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 野戦病院として使われている教会前に行くと、大佐が待っていた。横には大隊長と病院長、それと幹部士官であろう人達が並んでいる。

「時間通りですね。では中尉、こちらへ」

 大佐に促されるまま教会に入ると、天井の高い薄暗い空間にはびっしりキャンバス地のコットが並んでいた。血と膿と排泄物、そして垢の臭いが鼻を突く。数十人はいるだろうか。軍病院にいた兵士達より重症なのは、一目で分かった。前線で死にはしなかったが、ここからさらに後送するには体力に不安のある者達。医療と言ってもこの世界でできるのは、傷を洗い膿で汚れた包帯を代えるくらいのことだけだ。外科医は主に腐った手足を切り落とし、傷口を縫い合わせるために存在している。

「では皆様。只今より、新規医療設備の実地運用を開始します。知り得た情報については全て軍機となるのをお忘れなきよう」

 大佐の声が響くと、中で立ち働いていた看護婦と衛生兵も手を止めた。低い呻き声しか聞こえなくなったところで、大佐が私に手を差し出す。それを合図に、肩に掛けていた小銃を構え直し、軽く目を閉じた。静かな熱が私の中を流れ、両手から先へ、杖代わりの小銃へ伝わっていく。

 ふわっと花びらが舞うように、淡い緑色の光が天井まで吹き上がった。薄暗い室内を柔らかく照らしながら緩やかに降り注ぐそれは、床を埋める兵士達に触れると消えていく。無音のそれは徐々に数を減らしていき、やがて収まった。

「聖女…」

 誰かの呟きが聞こえて目を開くと、全員が私に注目していた。戸口に立つ私からは、中に差し込む光を反射する目だけがやたらと輝いて見える。なんとなく居心地が悪くてもじもじしていると、大佐がまた声を張り上げた。

「以上で一回目の実地運用を終了します。医官は患者の容態を確認するように」

 呆然としていた軍医と衛生兵が動き出す。自分で包帯を外した兵士達が立ち上がり、慌てて駆け寄る看護婦を片手で制して歩き出す。一歩、二歩と確かめるように、そして軽く跳ねてから、しげしげと両手を見ている。どうやらこの場にいる全員を無事治癒できたらしい。少しほっとして小銃を担ぎ直す。

「これは、いったい」

「帝国に神が遣わされた奇跡です」

 病院長の軍医少佐の問いに、大佐が常識のように答えた。軍医達が首を振り、看護婦がキツネにつままれたような顔で床に散らばった包帯を拾い集める中、兵士達もどうしてよいのか分からない様子で立ち尽くしている。誰かが指示を出さなければいけないのだろうが、誰もが何が起こったのか理解できずに混沌とした状態だ。仕方なく、私が声を上げる。

「あのー」

 バッと全員の注目を浴びて居心地の悪さを感じつつ続ける。

「とりあえず、怪我は治っていると思います。兵士の皆さんは、まず体を洗ってください。それから一度お医者さんに診てもらって、それで問題なければ改めてその後の行動について指示を受けてください」

 私の能力は怪我や病気は治すが汚れは落とさない。何日ここで横たわっていたのか分からないが、皆とりあえず垢と排泄物を洗い流したほうがいいだろう。その後は原隊復帰なのか何なのか知らないが、軍として何か命令があるんだろうし誰かが何とかすると思う。私の言葉を受けて衛生兵が誘導を始め、兵士達はぞろぞろ外に出ていった。空いたコットを看護婦達が片付けていく。大隊長が大佐に一言何かを告げて小走りでどこかに向かう。皆が忙しく動き出す中、私はすることが無くなってしまったので邪魔にならないように壁際に寄る。皆てきぱき働くなあと感心していたら、いつの間にかユーリアとスザナが前に立っていた。何か言いたそうで言葉にならないユーリアを横目に、スザナがにこにこ話し掛けてくる。

「すごいですね、こんなの初めて見ました。魔法使いですか?」

「いやえーっと、魔法っていうか…」

「閣下」

 ユーリアが真剣な顔で私に向き合う。

「これが『新しい医療設備』ですか」

「うん、まあ」

「どのような原理なのか、説明していただくことは…」

「ごめんなさい、それはできないです」

 どんな原理なのか私にも分からない、という意味で言ったが、彼女には軍機なので口外できないと伝わったような気がする。まあそれでもいいか。

「それで、私達は具体的にはどうしたらよいのでしょうか?」

「メンテナンスです」

 ぬっと大佐が会話に入ってくる。この人、なんて言うか距離感おかしいよな…。おかしいのはそれだけじゃないけど。

「現在、これは中尉にしかできません。中尉がその能力を最大限に発揮できるよう、前線においても最適な環境を整えてください」

「はい」

「中尉。必要なものがあれば何なりと大隊長に伝えてください。物資でも人員でも、司令部として可能な範囲で対応します」

「ありがとうございます」

「私は野戦病院の処遇についての打ち合わせがありますので、もう少々この場に残ります。中尉は荷物の整理を済ませたら、後は適宜休憩をしていてください。では、神の御加護のあらんことを」

 大佐は言いたいことを言うと軍医達の方に向かっていった。とりあえず私の出番は終わり、だろうか。スザナがすすっと近付いてきて、耳元で尋ねてくる。

「中尉閣下は、神様の使いですか?」

 スザナの中で、私は魔法使いから神の使いになったらしい。何なんだろうね、私。大佐が色々好き勝手に言ってるけど、実感は全く無い。

「私にも分かりません。もう解散みたいですし、家に戻りますか」

 何やら思案顔のユーリアも連れて外に出ると、水場で体を洗う兵士達と容態の確認をする看護婦達とで教会前の広場は騒然としていた。邪魔にならないように、と足早に通り過ぎようとすると、私の姿に気付いた兵士が跪いた。周囲の兵士達もそれに倣う。突然の出来事に足が止まった私を囲むように、祈りの輪ができた。

 昼下がり、西に傾き始めた陽に照らされる教会。跪く半裸の男達。その中心に、ユーリアとスザナを従えて立つ私。よくできた宗教画のような光景に大佐が満足気に頷いているのが、視界の端に見える。

 こうして私は、膠着した西方戦線の聖女としてこの世界の裏の歴史に登場することになった。

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