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もう話は終わりなのか大佐が立ち上がったので私も席を立つと、大佐に手招きされた。デスクの前に立つ大佐の隣に立つと、何やら手書きのメモを差し出してくる。書いてある内容は……何だこれ。乙女がやってた教科書の朗読内容?
「アルベルト博士から、実に興味深い内容の手紙が日々届いていました。マリーア嬢には色々と協力していただき感謝しています」
「はあ」
意図がつかめず曖昧な返事をする私に、大佐が笑みを深める。
「博士が大学の研究仲間に声を掛け、幾つかは既に大きな成果を上げています。つい先日、細菌の増殖抑制に著効を示す真菌を発見したとの報告を受けました」
言いながら大佐が指し示す先には、『ペニシリン(抗生物質)』と書いてある。ああ、生物のコラムか何かにそんな内容があったっけ。細菌の中に偶然カビの胞子が落ちてペニシリンが見つかったとか何とか。私の世界では偶然だったことを、結果を知ったうえで大学の研究室で大規模にやったってことか。そりゃ発見も早い。
「実際に有効成分を単離し解析するのはこれからですが、これで医学は大きく前進することでしょう。数千万、数億の人命を救う第一歩です。貴方の世界の知識に心より感謝します」
「いえ、私は何も」
がんばったのは乙女だ。私は本当に何もしていない。でもまあ、それで感染症で苦しむ人が減るならいいことだ。改めてメモを見ると、箇条書きされているのはどうやら教科書から「使える」と判断された内容のようだ。『半導体、集積回路』『蓄電池』『遺伝子、クローン』『素粒子』『原子力、放射線』……。
「ああ、共和国では良い出会いもありました」
大佐がにこやかに続ける。
「著名な物理学者夫妻の研究所を訪ねることができまして。最初は警戒されましたが、研究についての話になると徐々に打ち解けまして、有意義な時間を過ごすことができました」
「はあ。そうですか」
唐突な土産話に首を傾げる私に構わず、大佐が続ける。
「放射性物質の研究に関しては共和国に一日の長があります。貴重な試料を分けていただくこともできましたので、今後は帝国での研究も加速することでしょう」
ぼんやりしていた像が、徐々に焦点を結び始める。物理学。放射性物質。原子力。
「まだ基礎研究の段階ではありますが、資源としての有用性が分かっていれば研究予算の調達も容易になります。皇帝陛下も帝国を守る未来の剣として強い興味をお持ちの様子でした」
未来の剣。それはつまり……。
「貴方達が南部戦線に向かうにあたって、教科書はここに残していっていただけると助かります。各ページは写真に残してはいますが、どうしても原本の鮮明さには劣りますので。貴方の世界の印刷技術も実に素晴らしい」
「はい」
あまり頭が回らず、生返事が私の口から漏れる。高校生の教科書に載っていることなどたかが知れている。具体的な製造方法が書いてあるわけでもない。それでも。
私達は、原子爆弾の開発に力を貸したことになるのか。