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「失礼いたしました」
慌てて頭を下げる私を見て、皇后がふわっと笑った。栗色の髪に明るい鳶色の瞳。美人だが、可愛らしい印象が先に来る顔立ちだ。
「そのように緊張しなくても大丈夫ですよ。どうぞ気楽に」
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げてから、改めてソファの面々を見直す。男の子はまた皇后の横に移ってソファによじ登っている。せいぜい五歳くらいだろうか。柔らかな栗色の髪と瞳の色が、何も言わなくても親子であることを雄弁に物語っていた。対して女の子は金髪にグレーがかった青い瞳だ。瞳の感じは皇帝と似ているので、パパ似といったところか。
「ご無沙汰しております、メヒティルデ様」
大佐が相変わらず何を考えているのか分からない表情でそう言ったので、彼女の名前はメヒティルデらしい。
「ご健勝のようで何よりです、アーレン卿」
「貴方が来ているとは思っていませんでした。こちらにはどのようなご用向きで?」
「皇帝陛下が是非に、と。ここ何年も離宮から離れたことも無いだろうからと、配慮していただきました」
「ふむ。晩餐会には?」
「わたくし達は参加いたしません。連合王国首相をはじめ、各国の大使もいらっしゃいますので」
「なるほど」
大佐が訳知り顔で頷くが、私にはいまいち分からない。皇后が晩餐会に同席するとまずいのか?むしろ配偶者同伴がマナーじゃなかったっけ?そんな私の疑問を察したのか、大佐がにこりと微笑んだ。
「コートリー中尉は帝国の事情に疎いところがありますので、説明しておきましょう。彼女は神の認めた皇帝陛下の伴侶ではありません。貴方にも理解できるように表現するならば、愛人です」
「いや、ちょっと」
あまりにもあけすけな言い方に慌てるが皇后……ではなくメヒティルデは微笑んだままだ。そういうもん……なのか?いやそれにしても子ども達の前で言うことではないはずだ。大佐を見返す目が思わず険しくなってしまう。
「どうかお気になさらず。帝国では皆の知るところです」
「は」
メヒティルデがおっとりそう言う。もやもやしたまま再び彼女に向き直ると、色々納得するところもあった。どう見ても年齢差のある二人。貴族の政略結婚的なものかと思ったが、皇帝が若い彼女を見初めて愛人にした、ということか。最低だな皇帝。さっきまでの威厳に満ちた印象が一気に消え去り、ただのエロジジイに思えてくる。他にも愛人囲ってたりしないだろうな?
「コートリー中尉、とお呼びすれば?」
「は、あの、お好きに呼んでいただければ?」
私の返答がおかしかったのか、メヒティルデがくすくす笑った。そんな姿も癒し系というか、高齢男性にモテるのも分かる。
「貴方には感謝しています。この子がこんなに元気にしているのは初めてかもしれません」
彼女が優しく見つめる先で、男の子はソファの後ろに駆けていって、そこから目から上だけを覗かせていた。
「貴方の噂を耳にした時には、そんなことがあり得るのかと疑ったものでしたが……。こうして目の当たりにしても、中々すぐには信じられるものではありませんね」
それはそうだろう。私だってこんなことがあり得るはずがないと未だに思っている。最初から信じ込んでいるのは大佐くらいだ。
「一人の母親として、貴方に感謝を」
「いえ、そんな」
頭を下げるメヒティルデに慌ててしまう。私自身に何かしたという実感が無いし、それに何を治したのかも分からないのだ。この場の症状を抑えただけなのか、根本的に原因となる病を全て消し去ったのか。心臓の穴、と言っていたのは心音を聞けば分かるだろうが、その他は私ではどうにも判断がつかない。
「その、これで完治したとはお約束できません。どうか、体調には十分注意してください」
「ええ。それでも、今こうして元気にしているのが嬉しいのです」
そう言って目を細めるメヒティルデを見て、私は治癒の力があって良かったと素直に思えた。




