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第13話~カツの亡霊~

 プレミアムかつ丼事件が終わって数日。

 あのカツをめぐる騒動の熱気もようやく冷め、俺は「今度こそ平穏な日常が戻ってくる」と期待していた。

 ……甘かった。


「ねぇ玖郎、また変な噂があるよ」


 新聞部の福山しおりがそう言ってきた時点で、嫌な予感はしていた。

 だが予感は、期待を裏切らない。


「夜の学食からね、“ジュウゥゥ……”って揚げ物の音が聞こえるんだって」


「……ほう?」


「しかも、カツの匂いもするらしいのよ!」


 それ、完全に“かつ丼事件”の続編じゃないか。

 なぜ俺の生活は、カツに取り憑かれているのだろう。


「その話、誰が言い出した?」


「んー、クラスの女子。なんか部活帰りに通ったら聞こえたんだって。音と、匂いと……あと、気配」


「気配まで出たら、もう妖怪じゃないかそれは」


「……つまり、カツの亡霊ってことかも!」


 ニコニコしながらそんなことを言うしおりに押し切られる形で、俺はまたしても放課後の学校に残る羽目になった。

 もちろん、目的地は“学食”。


 放課後の学食は、いつもと違う顔をしていた。


 誰もいないはずの調理場から――たしかに聞こえる、“ジュウゥゥ……”という音。


 それは、油のはねるような、生きている火の音のような。


 俺としおりは、息をひそめてカウンターの隙間から奥をうかがった。


「やっぱり聞こえるじゃろ、玖郎」


 しおり――新聞部のギャルであり、僕の勝手に相棒ポジションを気取っている彼女は、目をキラキラさせながら言った。ショートボブとほんのりバラの香りが漂う。


「これはもう、カツの亡霊にちがいないけぇ!」

 と、言っているが、内心はびくびくしていそうな雰囲気がある。

「そもそも“カツの亡霊”ってなんだよ……」


 僕は思わずツッコミを入れる。が、確かに気配はある。


 この場所に、人の気配が――


「……やっぱり」


 ふいに、調理場の奥から人影が現れた。


 そのシルエットは、俺の記憶に鮮明だった。


 あの髪、あのヘアピン、あの地雷系ファッション。



「……おまえか、夜鷺いおん」


 俺がそう言うと、いおんはびくっと肩を震わせた。



「や、やっぱり……あのカツ……忘れられなくて……」


 哀しげな瞳で、彼女はまるで過去の恋人を語るように呟いた。


 あの“プレミアムかつ丼”が、彼女の中で何かを変えてしまったのだろう。


 だが、いおんの手には調理器具はない。


 彼女はただ、調理場の前で立ちすくんでいた。



「じゃけぇ、なんで一人で夜の学食入っとんよ……あぶないで、いおん」


 しおりが心配そうに声をかける。




「……だって、昼間じゃ、あの味を思い出せないから……」


「思い出せんから、夜に……?」


「うん……あのときの、音と匂い……あれがあれば、もう一度会えるかもって……」


 いおんの言葉に、場がしんと静まる。


 何か、重大な謎があるような空気。


 だがそのとき、背後から足音がした。




「……何してるんすか、こんなとこで」


 山口だった。


 手には、購買で買った特性カツサンドの包み。



「いやな、山口……この音、聞こえるか?」


 しおりが指さす調理場。


 山口は耳をすませ――やがてぽつりと呟いた。


