第1話~消えたチョークの謎~
放課後の教室には、いつもと変わらないぬるい空気が漂っていた。
窓の外には西日。チャイムの余韻がまだ残っている。
誰かが机に突っ伏して寝ている。誰かはおしゃべりを続けている。
そして、俺――帰野玖郎は、今日も静かに事件を待っていた。
「さて、今日はどんな謎が俺を待っているのか…」
机に片肘をつきながら、俺は鋭く教室を見渡す。
そして…気づいた。黒板の上。チョークが――一本、足りない。
「事件の匂いだ…!」
がたん、と椅子を引く音が教室に響いた。
周囲が一瞬ざわつくが、すぐに「ああ、またか」という空気になる。
なにせ、俺が騒ぎ出すのはいつものことだからだ。
「玖郎…今度はなにが“事件”なんだ…」
男子の一人があきれ顔でこっちを見ている。
「見ろ、チョークが一本、消えている」
俺は黒板の上を指差した。
「これは、偶然ではない」
「ただ落ちただけで…」
「いや、落ちていたら床にあるはずだ。しかし、床にもない」
「……」
「つまり、誰かが意図的にチョークを――消した」
「“消した”? チョークを? どうやって?」
しおりが割り込むように入ってきた。
福山しおり──俺のクラスメイトで幼なじみだ。
しおりはショートボブの明るい茶髪をかき上げながら、席から立ちあがった。
さっきまで寝てたのだ。
制服は緩くダボっと着ている。
ネクタイはちょっとだけゆるめている。
指にはシンプルなリング型の文具アクセ、ネイルはほんのりピンク、耳には花の形のピアス、薔薇の形のネックレス。
目尻にはきらりと光るラメが少し仕込まれていて、元々のちょっとキツメな目鼻立ちをさらに際立たせている。
腕にはシルバーのリングのアクセサリーを付けている。
動くとじゃらじゃらいいそうだ。
スカートはホックで留めず、上から学校指定外ベルトで留めて、短くしている。
香水は薔薇の香がお気に入り、だそうだ。
しおりがどこか垢抜けて見えるのは、もともとのルックスとまとう雰囲気のせいだろう。
見た目はすこし派手で、きつい感じはある。
いわゆる、ギャルというカテゴリーに属する。
でも、近寄りがたいという雰囲気はない。
彼女の派手な雰囲気すら、彼女の明るい笑顔に溶け込んで自然だった。
元々の、人なっこい性格のせいもあるのだろう。
本来なら“近寄りがたい”と感じるはずの外見なのに、なぜか“親しみがある”。それが、福山しおりという存在だった。
こんな見た目だが、根はまじめで、成績は学年上位を常にキープ。
校則違反の制服がある程度許されるのは、成績が学年トップからという理由、らしい。
部活は新聞部という意外な面も持っている。
面倒見もよい。
「あっ、福山さん……えっと、その……」
クラスメイトが目をそらす。
それもそのはず。彼女は可愛い。
正直に言えば“ちょっと派手”で“目立つ”。
クラス、いや、学年、いや、学園中でも人気が高い、らしい。
隠れファンなる存在も多数。
そんなことを知ってか知らずか、しおりは決して浮ついた印象ではなく、周囲に明るさをもたらすような華やかさがある。
クラスメイトの多くが「話しかけてみたいけどちょっと緊張する」と感じる存在だ。
彼女は新聞部のしっかり者で、俺の数少ない理解者――ではない。
どちらかというと、専属ツッコミだ。
「玖郎、それただのチョークじゃろ? 一本くらいで事件なん…?」
「いや、しおり。これはただのチョークではない。白だ」
「チョークって、だいたい白じゃろ?」
その瞬間、ガラッと教室のドアが開いた。
ひょこっと顔を出したのは、掃除当番だった山口だ。
「すみません、それ僕が落としました」
「え?」
教室中が一瞬で静まり返る。
山口は何事もなかったかのように続けた。
「掃除中に黒板消してたら、上から転がって落ちちゃって。
で、なんか粉まみれだったし…捨てちゃいました」
「……」
「……」
「……え、事件…終わり?」
しおりが小声で言った。俺は黙って山口を見つめる。
彼は無邪気に言う。
「ほんとにすみません、なんか大事なやつだったんですか? チョーク…」
「………」
俺は、机に手をつき、静かに、そして深くうなずいた。
「いや、違うな。これは始まりに過ぎない…!」
「いや終わりじゃろ?今ので!解決したじゃろ!?」
──山口の「僕が落としました」の一言で、全ては終わったはずだった。
だが。
「──それがトリックだとしたら?」
俺は教卓に置かれたチョークを睨みつけた。
「いや。ないけぇ…」
