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 冷たい風が白い峰から吹き下ろしてくる。それでもろくに暖房もない客車の中でじっとしているよりはマシだ。貨車から荷物を運び出す人々で騒然とする駅をぐるりと見渡すと、端々に山並みが見えた。なんとなく安心するのは、山だらけの国土で育った日本人だから、だろうか。

 帝都を離れて一昼夜。途中の停車駅で少し休憩してはまた出発の繰り返し。各駅停車のような進み方をするなと思ったが、よく考えてみれば汽車は人力で重い石炭を放り込んで進むのだ。交代要員無しでぶっ通しで走っていたら先に人が倒れる。走破に必要な量の石炭と水を積めばそのぶん重くなり、無駄に燃費がかさむ。よっぽど急ぐのでなければ、途中で補給しつつ休憩するのが合理的なのだ。

 徐々に森が増え、山がちになってきて、何度かトンネルを抜けたら山の頂が雪化粧をしていた。元の世界で言うならアルプスに近い辺りだろうか。南部戦線は暖かいといいなと思っていたが、停滞する戦線は山岳地帯に沿っていてこの時期は西部戦線よりも寒いらしい。もうじき昼になる頃に着いた物資集積点として使われている駅は、かつての小公国の首都にある。独立を保っていたが、今回の大戦で帝国の同盟国によって占領されている。その同盟国も戦争による混乱で国王が退位。議会は泥沼化しそうな情勢を嫌って積極的な攻勢に出る気が無くなってしまい、進出した帝国軍も身動きが取れない、と。なんかこう、どこまでもグダグダだ。

「コートリー大尉、司令部までの車両を手配できました。これから出発します」

「了解しました」

 大佐が憲兵徽章を付けた兵士と一緒に私達を迎えにきた。憲兵が向けてくる目に懐かしさを感じる。東洋人のガキがこんな所で何してるんだ、という困惑と侮蔑の混じった視線。聖女扱いされて崇拝されるよりは落ち着くが、気分が良いものではない。

 案内された先にはトラックが二台停まっていた。大佐と部下、私達に分かれて荷物の間に潜り込む。木箱の隙間に収まりの良いところを見つけて座ると、程なくしてエンジンの振動が伝わってきた。がったんと大きく揺れてトラックが動き出す。錆と機械油の臭いに包まれ、ああ戦場に戻ってきたんだな、と実感が湧いてきた。


 司令部があるのは山に囲まれた小さな町だった。絵葉書のように美しかったであろう町は、主だった建物は軍に接収され、広場や近くの畑は駐車場や物資の集積場に様変わりしていて、所々に残る破壊の跡もあって不穏な感じだ。遠目に砲兵陣地っぽいものが窺える。

 司令部として使われている三階建ての大きな建物に入ると、着任申告もそこそこに宿舎の位置を指定され、すぐ追い出された。わりと分かりやすく拒絶されている。軍隊が他所者を嫌うのは伝統みたいなものだ。それが指揮権を奪い去るかもしれない第三軍の先遣隊となれば尚更だろう。早く追い出したそうな先方に構わず淡々と仕事を進める大佐とその部下を残して、私達はひとまず宿舎に向かうことにした。

 宿舎まで案内してくれるのは地元の子供だった。ボロボロだがもこもこで暖かそうな服装をしている、おそらく十歳かそこらくらいの男の子だ。破壊し尽くされたイーペルと違って、ここではこの土地で元々住んでいた人達もいる。帝国軍に対する感情はどうあれ、こうして雑用で小銭を稼ごうと思う者もいるらしい。

 男の子は私を見て明からさまに「は?」という顔をした。気持ちはよく分かるが腹芸は覚えた方がいいぞ少年。少なくとも君よりは身長も高いしちゃんと大人だ。ユーリアが何か外国語で話し掛けると、今度は明からさまに照れた顔をした。うん、美人だもんね。腹芸は覚えろよ少年?ユーリアから小銭を受け取り、男の子は良い笑顔で私達の前に立って歩き出した。街並みを抜け、上り坂になっているところを進んでいく。

「ユーリア、こっちの言葉も話せるの?」

「はい、日常会話程度ですが」

 彼女の言う「日常会話程度」は、いかついおっさん相手に一歩も譲らず口論できるレベルだというのは共和国で学んだ。私の部下は優秀だ。

「宿舎はどの辺なのかな」

「ここからかなり上った先にある納屋のようです。農機具を納めておく場所だそうで、あんな所で暮らすのか、と彼が言っていました」

「へえ」

 私達はかなり露骨に迷惑がられているようだ。まあ屋根があれば塹壕よりはマシだろう。後で追加で毛布をもらっておこう。

 それほど大きな町ではないにしても、人通りが極端に少ない。軍服姿の兵士達があちこちに屯しているくらいで、地元の人達の姿はほとんど見当たらない。その兵士達も通り過ぎる私達に好奇の目を向けるのを隠そうともしない。何と言うか、治安が悪い感じだ。今までの帝国軍のイメージとは違う。

 斜面を上っていくと、建物が途切れて冷たい風の吹き抜ける草原に出た。牧草地のようだが、冬だからなのか動物の姿はない。広々とした中に、点々と建物が建っている。あの中のどれかが私達の宿舎なのだろうか。

 遠くに目を凝らしていたら、横から何か叫び声が聞こえてきた。兵士が数人、少し下った大きな民家の前で地元民と思しき人を取り囲んでいる。見たところ子供のようなその人が逃げようとすると、兵士の一人がその頭を思い切り殴りつけた。その拍子に帽子が飛ばされ、長い髪が強く吹き下ろす風に巻き上げられて輝く。

 身を捩り逃れようとする彼女を、兵士達が押さえ付けて民家の中に引き摺り込んでいった。民家の戸が閉まると、辺りにはまた静けさが戻る。振り向くと、案内の男の子はすごく複雑な表情で俯いていた。ユーリアは不快感も露わに眉間に皺を寄せていて、乙女は呆然とした顔をしている。スザナは氷みたいに冷たい目をしていた。

「……行こうか」

 ああ、嫌なもの見ちゃった。

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