「……冷蔵庫の霜取り機っすね、あの音。あと調理室のゴミ、カツソース残ってます」


 瞬間、しおりと玖郎といおんが同時に山口を見た。


「冷蔵庫の、タイマーで動くやつです。業務用なら音デカいし、夜の静けさならこんくらい響くかなと…」


 言われて耳を澄ませば、確かに厨房の冷蔵庫からそれっぽい機械音が聞こえる。

 そして調理室のごみ箱のそばには、捨て忘れられたソースの小皿。


「匂いの原因はこれ、か……」


 しおりが鼻をひくひくさせながら言った。


「……はい、解決〜ってことでいいんかな?」


「……まさかの山口」


 正直、今回の“事件”に限って言えば、探偵役は完全に山口だった。



「え、それが原因なん?」


「つまり、ジュウゥ……って音の正体は――」


「カツの霊じゃなかったん……?」


 山口は少し考えるように首をかしげた。


「いやまあ……言うほど推理ってほどでもなく、普通に気づくかなって」




 ……事件、解決。


 だが、納得していない顔がひとつあった。




「……でも、でもあのときの味は、心に残ってる……」


 いおんが切なそうに呟いた。



「――だから、もう会いに行かないと」



「どこに?」


「……カツに」


 放課後の学食、カツへの未練が生んだ亡霊騒動。


 だが、真に恐ろしいのは――執着だったのかもしれない。



「……でもあのときの味……心に残ってる……」


 いおんが小さく、けれど確かな声で言った。


 放課後の学食に響くそのひとことは、まるで、別れのあとにポツリと残された恋文のようだった。



「……あれから、ずっと夢に出てくるの。衣のサクサク、肉のジューシー……」


 いおんの目が潤んでいる。


 あの“プレミアムかつ丼”を、彼女はただの昼食とは思っていない。


 あれは、魂に刻まれた――“一食入魂”の記憶なのだ。




 ――いや、待てよ?


 ここで、僕の中の探偵スイッチがカチリと音を立てた。


 これは単なる「味の記憶」ではない。


 彼女は、“味の向こう側”を見ている――!


「──それがトリックだどしたら?」 

 俺は久々にこのセリフを呟いた。



「……いおん、お前……カツに恋をしたな?」


「……えっ」


 いおんが瞬きをする。


 俺は、推理を続けた。


「ただの味覚では説明がつかない。“会いたくて放課後の学食に通う”という行動……!」


「それはまさに、逢えぬ恋人を慕うような切なさ!」


 しおりが口を挟もうとするのを制して、俺は一気にたたみかける。


「――つまり、いおんはあの日、あのカツと“心を通わせた”のだ!」


「プレミアムかつ丼と交わした、刹那の邂逅……!」


 いおんが震える。


「……や、やっぱり……気づいてたんだ……」


「えっ、認めるん!?」

 しおりがつっこむ。

「ちょ、しおんまで乗らんで!?」

 この瞬間、すべてのピースがそろった。


 つまり――


「幽霊が揚げ物をしていたのではない。いおんの想いが、霜取り機の音と、ソースの匂いに幻を見せていたんだ!」


「……ややこしいじゃろ!」


 しおりのツッコミが入った。

 だが、俺の推理にはもはや一点の曇りもない。


 いおんが見ていたのは、カツの幽霊ではない。


 彼女自身の心が生み出した――“味の幻影”。


 人はここまで、ひとつの味に囚われることがあるのか……!