しおりは、一瞬真顔になったが、あきれている。
「何かがおかしい。あまりに出来すぎている。これは“事件を終わらせようとするための偽装”かもしれない」
「ねぇ、玖郎?」
しおりが額に手を当てる。
「どうしてわざわざそんな面倒なことを山口くんが?」
「そこがポイントだ、しおりくん!」
俺は勢いよく黒板を指差す。
「このチョーク……通常、学校で使用されるのは“標準型白チョーク”だ。しかし! 見たまえ、このチョークの断面、通常より1ミリ細い!」
「知らんしぃ!」
「つまりこのチョークは、外部から持ち込まれた特注品の可能性がある」
「ないけぇ!」
しおりの突っ込みも虚しく、俺の妄想列車は全速前進だ。
「これは“誰か”が、学校の中に自分の存在を残そうとした痕跡だ。しかも、白チョーク。これは“無垢”“純白”を意味する。つまり――」
「チョークにそんな意味ないじゃろ!?」
「これは――そう、“メッセージ”だ」
「おお……」
後ろの席で見ていたクラスメイトが感心したふりをする。
「メッセージってことは……」
しおりも乗ってきたように見せかけて、ぼそっと言う。
「何も役にも立たないやつじゃあ」
「黙って聞いていろ、助手くん」
俺は机の引き出しから、謎のノートを取り出す。中にはびっしりと、過去に“未解決事件”として勝手に分類した内容が書き込まれていた。
「これはな……過去のチョーク消失事件の記録だ」
「過去にもあったん!?」
「……」
「作ったん?」
「ちなみに全102件」
「金〇一なみじゃあ!」
俺はノートを掲げる。
「この事件の裏には、“黎進学園の七不思議”のひとつ、“チョーク男”の存在があるのではないか…?」
「聞いたことないが?」
「この男、どこにでも現れてはチョークをひとつだけ持ち去る。通称、“ホワイトジャスティス”。目的は不明。ただし、目撃談によると彼は全身真っ白なジャージを着て、いつも鼻歌を歌っていたという……」
「それ山口くんじゃないん?」
「ちがう。これは“伝説”だ。つまり、都市伝説に繋がってくる」
「いや、繋がらんじゃろ…」
──と、ここまで来て山口がそっと手を上げた。
「あのー、ほんとに僕が掃除中に落としただけなんですけど」
「黙ってろ、“チョーク男”!」
「えぇ……!?」
「チョーク男の伝説……それは、黎進学園に古くから伝わる七不思議の一つ。彼は、放課後の教室に現れ、必ず一本のチョークを持ち去るという……」
「いや、そんな話聞いたことないんよ!」
しおりが即座に突っ込む。
「それもそのはず。この伝説は、選ばれし者にしか語られないからだ」
「選ばれし者って誰なん?」
「……」
「…自分なん?」
俺は黒板に残されたチョークの粉を指でなぞりながら続ける。
「見たまえ、この粉の散らばり方……まるで、何かの暗号のようだ」
「ただの掃除の跡じゃないん?」
「いや、これは“白亜紀の暗号”だ!」
「話が壮大じゃろ!」
「チョークは石灰岩から作られる。石灰岩は、白亜紀の海洋生物の死骸が堆積してできたもの。つまり、このチョークには、太古の記憶が宿っているのだ!」
「無理やりすぎるじゃろ!」
その時、教室の隅で何かが光った。
「おや? あれは……」
俺は近づいてみると、そこには小さなメモが落ちていた。
「これは……“チョークを返せ”と書かれている!」
「誰かの落書きじゃね?」
「いや、これは“チョーク男”からのメッセージだ!」
「もういい加減にせぇや!」
しかし、俺の推理は止まらない。
「このメモの筆跡……どこかで見たことがある。そうだ、これは藤井先生の字だ!」
「えぇ!? なんで先生なん!?」
「藤井先生は、かつて“チョーク男”を追っていた探偵だったんだ!」
「そんな設定いつできたんかな!?」
「そして、彼は“チョーク男”を追うあまり、自らが“チョーク男”になってしまった……」
「意味わからんしぃ!」
その時、藤井先生が教室に入ってきた。
「おい、何を騒いでいるんだ?」
「先生! あなたが“チョーク男”だったんですね!」
「は?」
「このメモの筆跡は、先生のものです!」
「それ、俺が授業中に書いた注意書きだぞ」
「え?」
「“チョークを返せ”ってのは、お前らが勝手に持ち出すから書いたんだ」
「……」
「それに、チョークがなくなったのは、山口が掃除中に落としたからだろ?」
「……」
「もう帰れ」
「……」
「チョーク男の伝説……それは、黎進学園に古くから伝わる七不思議の一つ。彼は、放課後の教室に現れ、必ず一本のチョークを持ち去るという……」
