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この世の終わりみたいな空気の中、結局私の処分については何も言われなかった。不問、ということだろうか。ここに着任してからの敵意剥き出しな感じからすると拍子抜けだが、何も無いに越したことはない。穏やかに相手を締め上げて続けている大佐の口ぶりからすると、黒鷲騎士に銃を向ける=皇帝に対する叛逆、となりかねないらしい。話の流れが徐々に「今なら騎士様に対する無礼を見逃してやってもよいが?」になっていき、副司令官が力無く頷くことしかできない人形になってきた頃、ようやく会議はお開きになった。
「副司令官閣下にはもう少々お時間をいただきたい。今後について今日中にある程度は決定しましょう」
「…………」
副司令官の口からこぽ、と液体がせり上がってくるような音がした。今が好機となれば一気呵成。大佐も軍人なんだなあ。変に絡まれる前に逃げようとドアの外に出ると、横にホイアー中佐が並んできた。
「少し話せるか?大尉。情報共有しておきたい」
「……はい」
絡まれてしまったか。まあ、仕方ない。
階段を降りて二階の一室に入る。いつの間にかデューリング少佐もついてきていた。この二人、本当に仲が良いな。
「さて、まずは昇進おめでとう、大尉」
「ありがとございます」
机を挟んで向かい合わせに座る。デューリング少佐は司令部付の兵に何事か命じてから少し離れた椅子に座った。いつかの尋問を思い出す配置だ。前と違って窓があるぶん圧迫感はないけど。
「それにしても聖女様は行動が早くて助かるな。色々と作戦を考えていた我々が愚かだったようだ」
「はあ」
ニヤニヤ楽しそうなホイアー中佐が大袈裟な手振りをしながら天を仰ぐ。既に何か悪だくみをされていたようだ。
「お二人がこちらにいらしているとは思いませんでした」
「帝国の忠実な剣たる我々が最前線にいなくてどうする?新たな死地を求めて──」
「戦後処理というのは面倒なものでな。あれこれ事務仕事に忙殺されるくらいなら最前線で戦っている方が気楽だと誘われた」
横からデューリング少佐が割って入ってきた。相変わらず綺麗に剃り上げた頭が輝いている。
「何を言うか。イーペルから首都攻略までの我等が旅団の活躍が評価されたからこそだな」
「まあ、今頃残った連中は部隊を再編成しつつ南部戦線への移動をしている最中だからな。どちらが気楽かと言われたらこちらの方がマシではある」
「そういうものですか」
大量輸送手段が船と列車しかないこの時代に、何十万人いるか分からない西部戦線の軍を再配置するのは大変だろうなというのは私でも想像できる。静かに頷いていたら、ホイアー中佐が悪い顔をした。
「全部貴様のせいだぞ、大尉」
「はあ?」
「何をした、洗いざらい話せ」
「あの、何をおっしゃっているのか分かりません」
「何も無くて黒鷲騎士に叙されるわけがないだろう。陛下のあの変わりように貴様が絡んでいないはずがない。さあ、話せ」
中佐の目がギラついている。どうやら完全に好奇心で聞いているっぽい。情報将校が知らないようなこと、しただろうか。
「ちなみに、陛下の変わりようというのは」
「共和国首都入城式から停戦交渉、戦後計画まで陛下が主導された。戦争が始まってからというもの、色々と悪い噂に困らなかった陛下が、だ。誰もが替え玉を疑っていたが、俺は間違いなく貴様が絡んでいると見ている」
「ああ……」
何やら不敬なことを言っている気がするが、叙任式で会った皇帝の様子を思い出してみるとまあ……とも思う。最初に目にした疲れ果てた老人の姿と、私の治癒の光を浴びた後の威厳溢れる姿は別人と言われたらその通りだ。
「まあ、はい」
「ふむ。何をどうしたらああなる?」
「何を、と言われましても。偶然ああなったというか」
「偶然であんなことが起きてたまるか」
「いえ、本当に。私は男の子を治そうとしただけで」
「……一度、順を追って全部話してみろ」
促されて、叙任式からまた呼び出しを受け、男の子の治癒をしたところまでを話していく。途中で兵士がコーヒーを持ってきてくれた。新鮮そうなミルク付きだ。牧草地が広がってたもんね。
「相変わらず訳が分からんな、聖女様の能力ってやつは」
ホイアー中佐が深々と溜め息を吐いた。訳が分からないのは否定できないので、何も言わずにミルクたっぷりのコーヒーを啜る。ミルクが産地直送だからか少し獣臭い気がするが濃厚だ。
「それで破格の黒鷲騎士か。俺も騎士様相手に滅多なことは言えんな」
「はあ。黒鷲官というのは珍しいと大佐も言っていました」
さっきから滅多なことを言っている気がするなあ、と思いながらそう言うと、ホイアー中佐が動きを止めた。デューリング少佐と顔を見合わせ、またまじまじと私を見る。
「……黒鷲官と言ったか?今」
「ええと、はい。百年ぶりとかそれくらいらしいですね」
「待て、それは──いや、それなら証となるものを持っているはずだ」
「ああ、これですか?」
腰から下げていた短剣を外してテーブルの上に置くと、場の空気が凍るのが分かった。ホイアー中佐の演技でも何でもない驚きの表情を初めて見た気がする。
「くそ、まだ隠し玉があったか」
反応からすると、どうやら黒鷲官の件は中佐でも知らなかったようだ。ひょっとして知られてはいけない情報だった?
「あの、何かまずかったでしょうか」
「まずかった、と言うか……。まあ、いや。ふむ」
ホイアー中佐が何かを考え込み始めてしまったので、デューリング少佐の方を向くとこちらも難しい顔をしていた。私の目線に気付くと、小さく首を振る。
「まず、それをしまってくれ」
「あ、はい」
短剣をまた腰に戻すと、二人の緊張が緩んだ。皇帝の剣がどうこうとは聞いていたが、思っていたよりとんでもないアイテムのようだ。
「なあ聖女様。どうやら何も聞いていないようだが、その剣の意味を知っているか?」
ホイアー中佐が身を乗り出してきた。目が真剣だ。
「ええと、この剣を手に行なわれた全ては皇帝陛下の……何でしたっけ?」
「あー……。分かりやすく言うとだな、今の貴様は……いや、聖女様におかれましては……」
「やめてください」
芝居がかった調子でへりくだり始めた中佐を止めると、悪い笑顔が返ってきた。まだその顔の方がやりやすい。
「黒鷲官というのは皇帝陛下の権力を自由に使える身分だ。貴様が望むなら全軍の指揮を執ることができるし、将軍の任免も思うがままにできる」
「は」
そこまでとは聞いてないですけど?