 ――いや、ある。人間だもの。


「しかも、幽霊じゃなくて“生き霊”ってことじゃん。カツへの執着が強すぎて……霊になりかけてる!」


「ならんでええ」


「カ、カツゥ…」

 いおんがつぶやく。

 厨房の冷蔵庫が、「ジジジ……ジュウゥゥ……」と、妙にタイミングよく音を立てる。


「放課後の誰もいない学食で、ふたりきりで……カツと向き合う時間が……私にとって、癒しだったの……」

「言い方よぉ!! なんか恋人っぽく言うなや!!」

「……カツに会いたくて」

「また言うた!? しかもトーン重っ!!」


 そのとき、調理場の奥から「カチャッ」と金属音が響く


「……いまの音なに?」

「やはりカツの亡霊は本当だったのか!?」

「いや猫っすね。地域猫が入り込んで……」

「猫なん!!」

 しおりが突っ込む。


「……霜取りの音が、彼女の心を癒す……そんな話だったのかもしれませんね……」


 山口がナレーションぽく語る。


「……えっ、なに? じゃあこのままにしとくん? いおんここでカツの音聞いて癒されるのアリ? 情緒的にアリ?」


「いや、アリじゃないじゃないです。普通に不法侵入だし…」


「……あ、じゃあ私が新聞部で特集記事にして、“霊の正体は心の声だった!”ってまとめれば……」


「だめでしょ、それでまた読者から“あの新聞部、何を目指してるの”って言われるんじゃないですか…」


 ……とまぁ、例によって、事件はとっくに終わっているのに、なぜか場は盛り上がっていく。

 そして、気がつけば――


「そういえば、特製のカツサンド、まだ食べてないんですけど、いおんさんいりますか?」


「……今日の分のカツ、余ってるの?……いいの?」


 と、抑揚のない声で、いおんが嬉しそうにしている。


「まだあるんで、玖郎さんもしおりさんもいりますか?」


「……玖郎、食べようか。せっかくだじゃし!」


「俺はいい」


「じゃあ私が食べる! カツの亡霊、いただきまーす!」


「せめて成仏させてからにしてくれ」


 背後で霜取り機が「ジュゥ」と音を立てた。

 そんなこんなで今日の放課後も過ぎようとしていた。


「カツの……香りがまだ……」

「錯覚です。脳が作り出してるんです」

「それか、記憶が残り香になって……」

「いや、待って待って。なんでうちらこんな真剣に“カツの霊”と向き合っとるん??」

 相変わらずしおりが突っ込む。


「……まさか、いおん。毎日、ここで一人で……?」

「……うん。カツに……会いたくて」

「何回言うん!? それ呪文なん!? 召喚しようとしとるん!?」

「この前、学食のおばちゃんが『しばらくカツは材料の関係でお休み』って言ってて……その日から、ぽっかり穴があいたようで……」

 しおんが抑揚のない声でつぶやく。

「それなぁ……うちも昔、限定プリンが廃盤になったとき、夜な夜な冷蔵庫の前で祈っとったけぇね……」

 しおりが残念そうにつぶやく。

「……もしかして、これが“未練”ってやつなのかな……」

「……カツの味に未練が残るって、人間誰しも“胃袋に幽霊飼ってる(ストマック・ファントム)”ようなもんすからね」

「いや名言っぽく言うなやぁ」

「それもう心霊現象というより、胃袋の叫び(ストマック・ポルタ―ガイスト)だな!」


 そこで山口が言った。

「食堂ではしばらく食べれないんですけど、あのカツなら食べることができますよ」

「え?なんなん?」

「僕、学食の人と仲良くなってて。作り方、教えてもらったんです」

「え?どうやるん?」

「ハ〇-ズです」

「え?地元のスーパーの?」

「そうです、実はこのお肉。地元のスーパーのハ〇-ズと同じっす。だからハ〇ーズに行けば買えますよ。お惣菜コーナーで。ここの食堂のおばちゃん、ハ〇ーズのお惣菜も作ってて。カツ丼。夜の22時くらいにいくと4割引きになるっす」 

「今度は4割引き弁当をかけてのバトルが始まるな!」

「ベン〇ーじゃないけぇ」


「新しい出会い……新しいカツとの……始まり……」

 しおんは嬉しそうに抑揚のない声でつぶやく。


「カツの亡霊って、つまり……自分のなかにいた未練のことだったんだな」

 玖郎がかっこよく言った。


「ご馳走様……もう、会いに行かないと……」


「どこに?」


「……お惣菜コーナーに……」


「リアルじゃろ!」


「ハ〇ーズ、行く…」


「逢瀬の場、変わっとるじゃろ」


「あ、ありがとう。山口くん…」 

 いおんは去っていった。


 その背中に、ほんのりとカツの香りが残っていた気がした――気のせいだった。


(次回もまさかのグルメ展開?)

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