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目が覚めても、心許ない電球が室内をうすぼんやり照らしているのは同じだった。外に開かれた窓のないこの部屋では、今が朝なのか夜なのかも分からない。枕元に置いていた腕時計を確認すると六時を指していた。私の動きで目が覚めたのか、横で乙女ももぞもぞ動き出す。
「おはよう。よく眠れた?」
「はい。……なんか、すごく変な夢を見た気がします」
まだぼんやり眠そうな乙女を置いてベッドを出て身支度を整え、カーテンをめくると昨日と変わりのない大広間が見えた。大広間は少しは窓があるのか、所々まだ黄色っぽい光が差し込んでいる。
乙女の着替えが終わった頃に使用人の女性がやってきて、彼女の案内でまたうねうねよく分からない細い廊下を進んでいった。今度は大広間ではなく渡り廊下に出て、隣のまだ新しいっぽい建物に入る。こちらは生活棟なのだろうか、大佐の館に似た雰囲気だ。広い窓からは隣の無骨な塔が見える。長い廊下を進み階段を下りると、それなりに広い部屋に通された。十人くらいが座れそうな大テーブルが中央に置かれ、壁際にはソファとサイドテーブル。中央のテーブルには大きな地図と書類が散乱していて、ソファには軍服のまま仮眠をとっている大佐の部下が転がっている。当の大佐は散らかった書類の中央で優雅にコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます」
「おはようございます、大尉。そちらに軽食を運ばせていますので、ご自由にどうぞ」
大佐の指す先には簡単につまめるような大きさのパンとビスケット、それとコーヒーのポットが並んでいた。遠慮なくコーヒーをカップに注ぎ、ソフトビスケットに杏のジャムとサワークリームをたっぷり盛って空いている椅子に座る。乙女があれこれ選んでいる間にテーブルの上の書類をざっと眺めるが、報告書の類だということくらいしか分からない。地図はこれから向かう南部戦線の拡大地図なので、それに関わるものだろうか。
「我々の乗る車両は九時出発予定です。八時にはここを離れることになりますので、そのつもりで準備しておいてください」
「了解しました」
ソフトビスケットはバターをたっぷり使っていてしっとりしている。甘いジャムとサワークリームが合わさってこってり爽やかな味わいだ。道中のおやつにいくつか包んで持っていこうかな。
「南部戦線まではどれくらいかかるんでしょうか?」
「定刻通りならば明日の朝には国境を越え、物資集積点の駅に到着します。そこから師団司令部まで一時間ほどでしょうか」
「……すぐに戦闘になりますか?」
「その可能性は低いでしょう。南部戦線はある意味安定しています。我々は今回その均衡を破壊するために派遣されたのです。本隊が到着し具体的な作戦行動が行われるのはもう少し先になるかと」
「はい」
言いながら大佐が手にした紙には、何やら日付が赤や青で訂正されてごちゃごちゃ書き込まれていた。まあ、私達は言われた通りに動けばいいだけだ。もう一個ビスケットにいちごジャムとクリームを盛っていると、大佐の部下が紙束を手に入ってきた。大佐に何事かを耳打ちして紙束を手渡すと、また足早に去っていく。大佐はそれにざっと目を通すと、私に向かって微笑んだ。
「申し訳ありませんが、少々片付けなければならない問題が生じたようです。貴方は時間まで自由に過ごしていてください」
「はあ」
部下を引き連れて部屋を出ていく大佐を見送ると、広い部屋には私と乙女だけが残された。ビスケットを片手に、散らかり放題のまま残された地図と書類を見ていく。細かな戦況報告や水源の情報、民間流通網について。農業生産高の報告。軍の医療資源と進出地点での民間医療資源との連携について。現在発生している伝染病について。綱紀粛正に関する通達。雑多な情報が積み上がっていて、私の頭ではまるで結びつかない。難しい話は参謀閣下にお任せしておけばいいか。私は私にできることをしていけばいい。
「あ、すみません」
通りかかった使用人さんに声を掛けると、すぐに来てくれた。静かに頭を下げる彼女に食べかけのビスケットを指し示す。
「これと同じのを八個、それとジャムを瓶で何種類か。サワークリームも付けてバスケットにまとめてください。あと、日持ちする焼き菓子があればそれも箱で用意してください」
「かしこまりました」
私にできること。まずは道中を快適に過ごせるようにしないとね。