「また……あきれたわぁ」
俺は黒板に残されたチョークの粉を指でなぞりながら続ける。
「見たまえ、この粉の散らばり方……まるで、何かの暗号のようだ」
「じゃけぇ、ただの掃除の跡じゃないの?」
「いや、これは“白亜紀の暗号”だ!」
「また恐竜時代なん?」
「チョークは石灰岩から作られる。石灰岩は、白亜紀の海洋生物の死骸が堆積してできたもの。つまり、このチョークには、太古の記憶が宿っているのだ!」
「また??」
その時、藤井先生が言った。
「もう帰れよ…」
「……はい」
「……ということで、落ちてたチョーク、僕が捨てました」
山口の一言で教室は静まり返る。
しおりがそっと俺の肩に手を置いた。
「玖郎。事件、終わったよ」
だが俺は――微笑んだ。
まるで、すべてを見通したような顔で。
「……終わっていない」
「は?」
「確かに、物理的にチョークは山口が落とした。だが、問題は“なぜ”彼がそのチョークを落とす羽目になったのか、だ」
「深読みが過ぎん?」
俺はくるりと教室を歩き出す。背後で、山口が戸惑っていた。
「えっと……落としたっていうか、あの時、なんか、背後に気配を感じたんですよ……」
「ほう、気配?」
俺の眼が光る。
「つまり……君は“見た”んだな?」
「え、いや……?」
「“奴”を!」
「誰!?」
俺は黒板をばしんと叩いた。
「“儀式”が行われた形跡がある」
「ないじゃろー!!」
「いや、見たまえしおり。この粉の舞い方、不自然だろう?」
「掃除で舞っただけじゃね!」
「この教室には、黎進学園に伝わる“封印の儀”の痕跡がある……」
「それ初耳なんよ!?」
俺は静かに教室の隅に歩き、古ぼけた机を一つ叩く。
「この机、少し古い。黎進学園創立当初のものだ。つまり、昭和初期の遺物……!」
「いや、わりと最近のやつじゃろ……」
「そして、その時代、伝説の教師がいたという話を知っているか?」
「知らないけど?」
「通称、“チョークの鬼”と呼ばれた教師……名を、鬼松重彦!」
「鬼松誰なん?」
「鬼松は、生徒に恐れられていた。しかし彼にはもう一つの顔があった。“文字に魂を宿す術師”……つまり、文字を書き残すことで世界の理を操る“黒板呪術師”だったのだ!」
「もう完全にライトノベルじゃろ?」
「鬼松が残した最期の呪文、それが“白チョークを封印せよ”――。この儀式は、50年の時を経て、今日ここで再び発動されたというわけだ!」
「じゃけぇ、山口が落としただけじゃろ?」
「その行為こそが、“封印の再開”だ!」
「意味わからんしぃ!!」
それでも、俺の頭の中では完全に整合性が取れていた。
山口の気配→チョーク落下→白亜紀由来の呪い→鬼松の伝説→儀式の痕跡→世界再構築の前触れ。
完璧な推理だ。
その時、廊下でがらりとドアが開き、見慣れた姿が現れた。
「おい、お前ら、まだ帰ってなかったのか」
――松永先生。体育教師、筋肉担当。
俺は彼に鋭い視線を送った。
「松永先生……あなた、“鬼松”の後継者ですね?」
「…苗字がちょっと被っとるけど?」
しおりがつっこむ。
「いや、知らんし」
「では、なぜあなたの教壇のロッカーに、古びた“墨壺”が隠されていたのか!」
「それ美術部の備品な」
「“書”と“術”……芸術部門と呪術部門、同根だったのか……!」
「ちがうじゃろ!」
だが、もう俺の中ではすべてが一つに繋がっていた。
「今宵、我々のいるこの教室が、“転写の儀式”によって時空を超える! 白チョークは鍵だ。過去と未来を繋ぐ、“最後のクレヨン”!」
「チョークじゃろ!」
しおりが、机に突っ伏してうめく。
「……もうダメじゃあ……玖郎が止まらん……」
俺は黒板に向かい、静かに一本のチョークを手に取った。
「この一本で、真実を記す……!」
「先生、そろそろ止めてぇや!」
松永先生がため息をついた。
「お前さ、早く帰れ。アニメ始まるだろ」
「!!」
そうだ、今日は俺の愛する「機動戦記メカメカ★アイドル」の放送日――!
「やばい、もう17時55分!」
「それどんなアニメなん!?」
「しおり! 事件は未解決のままだが、俺は帰る!メカメカが俺を呼んでいる!!」
「やっぱりその程度なん!?」
俺は風のように教室を駆け出し、夕暮れのグラウンドを走る。
「今日も、なんとか持ったな……だが、それが放課後の暇つぶし(ロマン)ってやつだ!」
――そしてその日もまた、何も解決せず、事件も存在せず、ただ放課後だけが過ぎていった。
(事件は大体、3ページで解決します)