがあってから。
それからしばらく、しおりは不機嫌だった。
いおんに話しかけられても目を逸らし、玖郎の暴走にも付き合わず、珍しく新聞部の活動にも身が入っていなかった。
玖郎が眉をひそめた。
「……しおり。どうした。君らしくもない」
「ほっといてくれや。……ああ、全部、詩のせいじゃ」
「詩……?」
玖郎の瞳が一瞬だけ輝く。
「まさか……呪われた詩集に触れて、精神的に蝕まれて……!」
「そういう話じゃない!」
バシッ、といつものようにツッコミが入るが、力が弱い。
「……なあ、玖郎。あんた、なんで“推理”ばっかしとるん?」
「……ふむ。良い質問だ」
玖郎は少し考えたのち、真面目な顔をした。
「俺は、物事の裏側を見るのが好きなんだ。目に見えることだけじゃ、人間はわからん。だからこそ、探りたくなる。……真実をな」
しおりはその言葉に、どこか納得したようにうなずいた。
「うちも、そうかもしれん。……あの詩を書いたときのこと、ちょっと思い出したけん」
──中学の卒業間近。
しおりは、誰にも本音を言えなかった。
そんなある日、担任の先生が何気なく言った。
「書きたいことがあるなら、書いてみたらどう? 誰に見せるわけじゃない、自分のための言葉でいいのよ」
その言葉が、しおりを変えた。
クラスで孤立していたわけじゃない。成績も悪くなかった。けれど、どこか「自分じゃない自分」を演じていた日々。
そのもやもやが、言葉になった。
――“春にとける雪のように わたしの心が透明になる”
たった一行。それが、しおりの“始まり”だった。
そして高校に入って、「言葉で何かを伝える」新聞部に入ることを選んだ。
「だから、あの詩は、うちにとって……恥ずかしいけど、大事な一歩なんよ」
玖郎は、珍しく黙ってうなずいた。
山口が呟いた。
「……あ、これ続編がありますよ」
山口が、さらにページをめくっていた。
「“雪がとけても 心はまだ春を知らない”」
また一節を読み上げる。
「……やめぇやぁ!!!」
しおりが再び叫ぶ。
「ほんま、いおん、お願いやけん! もうそれ以上読まんで! 許してえぇえ!」
「でも……わたし、好きですよ。この詩。……すごく、優しい」
いおんの言葉に、しおりはまた少し赤くなった。
「……ばか」
その日、しおりは新聞部の作業ノートに、久しぶりに手書きでこう書いた。
『伝えるって、勇気がいる。でも、勇気の先に、誰かがいる。』
玖郎はそれを背後から見て、そっと頷いた。
「……君は、今日も、真実と向き合っているのだな」
「だから解説すな!」
「ふふ……でも、ちょっといい話でしたね」
夕日が差し込む部室に、照れ隠しの笑い声と、あたたかい空気が漂っていた。
今日もまた、黎進高校・帰宅部に、小さな“真実”がひとつ、積み重なった。




