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 軍病院へのお出かけも一週間が経ち、乙女も治癒に慣れてきた。一人ひとりを相手にするなら、最初のように疲れる様子を見せたりはしない。落ち着いたブラウンの女学校制服に身を包み、花が咲いたような笑顔を見せる女の子。「聖女」って言ったらこっちのイメージだよね。素っ気ない軍服に身を包んだ肌のくすんだ女じゃなく。後は乙女に任せて隠居してもいい?

 そうこうしているうちに西部戦線の状況も変わり、共和国政府が停戦受諾、というニュースが入ってきた。やはり皇帝自ら首都に立った心理的効果は大きかったらしい。降伏ではなく停戦なのが弱腰だと批判する向きもあるようだが、三戦線を抱える帝国軍も内情は火の車だ。一刻も早く一つの戦線だけでも片付けたい帝国と、最低限の面子は保ちたい共和国とが妥協した結果と言えるだろう、とユーリア先生が分析していた。それに、停戦は即時発効。つまり共和国は首都を占領されたままでの停戦となり、実質的には降伏だ。今後帝国との間で国境線を引き直すのか、相応の賠償金と引き換えに帝国軍が撤退するのか。ここからは軍ではなく外交の仕事になる。まあ、私達が頭を捻ったところで何がどうなるわけでもない。できることをやるだけだ。


「うーん、本当にやるの……?」

「はい、お願いします」

 冬でもきちんと手入れされた館の中庭に、間の抜けた私の声と溌剌とした乙女の声が響く。今日はスザナが病院でお手伝いの日。この一週間で百人以上を完治してしまった私達はいったんお休みだ。あんまりバカスカ治しても軍病院として困るらしく、病院長に泣きつかれた。イーペルで一気に治癒した時も臨時編成の中隊が生えたりしてたもんね。見通しを元に予算が組まれている組織でイレギュラーすぎる成果が扱いに困るのは、社会人経験からもなんとなく分かる。

 そんな穏やかな小春日和の午前中。ゆっくりお休みしていたいのに、私の右手には拳銃が握られている。弾は装填済み。いつでも射撃可能。正面にはきりっとした顔の乙女が壁を背にして立っている。教わったとおり、右手を上げ、左手を添えて拳銃を安定させる。照門と照星を合わせ、その先に狙うのは乙女の顔……。

「無理。無理無理。できないって」

「大丈夫ですって。自信を持ってください」

 へなへなと銃を下ろす私を励ましてくれる乙女。撃たれる側が元気いっぱいのコントがなぜ始まったのかというと、西部戦線が片付きそうだからである。

 共和国が停戦に応じたら、現在西部戦線に展開している帝国軍は大半が用済みになる。そうなれば、百万人とも言われる大兵力が残りの二戦線に振り分けられることになる。移動を計画する参謀達は今頃寝る暇も無いだろう。

 つまり、今回の停戦は次の攻勢の始まり。第三軍司令部預かりの私達も、軍の移動に合わせて他の戦線に割り振られる可能性が高い。まだ具体的な話が来たわけではないにしても、心構えはしておいた方が良い。私とユーリア、スザナは既に前線の生活を経験済だが、乙女は違う。彼女が少しでも安心できるように何をすべきか考えた結果がこれだ。

「もし弾が当たっても、すぐ治してくれますよね?」

「そういう問題じゃなくない?撃たれるんだよ?痛いんだよ?」

「信じてますから」

 キラッキラの笑顔でそう言われて、私の口から呻き声が漏れる。そう、今私達がしているのは防御の特訓だ。いや、しているのは、ではなくしようとしているのは、か。自分の身は自分で守れた方が安心だろう。私の時には撃たれたら自動で防御が発動したので、その場になればできるようになるんじゃないかと何気なく口にしたら、乙女が何故か乗り気になってしまい今に至る。確かに拳銃弾程度なら仮に当たっても治せると思う。思うが、万が一ということがある。私の射撃の腕前では、狙っていなくて逆に急所に直撃して即死、もあり得る。そう思うと怖くて撃てない。そもそも後輩を撃つなんてできるか?普通。じゃあナイフでも使えばいい?刃物の方が生々しくて怖いんだよ。言わせんな。

「ユーリア……」

「やれ、という命令であればやりますが」

 さっきから横でこのコントを見ているユーリアは少し呆れ顔だ。彼女なら腕を狙えば腕に、足を狙えば足に命中させるだろう。ただ、それはそれで「年端もいかない少女を撃つよう命じる士官」という極悪な絵面になるので躊躇われる。「殺さぬ程度に撃て」とか、悪の組織のやられ役幹部でしかない。そんなこんなでうだうだ悩んでいたら、見かねた乙女が近付いて来た。私の手を取り、銃口をぴたりと自分の腹に当てる。

「これなら、外しませんよね?」

 信頼が重い……!腹なら即死は無い、と思うが、失敗したらめちゃくちゃ痛いのは確定だ。苦しむ彼女を見たら私がパニックになる。しばらく悪夢を見続けることになりそうで嫌だ。たぶんすごい顔をしていたのだろう、乙女が心配そうに眉を寄せた。

「あの、もう自分でやりましょうか?それなら……」

「それもなんかダメ」

「ええ……」

 自分でやるのが嫌だから乙女にやらせる、というのも最悪だ。ごめんねヘタレな大人で。大丈夫。私にはできる。絶対治せる。だから、こう……手の先とかなら……。つやつやした爪が可愛らしい手を目にすると、一度固めた決意がまたするする萎んでいく。いや、本当に、なんでこうなった?もう殴るとかでいい?いや殴るのも無理だな。こんな可愛い子を殴るくらいなら私は私を自分で殴る。……あ。

「乙……マリーア、腕出して」

「えっと、はい」

 乙女がブラウスの袖をまくって、白い腕が剥き出しになる。左手でその手首を掴んで引き、右手を振り下ろすと、ぺちぃんといい音が中庭に響いた。

「どう?」

「えーと……何も感じませんね?」

 私の指が当たった辺りは何ともなっていない。感触すら無かったようなので、自動防御は問題なく発動しているようだ。うん、しっぺなら大丈夫。友達相手にやっているのと変わらない。少しほっとして横を見ると、ユーリアと目が合った。美しい青い瞳が、「それでいいんですか?」と雄弁に語っている。私の口元に無意識に卑屈な笑みが浮かんでいく。


 結局、私が発砲できたのは正午を回った頃だった。

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日本人に銃を人に向けて撃て、はキツイ むしろ撃たれる側の乙女が平然としてるのが怖い 信頼度MAX
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