58
気が付いたらベッドの中だった。薄明るくなったベッドルームの天井をぼんやり眺める。埋もれるような柔らかい枕から頭を離し、サイドテーブルの腕時計を確認すると5時過ぎだった。自分で歩いた記憶が全く無いので、2人がここまで運んでくれたんだろう。アラサーにもなって誰かに寝かし付けてもらったと思うとちょっと、いやかなり気恥ずかしい。後で2人にはきちんとお礼を言っておこう。
わざわざアイロンをかけてくれたっぽい制服に袖を通してベッドルームを出ると、2人はまだ寝ているようだった。テーブルの上には昨日の残りの干し葡萄とチーズが置いてある。干し葡萄の粒をちみちみ噛みながら窓の外を見ると、駅舎と線路が広がっていた。トレインビューってとこか。帝国の兵士達が立哨している以外は人の気配がない。昨日は本当に何も起きなかったんだな…。
「おはようございます」
「おはよう。昨日はありがとう」
ユーリアが起きてきた。寝起きの下ろした髪が心なしかサラサラツヤツヤだ。少しクセのある金髪が天然のウェーブを描いていて、薄暗い部屋が少し明るくなったように感じる。
「スザナはまだ寝てる?」
「申し訳ありません、すぐに起こしてきます」
「いいよ、まだ寝かしといて」
「何か朝食を用意させますか?」
「大丈夫、ありがとう」
くるくるっと髪をまとめた彼女は早速仕事モードだ。〇六〇〇の打ち合わせまではまだ時間があるし、ユーリアもゆっくりしていてくれて構わないんだけどな。水差しからコップに水を注ぎ口に含むと、意識もスッキリしてきた。
「おはようございます」
「おはよう。よく眠れた?」
「はい……」
まだ半分寝ていそうな顔でスザナも起きてきた。ゆるりと椅子に座って干し葡萄を食べ始める。うーん、やっぱり朝ごはんはあったほうがいいのかな?
「一度ロビーの様子を見てきます。2人はまだゆっくりしてて」
「はい…」
「お供します」
「いいよ、すぐ戻るから」
「そういう訳にはいきません。何かあれば通訳も必要でしょうし」
ぼんやり返事をしてきたスザナに対して、ユーリアは相変わらず真面目だった。部屋を出るとなんだかんだスザナも付いてくる。いつもは結っている黒髪をすとんと下ろしたままの彼女は幼く見える。私が言えた義理じゃないが。
ロビーは一晩のうちに司令本部っぽく改造されていた。大きなテーブルには複数の地図が広げられ、何やらメモ紙が散らばっている。脇にはポットとコーヒーカップ。それと焼き菓子。奥のソファで寝ている士官がちらほら。シュメルツァー大尉は椅子に座り新聞を読んでいた。
「おはようございます」
「おはようございます、コートリー中尉。今のところ共和国軍に動きはありません」
大尉はそれだけ言うとまた新聞に目を戻した。スザナが焼き菓子を皿に盛ってきてくれたので、テーブルの端の席に座り地図を眺めつつ口に放り込む。バターの効いた、素朴な味わいのクッキーだ。スザナも遠慮なくぱくついている。自分が食べたかっただけだなこの子。
「北部沿岸の攻勢について情報が錯綜しているようですね。一部地域で通信途絶、と」
メモを確認していたユーリアが簡潔にまとめてくれた。内容は駅の通信機に届いた情報のようだ。鉄道はこの時代の輸送の主役。軍需物資も兵員も、鉄道なくして供給できない。駅を抑えられていると知らない共和国軍は、物資の集積所でもあるリールにごく当たり前に情報を提供してくれていたらしい。
「駅に帝国軍が出没したという未確認情報ありとの通報もあったようですね。駅守備隊に報告を求める通信がありました」
シュメルツァー大尉が新聞を畳んでコーヒーカップに手を伸ばす。そういえば大尉は寝てるんだろうか?何もかも昨日のままに見えるんだけど。
「どうしたんですか?」
「現在状況確認中、と返信しました。それ以降は催促もありません」
北部は大攻勢の真っ最中。イーペルに展開していた師団は通信途絶。各所に帝国軍出没の情報あり。そんな中で駅の状況だけを気にしている余裕も無いのだろう。
「駅守備隊に対する尋問から、リールに展開する共和国軍部隊の詳細も分かりました。事前情報の通り、警備一個中隊のみだそうです。街道沿いに偵察を出していますが、静かなものです」
兵士の数は同数だが、こちらは1年間地獄の最前線で戦ってきた古参兵。駅の警備分隊は何もできずに制圧されている。敵出現の未確認情報を一晩放っておいた連中では同レベルだろうし、相手にはなるまい。
「今後はどう動く予定ですか?」
「詳細は打ち合わせで説明しますが、我々の任務は駅の確保です。このまま陣地構築を進めて後続を待つことになるかと」
「了解しました」
敵地ど真ん中とはいえ、今まで数百ヤードの距離で敵と対峙していたのに比べればむしろ安全なくらいだ。そういえば昨夜は砲声を聞かなかったなと、今更気付いた。




