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ある大使の所見

 堅苦しい礼服を脱ぎタイをテーブルに投げ捨てる。ベルトを緩めて執務机の椅子に身を沈めると、私は葉巻を一本取り出した。それに火を付けるでもなく、片手で弄びながら思考の海に身を沈める。報告書をまとめる前の、私の儀式だ。

 新教国の駐連合王国大使としてこの大使館に派遣されて早二年。国王暗殺後の混乱と共和国・帝国の侵攻と、歴史の中でも最も激動の時代に大使としてこの地に在るのは、自叙伝でも書くなら幸運と言えようか。少なくとも、本国に戻った時の土産話には事欠かないだろう。今日は帝国皇帝主催の晩餐会まで開かれた。連合王国の王宮で、だ。

 そう、帝国皇帝自身が連合王国の王宮に足を運んだのだ。王家が崩壊し政治的な空白が生まれていた連合王国は、それを易々と受け入れた。実質的な属国宣言だ。我が国が外交の限りを尽くして築き上げてきた優位性は全て失われた。友好関係にあった共和国首都も帝国の手に落ちている。百年を費やした大陸戦略が、わずか一年で帝国に覆されたのだ。高齢の外務卿が心労で倒れるのではないかと心配になる。彼の命が心配なのではない。その時に私が本国に居らず、蚊帳の外で人事が決まってしまうのではないかと気が気ではないのだ。消え行く連合王国の大使だったなど、何の実績にもなりはしない。いっそ戦火を理由に大使館を畳んで本国に戻ろうかと思うほどだ。

 支配者がはっきりしない連合王国は、非公式な外交活動にとっては格好の舞台になる。特務の軍人共は嬉々として走り回っているが、あいにく奴等は主君に忠実な犬だ。こちらには要求してくるばかりで碌な情報をもたらさない。今日の晩餐会だって、奴等が少しでも協力的だったなら事情が違ったのではないだろうか。

 今朝、皇帝行幸の歓迎式典で見かけた皇帝は疲れ切った老人だった。帝国に派遣されている大使の報告にあったように、長期化し終わりの見えない戦争で精神を削られ、神経衰弱に陥っているのが見て取れた。式典には出席していなかったが、あの悪名高い愛人まで同伴しているのだからその耄碌っぷりが分かるというものだ。この後共和国首都入城式に参加する参謀総長と帝国陸軍元帥、外務大臣もどっぷりと疲れた顔をしていて、帝国の西部戦線での一時的な勝利だけなら我が国にも付け入る隙はいくらでもあると楽観的になることができた。

 午後には今般の大戦で戦功のあった者に対する顕彰と叙勲があったと聞いている。公表されている名簿を見ても特筆すべき点は認められなかった。あえて言うならば、帝国貴族階級の名が減り、平民と植民地出身者が目立っていた。帝国の人材が消耗している、と定時報告を送って終わりだ。

 そして晩餐会。皇帝の入場を告げる声に立ち上がり拍手を送る。そして現れた人物が誰なのか、最初は分からなかった。

 堂々とした長躯に、野心的に輝く目。赤く染まった頬は活力に満ちている。皇帝の席次に立つその人が、朝の式典と同一人物とは信じられなかった。帝国幹部の面々も心なしか艶々している。よく通る声が帝国と連合王国の歴史とその友情を高らかに歌い上げている間に周囲を窺ったが、私と同じような感想の者が多いようで困惑の眼差しを送り合うことになった。

 朝の姿はブラフか。それにしても、何のために?晩餐会が進んでいくうちに思考を整理する。歓迎式典は公開されるが、晩餐会の参加者は限られる。外向けにあえて帝国の疲弊を強調し、情報の混乱を狙ったのだろうか。実際私も、西部戦線の戦局に関わらず帝国首脳部の疲弊は明らか、と本国に一報を送ってしまっている。訂正の電文を入れるべきかどうか。帝都の大使とも情報共有が必要だろう。

 食後酒が配られ、皇帝自らが席を回り言葉を交わしていく。年齢を感じさせない快活な姿。影武者を疑うほどの変わりようだ。私の前に立った彼が、懐かしそうに目を細めた。

「貴殿には会ったことがあるな。あれは、帝都の大学交流会だったか」

「覚えておいででしたか」

 そつなく会話をこなすことに集中しつつ、その記憶力に舌を巻く。私が帝国の大学に遊学していたのは何十年も前の話だ。その時の、留学生を対象とした交流会の一参加者まで覚えているとは。あの時の自信に満ち、溌剌とした皇太子だった彼を思い出すと、今のこの姿が本当なのだと納得できた。

 我が国は今般の大戦で帝国とは対立する方向を歩んできた。直接戦火を交わすことは無くても、共和国をはじめ帝国を包囲する国々を支援することで、勃興する帝国の力を削ぐことに腐心してきた。

 大陸戦略を転換する時が来たのかもしれない。

 私の前を離れ次のテーブルに向かう皇帝を横目に、私は新教国として最大の利益を得る道について考え出した。外務卿の心臓には悪いかもしれないが、次の報告書は少々長文になることだろう、と思いながら。

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更新100回、おめでとうございます 楽しく読ませてもらってます
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